暴君と王妃候補 3

 ぱちり、と目を開けると、部屋のカーテンは開けてまとめられ、テーブルの上はすっかり片付けられていた。枕から頭を上げて目が合ったのは、サランだった。彼女は私が起きたことに気付き、寝台に寄ってきた。

「おはようございます。……サランさん、どうして泣いてるんですか?」

「お、おはようございます、シャイラさん。あなた、よくがんばりましたね! 嬉しくて嬉しくて」

 なぜかわからないけど、サランは涙を浮かべて言葉を詰まらせている。

「この部屋で朝まで過ごしたのは、あなたが初めてなのです。陛下はあなたを今夜もお呼びするとおっしゃっていましたよ」

「今夜も!? で、でも、何もなかったんですよ? ボードゲームしただけで、それから国王は自室に引き上げてしまって。お蔭で久しぶりによく眠れましたけど」

「まあ、そうだったのですか。それでも十分です。とにかくご興味を持っていただいたのだから」

 その言葉を聞いて、私は冷静になってサランと約束した条件のことを考えた。報酬だけじゃなく、国王に気に入ってもらえたから実家の格が上がる! それだけで心が軽くなり、私は朝食をぺろりと片付けてしまった。

 そして、いつものように職場に向かうと、同僚たちからは勇者扱いをされた。

「すごいじゃない、シャイラさん。どういう手を使って陛下を魅了したの?」

「最近、恋人とうまくいかないの。シャイラさんの助言を是非聞かせて」

 化粧室では女性の同僚たちから質問攻めに遭った。でも、適切な答えはない。だって、ゲームして過ごしただけだものね。何もないわよ、と言い返すと、不本意にも照れ隠しだと誤解される始末。

 その晩も美の専門家が私を飾り立てた。今度は茜色のドレスで、昨日よりも大胆に胸元が開いている。恥ずかしいから別のがいいと文句を言うも、サランがダメですの一言で却下してきた。色気を出して、国王の気を引きなさいということらしい。でも、こういうのって本人に色気が備わってなきゃ無駄なんじゃない?

 昨日よりは気楽に国王の私室の扉をくぐると、国王はまたテーブルに何かを広げて、頬杖を付いていた。

「こんばんは、陛下。お召により伺いました」

「うん。何を飲む?」

 国王は私を一瞥しただけで、また飲み物を選び始めた。私は今日は紅茶を飲みたい気分だと言ってみた。でも、紅茶は手元になかったようで、侍女に持ってきてもらうことにした。

「地図をご覧になってたのですか? 随分と細かいですね。町中でこんな細かい地図は見かけたことはありません」

「それはそうだ。この地図は機密に分類されるものだからな。国軍に作らせている」

 私は椅子に座って、地図をしげしげと眺めた。見慣れた地形でも、これほど詳細に書き込まれている地図を初めて見るので興味をそそられた。

「君は我が国の防衛について、何か考えを持っているか?」

 今日はボードゲーム大会ではなく、国防を語る会なのだろうか。折角、形だけでも色気のある装いをしてきたというのに……。でも、まぁ、政策の話をする方が私も余程気が楽だ。

「私は商工業省配属なので、あまり深く考えたことはありませんが……。我が国は南部を中心に国境の半分は海と接していて、北部には三つの大河が横たわり、東部は山岳地帯です。だから比較的、自然の要塞のお蔭で他国の侵略を防ぎやすいと思います。ところが、最近、海の向こうの国が情勢不安になり、海賊が横行し始めていると聞いています。海軍は海軍との戦いには有効ですが、小回りの効く海賊に対応できるような態勢も必要かと」

 国王は眉を上げた。

「海賊だって?」

「はい。国軍大臣から報告がなされていませんか?」

「知らない。小さい不安材料でも知らせるように伝えたんだが……」

 私は黙ってしまった。図らずも国軍大臣の不備が明らかになってしまったからだ。

「あ、あの……国軍大臣も解任するおつもりですか? 国土整備大臣のように」

 私が尋ねると、国王は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「あれは、国土整備大臣が公費を長年に渡って横領していたことが発覚したからだ! 貴族たちと仲良くやっていたのは、横領した金をばら撒いていたためで、人柄が良いって話は嘘だったんだよ」

 なんてことだ。じゃあ、暴君という称号はこの件に関しては濡れ衣だったのね。

「国軍大臣には改めて話を聞いてみる。俺を煩わせたくなくて、海賊の話をしなかっただけかもしれないだろ」

 この日はやはり色気のない話に始終して、昨日と同じように日付が変わる頃になると国王は自室に戻っていった。

 サランに状況を報告すると、あからさまにがっかりしていたものの、また私が夜の相手に指名されたと嬉しそうに告げた。

 そして今夜は、特別に着飾ることはしなかった。落ち着いた薄茶色のワンピースを着て、装飾品は一切つけていない。なんでも、国王が普段通りの服装で来るようにと指示したらしい。やっぱり、私が着飾った姿なんか興味なかったんだろうな。

「こんばんは。今夜は何をなさるのですか?」

 テーブルの上には、ゲームも地図もなく、軽食と飲み物が並んでいた。今日こそは進展があるのだろうか。優雅な会話がしたいとか……?

 しかし、私の予想は裏切られた。

「商工業省に勤務している者に聞いてみたいことがあるんだ。あ、その前にチーズはどれがいい? 飲み物は?」

「お気になさらないでください、陛下。私がやります」

 私はまた政策の話になることがわかって、内心ほっとして微笑んだ。自分のよく知ってる職務のことならどんと来いだ。皿に並んだチーズの種類を確認すると、私は渋めの赤ワインを選び、グラスに注いだ。こっくりとした葡萄色が美しく揺れる。

「ありがとう。ところで、敬語を使うのは止めてくれないか? 私的な会話なのに疲れる」

 え、これって私的な会話だったのというツッコミを飲み込む。国王は続けた。

「あと、陛下とか国王とかもなしだ。名前でいい。俺も君を名前で呼ぶよ」

 なんだか今度は暴君らしいむちゃくちゃな命令だ。対等な配偶者の王妃だって、そんな馴れ馴れしくしないと思うんだけど。とは言え、敬語を使うと結局暴君の意に沿わないことになって面倒なので、私は素直に従うことにした。

「それで、さっきの続きだが。どうも最近、我が国の財政収支が伸び悩んでいる。商工業で新しく開拓すべき分野はあると思うか?」

「私個人の考えは、ありま……あるわ。それでいいの?」

「もちろん。俺は局長たちの考えではなく、シャイラの考えが知りたいんだ」

「我が国は温暖な気候だし、様々な鉱物などの資源が豊富だけど、それほど貿易を重視してきてないわ。年によって農作物の余剰ができるでしょ。今では多くの農家が廃棄してるけど、それを外国に輸出すれば農家は豊かになる。それ以上に、鉄鉱石や石炭の生産を増やして、加工して、売るの。金属や鉱物資源はフェディオン王国の強みよ。国軍の武器のためだけに使うのはもったいないと思わない? もちろん、外国に売るのは武器じゃなくて、無害な生活用品ね。じゃないと、良質な武器が外国に流れてしまうから」

 カルダーンは資源を加工して輸出するという考えに驚いたらしい。フェディオン王国は物が豊富過ぎて、ただ貯め込むのが習慣化していたのだから、無理もない。

「シャイラはどうしてそういう考えを持つようになったんだ?」

 私はカルダーンが手帳とペンを取り出したのを見て、笑ってしまった。なんて真面目な暴君! でも、本人は真剣に私の話を書き取っているのだ。

「最近、ある学者の本を読んだの。自国で安く生産できたり、得意な分野の商品を互いに輸出入すれば、どっちも高品質の物が得られるっている貿易概念よ。だから、まぁ、受け売り」

 カルダーンはひと通り疑問に思うことを私にぶつけると、かなり満足したようだった。お互いに頭を使って疲労していたけれど、清々しい気持ちでいっぱいになった。

「ねぇ、カルダーン。今日私が言ったことは、すぐに私の上司たちに話さないでね」

「もちろん。ちゃんと君の立場はわかってるよ。では、おやすみ」

「おやすみなさい」

 この時、私たちは初めて、笑顔で向かい合っておやすみの挨拶を交わした。

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