鍛錬 ジーンの場合


 翌日は、ジーンがソルファの家を訪れることになった。

「つーかお前の家って何か、生活臭がしねぇな。図書館みたいな臭いがしやがる」

「いやぁ嬉しいなぁ」

「褒めてねぇ!」

 ソルファはいまいちジーンの言っていることが分からずに、温く微笑み続けた。

 ソルファの家はほとんど本しかなかった。本以外には最低限の生活物資があって、それ以外は本で埋まっている。これでも頑張って捨てたり、寄贈などして処分はしたが、廃棄するよりも手に入れる速度の方が圧倒的に速かった。そうして今はパンク寸前まで近づきつつあった。

「それじゃあ適当にはじめようか。始めるにあたって、何か質問ある?」

「俺はどうして魔術を使えない?」

「やっぱり気になるものだよね。そこは」

「いろんな教師がそれなりの回答を持っていたが、どれも努力が足りない。だの、生まれついて使えない人間は使える訳が無い。だの、そんな回答が多かったね。俺は使えないものは使えない派かな」

「そっかぁ」

 そう言うと、ソルファは黙った。

「お前はどう考える。こないだ俺に言って聞かせたことの続きが聞きたい」

 ソルファは何度も何度も頷くと、ジーンを真っ直ぐと見た。

「僕はね、魔術は人が夢を見る限り誰でも使えることが出来るって意見に同感なんだ。そういう意味で、努力が足りないっていうのは一つ当を得た回答なのかもね」

「言うねぇ」

「いや、でも多分このまま努力を続けてもあんまり意味も無いような気がするんだよね。魔術は人が夢を見れば必ず使える。僕には君には何かしらのモノは使えると思うんだ」

「魔術の起源の話か?」

「そうだとも。魔術の源泉は僕達が持っているその無意識。その根源の集団的無意識にある現実が源泉だ。その昔、この集団的無意識に出入りすることによって起こって来たのは精神障害だった。それが、僕達の祖先の突然変異によって、意識の中だけへの浸食じゃなくて、僕達の体を通して顕現するようになった。それが魔術だ」

「だけど、それは定説だけど、あくまで仮説だろう? じゃあなんで欠落者なんて人間は生まれてくる」

 欠落者。この世界に生まれながらにして、誰もが当たり前に使うことができる魔術を使うことが出来ない人間だ。

「まず、生涯魔術を使えないことが出来ない人間を欠落者と呼ぶわけだが、脳障害によって向こう側とこちらを繋ぐことが出来ない。生まれ持った身体の才能の欠陥。それの差別的な呼び方が欠落者だってこと知って欲しい。君のように、五体満足で意識も明晰めいせきであるのに魔術が使えないというのは実は珍しいパターンなんだ」

「そういうもの……なの?」

 ジーンは目を開いて、少しだけ前のめりになった。

「もちろん今の社会は普段の状態で魔術が使えなければ、それだけで日常生活に支障をきたすような作りになっている。だから、魔術を使えないだけでもまあ差別的な扱いは受けるだろうね」

「なるほどな、確かに」

 共通言語魔術に関しては誰もが使うことが出来るようになっている。それ故に、その魔術を用いて使える道具も多ければ、日常的にある程度魔術を使って生きるように作られていた。

「ジーンの場合は生まれが苛烈な家系にあるってのもあると思うよ。それはさておき、ジーンのようなケースの場合ずっと使えないで一生を終えるというパターンもあるが、そうでないパターンもある」

「そうでないパターン?」

「途中から突然使えるようになるっていうのがある。そうして、使えるようになった魔術というのはかなり特異なものが多くてね。その個人にしか使えないなんて技も多かったりする。いきなり個人言語を獲得することが多い。そうして開けた後に、ある程度の共通言語魔術が使えたりとかそんな事例が多いね」

「それで、お前は俺がそれだって言いたいのか?」

「そうだね。端的に言えばそう。ジーンはジーンの道を突き詰めていけば、いつかは使えるようになるそう思う」

「すでにもう、いろいろ頑張ったけど駄目なんだが……」

「そうだね……」

 そうして、ソルファはジーンが持ってきた学園していの杖に視線を移す。

「ひょっとしたら、君はあの無の魔術を付与した杖を手放すときに、使えるのかもしれない」

 ジーンは肩をすくめて笑った。

「冗談だろ。あれがあってこその俺の戦闘スタイルだ」

「それは確かにそうだね。でも、道を突き詰めて走るってことはその分だけ、自分自身も変容するってことなんだよ。気が向いたらいつでも言ってね」

「どうだか」

 ジーンはそう言うと微笑んだ。

「人が夢を見る限り、見続ける限り魔術はそこにある。夢に近づくごとに僕達は夢の側の住人へと成り代わっていく。そういうものだよ。現に魔術を使える生徒にしても、さらなる深化を求めて、修行に励んでいると思うけどね」

「そりゃ、希望的な観測だな」

「それもそうだ。僕は夢の側にどっぷりとつかりこんでいるし、もっと深くに入って行きたいってそう考えているよ。訂正しよう。僕がそうありたいだけなんだ。それで、出来ることならジーンにもその夢を見つけて欲しい。僕はそう思ってるよ」

「なるほど、……ね」

 ジーンはそこまで感心無さそうな顔をしていたが、それでも話は聞いてくれそうだった。それが、思い違いかもしれないと思えてもソルファには嬉しかった。

「僕がこれから話すのは共通言語の話でもないと思う。ある程度以上深化した個人言語の顕現方法にもある程度の規則性があって、その規則性についてまとめたような話をしていきたい。ついでにちょっと色々レアな個人言語を書いた本なんかもここにはあったりするから、合いそうなの探していろいろ読んでいってもらおうかなって思っている」

「読むだけ、で良いのか?」

「そうだね、多分主に個人言語の書いてある本を読んでもらうことになると思う。自分に合ってないモノならば、何を読んでも一切分からないっていうのが良くあるものだと思う。でも少しでも読める場所があるっていうなら、そこには君が潜在的に知っている魔術の一部であるって可能性があるんだ」

「そういうものなのか? 簡単そうだが」

「難しいよ? 僕はひたすらこれやってたけど、全く分からないものを始めてわずかな手がかりだけ頼りにやるのはなかなかね」

 ソルファは眉を上げた。

「何故お前はそれをやっていた?」

「それは僕自身の深化のためさ。ある程度までの個人言語の探求はそう難しくはない。そこから先が難しいし、出来る人間にしても解析して書物に残せている事例はそう多く無い。あっても、僕の目指す究極の一と外れてて役に立たないことだって多い。だから、いろんな方面から炎の術式を見直す」

「それが、他の個人言語を学ぶ理由か?」

「そういうこと。まあ、最近はこれが楽しくて、手段が目的になっちゃった感じはあるんだけどね。僕の役には立っている。だから、多分これは君にも役に立つんじゃないかってぼんやりね」

「こんなことやっている人間は他にはいるのか?」

「いや、僕だけだよ。マリアに聞いてみたら、馬鹿扱いされたぐらいに正道から外れているらしいね」

「らしいね、ってお前……」

 呆れがちにジーンが答えた。

「いや、多分正当な手段は試し尽くしているだろうから、邪道から行くのが多分一番だよ。さあ、始めようか。とりあえずこれから読んでみて」

 ソルファはテーブルの上にとうに成っている本から一冊とり、ジーンの前に置く。ソルファが一番理解しやすい炎属性の個人言語の魔術書だった。

「速読は厳禁、一個一個のフレーズをしっかり読み込んで、分かるところがあればそれをメモする」

「あいよ」

 と、ジーンは本を手に取り読み始めた。


 一時間後。

「わっかんねぇよ、馬鹿ぁ!」

 と、ジーンは読んでいた本をソルファに投げつけた。

 ジーンのメモ帳のメモはゼロ。つまりは一時間格闘して、まるで分かるところが無かったということを意味する。

 ソルファは淡々と、自分の顔に張り付いた本をはがすと、さっきまで開いていたページを開いて渡す。

「ほら、諦めない。どこに自分でも分かるフレーズがあるかはわからないんだから……」

「分からなかったら?」

「徒労だね」

「やってられるか!」

「まあ、でも僕が教わる交換条件にこうしてやってる訳だけど、諦めるの? それって僕に対して『負けました』って言ってるようなことになるけど良いの? ねぇ、いいの?」

 ジーンはそう言うと、歯を食いしばりながら顔を引きつらせた。

「ああ、良いよ。やろうよ。とことん、徹底的に。どっちが折れるか先になるか決めようじゃないか! 明日覚えとけよ」

「望むところさ、どこまでもついてってやる!」

「その言葉そっくりそのままお前につっかえしてやるよ!」

 そう言ってジーンは再び分からないテキストを読み始めた。


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