第一章-03
仕事部屋に移った俺は、パソコンに火を入れた。火を入れた…と言うのは表現として間違いなのだが、何故かこの表現が気に入っている。アナログチックで郷愁もあって。いや、本当におかしいのはわかっている。しかし、動画でしか見たことのないSLやら何やら、ああいうのがイイのだ。
火を入れる=起動する。実にロマンがあるじゃないか。
OSであるMos(モス)の文字が浮かび上がり、やがて設定していた琴電1000形-120号が映し出される。ちょっと遠出すれば写真が撮れるので、気が向く度に仏生山の地まで足を運ぶ。住んでいる地域性もあって雪の中というシチュエーションはなかなかありえないのだが、何年か前の大雪の際に走っていた1000形を偶然にも、幸運にも撮影できたのだ。ここ数年、俺はコレをパソコンの壁紙にしている。
さて。まずいつも行うのがメールのチェックだ。基本、在宅で請け負っている仕事故に、メールのチェックを怠ると後で大変なことになる。クライアントとベンダーとの関係は緻密でないといけない。そこに亀裂が入ると、二度とそのクライアントは俺を起用しなくなってしまう。こうなるとオマンマの食い上げだ。だからこそ、いつも念入りにチェックしている。
怪しいのが一通、来ていた。
何度スパムとして処理しようとしても、戻ってくる。それも、強制的にだ。
当初は開くのも何だし…と放っておいたが、今回のこのメールに限ってどうも気にかかる。故に、おそるおそる、とあるアプリを使って中身だけを覗くことにした。この方法なら安全とは言わないまでも、中身の確認はできる。
そんな事できるかって?
できるのである。そういうアプリが今、あるのである。
なので、開いてみることにした。かんたんな話である。
危険なファイルだけ開かなければいいだけなのである。
今にして思えば、なぜそんな考えになったのか理解に苦しむ。
だがそうしなければいけない気がしたのだ。
まるで”
故に、何の疑いもなく中を覗いた。
何もなかった。
否。
パスワード記入欄が現れた。
そのパスワードのヒントとして打ち込まれていた文字は…
そして、オルゴールのような音色が流れ出した。
それは、いつか聴いた懐かしのメロディ…。
俺は…
DAISY
無意識にそう、打ち込んでしまっていた。
ヤバい! と思う暇もなかった。
画面には
But you'll look sweet, upon the seat,
Of a bicycle built for two...
とだけ表示され、メールそのものが消失した。消失してしまった。
あれだけ執拗にフォルダ内に戻ってきたメールが、である。信じられなかった。
俺は即座にパソコンの異常を確認したが、異常そのものが無かった。
ウイルス対策ソフトにかけても全く正常なのである。
ありえなかった。
「沙耶! 悪い。俺今からPCショップ行ってくるわ」
言うが早いか以後の作業をセカンドPCで行うことにして、急ぎ馴染みのPCショップへと走った。
「スミマセン! これ、見てほしいんですが…」
「ああ、古川さん。毎度どうも。で、そんなに慌ててどうしたと言うんです?」
「実は…」
俺は店員に今までのいきさつを詳細に説明した。
「聞いたことありませんね。そのような症例もない。もしあるとするならば、古川さん。あなた個人を狙った特殊なものなのかもしれませんね。何にせよ、ウイルスチェックには何も引っかかっていませんし、マルウェアにもなんにも感染していません。データを抜かれた形跡もない。正直言って、私どもではお手上げです。ただ言えることは、このPCには全く問題は見受けられない。今まで通り使用していただいても問題はないかと思います。後は古川さんの気落ち次第かと」
結果、やっぱり異常らしい異常は検出されなかったのである。
不思議そうな顔で帰宅した俺を出迎えたのは、
「どうだった? また変なサイトでも見て引っかかったんでしょう。ホント、男ってしょうもないわね!」
と冷やかす沙耶。
俺は複雑な気持ちを抑えながら、ようやく仕事に取り掛かった。
基本、俺が受注しているのはWebデザインと広告の作成だ。
専用のアプリがあるとはいえ、あっという間に時間はすぎていく。
「今朝のアレ、本当に一体何だったんだろうね?」
昼食後、食べ終わった茶碗を洗いながら、沙耶。
「分からない。分からないけど、約半日潰れた事で確実にわかったことがひとつだけある」
「へぇ… で、それは何なの?」
「今日の講義全部サボらないと、納期が間に合わん。確実に」
「…いつもスキを作ろうとしない俊樹にも、時には抜けてるトコもあるのね。ちょっぴり安心したわ」
沙耶がニコッと笑みを浮かべる
「そこだけ余計だ」
「で、朝に流れたメロディ…。あれ、確か俊樹が口にしたメロディと同じような気がしたけれど… 違う?」
唐突に沙耶の方から質問が飛んできた。
「…ああ、その通りだ。あれがオリジナルのメロディだよ」
「ふぅ… ん。不思議と私も聞いたことがあるのよね。あれ、なんだったかしら?」
俺は意外に思った。沙耶が聞いたことがあるということは、沙耶もあの女性のことを知っているのだろうか?」
「なぁ、沙耶。お前、俺が事故に遭う前に、白いワンピースを来た黒髪の長い女の人、覚えはないか?」
「いいえ。まったくないわよ。どうして?」
「いや、その彼女が唄っていた歌だったからさ」
「いいえ、あたしが覚えているって言ったのは、何かの映画で見た覚えがあるのよね…」
沙耶はタブレットで検索を始めた。
「あ… あった!」
得意気に、検索結果を見せてくる。
「2001年宇宙の旅! 暴走したメインコンピューターのHALが、その最期に歌った唄だって書いてあるわ。…けれど、ちょっと待って?」
「どうした?」
「この作品が作られるきっかけになったのが、世界でも最初にコンピューターが唄った歌なんだって。原作者のアーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリック監督が、IBM7094が歌ったこの曲にインスピレーションを受けて… とあるわ」
…なるほど。彼女が言っていた『機械が人の前で初めて唄った歌』ってのは、そういうことか。
ピンポン♫
突然、ひとつだけチャイムが鳴り響いた。
「舞衣です! 俊樹クン宛に大きな荷物が届いてるんだけど、ちょっと開けてもらえるかな?」
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