第4話 トラブルメーカー

 保育園時代は混ざって遊んでいたりするから、記憶も曖昧だったけれど、小学生に上がると同級生(つまるところの幼馴染)がはっきりと解った。


 一年遅れで入園した僕には保育園時代に同い年を記憶しろと言われても追い付けなかったのだとも思う。


 入学したときには僕を含めて11人、いつ頃だったかは忘れてしまったけれど、途中から転校生が入って12人、


 ごん(転校生)

 たかお(お金持ちの末っ子?)

 まさ(ガキ大将)

 かず(自惚れ屋さん)

 よし(天然)

 だい(親友)

 僕

 くみ(ピアノが弾ける)

 まり(ぶりっ子)

 さおり(勝ち気で男勝り)

 きょうこ(大人しい子)


 これが僕の同級生だった。

 全校生徒でも入学当時で70数人、段々と人数が減っていき、僕らの卒業時には50人を割っていた。


 男女の割合が良かった事もあってか、僕らは団結力や共同作業において、いつも校長、教頭先生たちから誉められていた記憶がある。


 合唱となればピアノが堪能なクミちゃんがいたし、スポーツ競技ではマサを始めとした万能タイプが数人いた。

 野球やソフトボール、サッカーに至るまで12人という人数が丁度良かったんだと思う。


 しかし、甘えん坊で眼鏡、頭も悪く物忘れも激しい、さらに運動音痴の僕は常に皆の足を引っ張っていた。


 なのに余計なことばかりが口から出てくる"お喋り"の僕はトラブルメーカーだったことはいうまでもない。

 例えるなら某人気アニメの"の○太くん"だろう。

 どちらかというと"ま○でダ○オ"が近いかもしれない。


 小学生時代の僕の一番ショックなエピソードはやはり、苛められていた事だろう。

 小学3年の頃、名前の後に"菌"を付けられて、触ること、僕が座った椅子、使ったものまで避けられて、毎日のように独り帰り道で泣いていた…。


 悲しいときは亡くなった優しいひぃおばあちゃんを思い浮かべたり、ナウ○カの少女の歌を歌ったりして、自分を励ましていた。

 この頃から僕は心に深い闇を宿して行くようになる…。


 一方で僕は周囲の大人から少しは誉められる事も始めていた。

 小学2年から、代わりがいないからと新聞配りを頼まれた事だった。

 お小遣いなど貰える筈のない家庭で、毎月給料が出るのは親としても助かっていたに違いない。

 小学2年~卒業までの5年間、僕は新聞配りを続けた。

 多少はお菓子などに使ったこともあったけれど、ほとんどはすぐに貯金していて、僕の中学校入学の資金になったと思われる。

 3兄弟だから制服はお古じゃないか?と言われそうだが、実は僕、中学校入学当時で並べたら兄弟のなかで一番成長しており、お下がりが入らなくて、制服を新調しなければならず、お金がかかったのだと聞かされている。

 お母さんが管理していたから詳細は不明だ。


 なによりも仕事をすることで稼ぐ、そのシステムを小学2年から知ることが出来たことが、僕にとっては大きな財産だったと今は開き直っているのだ。

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