魔術と傘と雨の日と

蒼凍 柊一

魔術と傘と雨の日と

 雨の降る夜、僕はひとり、街路樹の下で佇んでいた。

 そのとき、「きゃー!」という女性の悲鳴が響いた。


 それを聞くなり、僕の身体はすでに全力で走り始めていた。


 待っていたら向こうから現れたのだ。

 これを逃す手はない。


 僕は声のした方へと路地の間をすり抜けるように走っていく。


 勢い余って塀に肩をぶつけたりしたけれど、そんなのはお構いなしだ。


 そうして、悲鳴が聞こえてから一分程度。


 僕はやっと――ソイツと邂逅した。

 手には現代には不釣り合いな、怪しく光る日本刀。

 背丈は三メートルは在ろうかと言う巨体。


 その傍らには、僕の恋人であり、今回の作戦の囮役を買って出た女性が居た。


「サクラ、逃げるんだ――!」


―――――


「なぁ、天宮、ユーレイって存在すると思うか?」

「なんですか藪から棒に。見た事無いからわかりませんよ」

「つまらんことを言うなぁ……実につまらん」


 場所は、大正と明治を彷彿とさせる、和洋折衷の装飾が施された喫茶店。

 いや、元喫茶店と言うべきだ。


 なぜなら、今ここにはマスターと呼ぶべき人は居らず、居るのは現代の魔術師、オルレア・ミルフィアーナ師と、僕の恋人の天宮サクラ、そして――


「つまらないって……ユーレイなんている訳ないでしょ? ね、ゆーき?」


 僕、槙野結城しかいない。

 それにしても、さくらはいつも困ると僕に話を振って来るんだ。


「ユーレイなんてそんな非科学的なもの、僕は信じちゃいない。けど、頭からいないと決めつけるのはいけないと思う。レア師匠はどう思います?」

「私も見た事は無いが、生きた屍ならば見たことがあるぞ?」


 生きた屍って……それゾンビじゃないか。それはユーレイの内に入らないのだろうか?

 そう師匠に問うと、ピンク色の髪をした彼女は、腰まであるその髪をくるくるといじくりまわしながら、肘掛のある椅子に座って偉そうにふんぞり返った。


「しらん。死霊の類だろうが、霊魂の類だろうが、対処方法は大して変わらんのだから」

「えっ、ユーレイって居るんですか!?」

「――見た事は無いが、同業者から最近噂を聞いてな」

「それって、ユーレイは居るってもう答えは出てるじゃないですか。師匠」

「分かってないなぁ、槙野は。いいか? 私や天宮のような魔術師が見るユーレイというものは、本質的に悪なんだ。そして、君のような一般人、凡人と呼ばれる平々凡々の農民が見るようなユーレイというのは、大抵無害な事が多いんだ。なぜだかわかるか?」


 肘掛のある椅子で煙草を燻らせながら、レア師匠は僕たちに問いかけた。

 いつもの悪い癖だ。

 ここには未成年が居るというのに。まったく。


「何気に僕のことを凡人とか言わないでくださいよ。傷つくじゃないですか。あとここは禁煙です」

「知らん。魔術的才能のない凡人の癖に」

「ひどいなぁ……僕だって少しは役に立ちますって」

「天宮はどう思う?」


 僕の事はガン無視なのはいつもの事だ。お返しにとばかりに、僕はトランプのカードを投げて、レア師匠の咥えていた煙草を一刀両断した。

 あちち、と言って急いで火を消す師匠。

 睨まれるが、これくらいで動じるようなら、ここで働いてなんていけない。


 話を振られ少し考えた後、サクラは言葉を発した。


「私たち魔術師が悪霊を見れるのは、その人の前世が魔術師だったから?」

「うむ。その通りだ。悪霊になるものは魔術師の素質を持った者と相場が決まっているんだ。そして、無害なユーレイはもともと善人だったケースが非常に多い。だから、我々魔術師の業界は悪霊が出ると、一般人への魔術知識の漏えいを防ぐため、即座に討滅しなければならない……」


 来たか。

 やっぱり仕事の話につながっちゃったよ。

 今月の給料ももらってないのに、仕事なんてやっていられるわけがない。


「仕事なら引き受けませんよ。僕は。この前だって天宮が危なく棍棒持った化け物に殺されそうになったじゃないですか」

「……そうか。今回の依頼が終わったら久しぶりにボーナスでも出してやろうかと思ったんだがなぁ……残念だなぁ」

「師匠、ズルいですよ。そのボーナス、もともと僕らに入る予定のお金でしょう? サクラも何か言ってやってよ」


 僕はコーヒーを淹れてくれていたサクラに同意を求めた。


「んー、正直あれは怖かったけど、今回も結城が守ってくれるんでしょ? なら、仕事を引き受けて、倍のお金を師匠から貰えばいいじゃない?」

「は、はは、天宮もなかなか思い切ったことを――」

「どうせ私たちじゃなきゃ解決できない案件なんでしょう? 雨の日だと役立たずの師匠の事だから、雨の日にしか出ない怪物ってところかしらね?」


 うっ、とレア師匠は目を白黒させていた。

 流石サクラ。洞察力がすごいなぁ。


「……わかったよ。今回の仕事が終わったら通常報酬の十万の他に、新しい魔術を一つ教えてやる。それでどうだ?」

「おっけー♡ 流石師匠。話がわかるわねぇ」

「それって、僕も行くの?」

「当たり前じゃない。ユーキがいないと私さびしいわ」


 見つめ合う僕とサクラ。

 同棲しているとはいえ、こう改めて見つめ合うと少し恥ずかしい。

 それは彼女も同じ様で、すこし頬を朱に染めていた。


「こほん。そういうのは独身の居ないところでやってくれ。

 それじゃあ作戦を説明する――」


 そうして、件の街路樹のある通り付近の幽霊を討滅する為、僕とサクラは師匠から囮作戦を伝授されたのだ。


 作戦の内容はこうだ。


 サクラが囮になって街路樹のある通りを闊歩する。

 すると、ユーレイが現れる。

 それを僕が倒す。


「って、僕、ユーレイなんて倒せませんよっ!?」

「まぁ、行けばわかる。はい、今すぐ言ってこないと報酬は無しにするぞー、いいかー、三つ数えるうちにいけよー、いーち」

「ほら、行くよユーキ!!」

「あ、ちょ、ちょっと待ってよサクラぁ! 傘、傘忘れてるよっ!」


―――――


 そして、冒頭に戻る訳だ。


 手には現代には不釣り合いな、怪しく光る日本刀。

 背丈は三メートルは在ろうかと言う巨体。


「サクラ、逃げるんだ――!」


 巨体から放たれる圧は、とてもじゃないがサクラみたいな女の子が耐えられるような代物じゃない。

 上段に刀を構えた怪物は、一気に刀を振り下ろした。


 とっさに僕はサクラの目の前に躍り出る。

 痛烈な皮膚が切り裂かれる音と共に、迸る鮮血。


「……!」


 だが僕は知っている。

 こいつみたいな怪物は、思念だけの存在。切られていても、痛みを感じて血が出る幻覚を見るだけで、傷なんてついていないってこと。

 相手が魔術師だったら、本当に傷をつけられていたかもしれないけれど、生憎僕は一般人だ。


 そして一般人には――正確には僕だけなんだけど――化け物を無力化する力がある。


 僕を斬ったであろう怪物は、すでに体が半透明へと変化していた。


「今だよっ! サクラ!!」

「――いきます!」


 凛とした声と共に飛び出したのは、刻印がされた短剣を携えた僕の恋人。


 サクラはいとも簡単に化け物の心臓部分に短剣を突き刺し、見事化け物を消滅させた。


 元の静寂を取り戻した路地には、雨が降り続いていた。


 ――今日も無事で良かった。


 僕は、小さな笑みを浮かべながら、傘を差し出した。

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魔術と傘と雨の日と 蒼凍 柊一 @Aoiumi

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