第21話「人の子の苦悩、神たる男の傲慢」

 緑の中を、疾駆しっく

 闇から闇へと影の中、アツロウは注意力を最大限に発揮して走る。仲間達と死角をカバーし合って、警戒心をとがらせ続ける。

 アツロウには、冒険者としての技術や職能がほとんどない。

 だが、見様見真似みようみまねでもやらないよりはマシである。

 そして、その間ずっと、リオンは前後の事情を知る限り話してくれた。


「もともと父は、この北方辺境領ほっぽうへんきょうりょうの民を愛していました。その気持ちは本当です。ベイオグラードにだって、もっと産業を起こして弱者を守る制度を拡充させたかったんです」


 切なげに語るリオンの横では、エリスが手を握っていた。

 もう、エリスには彼の妻となる覚悟があるのか。そして、今にも反逆者としてアツロウ達共々、リオンは殺されるかもしれないと知っても……傍らに寄り添い、支えるのだろうか?

 アツロウにとってそれは、考えるまでもない愚問だった。

 エリスから発する清らかなロリニウムが教えてくれる。

 実際にはそんな物質はないが、黙っていても彼女は伝えてくるのだ。

 くもりなき純真な心で、どんな理不尽にも屈しない。正義を信じ、そのためにやれることをやる中……将来を共有する者を影から支えようというのだ。


「泣かせる話だな、ったく……いいおよめさんになるぜ」

「アツロウさん? それは」

「ああ、すまないリオン。話を続けてくれ」

「は、はい。父は民をこそ国の宝、国のかなめと信じていました。しかし……この地は、ベイオグラードは魔王軍との戦いの最前線。その戦費は常に、国庫を圧迫していたのです」


 戦いは常に、大量のリスクとコストを要求してくる。

 そして、戦争とは巨大な経済事業でもあるのだ。

 ベイオグラードが突破されれば、大氷原から大挙する魔王軍は本格的に、人間社会へと雪崩込なだれこんでくるだろう。現状、街の外に野生のモンスターが跳梁跋扈ちょうりょうばっこする以外は、どこの国もそこそこ平和である。

 その平穏は、常に北方辺境領の献身的な防衛戦闘にあったのだ。

 だが、それは献身であると同時に、強いられた犠牲でもある。


「父は何度も、他国への支援を求めました。ですが、もともと北方辺境領は農地に向かず、牧畜ぼくちくもごくわずか……他国からの輸入がなければ、民はえてしまいます」

「そうか……わかったぞ。他の国はみんな、食い物を売ってやってるんだから、文句を言わずに戦えって言ったんだな」

「ええ、アツロウさんの言う通りです」


 北方辺境領は、辺境ゆえに立場が弱かった。

 そして、苦心して民を守らんとする先代の北方辺境伯、ワルターは思ったのだ。

 何故なぜ、南の大国のために自分の民が犠牲を強いられなければならぬのか、と。

 その時、魔王と闇の軍勢こそが人類共通の敵であるという概念が、くつがえる。


「父は、恐らくなんらかの形で知ったのでしょう。あの魔王が、この世界の創造神と同一の存在であると。揺らいでいた父の心は、一気に魔王と手を組む決意を固めさせました」

「そうだ、魔王ヨネスケが神でもあるならば、神の事業を手伝う行為が悪とは限らない。もし、ヨネスケ側から列強各国以上の条件が提示されていたなら」


 ワルターは秘密裏に、魔王ヨネスケの軍門にくだることを決意した。

 しかし、その命は老いと過労で弱り、志半ばにして倒れたのである。自国の民を想って働いた、名君にして賢王だったとアツロウは思う。そして、彼の選択は悪とは言い切れない。

 正義の反対はいつだって、悪ではなく『』なのだから。

 そして、ワルターの死により悲願となった魔王との和平は、ディッケンに引き継がれた。

 そこまで事情を知った時、先頭を走るアリューが叫ぶ。


「森を出るかんね、気をつけろし!」


 周囲を流れていた木々が、突然途絶えた。

 開けた平原に飛び出て、一同は僅かに脚力を弱める。

 冒険者のアリューやリーゼ、そしてミランはまだまだ体力に余裕がありそうだ。だが、エリスやリオンはまだ子供。闇夜の中を月明かりだけで走るのは、肉体的にも精神的にも現界がある。

 そんな二人が疲れを見せない中、巨剣きょけんロンリー・コンクエスターの重さでアツロウだけがバテバテだった。もともと体力に自信がある方ではないのだ。


「アツロウさんっ、僕が法術を……あっ、そ、そうでした」

「いいって、気にするなよミラン。ちょっとだけエリスちゃんを眺めてでりゃ、すぐに気合で体力は回復する。ロリコンにとって、ロリっは力、力こそがパワーだぜ!」


 肩を落とすミランに笑いかけ、後半は声を潜めてささやくアツロウ。

 だが、情勢は彼に悠長な時間を与えてくれなかった。

 不意に影が一同を包んで、頭上をなにかが通過する。

 それは青白い月の中で旋回して、羽撃はばたきながら舞い降りた。


「チィ! リーゼ、ミランと辺境伯達を! アツロウは、あーしから離れないで!」


 抜刀するアリューの前に、エリューンが舞い降りた。

 彼女は背の翼を仕舞うと、無防備に歩み寄ってくる。

 その顔には、恍惚こうこつとした表情がありありと見えた。


「逃さないわよ、ふふふ……あたし、今夜は気分がいいの。あのリネッタをついに、ついにっ! あたしの手で倒したのだから」

姐御あねごは負けてねーしっ! 勝つまで続ける、続ける限り負けてない……冒険者の敗北はいつだって、あきらめるかどうかで決まるんだっ」


 アリューが地を蹴り、残像が見えるかと思える程のスピードで斬りかかる。月光を集めて、冴え冴えと細剣レイピアが輝いていた。

 だが、エリューンは鋭い切っ先の刺突しとつを指二本だけで受け止める。

 人差し指と中指に挟まれた刃は、アリューが力を込めてもピクリともしなかった。


「気分がいいから、少しだけ昔話を教えてあげるわ。聞きたいでしょう? 勇者アツロウ……いいえ、救世主アツロウ。救世主だった、アツロウ」

「妙なフラグ立ててんじゃないっ! 俺も相手になってやる……二人がかりなら、アリューさんっ!」


 だが、エリューンは軽々とアリューを吹き飛ばす。

 受け止める形で守ったアツロウは、軽い体重を全身に感じて大地に倒れた。

 自分の上で即座に起き上がるアリューの、その剣が中程から折れていた。


「いいから聞きなさい? もっとも……もう気付いてる子もいそうだけど。うふふ」


 エリューンの赤い服が、その薄布だけで構成された面積の小さな着衣が消えてゆく。夜風に溶け消えるように全てを脱ぎ、全裸になった彼女の全身が闇に包まれる。

 再び背には翼、そして尻尾……体毛が幾重いくえにもりなす、黒と赤の毒々しい肢体したい

 正しく悪魔としか思えぬ姿を晒して、エリューンは愉悦ゆえつのどを鳴らした。


「リネッタは、400歳のハイエルフ。そして、このアルアスタは400年前にヨネスケ様が創造なさったのよ……その時、


 アツロウは耳を疑った。

 だが、蠱惑的こわくてきな声は次々と真実を彼の頭に注ぎ込んでくる。

 理解を拒む中で、残酷な真実をエリューンは暴露ぼうろし続けた。


「ヨネスケ様は、この世界に呼ばれた最初の転生勇者……いいえ、転生創造主てんせいそうぞうしゅよ。そして、自分がいた世界の聖典にならって、アダムとイヴから始めることにしたの」

「アダムとイブ……知ってるぞ! 俺のいた世界の、教会の話だ」

「そうよ、アツロウ。そして、アダムであるヨネスケ様がイヴとして造った存在……それが、リネッタ。ヨネスケ様が好ましいと思う要素だけでかたどられ、ヨネスケ様の子を産むだけの存在。寵愛ちょうあいを受け止め満たす、ただのうつわ……それがリネッタ」


 皆が皆、絶句した。

 同時に、納得できてしまった。

 可憐かれんな美少女の容姿に、絶世の美女を散りばめたちぐはぐな愛らしさ。そして、常人を凌駕する圧倒的な魔力と知識、身体能力。正しく、神に愛された存在としか思えぬ、トランジスタグラマーな大魔導師だいまどうし

 それも当然だったのだ。

 本当に彼女は、神の愛を受けて生み出された……造り出されたのだ。


「でも、リネッタは自分の意志でヨネスケ様を拒絶した……創造主であり、服従を定められた支配者に叛逆はんぎゃくしたの。因みにあたしは、二人が住む楽園のへび……悪魔として造られた存在」


 アツロウはなんとか、アリューに肩を貸して立ち上がった。

 だが、混乱で言葉が出てこない。

 はっきり嘘だと叫びたいのに、それができなかった。

 何故なら、ロンリー・コンクエスターを抜いた時、彼もまた神の声……遠く北の最果て、大氷原の向こうからヨネスケに語りかけられたから。

 神はリネッタを妻として造り、造反され、今は魔王をやっている。

 その正体は、アツロウ達転生勇者と同じく、別の世界からやってきた人間なのだ。


「リネッタは恵まれた幸福を無下にし、禁忌きんきを犯してヨネスケ様に歯向かった。そう……転生勇者達は全て、彼女が禁術で召喚したの。本当の神……ヨネスケ様をこの世界へ導いた高位存在にしか許されない、召喚の魔法を使った」


 謎は解けた。

 何故、リネッタは転生勇者に優しいのか。その生活や戦いをケアしているのか。……どうして、アツロウがこのアルアスタに降り立った時、すぐに駆けつけてくれたのか。

 全て、神に抗う叛逆のための戦力だったのだ。


「リネッタとヨネスケ様の戦いは、歴史の影でずっと続いたわ。で、ヨネスケ様は退屈し始めたからゲームを始めたの……そのためのかぎが、ロンリー・コンクエスター。それを抜ける転生勇者を、リネッタが召喚できたらゲームスタートって訳」

「じゃじゃあ……この剣は、ロンリー・コンクエスターは」

勿論もちろん、ヨネスケ様が造った神の剣よ。ま、ゲーム開始となればこっちも本気ですもの? 取り上げて無効化するのが定石……まさか、こんなチンチクリンな転生勇者がリネッタの救世主とは、誰も思わなかったけど」


 そして、エリューンは「ああ、そうそう」と笑顔を咲かせた。

 心からの笑み、歓喜に満ちたその表情がアツロウには恐ろしい。彼女はリネッタと同じく、ヨネスケに造られた存在。そして、そのことに満足で、誇りすら感じているかのようだ。

 そんな彼女のくちびるが、つやめく中で言葉を発する。

 瞬間、アツロウの血潮ちしお沸騰ふっとうしながら逆流し、思考と理性を奪っていった。


「リネッタったら、馬鹿なのよ。今まで散々、転生勇者を呼んではゲームのこまにしてきたくせに。その都度つど、使い捨ててきた癖に……アハハッ! 笑っちゃうわ! 彼女は――」


 そこから先はもう、アツロウの耳には届いていなかった。

 さやごと背のロンリー・コンクエスターを掴んで、彼はエリューンに踊りかかった。

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