配列05-4 / 月の影
帰宅すると、朱穂がキッチンに立っていた。
さも当然と言うように冷蔵庫の中身を使い倒しているではないか。
「……何作ってるの」
「ごはん!」
アバウトすぎる。
「お疲れさま。青さんっ」
食器を片手に微笑みかけるその姿は、もはや彼女とか妻とかそういう存在なのではと錯覚してしまうほど。
「って、うわ、もしかしてお酒飲んで帰ってきたなー?」
「しょうがないじゃない」
何もしょうがなくはないのだけど。
「ストレス、溜まってる?」
「……まあそこそこ」
自分らしからぬ曖昧な返事に、思わずため息が漏れた。
今日汗かいたからと朱穂に告げ、先にシャワーを浴びることにした。
浴槽にはお湯が張られていた。
適温だった。
「朱穂はさ、なんで私にここまでよくしてくれるわけ?」
「ここまでってどこまで?」
「そういう屁理屈はいいからっ」
「んふふっ」
食後の合間。私は事前に軽く食べてきてしまったため、朱穂が作った料理のほとんどは朱穂自身が食べることとなった。そのせいか朱穂は満腹感に満ちた表情を浮かべている。
「青さんの喜びがわたしの喜びだからねっ」
「喜んでる、なんて言った覚えはないんだけど」
「じゃあ喜んでないの?」
「ありがた迷惑かな」
「ひーどーいーー!」
「冗談。……ありがと」
こういう生活を繰り返していて、いつか朱穂の本当のことを知る機会は訪れるだろうか?
「邪魔って思うならいつでも追い出してくれていいからね」
朱穂はしれっとそんなことを言う。
「じゃあどうして居座っているの?」
「だって心地いいもん」
「本当にそれだけ?」
「それだけ」
「朱穂だって帰る家はあるんでしょう」
「ないよ」
「……えっ?」
「帰る場所はないんだ。もう未来もないしね」
「ちょっと待って、それどういうこと?」
「普通のことだよ」
続けて朱穂は言う。
「生きるのに疲れちゃったんだ。だから青さんと偶然会えて、すごく嬉しかった」
「まだわたしにも価値が残ってるかな、って思えた」
「ここに留まる理由を見つけられるかな、って思った」
俯く朱穂を見ていられなかった。
だって、私といるときは、いつも笑顔で、楽しそうで、その表情を曇らせることなんてなかったんだから。
アルコールはとっくに抜けていたけど、それでも私はカッとなってしまった。
「――だから私と一緒に住みたがっていたの? そんな自分勝手な理由で?」
――誰かが壊さなければ、きっと幸せの空間を保ち続けることができるだろう――
しかし、その亀裂は既に深く刻み付けられてしまった。
断絶。
私と朱穂では考えることが全く違っていたという、事実。
当たり前のことだ。
当たり前のことだけど、それでも。
朱穂には "こうあってほしい" という私の願いを踏みにじられたような気がして。
――ああ、なんだ。
私だって十分に自分勝手だ。
「それなら、私は――心の底から笑ってくれるあなたと一緒にいたかった!」
「そんなのは、ないよ。ごめんね。わたし、青さんのことを傷つけるのが怖かった」
「傷つけることでわたしが傷つくのも怖かった。今までずっとそうだったんだ。あはは……やっぱり上手く隠せないね」
「だから、これでおしまい」
「――ふざけないでっ」
「勝手に上がり込んできて事情を知られたかと思ったら終わりにしたい、だなんて。そんなのは都合がよすぎるんじゃないの。私の気持ちだって考えて!」
自分勝手と分かっていながら、感情が抑えられない。
これまで抑えてきた代償だろうか……頭の中が沸騰しそうなほどの熱を持っているように感じた。
私らしくない――
けれどこれが、本当の私なんだ。今まで言わなかっただけで。
「……うん。ごめんね。あ、あの、今日は違うとこ泊まるから……」
「じゃあね」
「っ」
荷物を残した状態で、財布と携帯だけを持って、朱穂は足早に家を出て行ってしまった。
「………………ふ……」
鼓動は逸ったまま、静寂を厭うようにしていた。
けれどこれが、本当の私。
これが本当の私であるように、朱穂もまた、あれが本当の朱穂なんだ。
そういう意味では私は「後出し」だった。
「……ばっかみたい」
私には、朱穂を叱る資格なんてなかったんだ。
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