(6)

 その村は、南大陸のとある谷にひっそりと存在していた。

 そこは外界との関わりを絶たれた場所。そこに暮らす人々もまた、谷の中で細々と暮らしていた。

 彼らがそんな生活をしていたのには勿論理由がある。この谷には、竜が数多く生息していたからだ。竜は気難しく、決して人前には現れないとされるが、彼らはそんな竜達と長い年月をかけて交流を深め、そして共存するまでに至った。

 彼らは竜と話し、時にはその背に乗って空を翔ることもあったという。

 しかし、それはもう過去のことだ。今から百年以上前に、村は火山の爆発で壊滅し、人々も竜も散り散りになった。今となっては、村の面影すら残らない。


「とは言っても、私は薄い」

 訳の分からないことを言うアイシャに、アルメイアが首を傾げる。

「何よ、その薄いって」

「私の父の一族は、その竜の谷に暮らしていたらしい。しかし村は火山の爆発でなくなり、父の一族は南大陸を彷徨った。その末裔が私。だから私には、竜使いの血はほとんど流れていない」

「なるほど」

 それでも、ラウルの次に竜の卵に懐かれていたのはアイシャだ。その体に微量とはいえ流れる竜使いの血が、そうさせたのかもしれない。

「だから、私は竜を見たこともないし、乗ったこともない。嘘は言っていない」

「そうだな」

 脱力しつつ相槌を打つラウル。

「それでは、アルが会ったその竜使いの末裔のおばあさんというのは……」

 リファの言葉に、アイシャはさあ、と肩をすくめる。

「私も詳しいことは知らないが、生き残った人々は世界中に散り散りになったというから、その一人かもしれない」

「そっか……でも、何で黙ってたんだ?」

「聞かれなかったから」

 あっさりと言うアイシャに、カイトがこけそうになる。

「なんですか、それ? 僕はアイシャが、あんまり自分のことに触れて欲しくないような感じだったから、あえて込み入ったことを聞かないでいたのに……」

「誰もそんなこと言っていない。私は、聞かれれば答える。誰も聞かないから言わないだけ」

 ごもっともである。そう言えば以前、どこの出身だとラウルが尋ねた時には、あっさりと答えを返していた。

(相変わらず、何を考えてるのか分からない奴だな……)

「じゃあ聞きますけど、アイシャの持ってる笛は、竜笛じゃないんですか?」

 怒った様に尋ねるカイトに、アイシャは懐から愛用の笛を取り出した。

 木製の鮮やかな彩色の施された笛。その使い込まれ滑らかになった表面を指で撫でながら、アイシャは静かに答える。

「……分からない。これは父の一族に伝わるものらしいけど、今までこれを吹いて竜が来たことはなかった」

「そうだよなあ、この笛が竜笛なら、今までアイシャが吹いた時に竜が来ててもおかしくないしな」

 仲間となってから二年ほど、その間にエスタスとカイトは、幾度か笛の音を聞いている。しかしエスタスの言うように、今まで一度も竜が飛んできたことなどない。

「何か、特殊な曲でないと駄目とか、そういうのがあるのではありませんか?」

 ユリシエラの言葉に、アイシャはさあ、と首を傾げる。

「私は何も知らない。ただ、この笛を父は大事にしていた。それだけ」

「でもよ、もしそれが竜笛なら、もしかしたら、それで竜を呼ぶことが出来るかもしれないんだよな」

 そうすれば、この卵が今どういう状況なのか、どうすればいいのか分かる。

「なあアイシャ。駄目で元々、吹いてみてくれないか」

 いつになく真剣な瞳のラウルに、アイシャはしばし考えた後、小さく頷いてみせた。

「呼べないかもしれない。それでもいいなら」

「いいさ。考えてみりゃ、俺はあんたの笛をまともに聴いたことがないんだ。ぜひ、聴かせてくれよ」

「……分かった」

 そしてアイシャは、笛をそっと唇に当てた。


 それは、風の唸る音に似ていた。

 梢を揺らし、水面にさざ波を立て、鳥達を乗せてどこまでも吹いていく風。

 時に大地を撫で、炎を揺らし、水を弾いて、自由気ままに舞い踊る風。

 心躍る旋律、魂を揺さぶる音色は、聞く者をまるで風の中へ誘うかのように響き続ける。

 そうして、どのくらいの時が流れたのだろう。

 心に余韻を残して、風は去っていった。


 笛を唇から離したアイシャは、額に汗を滲ませていた。椅子に倒れるように腰掛けて、呼吸を整えている。

「……素敵な笛でしたねぇ」

 リファが溜め息混じりに呟く。どの人間の心も、えも言われぬ満足感に溢れていた。それはまるで、草原の風を胸いっぱい吸い込んだ時のような、何とも爽快な気持ち。

「……来なかったな」

 呟くように、アイシャ。しかしその口元には笑みが浮かんでいた。何か吹っ切ったような表情のアイシャに、ラウルは笑いかける。

「ああ、でも、いいものを聞かせてもらった。それだけで十分だ」

 ラウルもまた、普段とは違う素直な笑顔を見せていた。それほどまでに、人の心をまっさらにするような、まさに一陣の風の如く爽やかな音だった。 そして、竜笛を大事そうにしまいこんだアイシャは誰にともなく呟く。

「……私は今まで、こんなに身を入れて笛を吹いたことはなかった。それは……怖かったからかもしれない」

「怖かった? 何が」

 首を傾げるラウル。

「竜が来ないことが。それが自分に流れる血を、そして資質を否定されることのような気がして、怖かったのだと思う。でも、もう怖くない。たとえ竜が呼べなかったとして、私は私」

 吹っ切ったのは、自分への迷い。そして得たのは、新たな自信。

 出会って二年、アイシャのこんな清々しい表情を見るのは、エスタスもカイトも初めてだった。

「そうですよ、アイシャはアイシャです」

「オレ達の仲間であることに、変わりはないさ」

 微笑む二人に、アイシャは嬉しそうに頷いてみせる。

 そんな微笑ましい光景を横目に、アルメイアは椅子から立ち上がった。

「さて、と。伝えるべきことは伝えたし、わたし達はそろそろお暇するわね。これでも忙しい身なのよ」

「そうですね。『塔』に帰ったら仕事がたんまり待っていることでしょうし」

 お目付け役の言葉にうっと詰まりつつ、ラウルを向く。

「また何か分かったら知らせるわ。そっちも、変化があり次第、教えてちょうだいよ?」

「分かってるさ。わざわざ来てもらってすまなかったな」

 その言葉に、アルメイアはくすりと笑った。

「あら、いつもあんたがそのくらい素直な口を聞いてくれるならいいのにね」

「なにぃ?」

「冗談よ、いつもそれじゃ調子狂っちゃうわ。それじゃユラ、リファ、帰りましょ」

「そうですわね、アル。それではラウルさん、皆さん、お元気で」

「またお会いしましょう」

 そう挨拶した三人の姿が、次の瞬間、ふっとかき消える。

「おおお?」

 目を丸くするラウル達に、一人カイトが感心した顔で頷いている。

「これはすごい、転移魔法ですよ! そうか、この魔法で移動してたから、いつも来るのが早いんですね」

「魔法で、瞬時に場所を移動してるのか……便利だなあ」

「そうでもないんですけどね」

「どわっ」

 唐突に目の前に現れたリファに、ラウルが思わず後ろにひっくり返る。

「おっと、すいません」

 ラウルが立ち上がるのに手を貸すリファ。ほっそりとした外見からは想像つかないほど力強いその手につかまって立ち上がると、改めて尋ねる。

「ど、どうしたんですか?」

「いえ、一つ言い忘れたことがありまして。ラウルさん、先ほどルシャスの村であなたを取り囲んでいた黒い服の者達ですが、最近、中央の荒地で彼らの姿が目撃されているようですよ」

「荒地で……ですか」

 北大陸は東をローラ国、西をライラ国が治めているが、中央部分の荒地はどちらの国の領土ともならず、両国を結ぶただ一本の街道だけが走っている。

 かつてこの大陸の中央部に存在し、栄華を極めた魔法大国ルーン。

 現在ルーン遺跡と呼ばれる廃墟は、大国の首都であり世界の中心であった巨大都市のあった場所だ。しかし、その首都ばかりでなくその周囲に至るまでが一夜にして廃墟となり、大地は荒野と化したという。それ以降、荒野には幾度か街が興ったものの、環境の激しさに衰退して行き、現在は旅人しか通らない街道が伸びるのみとなっている。

「ええ。最近『北の塔』に来た冒険者達がそんなことを言っていました。なんでも、ローラ国とライラ国をつなぐ街道を進んでいた折に、妙な奴らに出くわして、戦いになったとか……。彼らは腕利きの冒険者だったので、力の差に気づいた向こうがすぐに退散していったらしいのですが……それだけ、お伝えしようと思いまして」

「ありがとうございます」

「いえいえ。それでは、これで」

 再び、リファの姿が掻き消える。それとほぼ同時に、カイトが訝しげに口を開いた。

「なんですかラウルさん、その黒い服の奴らって」

 リファとのやりとりに、全く蚊帳の外だったカイト達。そんな中、一人シリンだけが顔色を変えて、ラウルに迫った。

「あいつらに、出くわしたのかよ!?」

「だから、何なんですか、あいつらって」

「というか、お前なんでここにいるんだ?」

「え? あ、ああ。その……」

「ああ、どこかで見たことあると思ったら、あの間抜けな盗賊か」

「間抜けって言うな!」

「じゃあドジ」

「こんのアマぁ……!!」

「ええい、いま全部説明するから黙れ!」

 混乱の様相を呈する居間に、ラウルの怒声が響き渡る。途端にぴたりと口を閉ざす四人。

 ラウルはふう、と溜め息をついて、彼らに向き直った。

「まずは何から話すべきか……」

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