café「R」の日常

yolu(ヨル)

春の景色の意味

 地面が桜色に染まり、春の色に世界が染まる___



 頬をかする空気が、埃っぽい空気が、ここに春が来たと伝えてくる。


 伝えられて春をイメージしようするが、

 それはあまりに漠然としていて、

 判然としなくて、


 それが春なのか、


 それが桜の色なのか、


 よくわからなくなる。



 思い出す中で色を感じるしかないのだ。


 見上げる空は黒くにじんで、なにも見えない。



 目から光が消えたのも、そんな桜が散る頃だった___





 この時期は正直、三井もナーバスになる。

 連藤の光が消えた日を知っている以上、その日が来ると、またあの恐怖が戻るのではと思うのだ。



 __一度経験した恐怖はそう簡単には消えてくれない。



 行きつけのcafé「R」は新装開店したばかり。

 外観も洗練されたイメージに切り替わり、店内も雑貨など扱い、おしゃれなカフェとして地元のOLを中心に話題となっているという。

 そのお陰か、新規のお客も入り始め、平日でも賑やかになってきた。

 だがオーナーの莉子はそんな状況を嬉しくも、複雑な気持ちでいるようで、仕事がつらくなるのは困る、という。

 彼女ひとりでやりくりできるようにしていきたい。それが理想の店なのだという。

 だがそうもいってられないだろう。

 もうそろそろバイトでも雇わなければ店が回せなさそうだ。


 改装した店内は外の景色を楽しめるように設計したという。


 __彼女らしい景色だ。


 並木道は銀杏の木が並び、新緑の黄緑色が日差しにかざされ、余計に葉が透けて輝いて見える。


 そして何よりここは春の景色が薄い。


 緑に覆われた並木道が「春」に違いないが、鮮明な桜の色がないだけ、ここは落ち着ける。

 

 

 コーヒーを傾けながら、三井は外へと視線を投げている。

 どこを見ているわけでもなく、ただ映しているのだろう。

 思わず緩ませたネクタイが色っぽく見えるのか、3人組の女性客の目が釘付けになっている。


 しかし、いつもなら連藤と一緒に来るのだが、今日は三井だけでの来訪だ。


「コーヒー、お代わり、いる?」

 彼女はコーヒーのポットを抱え、隣に立った。

 それまで気づいていなかったのか、露骨に驚いた表情を浮かべる。

「ここ、私の店だから。

 そんなに自分の世界に入らないでよ」

 そう言いながら空になったカップにコーヒーを注ぎ足した。

 熱いコーヒーが白い湯気をあげている。


 湯気につられて視線があがるが、出てきた言葉は、


「なぁ、連藤、

 最近どうだ?」

 ありがとうでもない、そんな言葉がでるとは莉子も驚いてしまう。


 思わず素の声で、

「なにが?」なんて返してしまった。


「様子とか、そんなの」

 コーヒーをすすりながら返ってきた言葉に、彼女はひとつ唸り声を上げ、

「元気はない、かな。

 おくびにも出さないようにしてるみたいだけど、ね。

 ちょっとは気づいちゃうよね」


 銀杏の木が揺れる。

 さざ波のようにきらめく葉がしゃらしゃらと音を鳴らした。



「連藤、目が見えなくなったの、春なんだわ」



 莉子は、そうなんだ。それだけ返して、彼女も窓を眺めた。



 遠くには、杖を鳴らしながら淡々と歩く彼、連藤がいる。

 慣れた歩き方だ。

 一歩を的確に踏みしめて、あたりの気配に気を配り、歩幅を変えずに進んでくる。


「迎えに行ってくる」


 コーヒーポットをカウンターに置き、彼女は駆けていった。

 ドアベルががらんと鳴り終えたときには、彼女は彼の左手を支え歩いていた。


 彼女のサポートも慣れたものだ。


 彼の歩幅に合わせるように、彼も彼女の歩幅を合わせるように、二人で息を揃えているのがわかる。

 笑いあう二人の姿に思わず顔がほころぶが、季節が邪魔をする。


 早く、夏にならないかな___


 口先だけでつぶやいていたつもりだったが、声に出ていたようだ。

 隣りの女性と目が合ってしまう。

 思わず会釈をしてみたが、女性の耳が赤く染まった。


 脈アリ。名刺でも渡しておくか___


 そう思ってみるが、渡す前に連藤が到着してしまった。



「三井に呼び出されるとは思ってなかったな」言いながら連藤は彼の向かいに腰を下ろした。

「たまにはいいだろ、外も」

「俺はだいたいここだけどな」それもそうだな。

 思わず二人で笑いだすが、いつものような抜けた明るさはない気がする。

 二人だから、こんな空気なのだと思う。


 二人だから__


 あの日の記憶が、

 

 春が、


 この季節が、


 二人を縛り続けているのだろう。



 それでも、自分なりに「その日」を、彼らを、支えたい。


 私も一緒に乗り越えたい。



 二人と一緒に___


 青い風が抜けていく。

 吹かれた風に押されるように彼女が二人の肩を叩いた。

「ねぇ、イケメンリーマンのお二方、」

「なんだよ、その言い方」三井は言うが、

「今日の仕事明け、一杯いかがですか?」

 私が招待します。どこかの貴族のような立ち振舞いに二人は噴き出すが、

 三井が、どうする? と聞くと、俺は空いているよ。連藤の優しい笑顔が浮かんでくる。

 思わず莉子は連藤から目を逸らした。

 眩しすぎる……!


 ひとつ咳払いすると、

「クローズが出ていると思いますが、そのまま来店されて結構ですので」


 で、今日のランチは?

 彼女が尋ねると、二人はメニュー表を見ずに、


「「ビーフチュー。コーヒー食後で」」


「かしこまりました」


 ゆっくり彼女はカウンターの奥へと下がっていった。




 今月に入って半ばの今日は、特に残業することもない。

 そのため二人は定時で上がることにした。


 まだ春になりかけだ。

 夜は冷える。

 冷たい風が頬を撫でてくる。


 まだ夏ではないのだと教えてくるようで、なんとなく髪をかきあげ、誤魔化した。


「三井と二人で夕飯なんて、久しぶりだな」

「それもそうだな。お前も新事業の関係で忙しかったしな」

「三井も新社長のお守りで忙殺されてただろ」

 二人は呆れたように楽しそうに声を上げる。


 見上げた空はもう暗い。


「春は、切り替わりの季節だよな」

「そうだな」連藤が答えたとき、すでに店の前に到着していた。

 

 莉子が言っていた通り、クローズの看板は下がっているが、ドアに手をかけた時、するりとそれが動いた。


「いらっしゃい。

 待ってたよ」


 莉子は二人の背中を押し、店内をすり抜け進むと、駐車場側に向かって開けた世界が広がる。


 窓を全開にし、テラス席になっているではないか。



「夏にはここを解放する!

 というわけで、予行練習」


 ここまで考えて設計していたとは全く思っていなかった。

 三井と連藤は新鮮な雰囲気に期待が高まる。



「では最初の一杯なので、私も頂こうと思うのですが、


 春だからこそ飲みたい、飲ませたいワイン。


 ロゼワインになります」



 運ばれてきたグラスはいつものグラスとは少し違う。

 持ち手が短く、グラス部分が大きくお椀状になっている。

 まるで夕日が薄く透けたようなワインの色である。

 グラスを鼻に掲げると、スパイシーな香りの中に、若さも感じる。

 苺の香りはもちろん、ベリーの赤い果実の香りも漂ってくる。

 

 そして、

 浮いている桜の花弁。


 ほのかに桜の青い香りが鼻をくすぐる。



「春の季節は、一歩を踏み出すにはちょうどいいよね」


 彼女は月明かりにグラスをかざし、


「この嗅いだ香りが春になればと、お呼びしました」


 冷たい風が再び頬をかすっていく。

 グラスから浮かび上がる香りが鼻腔の奥で漂っている。


「春は色々なことが始まります。


 この軽やかな薄紅色に、

 そしてフレッシュなベリーの香り。


 春らしい前向きな香りだと思いませんか?」




 二人の目には、新人研修のあと二人で缶ビールを抱えて花見をした、あの日の景色が浮かんでいた__



 二人は同期だ。

 研修を通して同じグループになったこともあり、話をしてみると、見解は違えど答えの方向は同じという視界の違いが面白く、何かの拍子と勢いで、二人で花見をしようとなったのだ。

 それをきっかけに二人でよくつるんでは仕事の話、これからの話に花を咲かせていった。

 プライベートでも三井の好きなアウトドアに二人ででかけたり、連藤が家で料理を振舞ったりなど、お互いに楽しみながら、切磋琢磨してここまで来た。


 あの花見の日、しこたま飲んだビールの缶がキラキラとして、それがなぜか面白くて、吹雪いてくる桜の花がそれもキラキラと綺麗で、それがあの時は当たり前のように見えいてたけれど、今思えば、それはとても素敵な時間で、貴重な体験であったこと___


 時間を共有できる友人が、辛いときも支えてくれる友人ができたことが、本当に幸せだと___


「研修後で二人で花見に行ったよな」三井がこぼした。

「今、俺もそれを思い出していた」

「綺麗だったな」

「ああ、綺麗な日だった」

 ヨレヨレのスーツで赤ら顔の二人だったけどな。なぜか気恥かしくなり、そんな言葉を三井は被せる。


「じゃ、その日と、これからの春に、乾杯しましょ」 


 三人のグラスがちりんと鳴る。

 軽やかなその音は、鈴の音にも似ている。

 

 それを合図に彼女はさっと動きだした。


「このロゼワインのすごいところは、中華料理に合うところ!

 春といえば中華!

 なのです」


 莉子は前菜にと、生春巻きを出してきた。

 生春巻きの中身は、生ハムときゅうり、クリームチーズが巻かれている。

 中華とはいうが、ワインに合う前菜だ。

 さらにタレはスィートチリソースである。

 甘みのあるタレが生ハムの塩気にも合い、またワインのフルーティな香りにマッチしてより食欲が増してくる。


 それがほどよく食べ終えた頃、さらにエビチリが届いた。

 これがまた豆板醤が効きすぎじゃないのかというぐらいの赤に染まり、香りからも辛味の強い鼻を刺すような湯気が上がっている。

 たっぷりのネギが上にかけられてはいるが、辛味は消えることはないだろう。

 口に含むと、後悔したいほどの辛さが襲ってくる。

 だがこのワインを口に含むと、辛味がすっと引くのである。

 辛味がなくなったことで、エビの淡白な味がロゼワインのすっきりとしていながらも、酸味のほどよい控えめな味と、とてもよく合っている。

 さらに油淋鶏と海鮮炒めがテーブルに並び、どれもこってりとした味付けのものばかりだが、それでもこのロゼは負けていない。

 華やかな香りはもちろんへたることなく鼻腔をくすぐりながら、やはり酸味が脂を流してくれるようで、揚げ物である油淋鶏だが、いくつでも入りそうなさっぱり感がある。さらに海鮮炒めの魚介の出汁はロゼの白ワイン感に重なり、それは深みのある味へと変化させてくれるのだ。特に貝類の出汁がいい風味になっている。

 すると、

「莉子、お前も食べろ!」三井は動く彼女を引き留め、無理やり腰を下ろさせた。

「俺でも莉子さんなのに」ふて腐れたように連藤は言うが、三井は肩を小さくすくめて見せて、彼女のグラスにワインを注いだ。


 それならとグラスに口をつけた時、新たに注がれたグラスからは、先ほどとは比べ物にならないほどの果実味あふれる香りが満ちているではないか___


「二人とも、改めて乾杯しましょ」

 いい香りがしますよ。莉子が付け加えると二人もグラスに鼻を近づけた。


 時間が経つと香りが変わるといっていたが、これほどとは……


「まさしく、春だな」


 薄紅色の景色に過去、希望と夢を描き、見ていた。

 時間は残酷に描いた景色を消していく。


 だがそれでも時間は戦いを挑んでくるのだ。


 勝つ術がなくとも挑まなくてはならない。


 この色に詰まった景色が崩れても、描いた景色を忘れてはいけないのだろう。



 あの日、連藤と誓った景色___



 誓った言葉は秘密だ。



 三井は微笑み、溶けた記憶を飲み込むようにワインを飲み干した。


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