第12話「晩餐に満ちる暗雲」

 北の街道かいどうに巣食うモンスターを排除し、とうげを超えてすぐの村で迎える夕食。

 文字通り、旅の峠を超えて目的地はもうすぐだ。

 だが、誰もが疲れた顔を見せていない。

 ただ、ここになってようやくだが、アツロウはエリスのことが気になってきた。勿論もちろん、犬のエリスではなく、護衛対象のエリスだ。リネッタの隣に行儀よく座って、彼女も晩餐ばんさんに加わっている。


「リネッタ様、もっと冒険のお話を聞かせてくださいな」

「ふむ、そうじゃなあ……では、200年前の魔王六傑衆ヘキサフォースの話でもするかの」

「200年前! 第四次魔王討伐戦だいよじまおうとうばつせんですわね。各国の王が円卓会議えんたくかいぎを招集した、初めての戦いでしたの」

くわしいのう、エリスは」

「わたくしも、お父様の手伝いで勉強しましたもの」


 エリスは笑顔だ。

 だが、それが逆にアツロウにはつらく思える。

 彼女の父は異世界アルアスタへ召喚され、勇者として戦い、故郷へ帰ることなく……もうすぐ、永遠に旅立つ。だからこそ、一人娘のエリスを思ってとつがせるのだ。

 それが幸せなことなのか、アツロウにはわからない。

 彼は、結婚が恋愛と地続きな、現代の日本で暮らしていたのだから。


「ま、しょうがない……のかなあ。せめて、相手がいい人だったらさ。……ん?」


 ふと、アツロウはテーブルの隅へと視線を走らせる。

 同じ血盟クラン、ノルニルの仲間達も同席しての賑やかな夕食。ここにいないのはリーゼだけだ。エクストラメンバーの中でも、リーゼは謎の人である。アツロウがわかっているのは腐女子ふじょしな趣味があるということだけで、完全な素顔すら見たことがないのだ。

 そして、ミランと向かい合って座るアリューが、今日も毎度の光景を広げている。

 よせばいいのに、見るたびにアツロウは口をとがらせてしまうのだった。


「アリューさん、野菜もちゃんと食べてくださいよ。ニンジン残すの、なしですからね」

「まじウザいし……ってか、ニンジンなんて食べ物じゃないし?」

「子供じゃないんですから、もう」

「アツロウだって、あーしのママと違うじゃん」


 アリューはこう見えて、偏食家へんしょくかだ。甘いものと肉が好きで、逆に野菜は苦手なのである。中でも、ニンジンだけは毎回綺麗に残す。アツロウが料理当番の時など、すりおろしたニンジンをわずかに入れただけでも反応するのだ。

 生粋きっすいのニンジン嫌い、それが神速の剣士の正体なのである。

 そして、アツロウとのこのやり取りもお馴染なじみみのものだった。

 だが、珍しく今日はリネッタが口を挟んできた。


「これこれ、アリュー」

「ほら! 姐御あねごもこう言ってるし!」

「じゃから、アリュー。食わず嫌いはいかんぞ?」

「ですよねー、わかった? アツロウ……って、あれ? あ、姐御?」

「これから第一級非限定血盟らいいっきゅうひげんていクランノルニルを背負せおって立つ女が、ニンジン一つで騒いではいかんのう」


 アリューは「へっ?」と自分を指差した。

 アツロウも、ついに来たかと身を正す。リネッタはエリスとの話を中断して、今いるノルニルのメンバーを見渡した。エクストラメンバーはいわば、女だけの血盟であるノルニルの幹部クラスである。

 エリスが呆気あっけにとられる中、静かにリネッタが話し出す。

 その声音は、親しいアツロウには大事な話をする時の真剣さが感じられた。


「リーゼにもあとで話しておくがのう……ノルニルの運営を、今後少しずつアリューに任せてみようかと思うのじゃ」


 リネッタの言葉に、当のアリュー本人が目を点にしてしまった。

 アツロウにも驚きの言葉だったが、リネッタはこの手の冗談は言わない女性だ。そして、常に思慮深く聡明そうめいなリーダーとして振る舞ってきた。その彼女の言葉に、思わずアリューがテーブルを叩いて立ち上がる。


「なっ、なんで!? あーし、そんなガラじゃないし! てゆーか、姐御……リネッタの姐御っ、もしかして」

「うむ。前から考えておったことじゃが、ワシはこれから一人の冒険者としてやらねばならんことがあるのじゃ。ワシ自身の使命を果たす時じゃからのう」

「使命、って……それ、なに!? ノルニルより……あーし達より大事なこと!?」


 リネッタは少し困ったような顔で微笑ほほえんだ。

 彼女にとっては、ノルニルの仲間達は皆が実の娘のようなものである。それをアツロウは、日々の暮らしで実感していた。誰にとっても姉であり、母であり……そして、アツロウの自称恋人。それが最強の大魔導師リネッタの偽らざる素顔だ。

 そして、そのリネッタにアリューはとても懐いてたし、その特別な敬意をアツロウも知っていた。


「比べることはできんよ、アリュー。ワシにはノルニルの皆はかけがえのない家族じゃ」

「じゃあ、なんで!」

「大事な、大切なノルニルじゃから、お主にたくすんじゃよ。のう、アリュー……お主は本当に強く、賢く、そして大きくなったんじゃ」

「そんなことないっ! あーしは……姐御がいないと、駄目だし。あーしなんか」


 アツロウはただ、黙って二人を見守った。

 両の拳を握ってうつむくアリューは、立ち尽くしたまま小さく呟いた。


「……ニンジン、食べる。食べるから……そしたら、姐御」

「すまんの、アリュー。じゃが、ワシは消えてなくなる訳でもないし、お主の前からいなくなりもせん。そして、強制もせんが……ノルニルをいで欲しいんじゃ」

「どうして、なんであーしが……リーゼは? ミランは」

「リーゼもミランも、勿論他のメンバーも優れた力を持っておる。その力を正しく導ける、それだけの資質をワシはお主に感じておるのじゃ。じゃから……すぐにとは言わんがの、考えてほしいのう」


 驚きに固まったまま、アリューは小さく頷いた。そんな彼女に寄り添い、そっとミランが肩を抱く。場をとりなして座らせようと、ミランは小さく優しい声で語りかけていた。

 アツロウもびっくりしてしまったが、先程の部屋での話を思い出す。

 リネッタはなにか、とても大きなものを背負っている。

 そしてそれは、どうやら自分に関係があるらしい。

 アリューがぐずりだした、その時だった。不意に白々しい拍手が響く。誰もが振り返るとそこには、完全武装の男達を連れた紳士が立っていた。

 そう、紳士……こんな片田舎かたいなかの宿に不釣り合いな、身だしなみの整った中年男性だ。


「いやいや、感動的ですな。伝説の血盟ノルニル、その新たな伝説の始まり。いいではありませんか」


 長身で酷くせていて、少し頬のこけたひげの男。

 彼の背後では、まるで王都の兵士達のように精悍せいかん鎧姿よろいすがたが整列している。

 なにごとかとアツロウが思っていると、ちらりと紳士は視線をよこす。彼は確かに、アツロウを見て薄い笑みを浮かべた。


「失礼、御挨拶がまだでしたな。我が主、北方辺境伯ほっぽうへんきょうはくいだリオン様の使いで参りました。我輩わがはいはディッケン、どうぞお見知りおきを」


 慇懃いんぎんに頭を下げて、紳士は名乗った。

 一同を代表してリネッタが席を立つ。


「エリスの出迎えかのう? これはこれはいたみいる……ワシが第一級非限定血盟ノルニルのおさ、リネッタじゃ」

「おお、お噂はかねがね……最強の大魔導師リネッタ殿の護衛ならば、今までの旅路はさぞかしエリス様も心強かったでしょう」


 突然、ディッケンは一同を見渡し、その中のエリスに目を細める。

 彼は、エリスの花婿はなむこである北方辺境伯の使いで来たと言った。アツロウも情報収集は怠らないようにしていたので、北方辺境伯が急に代替わりしていたのは知っていた。リオンというのは確か嫡子で、エリスとそう歳も変わらぬ子供だったと記憶していた。

 年の近い者同士、もしかしたらエリスの父ジャレッジは良縁と思ったのかもしれない。

 だが、なにか胸騒ぎがして心がざわつく。

 そう思っていると、さらに不思議に思う言葉をディッケンは続けた。


「エリス様の警護、これまでご苦労様でした。ここから先は、我輩達が引き継ぎましょう。北方を守る屈強な最精鋭にお任せを」


 ディッケンは、背後の兵士が差し出した革袋を手にとった。

 おそらく、金だ。

 それも、ちょっとした額という言葉では足りなそうな量だ。


「明朝、エリス様をお連れして北方辺境領に戻りますゆえ、ノルニルの皆様はここまでということで……これは我があるじリオン様からの謝礼です」


 どすん、とテーブルにディッケンは金を置いた。

 だが、リネッタはそれを横目に鼻を鳴らす。

 面白くない気持ちなのはアツロウも同じで、その上になんだかきな臭い。

 今はただ皆が、リネッタの言葉を待った。

 そして、彼女の声は一人の少女へと注がれる。


「さてさて、どうしたもんかのう? ……のう、アリュー」


 アリューは、寄り添うミランをそっと手で遠ざけると、前を向いてはっきり言い放った。そこには、いつもの勝ち気で強気なギャル騎士の顔があった。


「依頼を途中で放棄とか、ありえないし! ノルニルは、リネッタの姐御が作った血盟は、そういうんじゃないし! そっちはそっちで勝手にやれば? ただ、あーし達はちゃんと最後まで依頼を完遂するから!」


 リネッタが満足げにうなずいた。

 そして、アツロウは見た。

 神経質そうなディッケンの、張り付けたような笑みがピクリと震えた。

 妙な緊張感が高まる中で、小さな声をあげたのはエリスだった。


「あ、あの……わたくしの未来の旦那様は、リオン様とおっしゃいますのね。わたくし、北方辺境伯が代替わりというのは、初耳ですの」

「なにしろ急なことでして。しかしエリス様、このたびはおめでとうございます。我輩も臣下しんかとして鼻が高いですぞ……リオン様は将来有望な若者、北方辺境伯に相応ふさわしい方です」

「……わかりました。では、祝ってくれるのですね? ディッケン様」

「どうか我輩のことはディッケンと呼び捨てで……臣下一同、心よりお祝い申し上げます」


 エリスは気丈な娘だった。

 そして、やはり素敵なロリっ娘だとアツロウは再認識した。かわいいだけじゃない、その全身から発散されるロリニウムに色があるとしたら、気高く高貴なパープルだ。そんな色が嫌味にならない、そう感じる程にエリスはしっかりとした口調で言い放つ。


「では、。きっとリオン様もお許しになるでしょう……そうですね? ディッケン」

「そ、それは……承知いたしました、エリス様。勿論、我が主も歓迎されるでしょう」


 こうして明日から、アツロウ達にディッケンとその一団が同行することになった。なんだか妙な違和感ばかりが増えてゆく……リネッタの決意と使命、そしてノルニルの世代交代。更に、知らされていなかった北方辺境伯の代替わり。

 あらゆる事態を想定すべく、アツロウは慎重に頭の中を整理し始めるのだった。

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