いいからそのパン寄越せ
ソルファは二日間の停学と自宅謹慎によって文字通りに腐っていた。
ソルファは飯を自分で作るという発想が無かったので、家に道具も無ければ食材も無かった。
しいて調理器具らしきものを挙げるとすれば、それはトースターぐらいなものだった。そして、備蓄してある食材もわずかで、パンが数枚とチーズが少しだけあった。
ソルファはそのわずかな食材を帰宅とともにさっさと食べ終えてしまい、その後は家を出ることも許されず、念話も禁止されてしまったため、ただ死体の真似をして時が経つのをひたすらに待った。
思い出したように、水を飲んだりしていたが、それも辛くなってきていた。
「し、死ぬ……」
実際に死にはまだまだ遠かった。
けれども、ソルファにとっては耐え難い苦痛だった、今意識があることを心の底から呪っていた。
こんなもの早く終われ、終われと、呪う言葉しか思いつかなくなって生きていた。
昼過ぎになりふと、ドアがノックされた。
どうせ、何か宅配便だろうと思って居留守を決め込んでいた。
それでもしつこく鳴らし続けるので、ソルファは仕方なく全身の力を使って起き上がり、玄関へと向かった。
「停学終了おめでとう、ソルファ君」
扉を開けると満面の笑みで、マリアが立っていた。
ソルファは無言でドアを閉めようとしたが、足を挟まれて止められた。
「な、なんで閉めるのよ」
「いや、なんかちょっといらっときて」
「珍しいわね。あんたにしては」
「お腹空いてて」
「あ、そうだ。あんた停学になっちゃってお礼もちゃんとできなかったから、適当な手土産にパンでも買ってきたけど……」
「食べる!」
「は、はい」
マリアは気圧されながら、手に持った袋をソルファに差し出した。
ソルファはひったくるように受け取ると、袋の中から適当なパンを取り出してがっつく。
獣染みた勢いで、ソルファがパンにがっつく様子をマリアは呆然と見守っていた。
ソルファは数十秒で食べ終えると、改めてマリアに向き直った。
「すいません。取り乱しました」
「あ、ああ……」
「パン、全部もらっても良いですか?」
「どうぞ。それより、話があるんだけど構わない?」
「良いですよ。どうぞ中へ、紅茶もコーヒーも用意してないけど」
「あんたにそんな細やかさを期待できないのは知っている。あがるよ」
マリアがソルファの部屋へと上がり込んで行く。ダイニングに適当に積み上げた本を落としてスペースを作る。
「雑ね」
「来客なんて、五年間誰もありませんでしたからねぇ」
ソルファの部屋はダイニングに椅子が二つおいてあったが、一つは自分が使うとしてもう一つは本を置くぐらいの利用価値しか見出せなかった。使っていないので当然ん埃をかぶっている。
「どうぞ」
ソルファは普段使っているほうの椅子に座り、マリアをもう一つに座るように勧めた。
「……いや、何といういうか期待できないのは分かってるけど、社会的にどうかと思うわよ?」
「なんのことですかね?」
「あんたが私にすすめた椅子の方が埃かぶってて汚いのよ」
「ああ、すいません。じゃあ僕こっち座ります」
ソルファは慌ててもう片方の椅子に座ると、マリアはため息をついてソルファが座った椅子に座った。
「まじで気がつかなかったんだな……。あんたにそんな礼儀とかなんとか仕込むの無理だって思えてきたわ……」
「んー、なんかどうもそれに関しては、素養が無いみたいですね。親にも散々怒られたけど、全然ダメだったみたいで」
「想像に難しくないわね……」
「僕の親は社会に出た時恥ずかしく無いようにって、仕込もうとしたけど、僕には何を言っているのかよく分からない規則の塊にしか思えなかったなぁ」
そう言って苦笑いを浮かべる。
できない事で殴られたり、蹴られたりしてあまりいい思い出は無い。途中で諦めてくれたからなんとか生きられたが、できるまでやられ続ければ生きていなかったかもしれない。
「まあ、あんたのそういうところあんまり嫌いじゃ無いよ」
「ありがとう」
自分でも少し思うところはあった。受け入れてくれると言うのはそれはそれで嬉しい事だった。
「それで話って何かな?」
「そうだったわね。話ってのはジーン・エクトリックの事よ」
「エクトリックさん?」
「そうよ」
と、マリアは
「あいつがファントムだってことは、発表されてみんな知っている状態よ。もうこうなったらあいつも劣等生やってやるようなお人よしじゃない。いくらあんたでも分かるでしょ?」
「まあ確かに。ファントムも、いつもの彼も、根元にあるものは似ているって思うんです。けどね、ちょっと表現方法が違うんですよ」
「というと?」
マリアは目を大きくして身を乗り出した。
「図書館で会った時は、魔術が使えないことで必要以上に卑屈だった。ファントムとして闘った時は、魔術なんかなくてもこうも強いということを誇示するために闘ってたんじゃないかなぁって、なんとなく思ったんです」
「そんな風に考えていたのね……」
「先生はどういう風に考えてました?」
「似たようなものよ。彼はどっちにしろ、魔術ってものに強いコンプレックスを持ってるのは確かだと思う。あたしが言いたいのは、その表現方法が変わった時に周りはつっかかりたがると思うのよね」
「そういうもんなんですか?」
「そういうものなのよ。今まで自分の方が上だって思い込んでいたのが、突然自分の上にいると分かって、目線も見下したようなものを逆に浴びせかけられる。そうなったら多くの人は何かしらの形で憂さを晴らそうって考えるわね」
「へー、そうなんだ」
感心したように、ソルファは頷く。
「本当に関心の無い事には観察力がゼロに等しくなるのね……」
「はは、すいません。どうも性分みたいで」
パリパリと頭をかく。マリアはいつもの事だと諦めてため息すらつかなかった。
「そうやって突っかかって行った人間はどうなると思う?」
「まっすぐ行ったなら返り討ちですねぇ。あのファントムさんの中の人ですから」
「そう、返り討ちにあって怪我人続出。まあ、時間が経てば事態は沈静化するか陰険になるかどっちかよ。けれどもこの時間が問題ね。舞台は夜の街での都市伝説から学園内に実際にある出来事になる。そうなると、またあいつを中心に騒がしいことになる。魔術が使えないのにこの学園にいるってことが気に食わない連中も少なくないから、挑戦者は続出で怪我人も続出で病院のベッドが足りなくなる」
「確かにいっぱいいそうですね。こないだ先生にそんな風に思ってる人もいたことに、僕びっくりしました」
「多いものよ。特にこんな隔離されたエリート校みたいなのになってくると歪んでるやつも多い。魔術と強さのみを頼りに生きる価値を見出している奴らだっている」
「ふぅん」
ぼんやりと、自分のものになれと言ってきたエーリカのことを思い浮かべる。
歪んでるとは違うが、強さと魔術が価値観の大事なところを占めているのは、言っていた事から想像がついた。
「そこで、あんたにお願いしたいのは、あいつの友達になってやってはくれないだろうか」
「な、なんでですか?」
「突っかかるやつは色んないちゃもんを付けて何かしようとする。それは相手が一人で、なんの後ろ盾も無いからよ」
「それで、僕に友達に?」
「そう。そうすれば無用な争いは避けられるし、あいつもちゃんと卒業できるの」
マリアはそういうと、テーブルに手をついて頭をテーブルすれすれまで一気に下げた。
「頼む。どうかこの通り」
ソルファは一通りうろたえた後で、ぼんやりと考える。
「友達っていうのは、多分、言われてなるものじゃないです。僕に友達はいませんけども、それでもそういうものだって思います」
「そうか……」
落胆した様子で、マリアは顔を上げた。
「エクトリックさんも多分同じ事言うと思います」
ソルファは淡々と続ける。
「でも、僕エクトリックさんの使う技とかエーテルライドの技術にはすごい興味があるので、停学明けたらいろいろ聞きに行ってみようかなって思うんです」
「本当か!」
マリアは勢いよくソルファの両手をつかむと、まじまじと瞳の中を覗き込んだ。
「ありがとう」
「あの、つかぬ事をお聞きしますが……」
「何だい?」
「先生はエクトリック君のことが好きなんですか?」
そう言うと、マリアは盛大に吹き出して大声で笑いだした。
「はははははは、冗談うまいなあんたは。あいつはな、何か見ているとほっとけない痛々しさがあるの。だから、それなりに目をかけてる。ついでにエーテルライドなんてマイナーな魔術を熱心に教わりに来たのはあいつぐらいのものよ。だから、感情に名前をつけるならこれは師弟愛みたいなもんよ」
この学園の教師において、エーテルライドを専門に研究しているのは二人だけしかいなかった。
もう一人は研究のみを行っていて、マリアが教えること全般を請け負っている。
「なるほどね」
とりあえず、ソルファは納得が行った。
自分にはそういえば特定の師匠と言うものが存在しなかったから、そんなものをかけてもらったことも無かったなあとぼんやり振り返る。
すると、不意に頭を撫でられた。
「そう拗ねるなよ。お前のことも大好きだ。ほっとくと本棚から落ちて来た本に頭ぶつけて死にそうだからね」
「失礼な。人を間抜けみたいに! 心外です!」
「事実じゃないの」
そう言ってマリアは笑う。
悪い気はあまりしなかった。それと、マリアの手は暖かくて、くすぐったかった。
「とりあえず、謹慎明けたら訪ねてみようと思います」
「ああ、頼んだ」
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