鍛錬 ソルファの場合


 シュド! と、鋭い音を立ててナイフがドアに突き刺さった。

「お、おおおお!」

 反射的にソルファはへたり込んでナイフをかわしていた。

 ナイフを投げた当人であるジーンは不機嫌そうにしたうちをする。

「帰れ」

「ちょっと待って! 一応、許可もらってまた来たんですけどーーーー!」

「そんな約束はあったが、直前でめんどくさくなったからナイフを投げる。そう言うわけだ帰れ」

「い、いちおう手土産もあるんですよ? ちょっとしたお菓子ですが……」

  そう言ってソルファは、手に持ったお菓子の箱を取り出そうとして、

 シュドッ! パタン。

 ジーンが投げたスプーンがぶつかって、地面に落ちた。

「甘い物は好きじゃない」

 淡々んとジーンは、そう言って捨てた。

 ソルファは震えながらも、お菓子の入った箱をとりあげると、胸に熱くこみあげてくるものがあった。

「おのれ! おのれ! おのれええええええええ!」

 ソルファは怒号と共に激怒した。

 無意識的に個人言語である炎を見にまとい、生ける修羅しゅらとなり立ち上がる。

「貴様は侮辱した! この菓子を! この所業、許せぬ! 食い物を、それも職人が魂をこめて作った芸術を罵倒するとは! 許さぬ、決して許さぬぞおおお!」

「ま、まて落ちつくんだ。お前は、お前をバカにされたことを怒っているのか!」

「否、食物を粗末にする、貴様の性根が許せぬ! 斬らねばならぬようだ……」

片手に菓子。片手に杖を持ち炎剣を顕現する。

「ワレハ、ヤイバ。アクヲタツツルギナリ!」

「いいから落ち着け、お前買って来たの焼き菓子だろ? 中を見ろ、まだ無事だ」

 ソルファははっとして、箱を開ける。中に入っているクッキーは、汚れてはいなかった。それどころか、一つも割れていなくてよくよく見れば箱にも損傷はほとんど無かった。

「あ、本当だ、無事だ……」

 ソルファは炎を解き、感涙しそうな勢いで目を潤ませる。

「何なんだよ、お前は全く」

疲れた様子でジーンはそう言った。

「でも、でも何でこんなことしたんだよ!」

「いや、単純に菓子だけ置いて帰って欲しかったから、手加減して投げた訳よ」

「でも、甘い物は嫌いだって」

ジーンは視線をそらした。

「いや、普通に好きだけど。お前が買ってきたそこのクッキーは俺も好物でな。たまに買ってる」

「嬉しいです!」

 ソルファは涙をこぼしながら、早足でジーンに近づいていきその手を両手で握り込んだ。

「僕たち今日から友達だ!」

「やかましいわ! 気持ち悪い!」

 ジーンは手を振り払って、ソルファをにらみつけたが、ソルファに効果は無かった。

 ソルファはただ、嬉しくて、嬉しくて、嬉しかったのだった。

「……とりあえず、コーヒーでも淹れるか?」

「うん、うん」

そう言ってソルファは何度も何度も頷くのだった。

「分かったよ」

 数分後。

 ジーンがコーヒーを淹れたマグカップ二つを持ってやってきた。

 そして、すでにソルファはクッキーを食べていた。

「なんでお前が先に食ってるんだよ!」

「いや、何というか目の前でね、クッキーの箱がデスね、開いている訳ですよ。それでね。ジーンがコーヒー淹れてくるまでは我慢しようって思ったんだけどね、駄目だったんですよー」

「駄目だったんですよー。じゃねぇよ! おいそれ二個目だろ」

「三個目ですよ-。何言ってんですか? そもそもこのクッキーは僕が買った物ですし、僕に食べる権利というのはありますし、僕が僕の為に買ったんじゃないか? と言う風に考えられたので迷い無く食べることにしました」

「コーヒーぶっかけるぞ? ああ?」

 にじみ出る殺気。怒っているし、やった後で走ってぶん殴る勢いは見て取れた。

「すいません、ごめんなさい。あとはすべてお召し上がり下さい……」

「半々で良いだろ。別に」

「本当に? 本当に!」

「そう露骨に嬉しそうになるのやめろ。お前に付き合うと疲れる」

「すいません」

 ソルファは落ち着いて、コーヒーに手を伸ばした。

 コーヒーからは豊かな香りがした。例えるならばスパイスとハーブ。口に含めば重厚なコクと先ほどかいだ香りが口の中いっぱいに広がった。

「お、おいし、い……」

「当たり前だ。わざわざ生豆を仕入れさせて、俺がローストしたんだ。口に入れるモノに関しては突き詰めないと気が済まないタチでな」

「じゃあ料理も……?」

 こんなにおいしく?

「あたりまえだ」

 こんなにおいしく作れる。

「じゅるり」

「作らないからな」

「ちぇ」

 そう言ってソルファは、次のクッキーを口に運んだ。クッキーの甘みと、コーヒーとは相性が良くて溶け合うようだった。

「ああ、それより色々教えてもらうつもりで来たけど……」

「エーテルライドと武術どっちが良い?」

 ソルファは少しだけ考える。

 エーテルライドは自分がやれる限りの事はやった。ここから先は突き詰められないというのは自分が知っていた。

 一方の武術は、一切触れたことが無かった。

 ソルファが学びたいと思うのは、一切触れたことのない異次元の事だ。何より、ジーンの使う技が気になる。そこに突き詰められなかったエーテルライドとの関連性があるならやっぱり武術の方が良いと思えて来た。

「じゃあ、武術で」

「へぇ、なんで?」

 そう聞かれてソルファは先ほど考えたことをジーンに説明した。

「君は、武術や、エーテルライドが流れを変えるものだと言ったね。僕にはその辺りがよく分からなかった。特定のモノを混ぜ合わせれば、現象になるってことまでしか分からない。エーテルライドをまたやれば、この価値観から変えなきゃならない。それなら全くやったことのないものをやるのが良いんじゃないかって思ったんだ」

「なるほど確かにな。着目するところは良い。学園で教わるエーテルライドはせいぜい多くの正の魔術師が使えるようにしたものがほとんどだ。発想もそこだし、共通言語程度のこととして教わる。まあ、バベルズアトラス付与した後で使う格闘術みたいなモノだ。武術は体内に流れる、力の流れ。勁の流れを操って戦いの力にする。エーテルライドそれもまた同じだ。エーテルライドの方は良いのか?」

「今のままじゃ、あれだけだとどうあったも君に勝てそうに無いからね。魔術、それに近いエーテルライドより、近接戦の方が気になるよ」

 ソルファがそう言うと、ジーンは笑みを浮かべた。

「何度も言うが覚悟は良いよな?」

「分かっている」

「それじゃあ、鍛錬を始めようか。今まで学園でやってきたぬるま湯とは違うからな」


 一時間後。

「じ、ジーン。そろそろ休憩にしないかな?」

「何言ってんだ。あと半分、一時間はその状態だろ」

「無理ですってばーー! うぉっあっち!」

 慌てて腰を跳ね上げると、元の状態で静止した。

 ソルファは今中腰の状態で、膝の上に壺。伸ばした両手の先には水の入った水瓶。そして頭の上にも壺が乗り、尻の下には線香が焚かれている。

 姿勢を崩せば壺が落ち、足が疲れて降りれば線香が尻を焼き、手の水瓶は下げるとジーンがペナルティを加える仕組みになっている。

 かれこれこれを一時間続けていてソルファは後悔していた。

「だからバベルズアトラスかけるのやめとけって言っただろ、俺ってばあんなに優しかったのに。お前がそれを使うから、わざわざ長くしてあげたんだろ? ああ、こっちになっても俺って超やさしい」

「いや、君かけてもどっちでも良いけどって言ったじゃないか! 詐欺だよ! 詐欺!」

「あー、知らねぇなぁ。まあどっちにしても二時間だったけどなー」

 適当な調子で、ジーンは言ってまた本に目を落とした。ソルファが持ってきたクッキーと彼が淹れたコーヒーが横にあり、なんとも優雅なコーヒーブレイクを満喫しているようだった。

 一方のソルファは地獄にある。この体勢を十秒維持するのはそう難しく無い。この体勢を維持し続けるのが苦しかった。バベルズアトラスという身体強化魔術を付与したところでそれは変わらない。

「言ったろう? 俺の言う流れっていうのは、筋肉で作るものじゃない。んで、まあお前にやってるのは、流れを一切止める鍛錬だ。いくら筋肉があったところで、体は常に動き続けたがる。それを抑制する簡単な訓練だ」

「ジーンはどれくらい出来る?」

「一日中は軽いな。腹が減ると辛いが、何日でも。なんならその状態で寝れる」

「いくら何でも嘘はちょっと……」

 ジーンは顔を上げて、怪訝な顔をして鼻で笑うと目をまた本に落とす。

「コツが要る。そのこつさえ掴めれば後はそれに寄りかかっていれば良い。簡単だ」

「嘘だろ」

「いや、本当だって。なんでバベルズアトラス使うなって言ったのは、あれは要するに別の体を異次元から借り受ける術なわけで、体への感性は生身よりも下がる。まあ俺はその辺りのこと知らんが、師匠がそう言ってたな。ほら腕下がってきてんぞ」

「おお、すまんすまん」

 慌てて腕を上げると、更に腕にしびれが走った。

 こんなことして、一体何になるのかと考えると嫌気が差した。が、全く未知のこととなればきっと得られることは大きいと歯を噛んで耐えた。

「さて、一時間か暇だなぁ」

 徐にジーンは立ち上がると、部屋の奥にある丸太の何かに手をかざして、それから打撃を撃ち込み始めた。

 鮮やかに何度も打撃が打ち込まれて行き、流れるように右へ左と動きながら、両手両足、肘、膝、指先、時にはあたまを打ち込んでいく。

 部屋の中にはジーンが丸太の何かを打ち込む打撃音だけが響き渡った。

「何をやっているんだ?」

「木人への撃ち込みだ」

 ジーンが打ち込んでいる丸太の何かは木人と言うらしい。よくよく見れば、手を突き出した人間のような形をしていなくもない。

「それ、良く壊れないね? 僕なんか丸太殴るとわりと折れるけど。ジーンも僕と同じぐらい力は出せるんだろう? なんで壊れない」

「あのなぁ」

 と、ジーンはあきれ顔で振り返った。

「だーかーらー、俺は筋力で撃ってないんだよ。勁の流れを完璧に作り出せれば、こんなの壊すのはたやすい。けどそれを撃つことが目的じゃないし、そもそも俺は小さな打撃を当て続けることで相手を圧倒し続けるのが目的だから、鍛錬に使うのはこんなもので良い。お前は馬鹿力を一定時間ずっと放出できるが俺は違う。そう言うことだ」

「何が違うんですか?」

「ああ、もう」

 ジーンはめんどくさそうに頭をかいた。

「水と岩だ。お前は岩。いつでも堅くてそこにある。俺は水だ、小さなせせらぎにもなるし、泉にもなる。時として岩を砕く濁流にもなる。こういうイメージで良いか?」

「わ、分かったよ。ところで、これもうやめにしないか? 僕はもう無理だ」

「ヘタレめガッツを見せろ大体お前はな……」

 と、言いかけたところでジーンは止まった。

「ああ、やめにしてやってもいい」

「本当! うわっちぃ!」

 うっかり、腰が落ちて線香が尻をあぶった。

「水は岩を砕くか? 見てみたいとは思わないか?」

 暗に、ジーンはソルファにスパーリングをしないか? と申し出ているようであった。

「岩の強度にもよるんじゃないかなぁ」

「へぇ、言うね。じゃあ、やろうか」

 そう言って、ジーンはソルファの膝の上の壺をとりさった。

 ソルファは水瓶と壺を置いて、こり固まった体を動かしてほぐすと杖を取った。

「いやー、疲れたなぁ。でも、これが辛かっただけだからな、やれるからね!」

「当たり前のこと言ってるんじゃねぇよ」

 こつんと、杖で頭を叩く。ソルファが持ってきた学院で指定されている杖である。ジーンも同じ杖を持っている。

「流れを止めてるから疲れるんだ。さっきも言った通り、筋肉じゃねぇ。とっとと外出るぞ」

「はい」

 玄関を出て、夜の学園寮の中庭へと出る。肌寒い空気がなでた。

「んじゃ、テキトーに始めるぞ。ルールは共通言語魔術までの使用。無詠唱も可」

「良いのかな? ジーン、君は魔術一切使えないけど……」

「水は岩を砕く。杖も要らんな」

 と、ジーンは杖を手放した。

「本気で?」

「本気だとも」

 ジーンはしれっと答えた。

 徒手で戦うのだろう、ということをソルファは理解して杖を剣のように握る。

「それじゃあ、行くよ! 現れしは、鋼。その形、剣と成し我の前に顕現せよ」

 杖が変化する。杖の形は大剣となる。

 ソルファが個人言語で成した炎剣をそのまま、鉄の剣にしたらこんな感じだろうといった外観だった。

 ソルファが唱えたのは、鋼の共通言語魔術。錬鉄剣であった。鉄を生み出し、作り換え、剣の形に固定するものだった。

 さらに、無詠唱でバベルズアトラス。発火の蛇を三つ纏わせる。

「来い」

 ジーンが構えると、ソルファは発火の蛇を飛ばし、突撃する。

 ジーンに当たる直前で爆発させる。爆発した中に切り込んで、剣を十字振るう。

「うわ、あくびが出るぐらいとろくさいんだな」

 ジーンはすぐ横にいて、剣の柄の位置を抑えている。

「嘘でしょ?」

「いや、ほんと。お前はあの炎の剣を使ってあの速度が出たわけだけど、おっせえよ」

「うん、まあこの剣が代理品ってのはあるし、個人言語使っている時は全体的により深化して強化されるものだから……ね」

「なるほど」

 剣は鋼で練り合わせたため重い。共通言語の発火の蛇は、炎に深化していなければ並程度の威力しか持ち合わせていない。個人言語を使い病理を深めれば、それに伴って使う病理である共通言語魔術もまた強化される。

「これでも負け無しだったんだが……」

 ソルファは完璧に詰んでいた。

 ジーンの抑えた手は重心が完璧なのか、剣をもった状態では振り払えない。発火の蛇は至近距離で爆発すれば自分自身も被る。何も出来なかった。

「うん。残念だったな。さて改めて問題だ」

「はい」

「水は岩を砕くか?」

「砕かない!」

 そうソルファが答えた瞬間、疾風怒濤しっぷうどとうの打撃が全身に炸裂した。

 一撃一撃が致命打になるものではなかった。

 けれども、打たれるごとに体と心の自由を奪われ、蝕まれていく。反撃など考える余地は次から次に襲いかかる打撃によって消滅した。

 最後の最後に、腹から背中に突き抜けるような拳がめり込み吹っ飛んだ。

 そうして、視界が暗転した

 気がつくと地面に転がっていて、ジーンを見上げていた。

「不正解!」

「です、よねー」

 とソルファは心なく笑った。

 やられてようやく、師匠の言っていることを理解するのは大変だと感じた。

「うまくなれますかね?」

「知らん。才能無いのは知ってる。まあ、そのうち俺の動きにも慣れるんじゃん?」

 無責任なことをジーンはのたまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る