プロローグ【後】
雨が降る前に山から下りてきたエルシークは血で汚れたナイフを洗い,肉を仕分けていた。
「内臓は塩漬けで保存....。 これは今日の夕食の分、脚とブロック1つずつをリサ家に分けるとして.....後は干し肉とアレだな」
そう言うと納屋に行きガサゴソと中を漁る。
「おっ,あったあった..。やっぱりコイツは必須だよな」
そこにあったのは、杉の板で作られた大きめの箱。中は空洞になっており、2つの粗い目の竹網によって仕切られていた。
そう,これこそがエルシークの秘密兵器であるお手製の“燻製器”だ。
干し肉に比べれば燻製は保存期間は2週間弱と劣ってしまうが、味は比べものにならないほど向上する。
固い干し肉には飽きていた。どうせ村の外に出ることなどない。ならば、保存期間を短くしてでも美味しくできないか、と考えた結果が“
夏場は空気中の水分量が多いために食べたくても、作れなかった。作ろうと思えば作れるのだが、日持ちしない。長持ちしない燻製を作るくらいならば生の状態から調理をした方がよかった。
そうなると、冬に作るのが一番なのだろうがなにしろ肝心の獣がいない。冬場は何日も費やして
そんな仕事の割に合わないことをするのはただのバカかもの好きだと決まっている。
結局1年間のうち、今の2~3ヵ月の間だけしか作らないのだ。
「よし、後は火を付けるだけか。」
ブロック肉から適当に切り落とした肉を網の上に並べていく。そして、箱の底に干し草を惹いて着火し、中を煙で満たす。燻し終ったら肉をなるべく空気に触れないように壷の中に詰めていく。
後はこの作業を繰り返していけばいい。
「もう、日が暮れるな..」
辺りが暗くなってきたため空を見上げると山の裏の方の雲が微かに朱く染まっていた。
そうなると、もうどの家も夕食の準備を始めているだろと思い、肉の入った袋と切り分けるためにナイフ1本を手に取り、リサの家へ向かう。
燻製は1回に数時間はかかるので少しの間離れていても問題無いだろう。
「~~♪」
鼻唄混じりに村まで歩く。その顔には疲れは見えない。
なんていったって今日は久々のご馳走だ。食い意地の張るエルシークの頭の中は夕食の献立で埋め尽くされていた。
朝に剣を突きつけてきた男の顔なんてものは既に忘れ、猪一色にかきかえられていた。
「..ん?」
近づく村の方を見て一度歩みを止めて首を傾げる。村の様子がいつもと違って見える。その違和感に、今日の自分はやはり疲れていたのだろうか。そう疑うが、違和感は消えない。もっと言うならば...そう何故か妙に“明るい”。
ここは山を開いてできた里山だ。都市ではないので街灯が存在するはずもない。それに、どこか霞んで見える。
と、すれば答えは導かれるわけで・・・・・
「まさか,火事か!?」
そうと分かれば居ても立ってもいられずに袋を手放して走り出した。
村が迫るにつれて周囲の温度が高くなる。エルシークの額からは汗が流れる。
そして、目の前の惨状を見て息を呑む。
エルシークの目に映ったのは村のあちらこちらから炎が上がっていた光景だった。
「嘘ッ....だろ..?」
唖然とするも1歩を踏み出して村の中へ立入る。
これだけの火が上がってるのに誰も消そうとする者はいない。それどころか先程から誰も見えない。
これだけの火事だから皆どこかに避難したのであろうか。
そう頭に過ぎるが直ぐに否定する。
そもそも火元は複数箇所ある。村の家は木造だが、もし火事になっても燃え移らないように一軒一軒離れて建てられている。それが、同じように燃えている。
そうなれば、事故ではないのは明らかだ。つまり、これは
だと、すると...一体誰が?何の目的で?村の連中か?自分の村を燃やす奴がどこにいる?
そうやって思考を巡らせていると、村にある唯一の診療所━━リサの家に辿り着いた。
「リサーーッ.おばさーーん.....無事かーッッ ...」
正面の入口から呼びかけるが、暫く経っても返事はこない。
皆と逃げたのだろうか...
そう思うも家に上がる。不幸中の幸いか、まだ家には火がまわってなかった。診療室の奥の台所、居間と入ってみるが2人は見つからない。
(やっぱり......いない...か..)
しかし、客間に入った時、目の前の現実にエルシークは自身の目を疑った。
「!!ッッ.......おば..さ...ん!?」
客間..そこにあったのは血の海の中心に倒れた、おばさんの変わり果てた姿だった。もう、あの仲の良さを見せてくれた人の姿はない。それはただ,顔を絶望で染め光を失った目をこちらに向ける壊れた人形も同然だった。
うっ ・・・・・・
吐き気を催しながらもどこか冷静だったエルシークは亡骸に這い寄る。
誰かに襲われ抵抗したのであろう、その顔や手には幾つもの痣があった。だが、それだけでは人を死に追いやれない。
もっと直接的な死因...それは背中から振り下ろされた剣による一筋の傷痕が物語っていた。
野盗にでも攻められたのか..
だが、何かがおかしい。野盗の類にしては家の中が
ここには売ればそれなりの金になりそうな薬や材料が置いてある。しかしどれも手をつけられずに店にあった。
ということは...金目目当てじゃない?
ならば目的は...おばさんの殺害そのもの!?
いや、この村には誰も居なかった...ならば他の人も・・・━━━ッッッ!!
エルシークの中で思いつく最悪な筋書きが組みたれられていく。
「これが、本当なら..まさか...クソッ...」
診療所を飛び出したエルシークは自らの仮定と照らし合わせるためまだ燃えていないほかの家々を廻る。
そして、そのどれもに剣によって切り捨てられた遺体があった。
正面から、背後から、首元を...と違いはあれど共通すること。
それは、
そして、リサも含めて村の中で比較的若い女性は1人もいなかった。
ならば、住民を殺し、若い女性のみ連れ去り、証拠を残さぬように火をつける、といったところか。
まず、確実に人を殺すことになれている。そんなことが出来るのは村人にはいない。
ならば、誰か?この村で剣の扱いに長け、人を殺し慣れている。そして女性を必要と者達.....つまり常にその身を危険に置き戦いを生業としている[兵士]だ。こんな田舎には娼館なんてものは存在しない。彼らのストレスは溜まる一方だろう。
そもそもよく考えれば分かることではないか。何のために村に兵士が駐在している?非常事態に備えてではないか。
なぜ火が上がっていたのに直ぐに消そうとしない?これ程の大火事になるまで動かなかったのか...答えは否。
奴らが犯人だからだ。
そうなれば全て辻褄が合う。
火元が複数あること、誰も火を消そうとしていなかったこと、村人を誰も見かけなかったこと、皆剣で殺されていたこと
そして、リサがいないこと。
この村で兵士がいる場所はただ一つ。
村へ来た場所と反対側にある詰所まで走る。
案の定、詰所は燃えていなかった。それどころか、先ほどから騒がしい声が聞こえる。
恐らくは
怒りに任せて詰所へ突撃する。こちらにあるのは腰のナイフ1本のみ。だが、奴らとて今は無防備な状態を
普段では勝負になどならない。だが、寝首を掻くことならできる。それに、これから行うのは勝負ではない、捨て身での
「 うぉおぉぉォォォッッッッッ 」
勢いよく走り扉を蹴破る。部屋の中は微かに明かりが灯されていた。 そこには
裸でまぐわう男女が10組、酒に呑まれて倒れている者が3人、仲間割れか脅しかは定かでは無いが既に事切れた男が2人。
肝心の女達はその身を汚され誰もが虚ろな目をしていた。1人の少年が飛び込んで来たことに誰も気付いていない。
中の男は宴のなか突然現れた侵入者━━エルシークを見て声をあげる。
「なっ...その目は...朝のクソ生意気な野郎じゃないか、大体お前は目障りだったんだよ。更に俺達の愉しみを邪魔してくれたんだ。どうなるかわかってるよな?あぁ?」
その男は今朝エルシークと揉めた隊長格の男だった。
「何故お前がここに...それよりも何故村を襲った?」
溢れ出そうとする殺気を何とか押し止め男に尋ねる。
「あぁ?そんなの決まってるだろ?ここには娯楽ってモンが無ェじゃねぇか。
あるのは偶に支給される安酒だけ、そんなんじゃやってらんねーわけだ。
だから、ここの奴らに、ちと知恵をさずけたのさ。
こんな場所で何も無い日々を送るのか、
それとも一夜限りの愉しみを味わうのか。
まぁ全員乗った訳じゃなかったがな...
だが、そこに転がってるのを見りゃ解るだろ?
つまり、そういうことさ。
殆どの男なんざ旨い酒か下半身で物事を決めんだよ」
酒が入ってるのかベラベラと喋る男。
エルシークは身勝手な理由を聞いた怒りをぶつける。
ナイフを静かに抜き取り、足元に寝ていた男達の首を斬り裂いていった。
うっ...
くっ.........
僅かな呻き声と血飛沫をあげて瞬く間に3人の男がその人生に幕を閉じる。
死んだ男達は辺りを酒の臭いから鉄の匂いに変えていく。
「やりやがったな…...おいテメェら宴は終いだ。興が冷めた。さっさと始末しな。」
その言葉で1人の男が剣を奥から取って回す。
全員に行き渡ったところで男達は今まで
自分の相手をしていた女達を刺した。
「リィィサァァァァァァァァッッッ」
目の前で
そして、蒼い右眼が光り始める。
「グァォォォ.....」
申し訳程度の理性も消し飛び、そこにいたのは一匹の「獣」だった。
「おいおい、お前の女でもいたのか?だがまぁこれも全部お前の自業自得ってもんよ、ここに来なければ女も死なずに......ッッ!!」
男から汗が噴き出る。見間違えてなければ自分達の目の前には大鎌を持った死神が10体出現した。
周りを見渡すが、どうも現実らしく仲間9人も死神を前に恐怖で震えていた。
ある者は果敢にも挑んでゆくが何度斬っても倒れない。
そして、またある者は尻もちをつき、粗相をしでかす。
だが、本当に恐ろしいのはその奥にいる存在。それは一瞬目を離した際には
そして、男が最期に見たのは自分を貫いた鈍だった。
「え・・・・・・?」
間抜けな声が響き、ドサリとその肉塊となった物が崩れ落ちる。
「ヒ、ヒィィィ!!!!」
「ば...化物だ...た.た..助け.て..くれ」
「俺は...まだ、死にたくねぇぇ......」
それが引き金となってトップを失った男達は我先に外へ飛び出し、散り散りに逃げて行った。
しかしその際に松明を倒していったようで
詰所は燃え始める。男達が零した酒がそれを助長し、かなりの速度で建物が火に包まれていく。
邪魔する者が消え、エルシークの右眼から光をが消える。それとともに理性も取り戻したようで、すぐさまリサの元に駆けつける。腹からはかなりの出血をしているもののまだ脈があることに取り敢えず安心しる。
しかし、危険な状態であるのは変わりない。
火も勢いを増している。
残念だが、ここから出るには自分の他にあと1人しか連れて行けない。
他の女性達には申し訳ないがここで諦めてもらう。そもそもまだ息があるのかさえ分からない。
エルシークは迷わずにリサを背負い、外へ駆け出す。
走ること数分、
火が届かない安全地帯まで来る大きな音がした。
振り返ると詰所が支柱を燃やされて失い、崩れさるところだった。
ポツ...ポツッ......
雨が降り出したようで顔に当たる。
「......ル......の...」
背中から声が聞こえる。
「リサッ!? 目覚めたのか!?」
「...エ..ル …………なの..?」
「あぁ、俺だ・・・もう..大丈夫だから...
ちゃんと助けてやるから...何も心配すんな...」
「..そ.......あり..が...と...」
そう言い、彼女はまた黙る。それが彼女の最期の言葉だった。
彼女の家に着いた時にはもう、手遅れだった。しかし、エルシークの背中で逝った彼女はどこか微笑んでいるようだった。
村の火はやがて雨が消し去るだろう....
しかし大切な人を失った心の悲しみまでは洗い流してくれない。
ウォオォァァァァアアアアアアアアアアアアアーッッッ
誰も居なくなった村に哀号が広がる。
その哀しみを聞くものはいない。
........ただ1人を除いて。
「やはり...本物でしたか.....これは伝えなければなりませんね」
そう呟いた細身の男は馬に乗り走り去っていった。
流離の幻術師〜 A wandering evorker〜 @TRy1999
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