王都から辺境自治区へ 4
湿気を含んだ早朝の空気が、速足で進む馬の蹄の音と共に馬車の中へ流れこんでくる。私たち使者団は目立たないよう、簡素な馬車で王宮の裏門から出発した。
昨日の昼のうちに、私が正式に国王代理として派遣されるという内容の書状を、西域将軍宛に送っているので、将軍は今日の夜にも返事を読むことになるはずだ。そして、私たちは明後日には、封鎖された東方辺境自治区に辿り着くだろう。
一人ひとり早馬で行けば、明日にも到着するのだけど、残念ながら私にそんな卓越した乗馬技術は備わっていない。貴族のロゼットだって、そこまで実用的な馬術は習得していないということで、ある程度速度が出せる急用の馬車を使うことになった。
馭者はもちろんガイアンで、私とロゼットは狭い馬車の中で身を寄せ合うようにして座っている。
「そんなに気にしなくてもいいと思うぜ。俺が国王だったとしても、お前を派遣しただろうし」
腕を組み、前方を向きながらロゼットは私に慰めの言葉を掛けた。何を気にしているのかというと、王宮内での噂のことだ。
国王は無情にも先日決まったばかりの王妃候補を、敵の要求に従って辺境自治区に送り込むことにした。生きて帰れるかどうかもわからないのに、やはり暴君は酷いことをする――。
閣僚の中には、早急に国軍を派遣してギュリド人を駆逐してしまえば、すぐに事は収まると主張する者も少なくなかったらしい。一介の女官に何ができるという疑念と不安もあるだろう。
カルダーンの決断には迷いがなく、ひどく冷酷に感じることは確かだ。一度も彼の心のうちを聞くことなく出発してしまったので、確たることは何も言えないけれど、私はカルダーンを信じている。私の隣で既に目を閉じて寝てしまった有能な旧友と、国王が最も信頼している側近中の側近を私の補佐につけてくれたではないか。
馬車は途中で馬を替え、その日のうちに半分以上の行程を進んだ。
「シャイラ様、お手をどうぞ」
夕食時間を過ぎた頃、勅使が宿泊する施設に到着し、馬車から降りようとするとガイアンが手を差し伸べて待っていてくれた。ロゼットが薄笑いを浮かべて見ているが、騎士の作法を無碍に扱うことは失礼なので、私は気恥ずかしくも、ガイアンの手を取った。
すぐに温かい夕食が出され、快適な申し訳ないほど広い部屋に案内される。一応、王妃候補ということで私の部屋が一番格式高いようだ。
「ちっ、お前、まだ女官のくせにこんな広い部屋を独り占めすんのか。俺だって公爵、宰相閣下の息子なのによ」
「いつまで居座る気? 着替えて、さっさと寝たいんだけど」
部屋を覗きに来たロゼットは扱いの差に、ぶーたれて長々と私の部屋で酒を飲んでいる。
「ほらほら、出た出た。あんたの部屋だって、今までの私たちが出張で泊まった部屋よりずっと快適でしょ!」
「冷たい女だなぁ。今夜はお前ととことん語り合いたいんだよ。国王んとこばっかり行ってんじゃねぇぞ。たまには俺の相手もしてくれたっていいじゃないか」
ほんのり顔を赤く染めたロゼットが、真剣な眼差しで私を見下ろしてくる。そこで、私の脳内に危険信号が灯った。
「おやすみ!」
私は心を鬼にして、ロゼットの首根っこをぐいと掴んで無理やり扉の外へ押しやった。こいつが酔っ払うと面倒なことになる。だいたいいつも、政策論争を吹っかけてきて、いかに自分の考えが正しいかを熱烈に語ってくるのだ。しかも、わざと私と意見が異なる経済に関する政策の話を持ち出してくるのだから、疲れることこの上ない。学生時代、何度、そのせいで徹夜に付き合わされたことか……。
困った同僚を追い出した私は、溜めておいた湯船にゆっくりと浸かり、それから寝台に潜り込むとすぐさま爆睡したのであった。
翌朝はまだ暗いうちに馬車は走りだした。
藍色の空に星が瞬いて見える。華やかで夜でも明るい王都に比べると、国の中央部あたりになると素朴な町並みに変わり、人口も少なくなる。宿泊施設から見えた町並みも、就寝するころには真っ暗で見えなくなっていた。
フェディオン王国の北西部の台地に位置する王都から東へ東へと進んだ馬車は、中央部を抜け、辺境自治区に随分と接近してきた。馬の速度が少しゆっくりになったような気がするのは、おそらくこの辺りから高地になるからだろう。都会的な建物が消え、もうずっと牧歌的な田舎の景色を見続けている。
「あれがルトガ山脈か……。聞いてはいたけど、巨大だな。山頂が雲に隠れて、最高峰がどのくらいなのか見えない」
ロゼットが言うように、私たちは田舎の景色に変わる頃から、この山脈の存在に圧倒されていた。夕映えに照らされて、山肌がごく薄く茜色に染まっている。
「あの向こう側に、ギュリド王国があるのね」
「さすがにあいつらもこの山脈を越えて侵入はできないな。だからこそ、自治区を奪取したいんだろうが」
ロゼットも様々な思いが沸き起こってきたのか、それきり黙り込んでしまう。
初めのうちは田舎の景色が珍しくて楽しんでいたけど、本当に牛と馬と牧草しか見えなくなると、私は真っ直ぐ向きなおして目を閉じた。
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