第22話「怒りは彼を男にする」

 アツロウは絶叫していた。

 それはすでに、慟哭どうこくにもにたけだもの咆哮ほうこうだった。

 身体が熱くなる中で血が沸騰ふっとうし、呼吸も鼓動も加速してゆく。

 そして、頭の中は真っ白になっていった。

 思考も理性も、その時確かに消えていたのだ。


「あ、あれ……俺は? ここ、どこだ……って、うわっ!」


 目が覚めるとそこは、見知らぬ小屋の中だった。

 なにがどうなっているのか、よくわからない。記憶はおぼろげで、なにもアツロウに伝えてはこない。ただ、農具などが並んだ中で真っ先にミランの顔が見えた。

 今、可憐かれん女装司祭じょそうしさいは、アツロウに膝枕ひざまくらをしてくれている。

 そして、そのまま眠ってしまったようだ。

 外からは小鳥のさえずりが聴こえて、そこにミランの寝言が入り交じる。周囲にはリーゼが座ったまま寝ており、エリスとリオンは身を寄せ合って横になっていた。


「ん……アツロウさぁん、駄目ですぅ……ふぇぇ」

「ミラン? 起こしちまったか?」

「……ほぇ? 当たってる? ……当ててるんですよぉ」

「な、なんだ、寝言か。なにを当てるんだ、ナニを」


 身を起こして、そっとミランから離れる。

 彼はコックリコックリと、わずかに首を縦に振りながら眠りこけていた。

 立ち上がるアツロウは、自分の身体が妙な疲労感に重いことに気付く。酷く気だるげで、まだ少し眠い。そして、全身の節々が鈍く痛む。

 だが、ゆっくり二度寝を決め込めるはずがない。

 あの時、確かにアツロウはエリューンへと戦いを挑んだ。

 激昂げきこうに声を張り上げ、リネッタを想って猛る……感情を爆発させたことなど、初めてだったかもしれない。そして、ゆっくりと記憶の底から昨夜の戦いが姿を現す。






 アツロウはその時、ロンリー・コンクエスターの重ささえ感じなかった。

 さやから抜くことさえも忘れて、振りかぶって殴りかかる。

 だが、赤い悪魔と化したエリューンは余裕で回避して見せた。それでもアツロウは、声を限りに巨剣を振り回す。まるで大人と子供のように見えるだろう。だが、稚拙ちせつな攻撃を繰り返しても、彼の中の怒りは膨らむ一方だった。


「取り消せ……リネッタさんへの侮辱ぶじょくをっ、取り消せっ!」

「おやおや、救世主様。あんた、小さな女の子が好きなんだろう? 少女未満な幼女でもいい、そういうおかしな人間だろうに。どうしてリネッタなんかを」

「黙れっ! ロリっでもいいなんて思っていない……! ! そしてっ――」


 アツロウは剣を知らず、武術の知識もない。

 だが、大振りな薙ぎ払いは彼の意図を組んだように、突然リーチが伸びた。

 振り回されて、鞘が遠心力ですっぽ抜けたのだ。

 それは、すでにエリューンの頭部でうずを巻いていた角に当たる。

 ただ触れた、コツンと当たっただけ……それでも、エリューンの表情は激変した。


「こいつ、あたしの角に……許しゃしないよ!」

「俺はとっくにだ! くっ、邪魔だ! こいつで粉々にしてやるっ!」


 抜けかけた鞘を完全に取り払って、捨てる。

 アツロウは既に息があがって、肩を上下させていた。

 だが、けた空気が肺腑はいふを出入りする、そのただれるような痛みさえなにも感じない。決然とした怒りは、普段は気弱で軟弱な少年を男にした。


「取り消せ……さっきの言葉を取り消せっ!」


 だが、エリューンはようやく本気を出したのか、圧倒的な覇気を夜の空気へと発散する。薄荷はっかのような清々すがすがしい夜気やきが、あっという間に戦慄せんりつを満たしていった。

 月夜の激闘は、さらなる死闘へと続く。

 仲間達が背後でなにか言ってるが、アツロウの耳には全く入ってこなかった。

 ただ、エリューンのいびつな笑みだけをにらむ。


「取り消せ? ああ、馬鹿な女だってことかい?」

「俺は……正直驚いたし、前から不思議だった! 納得しちまった! でも……リネッタさんが愚かだったとは思わない! 誰かのなぐさみものになるため造られたなんて、許せるはずがない!」

「それが神様でもかい? ヨネスケ様は、今でこそ魔王をやってるけど……間違いなく、このアルアスタをつくりたもうた創造主そうぞうしゅなんだよ?」

「知ったことか! 世界も人も、生んだ人間の意志からは自由であるべきだ!」


 地を蹴り、踏み込む。

 ブォン! と、大質量の刃がうなる。

 だが、当たらない。

 掠りもしない。

 エリューンは踊るように、自在に逃げ回った。

 愚直ぐちょくに追いかけて、脚がもつれる。

 そのまま顔面から大地に倒れ込んだが、すぐにアツロウは起き上がった。

 ツンと鼻の奥が痛くて、くちびるの上に鉄の味がぬめる。


「ハハハッ! いいねえ、いい顔だ……最後に面白い話をしてやろうか?」

「なにが面白いもんかよ! 俺と戦え! 逃げるなっ!」

「戦いにすらならないんだよ、ボウヤ。あたしなら今すぐ、一瞬であんたを殺せるからね。でも、その前に……そのたぎる怒りを、もっと暗く燃やしてごらん?」


 エリューンは法悦ほうえつにも似た表情で言葉を選ぶ。


「リネッタはずっと、異世界からこのアルアスタへ勇者を……救世主となるべき者を召喚し続けた。ルールは簡単、ヨネスケ様の造ったロンリー・コンクエスターを抜ける者が現れたらゲームスタート……おっと! 最後までお聞きよ、ボウヤ」


 斬りかかったアツロウは、あっさり避けられた上にエリューンの出した脚につまずいた。そのまま大地に転がっても、すぐに跳ね起きる。

 自分にこんなガッツがあったとは驚きだ。

 底知れぬ闘志が今、教えてくれる。

 本気で怒れるくらい、自分はリネッタのことが――

 だが、そんなアツロウのみなぎる激情に、エリューンはさらなる油をくべてくる。


「リネッタはこの400年、勇者を召喚して転生させ、みちびいてきた。だが、誰一人としてロンリー・コンクエスターを抜けぬまま死んでいった。あたし達が丁寧ていねいに潰してやったのさ」

「それももう、終わりだっ! 俺が、俺だけがこいつを抜けたなら、俺はリネッタさんの救世主だってやってみせる!」

「熱いねぇ……そんなところに多分、リネッタはれちまったんだねえ。フ、フハハッ! アハハハハハ! こいつはおかしい、滑稽こっけいさ。ハハハッ!」


 高笑いに身を捩るエリューンの、その興奮がアツロウにはわからない。

 だが、彼女は残酷な美貌で言い放った。


「リネッタはヨネスケ様が造ったんだ……あの女の見るもの、聴くもの、そして感じた全て。それは常に、ヨネスケ様にはお見通しだったんだ。勝手に伝わってくるんだよ!」

「な、なにっ!?」

「リネッタは、手の内が全てばれてるとも知らず、何度も敗北を重ねた。そして……あんたに出会った。笑える話じゃないか、ええ? 今まで無数の転生勇者を操ってきたリネッタが、本気で惚れちまったんだからねえ」

「そ、それは」


 エリューンが突然、視界から消えた。

 同時に、衝撃が痛みとなって走る。

 よろけつつ剣を構え直す、その背中が今度は打撃を受けた。


「ほらほら、少しずつけずってやるよ……そのまま聞きな。リネッタが、あんたを好きだ、愛してしまった、どうしよう……。まるで純真な処女のように、恋に悩んで愛を持て余していた」

「やめろぉ! ……そうだ、俺は知ってた……それを感じて、わかってて」

「リネッタは躊躇ちゅうちょしたのさ。様々な召喚を試したせいで、なんの能力も持たず現れたあんたは、あんただけは……その剣を抜いてほしくない、抜けないでほしいってね」


 小さく耳元で「さ、終わりだよ」と声が聴こえた。

 反射的に振り向き、ロンリー・コンクエスターを突き出す。それで、エリューンの鋭い爪を受け止められた。それは偶然だったかもしれない。そして、アツロウの膂力りょりょく胆力たんりょくでは押し負けてしまう。

 そう思えたが、違った。


「……許さない。許そうと思っても、許せないっ!」

「っと、くさっても救世主様だねえ……運がいいじゃ、な、い……ヒッ!」


 ロンリー・コンクエスターに触れたエリューンの爪は、粉々に割れて夜風に散った。

 驚きに顔をひきつらせた、それが彼女の最後となる。

 そこから先は、本当にアツロウは覚えていなかったのだった。






 小屋を出て、夜明けの光を浴びる。

 身体を伸ばして、全身のきしむような痛みを解放するアツロウ。そんな彼の背に、声をかけてくる仲間がそこにはいた。


「うーす、アツロウ。ちゃんと寝た?」


 振り向くとそこには、アリューが切り株に座っている。

 その目の前に、抜身のロンリー・コンクエスターが突き立っていた。大地に突き刺さったそれは、巨大なクレーターを広げている。

 どうやらアツロウはエリューンを倒し、ここまで仲間と逃げてきたらしい。

 そして、アリューは寝ずの番でアツロウの武器を守ってくれていたのだ。

 鞘を失ったロンリー・コンクエスターは、まるで地に根が生えたように突き立っていた。


「アリューさん……」

「昨日の夜さ、デタラメだったし……でも、アツロウ、格好良かったじゃんか」

「俺は、エリューンを?」

「文字通り消し飛ばしちまったよ。超凄かった……この剣じゃもう、剣術とか筋力とか関係ないんだなーってさ」


 アツロウはアリューに歩み寄って、ロンリー・コンクエスターを引き抜く。

 ずしりと重いが、今はこれしか頼るものはない。

 そして、やるべきことも一つしかなかった。


「……行くんだ? アツロウ……ひとりで」

「なんでわかるんです?」

「ばーか、同じ血盟クランの仲間……家族っしょ。これからあーしが仕切るノルニルの、大事で大切な会計係。読み書きや算術のできる奴、必要ってこと」

「ですね」


 リオンとエリスを守るためには、アリュー達ノルニルのエクストラメンバーが必要だ。リネッタの救出もそうだが、ディッケンから北方辺境領ほっぽうへんきょうりょうを取り返し、リオンの統治で正常化させなければいけない。

 もう、なにが正常で正当な状態かは、正直アツロウにもよくわからなかった。

 だが、やはりやりたいことは一つだけ……やるべきは、リネッタを助けること。

 アラフォー大魔導師だけの救世主は、巨剣を手に仲間達と別れて……孤独ロンリー戦いコンクエストへと踏み出したのだった。

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