第一章-02

それはそれは手際よく、本当に手際よく小さな机にランチジャーの容器が並べられ、500mlのお茶のペットボトルがドン!と置かれた。


「さ、めしあがれ!」

沙耶はさも嬉しそうに俺の顔を覗き込む。毎日ではないとはいえ、頻繁にやって来るこのイベント。不味いならまだ文句も出るのだが、これが実に美味いのだ。しっかりと出汁の取れた味噌汁に始まり、ちょっとした惣菜に焼物。誰がどうみても、結構手間がかかっている。おかげで俺はちょっとしたグルメリポートくらいは書けるようになっていた。


まぁ、それはそれで冗談なのだが。


毎日毎日おそらくは仕込みから随分と時間をかけているのだろう。それだけに申し訳ない気分もあるのが、正直な俺の心情だ。だからこそ突慳貪つっけんどんにしている部分もあるのだが、沙耶は全く意にも介さず毎日のようにやってくる。それも生きがいとでも言うべき使命感に燃えて。


『俺に付き合っても何もいいことなんてないぞ』

そうハッキリ言ったこともある。しかし、

『これはあたしが好きでやっていることなんだから、口出し無用! たとえ俊樹が無視し続けても、あたしはちゃんと見ているんだからね』

とゴリ押しされて今に至る。


さて、閑話休題。

俺はいつものように沙耶が持ち込んだ朝餉を口にしていると、いつも俺の浮かべるビミョーな表情を読み取ってか、猫のような瞳を爛々と輝かせていた。


ひとつ口にしては、キラッ! ふたつ口にしては、キラキラっ!

俺の箸の運びひとつで、よくもまぁ随分と表情は変わるもんだ。


ほうれん草のおひたしとお新香、それに加えて、鮭の焼き物と大根の味噌汁。これが本日の朝餉のメニューだ。ほうれん草のおひたしは瑞々しく爽やかな味わい、お新香もちゃんと自家製のもの。スーパーで買ってきたものではない事が味や色でわかる。更に加えて、鮭の焼物に至っては絶妙な塩加減だ。毎回の事ながら、本当に感心せざるを得ない。俺はただ黙々と箸を進めた。


「さぁて」

俺が立ち上がると、沙耶の頭がちょうどいい位置にくる。俺の身長が175cmだから、沙耶は165くらいだったか? 中坊時代は沙耶のほうが身長が高かったはずだが、今となっては逆転してしまっている。それだけ長い付き合いなのだな、と改めて思う。


「さっきからなんだか上の空だけど… サボるんじゃないでしょうね?」

へ?

そんな事、更々思ってもいなかったのだが。

しかし、今日のスケジュールではサボらざるをえないことも分かっていたので、なんとなしに目線を逸らしてしまった。


沙耶の瞳が再び熱を帯びる。マズい、でもこういうほか仕方なかった。

「サボるよ。だって、受注分が…」

実際にその通りなのである。自分で稼ぎながら国立大に通うというのも、けっこう大変なのだ。

「む~…」

「生活かかってんの! 分かる? せ・い・か・つ。お金がないと大学にも通えないんだよ。沙耶、俺は苦学生なの」

「そんなお気楽そうな苦学生なんて見たことないわよ!」

「とにかく、だ。今日は3限まではお仕事なの、お・し・ご・と!」


沙耶は再び「む~…」と一言唸った。

「…なら、見張っててあげるわよ。順調にお仕事やらが進むようにね」

と、ご大層な事を言いだした。

「沙耶、お前だって今日は講義があるんじゃないのか?』

「おかげさまで、ちゃんと必要単位は十分以上に取れてます。それに一介二回休んだくらいでは問題がありません。俊樹と違って、あたしはちゃんとしてますからね」

こうなると梃子でも動かないのが沙耶の強情なところだ。実に堪ったものではない。ココは素直に従っておくか。


「…わかったよ。ならお願いする。降参だ。しっかりと見張っててくれ」

「いい返事ね」

沙耶はまるで最初からこうなるのが分かっていたかのように、くすっと笑った。


これが俺たちの日常。俺を取り巻く、生活のすべてだった。


そう、少なくとも今日までは。

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