ただ普通の死霊使い
本山昴
第一話 赤毛の少女
「お前は、幽霊なのか?」
――めんどくさいことになった。
青年の目の前には、白いワンピース姿で、腰当たりまでまっすぐ伸びた赤髪が印象的な少女が不満げな顔で睨みあげている。
傍から見れば家出少女をナンパしている青年という構図だろうか。もしくは、駄々をこねている妹をなだめている兄であろうか。
青年、三珠誘使はもちろんナンパのつもりで話しかけたわけではないし、妹もいない。年齢はわからないが、少女の見かけは小学生から中学生くらいだろうか、お互い立ったまま顔を突き合わせているわけだが、身長差がだいぶあり、少女が誘使を見上げている構図である。
現在時刻深夜二時。丑三つ時と呼ばれる時間であり、周りに人通りもなく、住宅街ではあるが明かりは月明りと電柱の街灯が誘使達を薄く照らしているだけだ。
依然、少女は不機嫌だということを隠さずに睨みつけてきている。そこまで怒りを向けられるのか誘使には理由が思いつかなかったが、虫の居所が悪かったのだと勝手に思い込んだ。
――いっそのことどこかに行ってくれ。とでも言えばすぐにでもいなくなるのだが。
誘使はそんなことを思うが、少女から音が紡がれることはない。燃えるような赤髪が街灯に反射し、睨みあげられた瞳は月明りを浴びて煌々と碧色に輝いていた。
――外人か? 言葉が通じてない可能性もあるな。
紅毛碧眼の少女は誘使から見て、外人かどうかは判断がつかなかった。色こそ西洋人の出で立ちだが、鼻がとりわけ高いわけでもないし、肌は透き通るように白いが、白人のそれとは違う。唯一外人かもしれない部分があるとすれば、鈴を張ったような碧眼と赤髪だろう。しかし、整った顔立ちはどちらかといえば日本人に近いと感じた。
――ハーフなら言葉は伝わっていそうだが、いや、日本に住んでるかどうかはわからないしな。
解決策が思い浮かばない誘使は余計なことをするんじゃなかったと、ため息を漏らす。今更後悔したって遅いのだ。結果はどうあれ、先に話しかけたのは誘使自身である。
ただの人助けのつもりだった。帰り道に電柱の下で立ち尽くしている少女を発見した誘使は何の躊躇いもなく声をかけた。正義感とは程遠い性格をしていた誘使ではあるが、年端もいかない少女が深夜に立ち尽くしているのを無視するほど人でなしでもなかった。普段なら、声なんてかけなかったかもしれない。実行に移してしまったのは深夜という時間と、ただ何となく気になったからという根拠のない興味。
さらに誤算があったとすれば、目の前の少女が人間ではなかったというところだ。時折、全身がすりガラス越しのようにぼやけたかと思えばまた形を取り戻す。目の前にいるというのに出来の悪い映像を見ているようであった。
幽霊だと、誘使は思った。
その可能性を助長するように、電柱の足元には花束が置かれている。事故か自殺か判断はつかなかったが、ここで亡くなったのだろう。花束は瑞々しく咲いている。気になったのは遺品だろうか、やけに鈍く街灯の光を反射している金色の腕輪が紛れている。貴金属のようだが、輝きは失われ薄汚れていたが、誘使はこの場に置かれていることに違和感を覚えた。
花束の具合からごく最近だろうか、よくこの道を使っている誘使でも花束も少女も見るのは今日が初めてだった。時間がよかったのか、はたまた悪かったのか、恐らく少女は最近ここに現れたのだろう。
誘使は生まれつき霊感が強い青年であった。幼いころから幽霊は馴染み深い存在であったし、これからもそうなんだろう。精神修行だと祖父に握らされていた木刀をがむしゃらに振っていたことを思い出した誘使は自嘲気味に鼻から笑いが出た。思い返してもいい思い出などほとんどないが、疎ましいと思うほどのこともない。
幽霊ということを認識することにより、誘使は顔に手を当て夜空を見上げた。幽霊を見ること自体は数多くあったが、接触するような事態になったのは記憶を掘り返しても思い当たらなかったのである。
子供時代、幽霊が見えることを逐一周りの人間に伝えまわっていた誘使は近所の住人から気味悪がられていた。子供ながらにその空気を感じ取り、次第に幽霊が見えていても無視を決め込むようになり、そこにいてもいないものとして扱っていた。真面目に取り合ってくれた祖父の言いつけもあり、幽霊とかかわらないようにしていたのである。
幽霊との邂逅。誘使には有効な選択肢が存在しない。正解はわからない。深く物事を考えて行動したいと考えてはいたが、現状、何をどうすればいいか皆目見当もつない状態だった。
――困った。どうするべきか、と言ってもできることはないが。
誘使は幽霊が見えるだけで、陰陽師の家系でも寺生まれでもない。成仏させることなどできない。本職でもそんなことができるのかはわからないが。
「あー君の名前は? 調子悪いが悪いのか? えーと、大丈夫か?」
「……」
「お前は、幽霊なのか?」
誘使は自分のできる最初で最後の選択肢として対話を選んだ。そもそも会話を交わせるかどうかもわからない。伝わっているかは微妙な感じではある。リアクションは変わらず沈黙。身じろぎ一つしないが、なんだか怒っていることだけは理解できた。
対話を選んだ結果が今の睨み合いの状況である。誰かに見られる前に何とかしたいと誘使は考えていた。幽霊である以上一般の人からは、誘使が壁で困り果てているだけにしか見えない。深夜、電柱の下に花束が置いてある場所で立ち尽くしている若者。完全に不審者だ。
どうしたものかと頭をかいていると少女の口元が動いたのが見えた。
「……ねぇ。貴方は――」
鼓膜からではなく、頭に響く少女特有の甲高い音。幽霊はこんな風にしゃべるのか。と、よくわからない感動を覚えながらも、誘使は少女に視線を戻した。鋭く睨みつけていたその視線も、少女から発せられる怒気も完全に消えており、今はただ無表情になっていた。
「私を、助けてくれる?」
少女の碧眼が揺らいでいる。助けを懇願しているが、その実、諦めも混じった問いかけ。もしかしたら、出会った人間に同じ質問をしてきたのかもしれないと誘使は思った。幽霊の存在を認知している誘使ですらその問いかけに背筋が震えてしまった。おそらく、すべて逃げられてしまったのだろう。諦めが混じっているのはそのせいだろうか。
「おそらくお前は死んだ。お前の意志だったのか、事故だったかは知らないが、俺にお前を助けることはできない」
「そう……」
突然、少女の姿全体が揺らぎだす。子供のころから幽霊を見てきた誘使でも幽霊がどういう存在か理解できていない。このまま消えてしまうのだろうか。それが成仏なのか、ただ消えてしまうのかは誘使にはわからない。
幽霊にとって成仏することが幸せなのかは誘使にはわからかったが、これから訳も分からずそこに立ち尽くしているよりはいいんじゃないだろうか、と自分を納得させた。
「……もういく。次があれば、幸せになれるといいな」
これ以上できることもない。消えゆく少女から離れようと背を向けたのだが、足を踏み出すことができなかった。
二の腕を掴まれている。
誰に?
この場には少女しかいない。幽霊が人に触れている?
「いや」
二の腕に痛みを感じる。手が食い込む程の力で掴まれている。少女の見かけからは感じられないほど強い力だ。
状況を理解するまで少し時間がかかったが、誘使はゆっくり少女のほうへ向き直った。
「……けて」
「え?」
「たすけて。こんなところで終わりたくない」
少女は涙を流していた。先ほどまでの無表情な顔は崩れ、涙をこらえようと唇を強く結んではいたが、嗚咽する音が誘使の頭に響き渡る。その間も頬を伝う涙はとめどなく流れ続けた。姿も砂嵐のように乱れている。しかし、視線だけは誘使を貫いていた。
「落ち着け」
誘使は少しだけたじろいだが、頬を少しだけ緩め少女の頭に手を置いた。触れられるかどうかわからなかったが問題なく触ることができた。幽霊の助け方など何一つわからない誘使だったが、泣く子供をなだめるくらいはわかる。
「お前の助け方なんぞ、俺にはわからないし、助けてやれる保証なんかないが……」
膝を曲げ少女と視線の高さを合わせ誘使は笑う。
「俺を……信じてみろ」
「うん!」
少女はより一層の涙を流しながら誘使の胸に飛び込んだ。
誘使は胸の中ですすり泣く、温かくも冷たくもない少女をあやし続けた。少しずつ少女の体が形を取り戻していく。頭を撫で続けながら誘使はどうしたものかと夜空を見上げたが、その思いに応えてくれるものは何一つなかった。
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