第20話「絶体絶命からの脱出」

 いつもアツロウは、この声に守られていた。

 リネッタの甘やかな吐息といきかなでる、ロリっとしか思えない声音。アニメやゲームのような、とても瑞々みずみずしくて若々しい、幼いとさえ思える声色だ。

 それが今、アツロウに信じられない言葉を伝えてくる。

 信じたくないが、こんな時でもリネッタが冷静なのがアツロウにはわかった。

 そして、どうしようもなく彼女がいつもの大魔導師だいまどうしなんだと気付く。


「リネッタさん……俺は」


 腕の中のリネッタは、弱々しく微笑んだ。

 そんな彼女を、そっと床に横たえる。

 周囲には城の兵士と、それを指揮するディッケン。そして、リネッタをも倒した謎の魔女……エリューン。彼女のあるじであり、ヨネスケと呼ばれた魔王も一緒だ。

 ヨネスケこそが人類の敵、魔王。

 同時に、一番残酷な真実をアツロウはにらむ。

 この異世界アルアスタを創造せし神……それは魔王ヨネスケだったのだ。


「行くんじゃ、アツロウ……ワシのかわいい、ダーリン」

「リネッタさん」

「ワシはもう、動けん……エリューンめ、いつのまにあんな力を」

「……わかりました、行きます。……みんなと、生きます。生き残って」

「そうじゃ、それでいい」


 だが、アツロウは最後にリネッタの手を握り、さらに手を重ねて気持ちを伝える。

 何故なぜ、人は失う中にしか本当の価値を見つけられないのだろう?

 くすとわかることでしか、気付けない大切さとはなんなのだろうか。


「リネッタさん、必ず助けに戻ります。みんなと一緒に、俺が……絶対にリネッタさんを助けます。だって」

「ダーリン……」

「リネッタさんは、顔だけはロリっ娘じゃないですか! 一部でも、どこかにロリ属性があるなら……わずかでもあるなら、その全てを俺は守りますよ!」


 苦笑するリネッタが、痛みで顔をゆがめた。

 そんな彼女から離れて、立ち上がるやアツロウは巨大な剣を構える。

 伝説の剣、その名はロンリー・コンクエスター。今、その名を以前よりずっと重く感じる。アツロウは、この異世界での保護者、母であり姉である自称恋人と別れることになるのだ。

 孤独なる征服者の剣は、さやの中で静かにアツロウへと問いかけてくる。

 自問の代弁者にアツロウは、はっきりと声に出して自答した。


「また会うために、再会するために今は別れるんだ……よしっ!」


 ゆっくりと、巨剣ロンリー・コンクエスターを抜く。

 鞘から引き抜き、片手で支えきれず刃の重さによろける。それでも鞘を背負い直して両手で構えれば、周囲の兵士達は気色けしきばんで後ずさった。

 ロンリー・コンクエスターの威力は絶大、まさに究極の武器だ。

 だが、その強過ぎる力をアツロウは全く制御できない。

 そんな彼に、魔王ヨネスケはゆるい笑みを向けてくる。


「おーい、救世主君。どう? 詰んでる感じ、しない? ゲームは……私の勝ちだなあ」


 ちらりとアリューやリーゼ、ミランに目配せする。

 そして、うなずひとみ阿吽あうんの呼吸を感じた。

 アツロウは血盟クランの中では、ノービスメンバーの会計係である。読み書き算盤そろばんができることをかして働き、鉄火場での荒事とは無縁な異世界生活を生きてきた。

 しかし、今はそんな自分に甘えてはいられない。

 絶体絶命の中で、リネッタは他ならぬ自分に、最愛の少年に全てをたくしてくれたのだ。

 震える声で、アツロウは言葉を選ぶ。


「あんた……俺がこいつを初めて抜いた時、語りかけてきたよな」

「あ、うん。神様だからね、私」

「ゲームってなんだ……俺達は遊んでるつもりはないっ! 遊びじゃ、かわいい女の子一人救えないんだっ!」

「いやでも、ほら。私とリネッタのゲームだしさ。400年待って、やっと始まったゲームなんだ。そして今、私の勝ちで終わろうとしている」


 やはり、ヨネスケにはまるで緊張感がない。

 アツロウが洞察力を総動員して、そのぼんやりとえない顔をにらむ。やはり、彼も違う世界からアルアスタに来たのだろうか? だが、今はそんなことはどうでもいい。

 無防備な上に警戒心もないヨネスケだが、すきはなかった。

 リネッタさえも倒したエリューンが、目を光らせる。

 だから、アツロウは最終的にはリネッタの言葉に従った。


「魔王ヨネスケ! お前は創造神を自称しているけど、やっぱり魔王だ……例えそうでなくても、お前は俺が倒すべき敵だ!」

「お、いいねえ。じゃ、やる? ラストバトル的なの」

「……今は、やらない。してやらない!」


 アツロウは両手でロンリー・コンクエスターを振り上げた。

 同時に、アリューとリーゼ、そしてミランが動き出す。三人の仲間達は、咄嗟とっさに余力の全てを振り絞って、拘束されつつあるエリスとリオンへ駆け寄った。

 絶叫と共に、アツロウは床へとロンリー・コンクエスターを叩きつける。


「今に見てろ、覚えてろっ! 魔王ヨネスケ、これで勝ったと思うなよ!」

「あは、雑魚ざこっぽい台詞せりふだねえ。負け犬の遠吠えじゃないか」

「俺は、負けないっ! まだ、負けてない! いつかロリっ娘ハーレムを作るまで、絶対に負けを認めない。そして、リネッタさんにまた、バカだと笑ってもらえる日々を取り戻す!」


 ロンリー・コンクエスターは、ただの重い大剣ではない。

 床を断ち割り、烈風が吹き荒れた。

 あっという間に、アツロウの周囲を衝撃波が薙ぎ払う。その中で、アリュー達の身体が球形の光に包まれた。アツロウ自身をも守ってくれる、それはリネッタの最後の魔力。

 あまりにも強力なロンリー・コンクエスターの一撃が、フロアを崩壊させる。

 流石さすがのヨネスケも、エリューンに守られる中でぽかんとしていた。

 そして、アツロウ達はエリスとリオンを保護して、そのまま瓦礫がれきの中を突っ切る。リネッタの守りの結界が、兵士達の悲鳴と怒号が押し潰される中を飛んだ。

 外へと突き出てそのまま街を突っ切り、高速で飛ぶ光。

 それが徐々に弱まる中で、アツロウは崩れ落ちる城を肩越しに振り返った。

 リネッタは、巻き上がる煙の中へ消えた。


「くそっ! くそ、くそっ! ……でも、まだ終わりじゃない。これから始めるんだ」


 怒りににらいだ胸の内を押さえつけるように、アツロウはシャツの胸元をつかむ。

 そんな彼と仲間達は、郊外の森へと着地した。再び生きて大地を踏みしめた、その瞬間に結界の光は消えてしまう。

 魔法は基本的に、術者が生きていなければその力を維持できない。

 リネッタの命が尽きたのか、それとも魔力を放出できない状態なのか……今は確認のしようがなかった。ロンリー・コンクエスターを鞘にしまうアツロウは、改めて窮地きゅうちを脱した仲間達を見やる。

 すぐに駆け寄ってきたのは、アリューだった。


「まずは移動しましょう。作戦を立てなきゃ……って、アリューさん? あの、ンゴッ!」


 突然、殴られた。

 グーでブン殴られた。

 そのままアツロウは、背の重い剣もあって背後へ転がるように倒れる。肩で息をしながら、涙目のアリューがこぶしを握っているのが見えた。

 彼女は、ほおを抑えるアツロウを見下ろし、まるで幼子のように叫んだ。


「お前っ、どうして姐御あねごを……リネッタの姐御をおいてきたし! どうして、助けないのって……なんでさ!」


 諌めようとするミランを、そっとリーゼが手で制した。

 エリスも不安げな目で、呆然ぼうぜんとするリオンと共に動けないでいる。

 アツロウは身を起こしながら、真っ直ぐにアリューを見詰めた。親猫にはぐれてさまよう、小さな子猫のように震えている。こらえた涙は、今にもまぶたを決壊させそうだ。


「リネッタさんは、あの状況で最適解を導き出して、それを選んだんです」

「知らないし! なんで……なにが最適、最善だっての! 姐御がいないんじゃ」

「自分と一緒に逃げれば、自分が足手まといになる……それほどまでに、リネッタさんは消耗していました。わずかな余力に、リネッタさんはけたんです」


 そう、あの状況下を脱出できたのだから、彼女の努力は実を結んだ。彼女自身を救わなかったが、それでもアツロウ達は助かったのだ。そして、最後の瞬間までリネッタが冷静だったことでアツロウは確信している。

 まだ、勝機はある。

 北の大地にうごめく策謀に巻き込まれたが、まだ彼女の賭けは終わっていない。

 彼女は、命のチップを全額賭けた……全てアツロウ達に託したのだ。


「アリューさん、まずは体勢を立て直しましょう。それと」

「それと? ……な、殴って、ゴメン。悪かった、けど……けどっ、あーしは」

「もう、いいですか? なんなら、もう少し、いいですよ。俺は、守れなかった……最後までずっと、リネッタさんに守られてばかりだった! だから、殴ってくださいよ。俺の代わりに、俺を殴ってください!」


 だが、アリューは頬を伝う涙をそのままに、泣き笑いで手を差し出してきた。


「なにそれ、キモいし……今は仲間同士で揉めてる場合じゃないっしょ」

「です、ね」

「そっ、それにさ! それに……あんたの言う通りだし。まだ、終わってないし」

「ええ。終わらせませんよ、決して。ハッピーエンド以外はお断りです」


 アリューの手を借り、アツロウは立ち上がる。

 そして、注意深く周囲を見渡しながら現状を整理した。

 瀕死のリネッタは平気だろうか? それは恐らく、大丈夫だと思う。謎の因縁浅からぬ仲で、ヨネスケとリネッタ、そしてエリューンには共通の過去があるようだ。そして、ヨネスケのあの口ぶりを思い出せば、その精算はまだのような気がした。

 彼がゲームと言うなら、ゲームはまだ続行中なのだとアツロウは思う。


「移動しましょう。なるべく城から、街から離れないと……リーゼさん、先頭に立ってもらえますか?」

「ん、おっけぇ。ミラン、アリューと二人を守って。アツロウは……もう、自分くらい自分で守れる? よね? これからはしばらく、誰もアツロウを守ってはくれないよ?」


 リーゼはガシャガシャ鎧を鳴らして歩き出す。ミランに促されて、エリスとリオンも寄り添い合って続いた。アツロウも続きながら、アリューと一緒に一度だけ振り返る。

 森の向こうで夜空が赤く、風に乗って必死な叫びが響いてきた。

 魔王の前から逃げるために、魔王と戦う最前線の城を破壊してしまった。

 それは、ディッケンの野望を既に問題にしないレベルで、人間界の秩序と平和が崩れ始めた瞬間だった。

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