第二章

第二章

杉三の家。その前でタクシーは止まる。

川田「ここですか。」

運転手「はい。」

川田「はあ、ほんとだ。確かに影山と書いてある、、、。」

声「何が書いてあるって?」

川田「あ、いや、その、、、。」

声「今、カレー作ってるの。」

川田「杉三さん、ですか?」

声「杉ちゃんでいいよ。入ってきてくれる?」

川田「え、いいんですか、勝手に入って、、、。」

声「いいんだよ、敬語なんかも使わないでさ、気軽にしゃべろうや。」

川田「はい、では、上がらせていただきます。」

と、玄関の戸を開ける。

美千恵「ああ、どうぞ、入って頂戴。今ね、杉三が、カレーを作ってるの。もう、二時間くらい煮てるけど。」

川田「先ほどの方が杉三さん?」

美千恵「そうよ。あたしは、母親の影山美千恵。」

川田「そうですか。僕は、川田淳です。よろしくお願いします。」

美千恵「こちらこそ。さ、早く入りなさいよ。カレーがそろそろできるわよ。」

川田「は、はい、、、。お邪魔します。」

と、段差のない玄関から中へ入る。

美千恵「どうぞ。杉三、来たわよ。カレー盛り付けなさいよ。」

杉三「ああ、来た?こんにちは。僕が、影山杉三です。杉ちゃんと呼んでね。よろしくお願いします。」

と、箸をおいて、軽く一礼する。

川田「川田淳です。」

杉三「とりあえず、そこに座りなよ。さ、はやく。」

川田「ここ、ですか?」

杉三「そう。」

川田が席に着くと、目の前にカレーののった、お皿がのる。

杉三「はいどうぞ。」

川田「す、すごい、どこかのレストランで食事してるみたいなカレーですね!」

杉三「そんなことないよ。僕がやってることなんて、みんな、馬鹿の一つ覚え。いちいち、

批評なんかしなくていいの。さ、なんぼでも食べな。ほら、さじ。」

と、匙を直接手渡す。

川田「い、いただきます。」

と、カレーを口に運ぶ。

川田「え、これはその、、、。」

杉三「どうしたの?」

川田「どういった作り方なんですか、ルーとかすごく高級なんでしょ?どうやって、、、?」

杉三「ああ、まずかったかな?」

川田「いや、その逆です。ルーは何を使っているんですか?」

杉三「わからない。」

川田「バーモンドとか、ジャワとか、いろいろあるでしょう?」

杉三「わからないんだよ。僕、文字の読み書きできないんだ。だから、カレーの作り方、具材も、みんな適当なの。」

川田「だって、料理の本とか見て作るんでしょ?」

杉三「まあ、そうだけど、手順さえ覚えれば馬鹿でもできる。これほんと。最悪の場合は真似すればいい。考える必要なんてさらさらない。」

川田「そうですかねえ。」

美千恵が時計を見る。

美千恵「私、これから用事があって、出かけるから、川田さん、杉三のことお願いね。」

川田「お願いって、何をするのですか?」

美千恵「できないこといっぱいあるから。まあ、蘭さんもいるけど、蘭さんでは限界があるし。」

川田「は、はい、、、。わかりました。」

美千恵は、身支度をして出ていった。

川田「今日何があるんですか?お母様?」

杉三「なんだかね、職場の同僚のご主人が亡くなったんだって。」

川田「亡くなった?」

杉三「そう。なんかね、道路を歩いていたら、車にはねられちゃったみたい。なんか、同年代だからかな、気にしてたよ。これからの幸せ、ほら、子供とか孫とか、見る前に死んでったなんてかわいそうだって。まだ若い人なんだ。でも、そうやって、思ってくれる人が多い人は幸せさあ。」

川田「そ、そ、そうですか、、、。」

杉三「どうしたのどもって。」

川田「すみません、何でもないです。」

杉三「いや、そうじゃないでしょ?何か理由があるからでしょ?」

川田「いや、何でもないですよ。」

杉三「なんでもないっていうのは、つらい証拠なの。何か考えているときだっていう証拠なの。だから、教えて。」

川田「でも、お伝えして何になるんです?同情はいりませんよ。過去にはそれでだまされたりしたこともありましたから。」

杉三「うーん、僕は馬鹿だから、単に、木の人形とか、案山子と一緒だと思ってよ。どっちにしろ記録する力もないし、それを悪用しようとは思わないよ。ていうか、できないよ。変われということだってできない、間違いだということもできない。でも、知りたくなるんだよね。」

川田「それって辻褄あってないと思いますけどね。」

杉三「それもわからない。ただ、聞いてみたいだけなの。でも、古いものを出さなければ新しいものは入らないみたいだけどね。」

川田「すごいこといいますね。」

杉三「からっぽこそ、役に立つのも確からしいし。」

川田「なるほど、、、。」

杉三「この理論には賛成できるんだ。そうすれば、新しいものも埋め込められる。」

川田「じゃあ、言ってしまいましょうかね。」

杉三「いいよ、なんぼでも言って。僕はどうせ、記録ができないんだから。」

川田「はい、、、。僕は、生まれた時から、なのか分からないですけど、なぜか他人に必要とされてないような気がするんですよ。」

杉三「へえ、なんで?」

川田「この前やった不祥事だってそうでしょう。ああ、知らないか。青柳教授が、報道陣に囲まれて何とか追っ払ってやりたかったんです。何しろ、マスコミと言いますのは、変なところばっかり見ますからね。ほら、先日、沼津で大量殺人があったでしょ、あそこは、非行少年とかが更生にいくところですよね。まあ、製鉄所も似たようなことをする施設ですから、僕は、それにとてもありがたいと思っているのです。でも、ああしてマスコミがおしよせてきて、怒りを抑えきれなかったですね。まあ、怒りというのは、いけない感情ですから、すぐに消さなきゃダメなんでしょうが、どうしても涌いてしまうんですよね。何とか、消す方法はないのかなあ。」

杉三「そうかな、いけない感情なんてないと思うけどね。」

川田「いや、あるのですよ。見苦しいとか、情けないとか、本当によく言われるんです。それではいけないですよ。だから、それができないと、周りに迷惑をかける。それで、僕は今回製鉄に加われなくなってしまったのです。こんなことをしたら、僕は、製鉄所をめちゃくちゃにしたことになりますよね。ああ、なんであの時カメラマンに跳びこもうとしたのか、

今ではあんな馬鹿な事しなければよかった。それのせいで、必要のない人間になってしまう。

それでも怒りを消すことがどうしてもできない。」

杉三「それだけ、優しいってことだと思うけどね。僕も馬鹿だから、そう解釈しちゃうかな。確かに、周りに迷惑かけるけどさ、それだけ思いができるってことがすごいんだと思うよ。

それだけ、青柳教授や、たたら製鉄に思いがあったということじゃないの?」

川田「そうなんですかね。僕は、怒りを持ってしまったのが悪いのであって、それではいけないと思うのですか。」

杉三「消すんじゃなくて、それで生きれば?それだけ思えるって考えれば?きっと、それをしてくれると喜ぶ人はいるよ。」

川田「杉三さん、それはどういうことですか?」

杉三「たぶん離婚する確率は低い。」

川田「えっ、感情を抑えられないのに?」

杉三「そうじゃないよ。お嫁さんは、自分のためを思ってくれてるのがわかってくれると思うよ。だって、怒りがあるのは、自分の思いが通じないためでしょ?汚いがあるから美しいがあるのと一緒に考えれば、悪いことじゃないと思うけど?」

川田「具体的に言ってくださいよ。僕は怒りを消すにはどうしたらいいかを聞いているんです。」

杉三「だからさっきと一緒。思いが通じたら、いいよね。」

川田「それに越したことはないです。」

杉三「だったら、やってみればいいじゃないか。」

川田「そうですか?」

杉三「この世界、まだまだ捨てたもんじゃないよ。」

川田「そうですか、、、。」

杉三「そうそう。まあ、みんな馬鹿の一つ覚えだからさ。あんまりあてにならないのも確かではあるけれど、、、。でも、感情を抑えるのが難しい人は、美しい感情も両方持ってる幸せ者ということもできるよ。」

川田「でも、それで人に迷惑をかけたら。」

杉三「それだからいけないの。人に伝えればいいの。それだけ強い思いがあれば、人だって変えることもできるんじゃないのかなあ。僕は馬鹿だからそう思うけどね。」

川田「だから具体的にどうしたら、」

杉三「それは気にしなくていいんじゃない?それよりそれくらい強い思いを伝えるほうに心を配れよ。消そうではなく、伝えるの。それだけ、強い思いがあれば、もう一度いうけど、

人を変えられるよ!」

川田「そうですか。じゃあ、思いを伝えるほうに重点をもっていこうかな。」

杉三「よかった!じゃあ、買い物に行こう!」

川田「終わってないですよ。なんか、話して意味がなかったような。」

杉三「まあ、そのうちわかる。」

川田「そのうちですか。」

杉三「そう、そのうち、それでいいの。わかんないこと考えると、いつまでも進めないよ。そういう時はそのうちわかるかにしておけばいいの。今すぐ答えなんか出さなくていいの。

そうしておけば楽になれるよ。じゃあ、行こう。」

川田「わ、わかりました。どこへ買い物に行けばいいんですか?」

杉三「ショッピングモール。蘭も一緒に。」

川田「どこに住んでいるのですか、その方は。」

杉三「うん、隣だよ。僕、歩けないから、手伝ってよ。」

川田「杉三さんは結構、強引ですね。なんか自分のことしか考えていないかんじ。」

杉三「杉ちゃんでいいよ。」

川田「肯定するんですか?」

杉三「うん。事実そうだから。」

川田「わかりましたよ。」

杉三「じゃあ、僕を蘭のうちまで連れてってよ。」

川田「こうですか?」

と、車いすを押して、外へ出る。

杉三「こっち。」

と、すぐ隣のある家まで移動して、インターフォンを五回押す。

杉三「おーい、蘭、買い物行こう。今日はお客さんが来たよ。」

ドアが開いて、

蘭「お客さん、ああ、青柳教授から聞いた。どの人?」

と、やはり段差のない土間から外へ出る。

蘭「はじめまして。伊能蘭です。」

と言って、右手を差し出す。

川田「川田淳です。」

蘭「怖がる必要はないですよ。まあ、確かに刺青師というものは、職人気質の人が多いから、怖い人に見えてしまうんでしょうけど。」

川田「そ、そうですか。じゃあ、やっぱり、相手にするのは、、、。」

蘭「いわゆるやーさんとかは、相手にしたことありません。僕は、そういう人がきらいなので。世間では、杉ちゃんの世話係みたいになってますもの。刺青師として、活動するのは、なかなかないですよ。」

川田「いつも二人で買い物に行くんですか?」

蘭「ええ。いつもそうです。」

川田「大変だなあ、歩けない同士で。」

杉三「そんなことないよ、友達だもの。」

蘭「まあ、行ってみればわかります。行きましょうか。」

二人、ショッピングモールに向けて移動し始める。

川田「ま、まってください、」

と急いで二人を追いかける。

三人、公園を通り抜けて、ショッピングモールにつく。中に入ると、野菜の大売り出しが行われている。

杉三「今日、何しようかな。」

と、しばらく考えて、

杉三「よし、決めた。」

蘭「今日は何にするつもり?」

杉三「八宝菜。」

川田「じゃあ、八宝菜のもとをとってきます。」

杉三「いやだよ化学調味料なんか。それより、ちゃんとガラスープを買って作らなきゃ。」

川田「え、それで間に合うんじゃないんですか?」

杉三「いや、ガラスープを使ったほうがよほどうまくできる。それに、持ちとり粉で固めて。」

川田「餅とり粉!」

杉三「そうだよ。当り前じゃないか。」

川田「そんなのあるんですか?」

杉三はそれを無視して、粉の売り場へ行く。

杉三「餅とり粉をとって。」

粉売り場には、確かに粉が置かれている。

川田「薄力粉、うどん粉、ライムギ粉、、、へえ、どれなんだ?」

杉三「わからない。僕、読めない。」

川田「あった!餅とり粉!」

と、一番小さな袋をとる。

川田「片栗粉じゃないですか。」

蘭「杉ちゃんは、何でも古い呼び名で呼ぶ癖があるんですよ。そのほうが呼びやすくていいんだって。」

川田「そ、そうですか、、、。」

杉三「よし、次はガラスープを買うよ。ガラスープの素を買わなくちゃ。」

蘭「えーと、」

と、店の中を見渡す。

川田「あ、あそこです。」

と、カップスープの売り場を指さす。

杉三「違うよ。それは、化学調味料のスープでしょ。そうじゃなくて、ガラスープの素だよ。」

川田「お湯を注いで、作るのがスープの素じゃないんですか?」

杉三「違うよ!そんなの作ったことになんかならないよ。ねえ、どこにあるの?」

川田「探してきます、、、。」

と、売り場を歩き回って、ガラスープの素を探すが、どこにも見つからない。

川田「店員さんに聞いてみようか。」

と、近くの店員に、声をかける。

川田「すみません、ガラスープの素はどこでしょうか?」

店員「ああ、こちらです。」

と、店員は全員を案内する。ところがそこには中華だしのもとと書いてある瓶しか置かれていない。

杉三「そうそう。これこれ。」

と、それを一つとって、かごに入れる。

川田「それ、ガラスープの素とは書いてありませんけど?」

杉三「でも、この色はまさに同じ。」

川田「そうですか。」

杉三「次は、肉売り場。」

全員、精肉売り場に移動する。

川田「これですか?」

と、肉を一パックとる。

杉三「違うよ。今回使うのはバラだから。」

川田「バラって何ですか?」

杉三「バラはこれ。」

と、別の肉を人パックとる。

川田「はあ、それがバラですか。」

杉三「最後に野菜を買おう。」

川田「わかりました!」

杉三「野菜は、白菜と、青梗菜と、ホウレンソウ。ニンジンと、パプリカ。」

川田「どれも葉物野菜は同じに見えるなあ。」

杉三「まあ、ホウレンソウと青梗菜の違いは分かるでしょ。」

川田「いや、どれがそうなのかわからないのですよ。」

杉三「これが青梗菜で、こっちがホウレンソウ。」

と野菜を手に取って、かごに入れてしまう。さらに、ニンジンとパプリカ、アボガド、白菜などを詰め込んで、かごはいっぱいになってしまった。

川田「こんなに大量に買って、冷蔵庫に入るのかなあ。」

蘭「杉ちゃん、足りるから、これで払ってきて。」

と、一万円札を手渡す。気が付くと蘭はスマートフォンの電卓機能で、今までの金額を計算していた。

川田「すごい材料ですね。」

杉三「うん、一日三十品目食べれるようにね。」

川田「そんなことまで、、、。」

杉三「まあ、そうしないと、体がもたないってことさ。」

と、レジまで移動してしまう。レジで、レジ係にお金を支払い、お釣りをもらって、手際よく袋詰めする。

杉三「はい、これ持って。」

と、川田に持たせる。

川田「重たい。これどうやって持って帰るんですか?」

杉三「いつもは膝にのせて持って帰ってきた。そうするしかないから。」

川田「は、はあ、、、。」

杉三「じゃあ、レジ係さんまた来ます。今日は本当にどうもありがとう。」

と、最敬礼する。

レジ係「はい、また来てね。」

杉三「こちらこそ。」

と、出口のほうへ向かっていく。

川田「店員さんにあんなに丁寧にあいさつまでするのですか。」

蘭「そう、杉ちゃんはいつも同じ。」

川田「なんであんなに丁寧に?」

蘭「実は理由があるのです。杉ちゃん、ご存知の通り、読み書きできないから、本来はあそこの店長さんもあまり好意的じゃなかったらしいんですよ。それをお母様が頼み込んで、買い物させてもらっているそうなんですね。だから、あんな風に丁寧なんです。」

川田「そうなんですか、、、。苦労しているんですね。正直言うとへらへらしているように見えるけれど、、、。」

蘭「いやいや、杉ちゃんは、それなりに理由があるのです。自分のことを馬鹿だからと呼称しなければ、おそらくここに住ませてもらえないでしょう。」

川田「なるほど、、、。そうだよなあ、これだけ重大な障害を持っているのならそうですよね。あの、この後もどこかよるんですか?」

蘭「さあ、どうだろ。」

杉三「まっすぐ家に帰るよ。」

川田「どこか寄ったりとかしないの?」

杉三「はあ、そうすると、食べ物がだめになっちゃう。」

川田「徹底してますね。」

杉三「僕はいつもこんな感じだよ。だからこれからも手伝ってね。」

と、どんどん道路を移動し始めてしまう。

川田「ちょっと、どんどん行かないでくださいよ!」

と、追いかけるが、食料が重く、早歩きはできなかった。公園も、杉三はどんどん突っ切ってしまい、振り向くこともしない。

川田「いつもこんな風に買い物をするのですか?」

蘭「買い物したあとは、いつもこうです。一心不乱になるのが杉ちゃんなの。」

川田「そうですか。何を考えているんですか?」

蘭「ご飯の作り方。」

川田「だって、まだご飯には時間があるのに。」

蘭「まあ、そうなんだけどね、衣食住には燃えるんですよ。杉ちゃんは。それしかできることがないから、できることを一生懸命やるんだって。」

川田「そんな基本的なことに燃えたって意味ないんじゃないですか?食べるのなんて、今はできあいがたくさん売られてるから、それを使ったほうがいいんじゃないですかね。」

蘭「僕もそう思ったことがあったんだけどね、それが通じないのが杉ちゃんなんですよ。着るものと、食べるものと、住むところには、お金を惜しみなく使う人ですから。」

川田「でも、着物ってお高いよね。」

蘭「杉ちゃんにとっては、歩けない分、脱ぎ着が楽で着物のほうがいいんですって。着付けも自己流でかってに覚えてしまったらしい。」

川田「でも、着付けって覚えられるものなんですか?教室行かないと、、、。」

蘭「教室は一度も行ったことないんです、だって着るものを習うなんてばからしい、そう杉ちゃんは言ってますよ。たぶん読み書きできないから、そうすることによってお返しをしているのではないでしょうか。」

川田「へえ、、、。」


杉三の家。空き部屋。

川田「何もすることないし退屈だなあ、、、。」

声「あ、洗濯物取り込まなくちゃ。」

と、杉三は庭に出て洗濯物を取り込む。車いすであるので、物干しざおは、半分の長さに切っている。

杉三「はあ、全部取り込んだ。今日もよくかわいだぞ。よかったなあ。」

と、洗濯物をテーブルの上に置いて、たたみ始める。

川田「手伝いましょうか?」

杉三「ぜひやって頂戴。」

川田もテーブルに座る。いきなり美千恵の下着が見えたので度肝をつく。

杉三「何をびっくりしているの?」

川田「これ、女性の?」

杉三「母ちゃんのだけどね。どんどんたたんで。」

杉三のたたみ方は非常に遅いが、大変丁寧にたたんでいた。

川田「洗濯物ごときでそんな丁寧にたたむんですか?」

それでも丁寧にたたんでいる。しかし、川田は、美千恵の下着には手が出ない。

杉三「何やってるの?母ちゃんのなんだから、気にしないでたたんでよ。」

川田「いや、女性ものに手を触れるのはいけないのではないかと思いまして、、、。」

杉三「じゃあ、誰がやるの?セクハラとかそんなこと言ってたら、うちは、着るものなくなるよ。」

川田「そうですけど、、、。」

杉三「じゃあなに?だって、たたむの僕らしかいないんだよ。」

川田「でも、これはちょっと、、、。」

無理もない。女性の下着など川田は初めても同然だからだ。

杉三「僕はセクハラではないと思うけどね。」

と、美千恵の下着をたたみ始めた。気まずくなった川田は、部屋に戻っていった。


空き部屋

布団にドスンと寝転がる川田。

川田「あーあ、どうしてこんなところに来たんだろう、、、。」

しばらく、うたたねしてしまう。

声「夕食ですよ!」

はっと目を覚ます川田。

川田「は、はい、今行きます!」

と、急い空き部屋を飛び出していく。


食堂。

テーブルには、具沢山の八宝菜が乗せられていて、

杉三「ハイどうぞ。」

と、川田に箸を手渡す。

川田、恐る恐る席に座る。

川田「い、いただきます、、、。」

と、八宝菜を口にする。

川田「う、うまい!」

美千恵「どうもありがとう。ほら、あんたが作ったんだから、ほめてもらったお礼ぐらいしなさい。」

杉三「いらないよ、お礼なんて。だって、当たり前のことをしているだけだよ。」

美千恵「あんたも素直じゃないわね。おいしいって言ってくれてるんだから、礼を言うのが礼儀ですよ。」

杉三「でも、いらない。」

川田「いや、でも、店の中で、あんな苦労してガラスープを買うと、こんなにおいしくなるものなんですか。」

杉三「そうさ、ガラスープととり粉でね。化学調味料尽くしの、八宝菜の素なんていらないんだ!」

美千恵「まあね。でも、買い物もしにくくなったわね。中身がわかればいいんだけど、変な名前の商品名で販売されていることもあるから。このガラスープだって、中華だしのもとしか書いてないでしょ。杉三が、ガラスープと中華だしの素で混乱して泣いたこともあるのよ。

すべて同じ商品名にすれば、こんなトラブルはなくなるんだけどね。まあ、かっこつけて販売する世の中だから、仕方ないのかな。」

川田「はあ、そうなんですか。」

美千恵「そうなのよ。どこかの外国では、農薬をミルクと間違えて赤ちゃんを殺した母親の話も聞いたことあるわ。彼女も、同じように読み書きができなくてね。ほんと、へんな名前の商品名をつけるのは、いい迷惑な人もいるんだってわかってもらいたいけど、無理でしょね。もしかしたら、杉三も、おんなじことする可能性もあるのよ。」

川田「な、なるほど、、、。そうですね、読み書きのできない方なら、そうやって商品名を理解するのは難しいでしょうね。そういうもの本当に多いですからね。でも、この八宝菜は本当においしい。」

美千恵「杉三は、読み書きっていう当り前のことができないとね、他のことができることが、すごくうれしくて、喜ばしい毎日になれるみたいよ。そして、手助けしてもらったら、もっと嬉しいみたい。」

川田「そ、そうですか、、、。」

何か、考えさせるものがあった。少し考えて川田は答えた。

川田「おいしいです。杉三さん。」

杉三「杉ちゃんでいいよ。」

美千恵「あんたも、照れてないで、ありがとう位言いなさいよ。まったく、この子はそういうところは非常にかけていて。ほめられてお礼なんてほとんど言わないのよ。」

川田「じゃあ、もっと言えば、お礼を言ってくれますかね。」

美千恵「まあ、川田さん少し変わったわね。」

川田「ええ、何か見えてきたような気がしたんです。まだ漠然としていて、あまりはっきりしませんが、僕の心の中で、何か動いたような。」

美千恵「まあ、それじゃあ、この食事が、カイロスみたいなものかしら?」

川田「これから、いろいろお手伝いさせてください。」

美千恵「いいわよ。どうせこの子は馬鹿だから、すぐに忘れるだろうけど、手伝ってやって。」

川田「はい!」


夜の縁側。

風呂から出てきた川田は、縁側でふと立ち止まる。夜空には星が輝いていた。まるでカイロスを迎えた青年を、お祝いしてくれているように、、、。








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