暴君と王妃候補 2

 とうとう運命の日がやってきた。

 半日で仕事を切り上げると、女性の同僚たちからは戦地に赴く兵士ばりに同情の言葉をかけられ、余計に悲しくなった。

 美の専門家たちがあっという間に私を貴族の娘並みに着飾り、私はじっと鏡の中の自分を覗き込んだ。

「誰よ、あんた……」

 私を見返しているのは、淡い緑色のドレスに身を包んだ大きな瞳の若い女性。

 胸元には小振りのダイヤのネックレスが煌めいている。これは母から譲り受けたもので、宝石箱から引っ張り出してきた。くっきりとした化粧だけれど、けばけばしく見えないのが専門家の腕前の良さを語っている。肌の調子も悪くない。

「さあ、笑顔を出して。すっごく綺麗ですよ」

 サランが親戚のおばさんのように優しく私の背中に手を添えた。

 窓から見える塔の時計は九時半を指していた。普段は近づくことができない王宮の奥の間は、味気ない省庁群と異なり、どこもかしこも整然として、豪華な調度品や絵画であふれていた。すれ違う侍女たちが、軽く会釈をしていく。なんて華やかなんだろう。しかも、彼女たちからは良い香りが漂っている。

 私はふと、国王はもしかして既に好きな女性がいて、それで送り込まれてくる女性たちを拒否しているのではないかと思い付いた。でも、その考えはすぐに打ち消された。国王なんだから好きな女性がいたら、さっさと呼んで王妃に据えるはずだよね。

 サランと私はついに国王の寝室の前に立った。ああ、一世一代の賭け事をする気分だ。手先がとても冷たい。サランは私の手を握り、扉を叩いた。

「陛下、今夜のお相手をお連れいたしました」

 サランが扉をそっと開けると、中から笑い声が聞こえた。若い男性が二人?

「いいか、ガイアン。次こそは俺が勝つ。まったく、これだけはお前に歯が立たないからな」

「上等です。私も負けないように日々精進しておきますよ。では、素敵な夜を楽しんでください」

 扉の隙間から見えたのは、テーブルに座った男性たち。ワインやグラス、それに何かのボードゲームが置かれている。そうか、ゲームに興じていたのか。

 ガイアンと呼ばれた男性が颯爽と立ち上がり、部屋を退出する。私たちの前で少し立ち止まり、頭を下げた。

「失礼いたしました。騎士団長のガイアン・トルックと申します。大変お美しいですね。国王が羨ましいくらいです」

 短く刈られた黒髪は爽やかで、活発そうな瞳をしている。白い歯を見せて笑ったガイアンは、全然、暴君を恐れていないように見えた。

 ガイアンが去ると、私はサランから背中を押されて一歩進み出た。

「入れ」

 国王の声がよく響いた。もう後戻りはできない。サランは、隣の部屋に控えているから何かあったら言いなさいと告げると、無情にも私を一人残していなくなってしまった。

「どうした、そこに来てるんだろう?」

 私はドレスの裾をつまみ上げ、恐る恐る扉の向こう側へ踏み込んだ。

 国王はガイアンと同じように黒髪だけど、少しだけ長い。グレーのこざっぱりとした夜着で椅子に座っている。

「シャイラ・ミランドと申します。今宵はお相手を仰せつかり、参上いたしました」

 ぎこちなく挨拶をし、頭を深く下げると、「うん、知ってる」という返事が聞こえた。

「その言い方、まるで騎士の稽古試合みたいだな。まぁ、そこに座って」

 国王が示した椅子はさっきガイアンが座っていたものだ。向い合って、手を伸ばせば触れられる距離に一気に来てしまった。私はなるべく微笑みを絶やさないようにして、国王を見た。……悔しいが、暴君はすごく目鼻立ちがくっきりとしていて、美男子だった。

「ミランド嬢。商工業省海運局長第三補佐。勤務成績は王宮に入ってから常に良好。二つの外国語が堪能で、国際会議でも重宝される――」

 暴君は私の職務の情報が書かれたらしい紙を読み上げた。

「仕事は面白いか?」

 予想外の質問に驚いてしまったが、国王に媚びるつもりのなかった私は素直に思っていることを答えた。

「面白い時もあります。上司から褒められたら、やり甲斐を感じますし、理不尽な要求が立て続けに降ってきた時なんかは、ムシャクシャして飲まなきゃやってられません。陛下だってそうじゃありませんか?」

「……理不尽な要求ってのは、何だ?」

 しまった。国王の前で口が滑ったかなと肩を竦めたものの、私は腹を決めて話した。

「例えば、今日は残業しないで帰ろうって思ってたのに、突然、閣僚だとか大貴族だとかから調べ物の依頼が来て、しかも、翌日の朝が締め切りっていうのとか。宴席で大臣のテーブルだけやたらと女官が配置されていて、お酌をさせられるとか。他にも色々ありますけど」

「そうなのか。……じゃあ、とりあえずワインでも飲もう」

「え?」

「君の今の顔は、暴君の相手に指名されて、やってらんないという顔だぞ。そういう時は飲むんだろう?」

 自分で暴君ってこと、自覚してるんだ! 私は思わず笑いそうになってしまった。

国王は立って、棚に並べられたワインを選び始めた。そして、ロゼを出すと、新しいグラスに注ぎ、私に勧めた。

「乾杯」

 国王は漆黒の瞳で私を見つめた。

「美味しいですね」

「ああ、これは俺も好きな味だ」

「あの、ご自分で暴君とおっしゃっていましたけど……?」

 禁句かもしれないと思ったけれど、私は好奇心に負けて訊いてしまった。ガイアンとの会話は朗らかに聞こえたし、もしかしたら今、機嫌がいいだけかもしれない。すると国王は苦笑いをして答えた。

「いつの間にかそう呼ばれてた。俺はそんな自覚はないけどな。この話は置いておこう。それで、君はこのゲームができるか? ガイアンが……さっき出て行った騎士団長はめっぽう強くて全然勝てないんだ」

「苦手ではありません。よく職場の同僚たちが休み時間に遊んでて、時々混ぜてもらってますから」

 そのゲームは古くからフェディオン王国に伝わるらしく、老若男女問わず根強い人気を誇っている。私はそれほど強いわけではなかったけれど、残念ながら国王よりは腕が良いことがわかった。でも、そんなことがわかったからと言って別に手加減はなし。私の方がつまらなくなってしまうからね。

「俺には才能がないんじゃないか……」

 私に二敗したところで、国王は溜息をついてロゼを飲み干した。

「たぶん、陛下は盤の中央に気を取られ過ぎているのだと思います。ほら、私の陣地側の端の方を見て下さい。この駒はすぐに将軍として使えるようになってしまいますよ。でも今ならまだ陛下の持ってる歩兵で弾くことができます」

「なるほどな」

「辺境にも気を配って、全体を俯瞰するとよいかと思います」

「うん、わかった」

 いつの間にか私はゲームの指南役になっていて、互いに熱中し始めていた。教えた甲斐があって、国王はなんとか三勝することができたけど、結局、私が六勝という結果に終わった。

 ポーン、ポーンと置き時計が時刻を告げた。

「ああ、もう日付が変わってしまったのか。あっという間だったな」

 カルダーン三世は暴君らしからぬ微笑みを私に向けて言った。

 二時間ばかり頭脳を消費することに集中してすっかり忘れてたけど、漆黒の瞳で真っ直ぐに見つめられて、私は本番はこれからだということを思い出した。すると、解けていた緊張が急にぶり返し、鼓動が速度を上げ始めてしまった。国王が部屋の片隅にある天蓋付きの真っ白な寝台に顔を向けると、私の心臓は爆発寸前に追い込まれた。

 もしかして暴君の本性は寝台の上で発揮されるんじゃ――。火照った顔が一気に氷点下まで下がった気がする。

 国王は立ち上がり、もう一度、微笑んだ。

「じゃあ、今日はもう遅いから寝るとしよう」

 ほら、来た! 私が硬直して立ち尽くしていると、国王は私に背を向けて歩き出した。

「え、あの、寝台は……」

「ああ、気にするな。俺は自室で寝るから、この部屋は朝まで君の自由に使ってくれ。風呂もあるし、軽食が必要なら侍女を呼べばいい。おやすみ」

 淡々と説明をして、短い挨拶を残すと、暴君は隣室へと消えていった。

 な、何だったの!? 人生最大に身構えていた私は、抜け殻のように椅子に座り直した。まさか、国王の考えてる夜の相手ってただのゲームの相手? だったら、騎士団長でも近衛隊長でもいいじゃない!

 あまりにもバカバカしくなった私は、用意されていた夜着に着替えると即刻、真っ白でふかふかの寝台に潜り込んだ。羽毛の布団が疲労困憊の私の心身を癒してくれる。そして、私は朝までたっぷり眠りを享受した。

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