挑戦状

「ありがとうございましたー」

 ソルファはケーキ屋でジーンと自分の分のケーキを買って店を出る。

 夕暮れ時、さっきまで晴れ間ものぞいていたが、空は雲に覆われている。雨にはならなそうな雲だったが、雲に覆われた街は暗く、風は妙に緩くて気持ちが悪いと思った。

 街を歩いていると、うつむいて背中が老人のように曲がりきった大柄な男が歩いてくる。

 浮浪者を見ることはこの街ではまず無い。ここにいるのは、学生と教師、それとそれを相手に商売をするものだけだ。学園都市の壁の中に入ることは出来ない。壁の中に入れる者は精査される。

 だから、ここには浮浪者はいない。いるとすれば浮浪者のような教師か生徒だ。

 男がぎろりとこちらを見た。髪に覆われていて、良く顔は見えない。

 こちらの顔を認めると、急に背筋を伸ばして起き上がった。

「久しぶりじゃないか~、ソルファ~」

 目をらんらんと光らせて躁的な笑みを浮かべていた。ジーンがたまに見せる獰猛な笑みに似ていた。

「えっと……」

 ソルファには久しぶりと言われたが誰だか分からなかった。

「おいおい級友を忘れたかよ。ミハエルだよ。ミハエル・ハース」

「ああ、しばらく見ないうちに大分変わったね」

 ミハエルは対抗戦が終わった後から丸々二週間、授業を休んでいた。

 確かに体調は悪そうだった。もともと恰幅が良かったが、今はずいぶんとやせこけている。背だけが高く痩せていて、手は枯れ木のようだった。髪は長いこと手入れされずに絡まっていて、無精ひげを生やしている。無意識に淀んだ魔力が垂れ流されていて、それが彼を覆っていた。

 もはや別人だった。

「ああ、変わったよ。変わった変わった。俺ってばちょー変わったよ。ほんと。いや、まじさ。ここ最近すんげーことが起こってさぁ。すげーの。ちょーすげーの。いや、何が凄いのかってことを説明しろって言われたらよくわからねーんだけどさ、すげーの、ちょーすげーのひゃひゃひゃひゃ」

 ……それに、ミハエルはこんな風な話し方をしなかった。

 ミハエルは何がおかしいのか、腹を抱えて笑い続けている。

「そ、それは良かったね……。それより学校来なよ。みんな待ってるよ?」

「あー行くよ、そのうちいくさ。すぐにいくさ。いくいくいくいくー」

 ケラケラ笑いながらミハエルはそう言う。

 ふと、ミハエルが笑うのをやめて、目の中を光らせてソルファをまじまじとのぞき込む。

「あーでも、少しなやることがあってなぁ。それやったら行くわ。行ってお前をぶち抜いてやるさ。あーいやな、その前にお前がぶち抜かれるんだがな」

「ふむ、まあそういう意欲があるなら僕はすごい楽しみだよ」

 ソルファはとりあえず、今でもミハエルには自分を追い越すつもりがあって今は研究に励んでいると解釈することにした。

 人に会わないで、誰とも口を聞かなければ少しは精神がおかしくなる。というのはソルファも体験したことはある。

 長いこと一人きりだと、誰かに何かをしゃべりたくなってひたすら饒舌になる。その類だろう、と何となく片付けた。

「今日はいろいろ準備があるんだわー。っていうか、ちょっと一段落したところでさ。いや、何簡単なもんだったよ」

 ミハエルはしゃべるだけしゃべると、きびすを返して手を振る。

「あー、それじゃーね」

「ああ、それじゃあ、また学校で……」

 そうしてミハエルを見送った。

 歩き出すときはまたさっきと同じように、老人みたいな猫背になって歩いていた。ぶつぶつと何かうわごとをつぶやいている。

 ソルファはミハエルに背を向けて歩き出す。

 けれども、数歩歩いて言いしれぬ不安に駆られて振り返るとそこにミハエルはいなかった。

 かき消えるように彼はいなくなっていた。最初からそこになどいなかったかのように。

 淀んだ魔力の残滓だけがそこに残って風に吹かれて消えた。

 追いかけても、探しても多分見つけられない。なぜなら、彼は『最初からそこにはいなかった』からだ。

 恐らくは幻影。魔術を用いた彼の分身。

 ソルファはそんなもの聞いたことも無ければ見たことも無かった。あるとすれば消滅した古い禁術の類。

 何か嫌な予感がする。相談する必要がある。

 そう考えてソルファは歩く足が次第に速くなっていった。やがて、走り出し、魔力付与をした全力疾走でジーンの部屋を目指した。

 ジーンの家まで走って、屋根と屋根を飛んでいって五分とかからずについた。

 ドアを開けると鍵はかかっておらず、中に入るとジーンは不在だった。とりあえず、手に持っていたケーキの箱をテーブルの上に置いて、部屋の中を歩き回ってみるが一向に落ち着けそうもなかった。

 とりあえず、何かを食べようと思う。買ってきたケーキの箱を開けて、手づかみで一つつかむと、おもむろに食べ始めた。

 うまい、しかし味の印象以上に不安が先立ち味わえない。と、思ったら、予想以上においしくて一口、二口と食べるうちに不安は減っていった。

 唐突に、扉が開け放たれてジーンが駆け足で入って来た。

「ソルファ来ているか? って、お前、何食ってんだよ!」

 スパーン! とジーンがソルファを叩いた。

「もぐっ、いや、うんごめんね。ちょっとどうしても落ち着けなくなってね。ちょっとジーンに相談したいことがあって急いで来たんだけど、いないもんだから食べてた」

 ソルファは慌ててケーキを飲み込む。

「あ、ジーンも食べる?」

「いらねぇよ。って頼んだの俺だから後で食べるけどさ……。そんな事よりミハエルの奴を見なかったか?」

「ああ、うん。帰りに会ったよ。それでなんかどうにもおかしいから急いで、ジーンに相談しようと思って来たんだけど……」

「なんでミハエルを追わなかった。何でだ!」

 ジーンがソルファの襟首をつかんで持ち上げた。

 怒鳴るように言う。

 ジーンの目は血走っていた。呼吸も荒くて、胸がさっきからずっと上下している。

「落ち着いてよジーン。多分僕が見たのは彼の幻だったと思う」

 ジーンの手の力が緩まる。

「幻? そんなもの聞いたことも無いが」

「遠くに自分の分身を出して、それに思い通りにしゃべらせるなんて芸当は僕の魔術研究の事例の中には一つも見たことは無い。あるとすれば遠い昔に封印された術式体系の一つだ」

「追いかけても無駄だったと? 近くに気配は?」

「無かった。術式がほどけたら似たような魔力は近くには全く感じられなかった」

 ジーンはソルファを地面に下ろすと、ジーンも椅子に落ちるように腰掛けた。胸のポケットから一枚の紙切れを出すと、ソルファの前に投げた。

「これは?」

「まあ、とりあえず読んでみろ。あと俺もケーキもらうわ」

 ソルファは紙を手に取る。ジーンはケーキに手を伸ばして、手づかみで食べ始めた。

 折りたたまれた紙を開くとそこに書いてある文章は簡素なものだった。


『マリア・ルルーを拉致した。返して欲しければジーン・エクトリックとソルファ・アージェ二名のみで西ブロック端の旧演習場まで来ること。期限は午前二時までとする。もし、教師を含む他者への応援の要請。期限を過ぎた場合。殺害する』


「さ、殺害って!」

 ソルファは立ち上がる。ジーンは疲れ切った様子でケーキを食べながら続ける。

「そうだ。それで、その手紙の送り主が、ミハエルだ」

「それは、ほ、本当に?」

「ああ……。多分な。さっきから色々かけずり回ってみたが、マリアは職員室を昨日の三時頃に出てからの足取りが掴めていない。無断欠勤を表に出さないために、一応学校側は病欠ってことにしたがな。ソルファ、あいつに念話出来るか?」

「やってみる」

 ソルファは無詠唱で、念話の術式を展開。マリアの個体術式に呼びかけてみるが、つながる気配が無かった。

「駄目だ」

「やはりな。昨日、今日、妙に欠席が多かったよな」

「確かに多かったね」

 担任教師が出席を取るときに、皆一様に風邪をひいたのか? と首をかしげていたのを良く覚えている。

「休んでいたのは出席簿見せてもらった限り、俺を遠巻きに見て疎んでいて、ミハエルの周りを囲ってた奴だ。他の学年を調べても何人か同時に休んでいる。それも調べればあいつの家と何かしらの関係がある奴だ」

「っていうと、今回はミハエルが首謀したってことなの?」

「まだだ」

 とジーンは首を振る。

「あとは、もう一つエーリカ・ライコネン。あいつとあいつの周り欠席者が出ている。あいつもここ数日は学校を休んでいたからな関係しているって見るのはそう間違って無いだろう。寮に問い合わせてみれば二人とも昨日は帰ってはいないそうだ。二人と休んだ奴らが恐らく昨日のうちに拉致して、昨日から今まで旧演習所にいるのだろうよ」

「なるほど。でも、マリアが生徒に負けるかな? 仮にも教師だろう?」

 学園の教師は生徒にまず魔術戦で負けることは無い。ジーンにしろ、ソルファにしろ、せいぜい引き分けるぐらいの事程度のものだと思っている。

「よく思い返してみろ。ミハエルはお前が言ったとおりなら変な術を手に入れた可能性がある。あと、それとだ。俺たちが戦ってるときに先生に取り押さえられた時のことを覚えているか?」

 それはジーンとソルファが、始めて戦ったときの夜。

 決着が付かなくて、教師陣衛に囲まれて一方的に叩かれた時のことだ。

「あの時、マリアは戦ったか?」

「いや、戦ってないけど……」

 マリアはあの時、指揮はしたが戦いはしなかった。

「だろう? あいつの専門はエーテルライドで、良く知っていれば分かるんだが、あいつは人前で戦ったことは無い。調べれば分かることだ」

「ああ、確かに」

 見たことは無かったのは確かだった。

「でも、たまにジーンを張り倒したりとか、してない? あれは違うの?」

「あんなのは遊びみたいなものだ。殺気の無い遊びだから、俺には読めないし、半分付き合ってやってるようなところもある。恐らくマリアはそんなに強くは無いはずだ。共通言語魔術と、弱い個人言語。エーテルライドしか使えない。エーテルライドは極めれば凄いモノにもなり得るが、超人じみた魔術師に対応は出来ないはずだ」

「なるほど……」

 ジーンの言うことが正しければ、確かに近い距離での戦闘は苦手そうだ。不意を突かれ、それなりの手練れ二人相手に拉致されるのを想像するのはそう難しく無かった。

 ソルファに疑問は特には無かった。あるとすれば動機ぐらい。

 ジーンに聞いてもその辺りは推察でしかないから聞いてもそんなに意味は無さそうだった。

「それで……どうするの?」

 聞きたかったのは、それを踏まえた上でどうするのかと言うことだった。

「明らかに何か仕掛けてる罠だけど……。お前は?」

「行く」

 断言した。

 明確な理由は無かった。マリアを自分はどう思っているかは知らない。けれども、恩義はある。少なくとも自分は友人の一人と思っているし、その人が消されるのを知って黙って見逃せるものでも無かった。

「ジーンは?」

 ジーンはため息をついて、しばらくソルファを見た後で答えた。

「行くよ……。数少ない恩人だしな。いろいろ反論したいけど、お前にそんなに迷いが無いなら断らせるための説得をする必要は無いな」

「そう……」

 ソルファは、そう言って全身の緊張を緩めた。

「けどまあ、あれだな。見事に敵の思惑通りになっちまったな……。何か手は無いか? って思うけど、殺すことを迷ってる文章じゃないし、行くしか無いんだよな……。あーやだなー、なんかもうこの日のために凄い備えてるんだろうなぁめんどくせぇなぁ」

「そうだね」

 ジーンの顔は浮かなかったが、ソルファの顔は落ち込むよりもむしろ微笑んでいた。

「お前、楽しんでる? ソルファ?」

「さあ……ね? もちろん。怒ってるし、今も背中から変な汗出てるけど……」

「なんだ?」

「ちょっと。ほんのちょっとだけね……楽しみでもあるんだよ」

 ジーンはソルファの顔を目を見開いてしばらく眺めると、立ち上がってやがて盛大に笑い出した。

「はははははははははは、お前。本当に最高だよ」

「な、何がだよぉ?」

「いやな。お前みたいな修羅場に快を求める馬鹿野郎が俺の仲間にいたってのが嬉しくってなぁ。よし、お前がいるなら百人力だ。たった二人でも何も怖くは無いさ。俺も楽しみだよソルファ」

 ジーンは、拳をソルファの胸に押し当てて笑みを作る。同じ顔でソルファも応じた。

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