第二話 願い
少女が落ち着きを見せたところで、誘使は少女の手を引き自宅へと戻ってきた。今年から大学生活を送る一人暮らし用に借りたアパートには、まだ引っ越してきてから数日しか時間はたっていない。部屋の隅には荷造りした段ボールが乱雑に積み重なっており、部屋にはベッドが設置してあるだけだった。
少女は借りてきた猫のようにおとなしくなっている。
誘使はとりあえず自室のベッドへ座らせたのだが、少女に重みはほとんどないらしく、シーツに歪みはわずかにしかできていない。
手を放そうとしたのだが、少女は誘使の手首を掴みなおして放さない。
――まぁ、何も解決してないし。不安に思うのも仕方ないか。
手首を掴まれたことは気にしないようにし、誘使は少女の膝に手を乗せた。相変わらず少女から温度を感じることはない。少女はその手を一瞬見たが、すぐに誘使を見つめてきた。
「お前の名前は?」
「……ユミル」
口元は動いているが、相変わらず音はしない。頭の中に直接流れてくる違和感を誘使は無視した。
「ユミルだな。俺は三珠誘使。好きなように呼べばいい」
ユミルと名乗った少女は誘使の手首を少し握りしめながら言う。
「ユージは本当に私を助けてくれるの?」
その問いに誘使はぎくりと目をそらす。半ば勢いで行ってしまった台詞でもあったし、何をどうすれば助けられるというプランは何一つ持ち合わせてはいなかった。お茶を濁す意味合いもあったが、気になることもいくつかあったので誘使は話を切り出す。
「……まぁ、噓をつくつもりはないが。それよりも、お前はなんなんだ?」
「ユミル」
「いや、名前はわかったから」
「そうじゃない。お前じゃない。ユミル」
口をへの字に曲げ、誘使の手首をさらに強く握り不満をあらわにするユミル。まだ、出会ってからさほど時間はたっていないが、表情がわずかではあるが豊かになってきていると誘使は思った。
「わかったよユミル。で、ユミルは幽霊じゃないのか? 触れるし、一方的に俺が話しているだけだが、こんなに話ができる幽霊なんて今まで出会ったことがない。まぁ、かかわらないようにしていたから、俺が知らなかっただけなのかもしれないが、どうなんだ? ユミルは自分のことを覚えているのか?」
まくし立てるようにしゃべってしまったことを内心反省した誘使ではあったが、今は情報がなさすぎる。なんとなく助けて自宅まで連れて帰ってきてしまったのだが、まだユミルに気を許していいかどうか判断はついていない。
名前で呼ばれて満足したのかユミルは無表情に戻りしゃべり始めた。
「ユーレイがなにかはわからない。でも、私は特定の人間にしか認識することができない。それに――」
ユミルは握っていた誘使の手首を離すと、全身がベッドに沈んでいく。そして、ベッドから生首が生えているような状態で止まった。
「本来、私はモノに触れることができない。ユージに触れていれば、触れる……みたい」
ベッドの横からユミルの白い腕が生えてくる。
――やはり幽霊だな、こいつは。
伸びてきた腕に若干の恐怖を感じたが、その腕を避けることもなく誘使は手を掴まれると、反発するようにベッドの中からユミルの体がぬるりと飛び出し誘使の体に収まった。やはり、触れてはいるが重みも感じないし温度も匂いもしなかった。
「ユージに触れていると、気持ちいい」
猫のように頭を誘使の胸に擦り付けてくるユミルの頭をとりあえず撫でると、喉を鳴らしながらさらにくっついてきた。変なのに懐かれてしまったと思うのと同時に、庇護欲が湧いてしまっていることを感じ誘使はまた頭を悩ませることになった。
ユミルは誘使の胸に頭を埋めたまま不意にしゃべり始めた。
「ユージは勘違いしてる」
「なにを?」
「私は、死んでいない。今は、魂の状態なだけ」
「それを世間じゃ幽霊というんだが、何が違うんだ?」
ユミルは身に着けているワンピースの胸元を少し引っ張ると、そこには蝶のような痣が見えたが、誘使はそれを一瞬確認してすぐに目をそらした。抱きつかれて見下ろしている状態だったので、胸も一緒に見えてしまっていたためだ。少女とはいえ素肌を見るのはためらわれた。
「私は、呪術兵器の贄になってる。体を取り戻したら物にも触れる」
誘使のそんな思いもユミルは何一つ気にしていないようであった。自分だけ恥ずかしがっていることに対して、さらに羞恥心を感じてしまった誘使は気にしなかったことにした。
「呪術? 幽霊より信じがたいものが来たな」
「ユージは呪術が使えるかわからないけど、魔法は使える」
「さらにファンタジーに足を突っ込んできたな。俺は幽霊は見えても魔法なんか使えないぞ」
「私が見えているのがその証拠。今の私は魔法の素養がある人物にしか見えない。それに」
ユミルは誘使の目を見ながら手を強く握る。
「ユージの資質は妖魔の賢者にも劣らない。魂の存在である私が活性化するほどの力は見たことがない」
誘使は自分の掌を握ったり閉じたりしてみるが、特別な力があるようには感じなかった。
「まぁ、俺に不思議な力があるとしてだ。ユミルは俺に何を望むんだ?」
「戦争を終わらせてほしい」
「待て待て、突然規模がでかい。そんなもん一個人でどうにもならないだろ」
「ユージ、約束した。助けてくれるって、信じろって」
ユミルは口元をへの字に曲げ不満を表した。
「確かに言ったが、俺は普通の人間だ。勉強も運動能力も抜けた能力は持ち合わせていない」
「ユージには魔法がある」
「……素質はあるのかもしれんが、使えなきゃ宝の持ち腐れだ」
ユミルは顔を伏せ、強く誘使の手を握る。
「……戦争が終わらないと、みんな死んでしまう」
「そもそも、戦争なんてどこで起こってるんだ? 紛争がどうとかは聞くが、少なくともここは今平和だぞ」
「ここじゃない。小国アトラスは私達の世界クロノスにある」
「……世界ね。魔法の次は世界と来たか」
「ユージなら大丈夫。きっとできる。私が信じようと思った。だから、いく」
いつの間にかユミルの手には花束の中に紛れていた金色の腕輪が握られていた。その腕輪を誘使につけると、輝きを失っていた腕輪が鮮やかな極彩色の光を放ち始めた。
「おい! なんだこれは! ユミル! おい!」
誘使は叫びをあげる中、腕輪はさらに光を増していく。焼けるような熱を手首に感じながら、取り外そうとするが、肉に食い込むようについてしまっている腕輪を外すことはできなかった。
「私を見つけてくれたのがユージでよかった。あとは腕輪がクロノスまで導いてくれる」
「ふざけんな! さすがに強引すぎる!」
「大丈夫、ユージを私は信じるから、ユージも私を信じて」
ユミルは誘使の背中に手をまわしてしがみつくように体重をかけてきた。先ほどまでに羽ほどの重量しかなかったが、今は見た目相応の重みが誘使を襲い押し倒されてしまった。しかし、その背中は部屋の床に触れることはなく誘使は穴に落ちるような感覚がした。
どこまでも深く深く落ちていく。落下の浮遊感の中、胸の中に抱きついているユミルをきつく抱きしめたところで誘使の意識は闇へと落ちた。
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