PINK BE-BOP
揉め事が嫌いだ。特に派閥争いのような下らないしがらみに巻き込まれるのが嫌いだ。揚げ足を取られないために他人の前で陰口は絶対に言わないし、誰の前でもそつがない態度で過ごし、仕事も求められる以上の事はしない。無駄な向上心は持たない。必要以上に他人と仲良くしない。それが僕の処世術。そう、僕は究極の八方美人なのだ。
僕の職場には所謂「痛い人」が多い。というのも、僕の職場は雑居ビルに入っている店舗型風俗店。ここに身を置いている者は特殊な業種のせいもあって「痛い人」が集まりやすいのだ。一昔前の風俗店はカタギ仕事ではないイメージがあったが、現在は割とフツーの企業が運営していたりする。一年前、大学を中退して半年程ニートだったころにネット広告で見つけた求人を見て、軽い気持ちで応募したところ人手不足もあってかあれよあれよとアルバイトから社員に昇進。今では一日数回の接客とお茶出し、軽いデスクワークをこなすだけで、三十代半ばの平均的なサラリーマンの年収ぐらいは稼いでいる。二十四歳なのにだ。正直楽している。
しかし、僕の仕事はそれだけじゃない。従業員、上司、コンパニオンという「痛い人」達といかにトラブルを起こさず日々を過ごすか、という事が一番の業務──僕にとっては──だ。
「おい!杉田!なんで女の子から来たクレーム報告してないんだよ!?」
始まった。本日一発目の店長の咆哮。相手は先日アルバイトに降格した杉田さん。僕より十二も年上なのだが、彼がまた素晴らしい程に痛い。三十六歳にして突然声優を目指し始めた漢、杉田さん。昨今の声優ブームを冷静に分析すれば、眼鏡で肥満体型(おまけに体臭がきつい)声量もなく根性もない杉田さんが声優になどなれる訳がない。勿論、僕は彼の前で「絶対に声優になれますよ!デビュー作が楽しみです!」と嘯いているが。
「…………あ……はい…………」
「はいじゃねぇんだよ?何で報告しなかったか怒らねぇから言ってみろよ!?」
本日もいただきました。「怒らないから言ってみろ」僕が小学生の時から聞いてきた単語。嘘にまみれたクレイモア。この地雷を踏む奴なんている訳がない。だって正直に答えたら怒られるんだから。
「じ、実は…………」
止めろ……杉田さん。踏むな。そこには地雷が埋まっている。それも割りと強力なやつだ。
震える杉田さんは正直に「忘れてました」とか「怒られるのが怖かったから」とか言ってしまいそうだ。これはマズい。現在時刻は午前十時。今店長に怒りをぶちまけられたクールダウンするまでに四時間はかかる。僕の休憩時間は午後二時。店長が怒っている最中に僕がいつも通り休憩に行く事で、僕も怒りの地雷を踏みかねない。店長はそういう人間なのだ。休憩がなくなったりしたらそれこそ面倒臭い。
しかし、杉田さんを庇うのはもっと危険だ。ここで杉田さんを庇えば杉田さん寄りの意見を口にした事になるし、それこそ店長が逆上したりしたら面倒だ。
よし。ここは杉田さんが黙って爆死する姿を見届けよう。
やがて杉田さんは小刻みに揺れながら口を開く。
「実は……携帯が止まっていたんです」
都合良くそんな事があるのだろうか。しかし、杉田さんはパチンコキチガイ。生活費を全て軍資金に当てている彼なら有り得ない話ではない。
「止まっていた?本当か?」
「はい……これを──」
そう言うと杉田さんはポケットからスマートフォンを取出し店長に見せた。僕もこっそり顔を覗き込むと、画面には今朝の日付で「回線が復旧しました」と表記されていた。
「今朝支払いをして、やっと使えるようになりました。本当は昨日付けで連絡しようかと思っていたのですが……すみません」
頭を下げ、誠意を見せる杉田さんを見て、店長の表情から怒りが消えていく。
「そういう事は俺に言われる前に言うんだぞ。俺が店に来てからすぐに」
店長はこう言ってるが、店長が杉田さんを怒り始めたのは店に来てから四十秒後程の事だ。杉田さんが言う隙は無かったように見える。が、そんな事を口にするつもりはない。なんとか場も収まったので、僕はデスクワークに戻る事にした。
店長の機嫌は戻り、女の子達に一通り声をかけると、ニコニコしながら店を後にした。きっと美容院行きたてのツーブロックを褒めてもらったのだろう。喜怒哀楽がはっきりしている店長は面倒くさい時もあるが基本的に悪い人ではない。対照的に──
「俺さ、たぶん店長より気が短いと思うんだ。危うく手が出そうだったよ」
杉田さんはと言うと、自分より若かったり立場が弱い人間の前では途端に気がでかくなる。それも別人格のようにだ。急に声優を目指したりする所も十分に痛いのだが、彼の持ち味はそこじゃない。彼自身が清々しいほどの屑なのだ。役満級の。
「そうなんですね。手が出なくてよかったですよ。トラブルは嫌いですから」
もちろん杉田さんが手を出す訳はないだろうが、一応僕は肯定しておく。正直杉田さんを一喝すれば年下の僕にもへこへこするだろうが、そうする事自体が面倒くさい。ここは彼の痛さに付き合っておいたほうがいい。
「本当。学生時代ならいってたわー。なんたって十五対一の喧嘩で勝った事あるんだから」
杉田さんの武勇伝其の一。喧嘩自慢。敢えてもう一度分かりやすく言うが彼の見た目は典型的なキモオタ。絶対に喧嘩した事などないだろう。最初十五対一の喧嘩の話を聞いた時、十五人の方に杉田さんがいて、一人に勝ったのだと思った。しかし、そんな頓智をきかせれるわけもなく、一人で十五人相手にしたらしい。一人一人組手のように相手が襲いかかってくる喧嘩があるのだろうか?毎度吹き出しそうになってしまう。
「そうですよね。杉田さん喧嘩強そうですもんね」
「よく言われる」
僕も彼のようなメンタルが欲しい。
数時間すると店長が帰ってきた。事務所に行っていたと言っていたが、ばっちり寝癖がついていたから嘘だろう。店長らしい。
店長が戻ってきた理由は僕の休憩回しだ。僕がいない間、また杉田さんが余計な事を言って店長の機嫌を損なわせなければいいが。
「あーそういえばさ、まいちゃんからチョコ貰ったんだよ。休憩中に食べな」
「ありがとうございます」
僕は甘い食べ物がそこまで好きではないが、一応貰っておこう。店長がリスト(※お金や貴重品などが置いてあり、女の子が待機している部屋との内線が繋がる親機も設置してある店の中枢)の棚をゴソゴソと漁っているのだが、何だが様子がおかしい。
「この棚に入れてあったチョコ知らないか?割と高価なチョコでみんなに食べてくださいって言われたんだけどなー」
確かに昨日の閉店間際、在籍している女の子のまいちゃん(勿論、源氏名)から店長が何かを受け取っていた。シャブ中のまいちゃんの事だから覚せい剤でも渡しているかとも思ったが、チョコらしい。余談だが、シャブの事を隠語でチョコと言うらしいが今回の場合は正真正銘のチョコレートだ。
「おかしいな……ここに入れた筈なのに。みんな見なかった──」
そう僕等に声かけようとした店長の声が止まる。それもそのはず。何故か杉田さんが苦しそうに蹲っているのだ──まさかそんな訳がない。
「杉田さん。どうしました?」
恐る恐る杉田さんに声をかけてみると、杉田さんは蹲ったまま、言葉を捻りだした。
「──お腹が痛くて…………ちょっと休憩してもいいですか……!」
この屑がチョコを食った。下手過ぎます杉田さん。さすがの店長も怒りを通り越し呆れていた。それでも杉田さんは嗚咽を繰り返しながら悶えている。非常に見苦しい。
杉田さんの急病はこれが初めてじゃない。以前店長に掃除が雑なのを叱られた時も、
『実は僕、握力がほとんどないんです。それにヘルニア持ちで』
とカミングアウト(嘘)をしたのだ。店長はそれ以上怒らない代わりに杉田さんを社員から降格させた。というか握力がなく、おまけにヘルニア持ちどうやって十五人を相手にしたというのか。
「もういいよお前、病院行ってこい。時給は二時間分削るからな」
本当だったら杉田さんは十回はクビになっていてもおかしくないのだが、人手不足のせいで店長も決断できないのだろう。というか、店長がもっと出勤すれば人員は補えるのだが、店長はFPS?というジャンルのゲームを一日中やっているので仕事をしたくないのだろう。何でも薬をキメると手の震えが収まるらしい。ゲームも薬も止めてしまえばいいのに。
それでも彼が店長でいられるのは女の子を定期的に入店させれるから。何か一つに特化すればある程度の地位を約束される不思議な業界なのだ。
僕が休憩から戻り、リストで出前を注文しようとしていると、
「ちわーす。桑田ですー」
「おーみっちゃん。待ってた待ってた」
水道屋の社長、桑田さんが来た。根っからの現場気質の桑田さんと単純な性格の店長はやたらと気が合う。
「聞いてよみっちゃん。トイレの流れが悪いんだよね。死体でも詰まってんのかな」
「店長やめてよー。あの杉田君?店長がバラバラにしちゃったんじゃないの?」
「大丈夫大丈夫!まだしてないから!ハハハハハ」
前科持ちの二人が話しているので全く笑えない。杉田さんをチラリと見ていると小刻みに震えていた。武者震いだろうか。さすが十五人を倒した漢、杉田。
店長と桑田さんは僕等の前を横切り、女の子の待機部屋の奥にある洗面所へと向かった。
数分杉田さんのつまらない話を聞いていると、店長が含み笑いをしながら僕に声をかけてきた。
「なぁ。ちょっとこっち来てみろよ」
嫌な予感がする。しかし、痛みを伴ったり汚い物を見せたりする時は杉田さんと決まっている。今にもスキップしそうな調子の店長についていくと、洗面所の中で桑田さんが苦笑い浮かべていた。
「あー君も見てみる?ある意味死体の方が良かったよ」
桑田さんがトイレの奥を指差した。確実に気分を害する物があるので覚悟して底を覗いてみると、そこには、
「これ……注射器ですか?」
大量の注射器がトイレの底で山を作っていた。桑田さんの右手に握られているビニール袋の中にも既に何本かの注射器が回収さていたので、元はもっと詰まっていたのだろう。
「糖尿病患者の仕業って訳じゃなさそうだよな、みっちゃん?」
「だろうね。店長、店でこんなに打っちゃ駄目だよ」
「馬鹿馬鹿、俺は店じゃやらないよ。第一こんなでかい注射器キメたら仕事どころじゃなくなるよ、ハハハハハ」
前科持ちの二人が話しているので全く笑えない。
「店長じゃないとなると、この子?それともまさかの杉田君?」
「あーこいつは薬やらないし、杉田は薬やらなくてもラリってるから。たぶんまいちゃんの仕業だろうなー。ちゃんと叱っておかないと」
まいちゃんが明らかに様子がおかしいのは周知の事実だが、まさか店でもやっていたとは。
それに、使用済みの注射をトイレに流すとはさすがシャブ中だ。彼女は接客と接客の間に必ず十分程シャワーを浴びて、ベタベタに濡れたまま次の接客をする。どうやら臭いが気になるらしいのだ。恐るべきは営業中だけでなく帰宅する時も濡れたままという点。服が透けているので性欲旺盛の杉田さんがやたらとじろじろ見ているので毎度気持ち悪い。
「じゃあちょっとまいちゃん叱ってくるわー。今日は承知しないぞ。あのシャブ中ー」
「シャブ中がシャブ中を叱るのか」
僕の胸中を代弁してくれた桑田さんの言葉は店長の耳には届いていないようだ。
僕は溜息がてら桑田さんにお礼をし、店の外まで送りに行った。
「ありがとうな!お前は薬やんなよ!」
車の中からそう声をかけてくれた桑田さんの運転席から、噎せ返るほどの大麻の匂いがした。
そのままコンビニに寄りミネラルウォーターを買ってから店に帰ると、杉田さんが脂汗をかきながら右往左往していた。
「何かあったんですか?」
「い、いや。あのさ。店長が注射器の事を注意したらまいちゃん失神しちゃったんだ。救急車呼んでいいのかな……」
何故こうもトラブルが立て続けに起きるのか。まいちゃんの部屋に駆け寄ると店長はクスクスと笑いながらまいちゃんを揺さぶっていた。
「おぉー来たか。こいつパニくって倒れちゃってよー」
相変わらずの店長だ。下着姿のまま倒れているまいちゃんが面白くてしょうがないのだろう。
「僕が救急車呼びますから、杉田さんにまいちゃんを見ていてもらって、店長は注射器や薬を隠してください」
我ながらファインプレーだ。まいちゃんに付き添うのは正直面倒くさい。ここは使いやすい杉田さんをまいちゃんにあてがい、三人の中で一番冷静であろう僕は救急車を呼ぶ事にした。
救急車を待っている間も、まいちゃんの所持品である注射器をトイレに流そうとしている店長を止めたり、何故かパニックを起こしている杉田さんを落ち着かせたり……面倒事の雨霰だった。
数分後救急車が到着し、僕一人が状況を説明する。その間も店長はお祭り事を楽しんでいる悪餓鬼の様に笑みを浮かべたままだった。下着姿のまいちゃんを抱きかかえていた杉田さんもやっと気を正したようで、救急隊員にまいちゃんを預けた。
赤橙がぐるぐると回る救急車の前で僕等三人は一礼し、救急車を見送った。
「なんでこうも痛い奴ばっかりなんだろうな」
店長は頭をぼりぼり掻き毟りながら、救急車に向かって苦虫を噛みしめるような表情のままそう言った。杉田さんもうんうんと頷きながら、
「本当に、困ったもんですよ」
と、偉そうに口にした。
「…………仰る通りです」
僕も同調したが、僕の視線は救急車の方になかった。
僕の視線は隆起する、杉田さんの股間一点。きっと下着姿のまいちゃんを抱きかかえていたせいだろう。
「お前ら二人が一番痛いよ」
喉に出かかったその言葉を口にする事はなかった。何故なら僕は八方美人だから。
トラブルを避けるためなら、自分の意見も口にする事は絶対にない。それが僕なのだ。
……もしかしたら僕もかなり痛い人間なのかもしれない。
僕はこの日の帰り、求人情報誌を買った。
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