第3章
蛮国の将軍と伯爵令嬢 1
伯爵公邸の二階の中央に位置する会議室は、赤々と燃える暖炉の炎によってじんわりと暖められていた。六月も終わり、もう初夏だというのに、ルトガ山脈の麓一帯は冷気に包まれ、私は上着を身に付けた。
カイ将軍は私たちを公邸に連れて行き、我が物顔で会議室に集まるよう指示をしてきたのだった。
「ミランド嬢、あんたたちが妙な真似をしない限り、俺たちはあんたたちに危害を加えるつもりはない。ここの住民に対してもだ。何も自治区を血の海にしたくて、占拠してるわけじゃないからな」
私が極度に警戒していることを見透かしてか、公邸に入るまでの道で、カイ将軍が深い声でゆっくりと言った。当然、私はそんなことを素直に信じなかったので、無言で前を見続けた。
「お疲れのところ申し訳ないが、早速、交渉の場を設けさせていただいた」
会議室の大きな木製の机に、私と将軍が向かい合い、私の右隣にはガイアンが、左隣にはロゼットが座り、敵側は将軍の隣に副官が並んでいるだけだ。
リン・マーレン大尉と名乗った副官はやはり長身で鋭い目つきをしているけれど、顎の線が少し柔らかく、胸の膨らみから女性だとわかる。驚くほど肌が白い彼女は、まるで氷の女王のよう。そもそも、我が国で女性の騎士や軍人なんかはお目にかかったことがない私は、マーレン大尉を見て動揺してしまった。事務職である女官は多数存在するものの、フェディオンの女性に命の危険を伴う武器を扱う職業の門戸は開かれていないのだ。
将軍が口を開くと、後方に控えている事務職らしきギュリド人が記録を取り始めた。
「ギュリド王国の要求はルトガ自治区の割譲ただ一つ。今回は貴国に大幅に譲歩して、交渉の機会を与えたい」
「その前に、ファース伯爵と家族はどこにいる? 無事だとわからない限り、こちらにも考えがある」
よし、ロゼット、いいぞ。私は冷静に最初の一発をお見舞いした同僚の言葉に心の中で頷いた。
お前はとりあえず黙っておけ、しばらく俺が相手と話を進めるからと言われたので、私は外交官僚に主導権を渡しておいた。
「自治区長とご息女は三階の客室に滞在してもらっている。もちろん、一切傷は付けていないし、必要な物資や食事はきちんと提供している」
「実際に伯爵の姿を確認しなければ意味がないだろう?」
「……いいだろう。区長を客室に閉じ込めているわけではないからな。ここへ降りてきてもらおうか」
意外とあっさり将軍がロゼットの言い分を聞き入れたので驚いてしまったが、こちらとしては助かる。
使用人が伯爵を呼びに行って、しばらくしてから戻ってきた。扉を開けて入ってきたのは、初老の男性だけだった。健康であれば見栄えがしたのかもしれないけれど、今の伯爵は憔悴してしまったせいか、足取りは重く、抵抗するような気力もなさそうに見えた。だから、将軍は伯爵を厳重に閉じ込めたりする必要はないと判断したのかもしれない。
「ああ、王妃候補様……。これはご挨拶が遅くなり、大変失礼いたしました。情けないことになってしまって、いやはやどうしたことか」
伯爵は使用人が用意した椅子に腰を下ろし、困惑した顔で私たちを見つめた。元気とは言えないものの、一応、伯爵の無事は確認できた。
「ファース伯爵、ご息女はどうしていらっしゃいますか?」
「ライナも無事ですよ。しかし、部屋にこもっておるようで、声を掛けても出てきませんでした」
それで伯爵だけが降りてきたのね。私はライナさんに深く同情した。きっと恐ろしい思いでいっぱいで、閉じ込められているわけではないけど、敵兵が至るところに配置されてる公邸を自由に歩こうなんて気持ちにはならないんだろう。一刻も早く彼女に会いに行って励まさないと。
私はそう決心して、改めて顔を上げた。すると、カイ将軍はすっと目を細めて私を一瞥した。
「さて、話を本題に戻そう。我々は自治区がほしい。貴国はどんな札を持っている?」
「こちらが札を出して、気に入ったら自治区から手を引くと? 穀物の支援ならば、提供できないことはないが……」
「……王妃候補を国王代理として派遣してもらった意味が加味されていないな。貴国には極上の切り札がある。シャイラ・ミランド嬢の身柄だよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます