第24話「この国の明日のために」

 爆風が広げた視界ゼロの土煙。

 その中で、へし折れた十字架ごとアツロウはリネッタを抱き締める。背中に衝撃を感じて、痛みが地面への落下を教えてくれた。

 だが、決してその手を離さないと己に誓う。

 もう、二度とリネッタを離さない。

 400年間、孤独に転生勇者達を支え続けた、世界の摂理せつりと戦い続けた女性……ロリボイスにロリフェイスなのに、ババァ喋りでおっさん臭くて、なによりナイスバディで困った人。でも、いつもアツロウを見守ってくれていた女の子だ。


「ダーリン、大丈夫かや? ワシ、ワシ……うっ、アツロウ……お主、ホントに馬鹿じゃあ」

「そりゃどうも……イチチ。とにかく、この縄を切って脱出します。そして、俺はちょっと魔王ヨネスケを倒しちゃいますよ」

「そ、それは……」

「人の彼女を400年も泣かせてんですからね、半殺しですよ」


 人の命を奪うことは、経験したことがない。

 そして、相手が神でも魔王でも考えたくなかった。

 ただ、敵で味方であれ、そうあれかしと望まれた姿、そうあるべきという責任を果たしてくれればなにも文句はないのだ。野に生きるモンスターだって生態系の一部だし、気に入らない人間にもその人の人生がある。そして、魔王なら魔王として倒すだけだし、それが神様だったというのなら、神として振る舞わぬ限り絶対に認めない。

 ヨネスケを倒すという結果が、どういう意味かはまだ考えられないアツロウだった。


「ん、これは……助かった! リネッタさん、今からなわを切ります」


 もうもうと広がる土色の霧の中、周囲の悲鳴と絶叫がこだまする。

 アツロウはその中で、地面に落ちていた剣を拾った。これは確か、先程ディッケンが振り上げていたものである。鋭い切れ味を感じさせる、あつらえの上等な片刃かたばのサーベルだ。それを手に、アツロウは慎重に刃を動かす。

 縄は魔法で強化された、いわゆるマジックアイテムだった。

 消耗が激しいとはいえ、リネッタの膨大な魔力を封じているのである。


「よし、切れた! 次は腰のを……」

「少し、楽に、なった……ダーリン、ほんっ、とぉ、にっ! ダーリンはいい男なのじゃなあ」

「あ、リネッタさん太りました? なんか縄、変に食い込んでますよ?」

「……ムードが台無しじゃのう。ふ、太ってはおらん! ちょ、ちょっとしか」


 恥ずかしげにはおを赤らめるリネッタを見て、ようやくアツロウも笑顔になれた。

 このままリネッタには逃げてもらって、自分は魔王ヨネスケを追う。

 大氷原だいひょうげんを超えた北の果てに、魔王軍の本拠地があるはずだ。そこには、魔王を演じる神の宮殿がある。ヨネスケは一休みしてから、そこへ帰るとディッケンが言っていた。

 ここからは時間との勝負だ。

 人間の力ではまだ、大氷原を超えることはできない。

 極寒地獄の中では、みるみる体力を消耗してしまうのだ。まして、アツロウはなんの訓練も受けていない最弱の転生勇者……ロンリー・コンクエスターがあるからこそ、最強の救世主でいられるだけの男なのである。


「さ、リネッタさん。立てますか? 肩、貸しましょう」

「役得じゃのう……アツロウ、感謝するぞよ?」

「大丈夫です、頭の中で『これはおかん、これはママ、これはお母さん』ってとなえ続けてれば、巨乳が密着してきても耐えられますか、グハッ!」


 リネッタにグーで殴られた。

 だが、思ったより元気だったのがわかって、アツロウはついつい笑みを浮かべてしまう。

 そんな時、背後から絶叫が迸った。


「アツロォォォォォッ! 貴様は、貴様だけは! この我輩わがはい、夢破れても、貴様だけは!」


 振り向くとそこには、満身創痍まんしんそういのディッケンが立っていた。

 先程、アツロウが意図的に地上へ落下させたロンリー・コンクエスター……その威力は、ただ地に突き立つだけで爆風を生じて周囲を薙ぎ払った。その爆心地にディッケンはいた筈である。

 見るも無残な姿だが、彼は見開く目を血走らせる。

 そして、そのすぐ近くにロンリー・コンクエスターが突き刺さっていた。

 切っ先を大地に埋めて立つ、それはまるで墓標ぼひょうのよう。


「勇者アツロウッ! 例え貴様が救世主でも……そのあかしっ、ロンリー・コンクエスターは我輩の手中! その威力、己の身で味わえぇぇぇぇっ!」


 怨讐おんしゅうまみれた絶叫と共に、ディッケンはロンリー・コンクエスターのつかを握る。

 ただ落下するだけでも、あれだけの力を発揮する伝説の武器だ。それが今、敵の手にある。

 思わず、緊張に身が硬くなる。

 それでもアツロウは、自由になったリネッタを咄嗟とっさに背にかばっていた。


「クククッ、まだ……まだ、この剣があればっ! 北の大地はヨネスケ様の元、新しい繁栄が……むむっ? は、繁栄が……!?」


 ディッケンは一つだけ、たった一つだけ失念していた。

 ロンリー・コンクエスターは伝説の剣、振るい手を孤独へ導く覇者の武器なのだ。そして、それを抜くことが許された救世主は一人だけ……この世にアツロウ一人だけなのである。

 地に突き立つロンリー・コンクエスターは、びくともしない。

 ディッケンは両手で掴んで力を込めるが、抜ける気配は全くなかった。


「ば、馬鹿なっ! さやから抜けぬというなら……しかし、動かんっ!」

「そこまでです、ディッケン!」


 不意に、声が走る。

 りんとしてすずやかな、幼いながらも強い声だ。

 そして、周囲の土煙が晴れると……兵士達の動揺も静まり返って、民衆の息を呑む気配が伝わってきた。

 そこには、エリスと手を握って歩くリオンの姿があった。

 正当なる北方辺境領の後継者、現北方辺境伯リオンである。

 勿論もちろん、アリューやリーゼ、ミランといった仲間達も一緒である。


「くっ、リオン! 貴様っ、まだ」

「そこまでだと言いました! ディッケン、国と民を思う気持ち、大儀です。しかし、崇高すうこうな理想も手段を間違えば、それは悪! とても残念です……僕は、残念ですよ」

「ええいっ! なにをしているっ! 兵達よ、奴を……叛逆者はんぎゃくしゃリオン達を討ち取れぇ!」


 既にもう、趨勢すうせいは決した。

 誰もディッケンの言葉では動かない。

 アツロウは仲間達にリネッタを任せて、一人毅然とディッケンに歩み寄る。

 同時にもう、手にしたサーベルを捨てていた。

 アツロウの武器はそれではない。

 そしてもう、武器は必要なかった。

 少なくとも、この場では。


「ディッケン、俺はあなたを倒さない……殺すことも、しない」

「ええい、近寄るなっ!」

「あなたの気持ちが本物なら、あやまちも認められるし、そのあとで自分を正すこともできる筈だ」

「過ちだと……過ち! この地に豊かさを求めることが、過ちだというのかっ!」

「そのために策謀を巡らし、誰かを不幸にするなら……それは間違ったことですよ」


 じりじりと後ずさって、そのままディッケンは後方にぺたりと倒れた。

 尻もちをついた彼の前で、アツロウは巨剣ロンリー・コンクエスターを抜く。ずしりと重いのに、心なしか以前よりも軽々と振るえる気がした。

 よろけつつも、アツロウは自分だけの剣をディッケンに向ける。


「理想があるなら死ねない筈だっ! 考え直してくださいよ……やりかたを、手段を!」

「知ったような口をっ!」


 立ち上がるディッケンに気迫が満ちる。

 その覚悟、決意は本物だとアツロウは思った。

 本当に、国と民をうれいている、それはわかる。だが、だからといってやりかたに納得する訳にはいかない。彼が南方の列強諸国に代わって後ろ盾にしようとしているのは、神を気取った魔王ヨネスケなのだから。

 ディッケンは腰の短剣を抜く。

 そうまでして排除せねばならぬ相手だと、アツロウを認めたのだ。


「貴様さえいなければっ! いなければぁ!」


 アツロウは身動き一つしなかった。

 手にするロンリー・コンクエスターは、向けて触れるだけでディッケンを消し去るだろう。文字通り、蒸発させてしまう……それくらい、強力な武器なのだ。だが、今はその柄を握ったままでディッケンをにらむ。

 死ぬつもりはないが、それ以上に殺す気はない。

 同時に、身動きせずに睨む相手を怖いとも思わなかった。


「ぐわっ!?」


 そして、ディッケンの悲鳴が響く。

 予想通りとも言えないが、期待はしていた。

 その助けがなくても、ブン殴るくらいはしてやるつもりだった。今、拳を握るアツロウの前で、ディッケンが吹き飛び大地に突っ伏す。

 そこには、折れた剣を構える神速の女騎士が立っていた。


「ったく、世話がやけるし! アツロウ、あんねぇ……ほんとね、もうね」


 間一髪、ディッケンを倒したのはアリューだった。

 彼女は、以前の戦いで折れた剣を手に振り返る。

 持ち前のスピードをかせば、破損した武器でも彼女の剣技が陰ることはなかった。


「ど、どうも……えと、その」

「あぁ? 聴こえないしー! ってか、姉御あねご、姉御だよ! ミラン、手当してくれ!」


 アリューが倒したディッケンは、まだ息をしていた。手痛い強撃きょうげきを見舞ったようだが、そこはアリューも心得ている……峰打みねうちというやつだ。

 混乱する周囲の兵士達を、リオンがすぐにまとめ上げていった。

 そして、ようやくアツロウとリネッタに安全な時が訪れる。

 それは、僅かな時間であっても別れを伝えるには十分だった。


「ごめんなさいっ、法術がきかないんです……神々へ祈っても癒やしの術が。でもっ、血を止め傷を消毒するくらいは。やってみますぅ」

「頼むな、ミラン……ん? お、おいっ、アツロウ! どこ行くし!」


 アリューの声に、一度だけアツロウは振り返る。だが、脚を止めずにそのまま走り出した。一言だけ、一つだけ自分のこれから、このあとのやるべきことを告げて。


「俺はヨネスケを倒します! 倒してきます! リネッタさんをお願いします!」


 アツロウは重過ぎる剣を片手に走り出した……魔王ヨネスケを追って。

 彼もまた、アルアスタとは異なる世界から来た異邦人かもしれない。アツロウと同じく、このアルアスタに転生した人間かもしれないのだ。だが、過去や経緯がどうであれ、今は世界を弄ぶ人間にほかならない。

 それが神を気取っているなら、アツロウが歯向かい抗う十分な理由だった。

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