第三章-05
「あはははは、メイちゃんって面白いね~」
さっきからニヤけっぱなしの一成を尻目に、俺は缶紅茶をを買いに出た。缶紅茶、それも無糖のストレート。ここが肝心である。コーヒーのような無粋な飲み物は飲まないのだ。何故か? …と言われると漠然とした答えしか返せないのだが、ただ単に、昔読んだ小説の主人公が好んだのが紅茶だったのである。特に、ブランデーなど入れると最高だと聞いた。
聞いた、というのは、実際にまだ試したことがないだけなのだ。
だから賢明なあなたに問いたい。どんなブランデーなら最高なのかを。
「おい俊樹。お前自販機の前で拳を握りしめて、一体何やってんの?」
村川が見ていた。コイツは気配というものを知らないのか? 全く気づかなかったぜ。
「いえ、なんでもないです。村川… 先輩は、何か収穫ありましたか?」
「?」
一瞬妙な顔をした村川、「まぁまぁだね」と言いながら言葉を続けた。
「お前の、その…、先輩ってのは気味が悪ィな。いつもどおりの呼び方でいいよ」
「いいん… ですか?」
「だから、気味が悪ィって言ってんだろ? 勿論、他の連中だってそうだ。いつも通りにしてりゃいいんだよ」
「お~い、今帰ったぞぉ~」
司馬たちが笑みを浮かべながら走ってくる。ナルホド、今まで通りでいいんだな。
「了解、村川さん。で、何かわかったんですか?」
「まぁ、とりあえず、だ。俺はブルマンな」
「俺はアメリカンの微糖な!」
「俺はカフェオレで!」
司馬と野村が次々と注文を挙げる。ちょっと待て、今小銭いくら持ってたっけ?
「ああ、ボクはココアがあればいいよォ~!」
遠くから一成の叫ぶ声が聞こえてきた。呑気に手ぇ振ってるのが研究室の明かりでよく見えてるぜ。
「ああ、もぅ! メイ、預かってきた金持って来い!」
「まぁ、端的にいうと、だな」
司馬はアメリカンの微糖を口にしながら、続けた。
「まだまだ情報が足りんってこった」
「どういうことです?」
「そういうことだよ」
カフェオレ野郎が鉄アレイでフンフンとトレーニングしながらまとめに入る。
「大体一日も経っていないってのに、確信に迫るような都合のいい話なんてないってことだ」
「それとさ~、お前、意外とセコいのな」
ブルマン男がニヤつきながら何をいうか。
「いちいち買った缶ジュースで俺達を形容するんじゃねぇ」
「ヤベ、バレてる?」
「口が動いてるんだよ、分かりやすいヤツだねぇ」
司馬が笑った。全員が笑った。メイも、思い切り笑っていた。
何故だか涙腺に来たことは、一生、墓場まで持っていこうと思う。
◇ ◇ ◇ ◇
バスを降りて、第二友引荘までは十数分ほど。俺とメイは暗がりの中を、ポツポツと灯る電灯に照らされながら歩いていた。
「マスター、今日はですね」
ぴょこんと俺の前に進み出て、メイは嬉しそうに言った。
「洋風カレーのご馳走です! 飴色になるまで焼き込んだ玉葱に、こんがりと焼いたお肉さん。ホクホクとろとろになるまで煮込んだお野菜が絶妙なハーモニーを奏でる、そんな特製カレーです!」
一体何処の山岡士郎だよ。
「…ということは、だ。作ったのは沙耶だな」
「あ、わかります?」
「当然だ。メイはまだ、林檎と蜂蜜トロ~リとろける出来合いのカレーしか作ったことないだろ?」
「ハイ! でも、何故ですか?」
不思議そうな顔をして、俺の顔を覗き込む。
「まだレシピの入力ができていないはず。違うか?」
「それはそうですけど…」
「ですけど?」
「私、前回に作ったカレーなら、ほぼ完璧に再現できますよ?」
「そりゃあ、そうだろう。なんせ、出来合いのルーがあれば…」
「甘いですね、ま・す・た・ぁ。あのルーの構成を再現してお見せできるといっているんですよ」
再現できる? …まぁ、原材料は箱に書いてあるし、味は分析すりゃなんとかなるものだろうけどさ。
「不思議そうな顔をしてますね」
クスクスと笑みを浮かべながら、メイは耳元で囁いた。
「アイノナスワザ、です」
ハッと気付いた時には友引荘へ続く最後の上り坂で、メイは坂の途中で。
俺は火照った頬を季節外れの涼しい風で冷ましながら、愛すべき我が家へと戻るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「ごちそうさん!」
俺は両手を合わせた。
「珍しいのね。今まで何も言わずに仕事部屋に向かっていたのにね」
なんだか今の沙耶、何時になく棘があるぞ?
「そうか? そんなことないはずだけどな」
「そうよ。何かいいことでもあったのかしら?」
沙耶は険しい目でメイを見つめる。あれ?
「あの… さ。沙耶、メイと何かあったのか?」
「何もないわよ。で、ご感想は?」
あれ? 一体どうしたっていうんだ。なんだかいつもと違うぞ。
「お、美味しかったよ。さすがって感じだった」
「あ、そう」
ぷいっと台所に目をやって、沙耶は退場する。一体何だってんだ?
「ね。美味しかったでしょ?」
入れ替わりにメイ登場。本当に何があった?
「メイ、お前何やらかしたんだ? 沙耶のあんなところ、はじめて見たぞ?」
「何もありませんでしたよ?」
くすくすっと微笑みながら、メイはお茶を淹れるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「ごちそうさん!」
俊樹が両手を合わせた? なんで? あの僕人参が?
あれ? ぼくねんじん? ぼくにんじん? まぁいいや。とにかく、今の俊樹は別人みたいだ。一体何があった?
「…めずらしいのね?」
あたしはできるだけ冷静を装いながら、落ち着いて言葉を紡ぐ。
「今まで何も言わずに、仕事部屋に戻っていたのにね」
「そうか? そんなことないはずだけどな」
明らかに怪しい。妙に目が泳いでる。なんだかいつもと違うじゃない!
「そうよ。何かいいことでもあったのかしら?」
違う違う違~う! そうじゃない! これじゃ、まるで喧嘩腰じゃない。冷静になれ、あたし!
「あの… さ。沙耶、メイと何かあったのか?」
どこか落ち着かないといった風で、俊樹。ああ、もう。なんだか腹が立ってきたわ!
「何もないわよ」
あたしは表情を隠すように台所に目をやった。何を言おう、何を言えば、この場を取り繕える?
「で。ご感想は?」
…
…
…
ダメだ~!! ダメじゃん、あたし! 明らかに棘があるじゃない。
でも、今の俊樹ならどう答えるかしら? ここで何も言われなかったら…?
たったの一秒がとてつもなく長くなる瞬間っていうの、まさしく今がそう。あたしはチラチラと俊樹を観察しながら、返事を待った。胸の鼓動がやたら激しく聞こえてくる。普通って言われたらどうしよう? ていうか、普段の俊樹だったら無言で頷くだけだよね。わかってる。わかってるんだけどさ、ああ、もう! 頭の中がまとまらない!
「美味しかったよ? さすがって感じだった…」
感心したかのように、ほうっ…て嬉しそうに。
あれ? やだ! あたし、顔真っ赤じゃない? おかしくなってない???
ちらっと俊樹を見ると、今までじゃ考えられないような笑顔。ウソでしょ?
「あ… あ、ああ、そう」
とにかく逃げよう! そう、台所がいいわ。
あたしは見るも無残に退場するのだった。
「あ、沙耶さん?」
メイちゃんと肩が当たった。ゴメン、今は逃げさせて!
あたしと入れ替わるように、メイちゃんがお茶を持って居間に入った。
談笑する声が聞こえる。やだもう、なんであたし、あの場にいないの?
あと少し、あたしの頬の火照りが覚めたなら。
もう一度あの場に戻ってもいいよね?
◇ ◇ ◇ ◇
こうして、それぞれの夜は今日も更けていくのだった。
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