第26話「征服神の孤独な墓標」

 まただ。

 また、暴走している。

 昨夜、エリューンを倒した時もそうだった。アツロウは今、憤怒ふんぬ激昂げきこうに身をがして戦う。もはや大氷原の寒さも感じない……疲労も忘れて、アツロウは巨剣ロンリー・コンクエスターを振り回した。

 我武者羅がむしゃら斬撃ざんげきを、ヨネスケは容易たやすく避け続ける。


「ほいほい、ほいっと。頑張れ頑張れ、ほいほいほいっ」

「くそおおおっ! お前は、お前だけはっ!」

「あ、言っとくけど私ね、? その剣を造ったのも私で、それは最強の武器だけど……私にダメージを与えられても、殺すことは無理かなあ」


 なんという理不尽、そして不条理。

 ヨネスケが仕組んだゲームはペテンだったのだ。自分に逆らうリネッタとの間に、神々のゲームを演じてみせた。それなのに、奴は『常にリネッタの心を見透みすかすことができるが、リネッタはそのことを知らない』という、超弩級ちょうどきゅうのチートプレイを続けていたのである。

 リネッタが異世界から勇者を召喚する。

 ロンリー・コンクエスターを抜いた者が救世主として参加する。

 だが、ヨネスケは死なないし、リネッタの宿命の日々は続くのだ。

 アツロウがここで敗れて死ねば、彼女はまた召喚をし続けるのだろうか?

 リネッタは強い女性だ。

 だが、アツロウにはその強さが切なくて見ていられない。


「ここで、終わらせるんだ……! もうっ、リネッタさんが泣かないようにするっ!」

「はは、熱いなあ。いいね、主人公っぽいね!」

「黙れよっ!」


 大振りな一撃が空を切る。

 その反動で、ロンリー・コンクエスターの重さに引っ張られてアツロウは派手に転倒した。顔面から前のめりに、冷たい凍土へと突っ込む。

 だが、すぐさま起きてアツロウは身構えた。

 また鼻の奥がツンと痛くて、ぬるりとした感触がくちびるを伝う。


「おーい、アツロウ。鼻血、鼻血!」

「うるさいっ! 今度こそ……っ!」


 無闇矢鱈みやみやたらと剣を振り回しても、当たるものではない。

 ヨネスケはこの世界で最強のモンスター、魔王なのだ。そして同時に、異世界アルアスタを創造した神でもある。

 死なない敵に対して、当たらない攻撃を続けている。

 なにかがバグってる気がした。

 けてただれるような胸の内が熱く、呼吸をするだけでのどが痛んだ。

 だが、その苦しみさえ、リネッタの400年に比べれば些細ささいなものだ。

 そんなことを思った、その時だった。


「アツロウッ! シャンとするのじゃ! 怒りで戦ってはいかん!」


 酷くなつかしい気がした。

 もう何年も、その声を聴いていないかのような錯覚。

 振り向けば、城壁の隅に建つ尖塔せんとうの上に、見慣れたツインテールの人影が立っていた。

 腕組み胸を張っているので、見事な巨乳がさらに強調されている。

 手当を受けたのか、包帯姿のリネッタが戦いを見下ろしていた。


「リネッタ、さん……?」

「思い出すんじゃ、ダーリン! 武術のたしなみもなく、体力も人並み以下! そんなダーリンは、ワシの血盟クランで……第一級非限定血盟だいいっきゅうひげんていクランノルニルで、なにをしておったか!」

「それは……雑用とか。あと、会計係?」

「そうじゃ! 頭を使うんじゃよ……そして、一人で戦うでないっ!」


 リネッタはそのまま、飛び降りてきた。

 10m以上の高さだが、両手を広げる彼女を風が支える。

 見渡す限り氷と雪の銀世界に、まるで春風が舞い込んだように感じられた。思わずその姿に見とれていたアツロウは、同じように鼻の下を伸ばすヨネスケに気付く。


「お、おいっ、ヨネスケ! お前は見るなよっ!」

「えっ、なんでさ! 私が造った私だけのよめだよ? ハーレムヒロイン第一号だよ?」

「うるさいっ! お前が見ると、ええと……あれだ! リネッタさんにわずかばかり残されたロリ因子、ロリニウムが汚れるんだよ!」

「なにそれ、キモッ! 顔と声はロリがいいけど、えっちなことするならボインがいいに決まってる。あんなことやこんなこと、さらにあんなことまでできるんだよ!」


 アツロウはさとった。

 残念というか、幸いなことに思考レベルではアツロウはヨネスケと互角だ。

 そして、趣味……というか、性癖では折り合うことができなそうだ。

 そもそもアツロウには、理想のロリっに対して。全てのロリっ娘は、手折たおらざる可憐な花。見て愛で、背に守るがはななのである。

 そんなことを一生懸命考えていたら、自然と頭の中が静かになってゆく。

 燃える激情の炎が、ゆっくりと炭火のような温かさになった。

 そのぬくもりをくれた女性が、隣に舞い降りる。


「リネッタさん、傷は?」

「このいくさはワシの戦、寝てらなどいられん! ……アツロウ、ワシのこと……嫌いになったじゃろ? お主達勇者を召喚したのは、ワシじゃあ」

「あ、もともと好きではないです。俺、ロリコンですから」

「ぐぬぬ……そ、そうか。ちょっと、残念じゃのう……ッ!?」


 アツロウは躊躇ためらわず、リネッタの手を握った。

 びっくりして固まる彼女の、上目遣いの視線に微笑ほほえむ。

 絶体絶命の戦いへと、彼女は怪我をおして飛び込んできた。アツロウの隣に立ってくれたのだ。400年間、こうしてリネッタは自分が召喚した勇者を支え続けたのだろう。罪悪感にさいなまれながらも、ヨネスケと戦い続けたのだ。

 そんな無限地獄にも等しい中で、彼女はアツロウを好いてくれた。

 ロンリー・コンクエスターが抜けるからではない。

 読み書きと算盤そろばんができるからでもない。

 何故なぜなのか、それはまだわからない。

 でも、知りたいと思えるのは、やっぱりアツロウの気持ちが変わったからだ。


「もともと好きじゃないですよ、そりゃ……ちょ、ちょっとは、嬉しかったけど。でも」

「でっ、でも? なんじゃあ、ワシ……そ、その、手が」

「ようやくリネッタさんのこと、好きになれそうです。ロリっ娘は皆、俺にとって神様みたいな……女神様みたいなものですけどね。でも、リネッタさんにはこうしてれて、触れ合って、さわれる。そういう距離で、ずっとそうありたいって思えるんです!」


 我ながら恥ずかしいことを口走っている。

 だが、ほおを赤らめ泣き笑いで、リネッタはアツロウの手を握り返してきた。

 最後の決戦で、心強い仲間を得た……それは最強の大魔導師ではない。アツロウにとって守りたい人で、その人のためだから戦えると思える気持ちそのものだった。

 少しあきれたように、ヨネスケは溜息ためいきを一つ。


「ねえ、あのさ……私の嫁を目の前でって、駄目でしょ。NTRネトラレ反対、大反対! ……ま、いっか。よく考えたら、リネッタみたいなのをまた造ればいい。今度はそうだなあ、もっとおしとやかで気立ての優しい――」

「黙れっ、ヨネスケ!」


 みっともない呟きを、アツロウの絶叫が掻き消す。

 同時に、手を放したアツロウとリネッタは駆け出した。

 疲れ切った身体に不思議な熱さが宿り、リネッタの魔法が力を与えてくれると知る。ハイエルフの大魔導師は、高速でいくつもの魔法を同時並行処理しながら、次々とアツロウへ補助系の強化魔法を施してくれた。

 怒りに身を任せた高揚感とは違う、本当の勇気が湧き出るような気がした。


「いくぞっ、ヨネスケッ! ……頭がクリアになったから、見えてきた。お前が死なないってんなら好都合だ! 俺だって、お前を殺さない……殺す価値なんかない!」

「ダーリンの言う通りじゃあ……ワシみたいな女を、これ以上増やしてはいかん!」


 無数の魔法が乱舞する。

 稲妻いなずまほとばしり、風が刃と吹き荒ぶ。

 リネッタの攻撃を全て、ヨネスケは難なく避け続けた。何故なら、彼にはリネッタの心の中が見えるから。どういう攻撃が来るかが、まさに神のごとくわかるのだ。

 だが、なんとか死角に回り込もうとするアツロウは、耳を疑った。


「見るなら見ませい、ワシの心! この、抑えきれぬ恋心っ!」

「リネッタ? えっと、君……そういうキャラに造ったっけか? 私」

「知らんっ! じゃが、400年生きて初めて恋を知ったのじゃ……見て聴いて、そして知れ! はああっ、アツロウ! 大好きじゃあああ! ダーリンラブラブッ、ファイヤァァァァッ!」


 業火ごうかぜて大地を揺るがす。あっという間に周囲の大氷原が蒸発した。何万年も氷に閉ざされていた大地が、その土が初めて空気に触れる。

 巨大な獄炎ごくえんうずが、あっという間にヨネスケを包んだ……かに、見えた。

 そんな中、上昇気流を捕まえたアツロウは、魔法を無効化レジストしたヨネスケの頭上を抑えて翔ぶ。

 ジャンプと同時に、真下へ向けてロンリー・コンクエスターの重さに自分を乗せた。


「終わりだっ、ヨネスケ! うおおっ、俺もっ、リネッタさんのことがあ、大好きになったあああああっ!」


 ドン! と、鈍い衝撃があって、ヨネスケの胸板をロンリー・コンクエスターが突き破った。そのまま二人は、大地に落下して巨大な爆発を起こす。使用者であるアツロウには届かぬ衝撃が、あらわになった地面にクレーターを広げた。

 そして、穿うがつらぬかれたヨネスケは、大の字に天を仰ぐ。

 だが彼は、リネッタの手を借り立ち上がるアツロウを嘲笑わらった。


「はは、ナイスコンボ! でもね、私は死なないのよね。ほら、ちょっと痛いけど生きてるでしょ? ね?」


 ロンリー・コンクエスターで串刺しにされ、地面にめられたままでヨネスケは笑う。

 だが、そのことはすでにアツロウには想定済みだった。

 怒りにおぼれるのではなく、愛にたける中で考えていた……ヨネスケをどうやって倒すか。

 結論は、

 だから、

 でも、ふざけたゲームは終わりにしてもらうし、魔王も神もこの異世界アルアスタにはいらないのだ。


「知ってたさ。ヨネスケ、お前が造ったロンリー・コンクエスター……選ばれた救世主にしか抜けないんだろう? 俺、その剣もういらないから」

「……へ?」

「いや、だからさ。お前ごと地面をブッ刺して、そのままにしとこうと思って」

「ちょ、ちょっと、待って待って、ねえ? 待とう? 少し頭、冷やそっか?」


 そう、ロンリー・コンクエスターは。そして、ヨネスケを串刺しにしたそれをもう、アツロウは手放す決意を固めていた。自分に必要なのは、最強の剣ではない。自分以外を無差別に破壊する力なんて、最初から望んでいなかったのだ。

 そして、アツロウに肩を貸しつつリネッタが不敵に笑う。

 そこには、世の冒険者達が憧れる最強魔導師の顔があった。


「ヨネスケ、ワシの心が読めるな? ワシがこれからなにをするか、わかっておろう」

「え、ちょっと、それナシだよ……そんなことした。ええい、真っ二つになってでも抜け出せば……イデデデデッ! 血が、見てよほら、血!」

「お主は死なんが、激痛に耐えてロンリー・コンクエスターから抜け出る勇気もあるまい? 安心せい。再びこの地を久遠くおんの氷河で閉ざしてやろう。さらばじゃ、ワシの生みの親。最初の転生者にして、神に選ばれし神よ」


 リネッタのかざした手から、冷気がみなぎる。それは周囲に六花りっかの花びらを広げていった。急激に冷えた空気が、水分を雪の結晶にして咲かせたのだ。

 クレーターの中心で、ヨネスケは徐々に雪に埋もれて氷の底に消えてゆく。

 断末魔の声はいつまでも聴こていたが、クレーター自体が氷に閉ざされると、それも遠ざかる。

 こうしてアルアスタはこの日、悪の魔王も世界の創造主も失った。

 そこから先、神話の時代を抜け出て人は……やがて歴史になる日々へと歩み出したのだった。

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