2.小説を破壊せよ

👉ポイント

・現代は文学史上二回目の大きな転換点

・既存の小説作法の破壊に努める必要がある


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   |プレ小説時代

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18世紀|印刷技術の発達・中産階級の勃興

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   |小説時代

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21世紀|インターネットの発達・中産階級の没落

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   |ポスト小説時代

   ↓

図:文学の歴史


 前回お示しした「webでしか楽しめない作品」というのを文学の歴史の中に位置づけるとどうなるでしょうか?


 そもそも近代小説というのは、技術的環境と社会的環境の二つの条件の成立を前提として成立したものであります。技術的環境というのは、供給側の背景で、安価で大量に書籍を流通させることができる印刷技術です。これに対し社会的環境というのは、需要側の背景で、小説の読者になるような分厚い中産階級の存在を指します。日本においては大正期の大衆文学の出現をもって、この条件が完成したと言えるかもしれません。


 上のような前提をもって現代を見返してみますと、現代はまさに近代小説を支える前提が失われてつつある状況であるということができます。技術的環境について見ればインターネットの普及、社会的環境に見れば中間層の崩壊がこれを引き起こす変化です。ポスト小説時代と呼ぶことにしましょう。


 技術と社会の複合的影響をより早く受けているのは新聞でしょう。WSJ、FT、日経といった高所得者向けの経済紙が従来の枠組みを維持したまま電子版への移行を成功している一方で、一般紙は苦戦しております。これは課金モデルの構築に失敗しているという側面もありますが、ニュースの提供のされ方自体の変化という色彩が強いように思います。例えば LINE NEWS では新聞を含めた種々雑多なソースが混交しており、ミサイルからゴシップまで十把一絡げに消費されるのです。


 当然に導き出される帰結として、ポスト小説時代の我々に求められるのは近代小説の枠組みの破壊です。


 ではいかにして破壊するのか考えるのが、この創作論の核となるわけですが、今日のところはさしあたり、近代小説以前――プレ小説時代の文学が参考になると指摘しておきたいと思います。プレ小説時代というのは、「ベベンベベン祇園精舎の鐘の声……」とか、そういうやつです。そこでは書き手と読み手の境界が曖昧で、絶えずコピーと小改変を繰り返しながら徐々に発展していくものであります。


 流行したツイートの改変が際限なく行われるtwitter、派生動画が絶えず生み出されるニコニコ動画、これらはまさにプレ小説時代と共通した特徴を持つと言うことができるように思います。もはや目新しさもないですが。


 web小説においてもこれと同種の状況は見出されます。似たようなテンプレ設定の繰り返しがそれにあたります。


 しかしながら、ここで足かせとなってくるのが、前回申し上げた書籍化志向です。書籍化する以上、近代小説としての体裁を整えざるを得ません。結局のところ、いわゆるテンプレ的作品であっても、小説として成立しているのです。

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