第19話「明かされる真実」

 アツロウにとってそれは、信じられない光景だった。

 最強の大魔導師だいまどうし、リネッタの傷ついた姿……初めて見る、敗北。

 アツロウ達血盟クランの仲間の前では、常にリネッタは無敵だった。颯爽さっそうとして、りんとして、すずやかで泰然たいぜんと揺るがない存在。誰もが認める最強の冒険者、それがリネッタ・ラュラ・ストラトスフィアという女性だったのだ。

 そのリネッタが、白い肌に血を滲ませ、高熱の煙に包まれている。

 恐らく、外で高度な魔法同士の戦いがあったのだ。


「くっ、ワシとしたことが……エリューンめ、ここまで腕を上げておろうとはな」

「リネッタさん! 大丈夫ですかっ! な、なにが」


 駆け寄ったアツロウは、自分でも情けないくらいに動揺していた。

 そしてそれは、アリュー達他のメンバーも同じだ。だが、そこは流石さすが第一級非限定血盟だいいっきゅうひげんていクランノルニルのエクストラメンバーである。すぐにミランが飛んできた。

 司祭が神へと祈る時、奇跡の力が法術となって傷をやす。

 だが、いつも通りに祈りを紡ぐミランから、今日に限って光が出てこない。


「あ、あれ? おかしいですぅ……どうして癒やしの法術が」

「ミラン、いっ、いいから落ち着けって! な? お前なら大丈夫だって、ゆっくり急いで、とにかくリネッタさんを! も、もっかいやってみろよ!」

「ダーリン……お主がまず、落ち着くのじゃあ」


 周囲では、パーティ会場にさらなる兵士達が駆けつけている。すでにもう、優雅な夜会の印象は微塵みじんも残っていなかった。

 ディッケンと対峙していたアリューとリーゼも、互いの背をかばって囲まれている。

 じれるミランが再度、法術を施そうとする。

 だが、いつもなら訪れる奇跡の御業みわざは、今日に限って発現しなかった。


「そんな……しゅの声が聴こえないなんて。どうしてですかぁ? 急がないと、リネッタさんが」

「主の声……それってミラン、神様の声ってことか!?」

「は、はい。僕達聖職者は、神様の力をちょっぴり借りることで法術を使うんです。祈りをささげる、その信仰心の強さがそのまま効果の高さに繋がるんですが」


 アツロウも何度も、ミランが法術で仲間を助けるところを見てきた。

 時には致命傷とさえ思える大きな傷も、彼はふさいで癒やしたのである。励ましの言葉を優しく呼びかけながら、自分の消耗もいとわず法術を使う姿……ミランが女装した美少年でも、まるで聖母のようなぬくもりを感じたものである。

 だが、今日に限ってその力が全く出てこないのだ。


「うっ、ん……ダーリン。そこに……おるな?」

「リネッタさん!」


 苦しげにうめくリネッタの手を、握る。

 とても小さく、柔らかい手だった。やっぱりアツロウにとってリネッタは、胸やら尻やらを除けば、完璧なロリっ娘だった。そして、普段は決定的にロリニウムのない身体の起伏、言動やおっさんくさいプライベートゆえに、なんの感情も動かされなかった。

 それが今、嘘だとわかった。

 感情が動かされないのではない。

 いつも、いつでも……そして多分、いつまでも。

 アツロウは自分でも知らずのうちに、自称恋人のアラフォーハイエルフが好きだったのだ。とっくに好きだから、普段から特別なことを感じたりしなかったのである。

 それを今、はっきり自覚した。

 失われゆく中で、知ったのだ。


「アツ、ロウ……逃げる、のじゃあ……アリュー達と、皆と」

勿論もちろんです! リネッタさんも一緒に!」

「あの、剣は……ロンリー、ぐっ! はぁ、はぁ……ロンリー・コンクエスターは」

「ここにあります! 大丈夫ですよ、誰にも渡しません」


 だが、リネッタは意外なことを言った。

 それが信じられなくて、アツロウは耳を疑う。


「それを……捨てて、でも……逃げるんじゃ。ダーリンと、皆と……無事、なら」

「リネッタさん……だってこれ、大事なものでしょう? 宿命が、使命がとか言ってたじゃないですか!」

「そんな、もの……ふふ。皆の命に、比べれば、価値の、ない、ものじゃあ」

「……リネッタさん。ちょ、ちょっと、よしましょう? なんですその遺言ゆいごんじみた話」


 アツロウはリネッタを抱き寄せた。

 華奢きゃしゃで細くて、柔らかい。そして、たわわな胸が二人の間でぎゅむと圧縮される感触があった。普段から忌み嫌う脂肪のかたまりが、その柔らかさと温かさが服の上から浸透してくる。

 だが、今のアツロウにはその不快感も感じられなかった。

 もともと不快ではなかったのだと、またも気付かされた。

 そして、胸の中にリネッタを見下ろすアツロウに、冷たい声が降り注ぐ。


「そっちの子は司祭ね……無駄よ。今、主は耳をお貸しにならないわ」


 窓から風に乗って、エリューンが入ってきた。

 高レベルの魔法使いともなれば、空を自在に飛び、あらゆる場所での戦闘が可能だ。恐らく二人は、月夜の星空で苛烈かれつな戦いを演じていたのだろう。

 だが、エリューンに目立ったダメージは見受けられない。

 やはり信じられない……あのリネッタと互角以上に戦い、圧倒できる人間が存在するなんて。いな、人間ではない。エリューンの背には、蝙蝠こうもりのような翼が生えていた。それを消して歩み寄ってくる姿は、人間の使う魔法とは別次元の力を感じさせる。

 冷たい笑みでエリューンはアツロウを、そしてロンリー・コンクエスターを見た。


「あたしの勝ちね、リネッタ……ふふ、ふ……あはははっ! 勝ったわ! 最強の大魔導師、あのハイエルフのリネッタに! どう? それがあたしがずっと抱えていた、敗北のにがい味よ」


 勝ち誇るエリューンは、睨むアツロウの視線を歯牙にもかけない。

 そして、ディッケンへと声をかける。

 興奮で弾んだその声音は、勝利を初めて知った勝者そのものだった。


「ディッケン? ことはなったわね。確認するけど、本当にいい? ふふ……もう後戻りはできないわよ」

「とっ、当然である! 我輩わがはいはこの時を、あるじと……今は亡き主と、待っていた! これより北方辺境領ほっぽうへんきょうりょうは、!」


 アツロウは勿論、アリュー達も集まった紳士淑女しんししゅくじょも、黙ってしまった。

 聞き間違えかと、誰もが不安げに顔を見合わせる。

 アツロウもミランを見たが、アツロウを見詰めるミランも驚きに目を丸くしている。そして、リネッタだけが弱々しくアツロウの手を握ってきた。

 ディッケンは周囲を見渡し、腰の剣を抜いて叫ぶ。


「聞けぃ! 亡き先代の北方辺境伯ワルターこそが、我輩達の真の主! そして、その意思を継いで今……この地は、魔王軍との最前線であることをやめる。これよりは魔王軍の前線基地として、本来あるべき世界の主の覇業を助けて栄えるのだ!」


 ディッケンは寝返った。

 彼の手によって、北方辺境領そのものが魔王軍に寝返ったのだ。

 もともとこの地は、古来より魔王軍との戦いが一番激しい場所でもある。これより先の大氷原、そこはもう人類の生存圏ではない……そして、その向こうから邪悪な軍勢が攻めてくるのだ。

 アツロウは上手く働かない頭をフル回転させ、状況を整理しようとした。

 だが、エリスを背に庇う現在の北方辺境伯、リオンが声を張り上げる。


「ディッケン、これは何事なにごとか! 私は父の意思を継がぬと……父は老いて死の間際、魔王の軍勢にくだると確かに言っていた。私はそれを否定した筈!」

「リオン様……この北の大地で、ひたすら南の大国のために魔王軍と戦う。そんな国に平穏が、豊かさが訪れるとお思いか! 軍費は浪費され、民の暮らしもまだまだ貧しい!」


 話は読めた。

 突然の北方辺境伯の代替だいがわり、その影には国の方針を巡って二つの勢力が存在していたのだ。一つは、正式にあとを継いだリオン……今まで通り、人類の最前線として魔王の軍勢と戦い続けるという者達。そして、晩年の前領主ワルターがほのめかした裏切りを継いだ、ディッケン達という訳だ。

 確かに、北方の辺境と言うだけあって、この国は小さく貧しい。

 さらに、地政学的に重要な要所として、魔王軍の矢面に立たされているのだ。

 そこまではアツロウでもわかる。

 では、エリューンは魔王が遣わした敵なのだろうか?

 その時、この場の誰もが声を聴いた。頭の中に直接響く声、それは今はアツロウにははっきりとわかる。あの時、ロンリー・コンクエスターを初めて抜いた時の声だ。そして、深夜にディッケンとエリューンが密会していた時の声。


『やあやあ、乱痴気騒らんちきさわぎは終わったかな? ……ゲームオーバーって感じ? だよね?』


 飄々ひょうひょうとして緊張感がない声は、まるでこの惨劇を俯瞰ふかんしているようだ。

 そして、不意にアツロウの眼の前で空間が歪む。渦巻く宙空のほらを前に、エリューンは片膝を突いてうずくまった。どうやら彼女の主、あの方と呼んでいた黒幕が出てくるらしい。

 頭の中の声に対して、アツロウは叫んだ。


「なあ、あんた! 神様みたいなもんだろ? リネッタさんを……ってか、ゲームってやっぱり、俺が関係あるのか? リネッタさんの使命ってなんだよ、なあ!」

『あー、ちょっと待ってね。そそ、神様だよん。この異世界アルアスタを作った神様。ただねー、さっき法術が出なかったでしょ? 私が止めたんだよね。神の力、つまり私の力を貸し出すのが聖職者の法術だから』


 そして、目の前に一人の男が現れた。

 アツロウはその姿を見て、絶句する。

 綺羅きらびやかな着衣の上から、漆黒のマントを羽織はおっている。両肩には骸骨がいこつをそのまま使った肩当て。頭にいただかんむりは、邪悪な悪魔の翼があしらわれていた。

 その姿を見て、誰もが同じ名を思い浮かべただろう。

 驚きに固まるリオンが、ぽつりと呟く。


「なっ……! どういうことだ、兵はなにをしていた! まさか魔王本人が攻めてこようとは! しかし、何故なぜ……神との対話の果てに、どうして魔王が現れる!」

「あー、ゴホン! わぁ、肉声で喋るの久しぶり。そそ、私がこの世界の創造主、神様だよ。今はそうだね……ゲームの性質上、君達が魔王と呼ぶ存在をやってるんだ」


 衝撃の新事実……この異世界アルアスタの根幹を揺るがす事態だ。

 剣と魔法のファンタジー世界、そして魔王の軍勢との果てなき闘争……全て、神を自称する存在が作り上げたものだったのだ。この世界自体を創造した者ならば、それも許されるのか? だが、その答は腕の中のリネッタが知っていた。


「ふ、ふふ……久しいのう、魔王……魔王にして創造神、ヨネスケよ」

「やあ、リネッタ。久しぶり……400年ぶりじゃないかい? こうして直接合うのは」

「ワシは会いとうなかったがの。……そして、ゲームは……お主がゲームなどとほざく我々人間達の戦いは、終わっておらん」

んでるでしょ? もう無理でしょ? はは、ようやくお出ましの救世主きゅうせいしゅがその体たらくじゃね。でも、私は結構楽しかったよ。さて」


 魔王が歩み寄ってくる。

 そして、アツロウはその不気味な笑顔を睨む中で……リネッタが小さくうなずくのを感じた。そして、彼女のささやきがアツロウに大きな決断をさせるのだった。

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