(5)

 机の上に置かれた卵を前に、何やら真剣に考え込む少女と、その横でにこにこと卵の世話を焼いている美女。

 これが天下の三賢人だと、誰が想像できるだろうか。

 そんな二人を尻目に暖炉の前でのんびりとお茶を飲みながら、リファと名乗った魔術士はカイトやエスタスの問いかけに笑顔で応じている。

「というと、客員教授みたいなものですか」

「ええ、そうなりますね。私のような旅の者は色々な地域の情報を持っていますから、どこでも大概は歓迎してもらえるんですよ」

「なるほど。でも、なぜあの二人と一緒に?」

 エスタスの問いに、リファはそっと声を潜める。

「あの二人だけで行動させると何をしでかすか分からないと『塔』の長老が仰ったものですから、お目付け役としてついてきたんです」

「なるほど……」

 納得のラウル。と、リファの声が聞こえていたのかアルメイアがキッと睨みつけてきた。

「何よ、人を猛獣みたいに」

「あら、似たようなものじゃありませんか」

 さらりと酷いことを言うのは、実の妹だというユリシエラ。先ほどから卵の殻を磨いてあげたりそっと抱っこしたりと甲斐甲斐しく世話を焼いていた彼女は、アルの抗議などどこ吹く風で卵を可愛がっている。まるで赤ん坊か何かの相手をしているようだ。

 しかし、普段なら喜ぶなり、むずがって鳴くなり、何らかの反応を示すはずの卵は、何も言わない。それがますます不安を募らせる。

「それにしても、今までそんなに反応を見せていた卵くんが、急に黙り込んでしまうなんて……よもや」

 リファの言葉を慌てて制するカイト。

「い、言わないで下さいよ。なるたけ最悪の事態なんて考えないようにしてるんですから」

「ええ、私もそんなことがあって欲しくはありませんが……」

 そう。それはラウルの脳裏にも一瞬よぎった考え。

 急に何の反応も見せなくなった卵。それは、もしかして、死んでしまったのではないか。卵の中で、息絶えてしまったのではないか。

 それは彼らにとって、禁句となっていた。誰が言い出すでもなく、誰もその考えに触れないようにしていた。

(そんなこと……ないよな)

 何の根拠もないが、そう思いたい。

(鳴きゃ鳴くでうるさくてかなわないけどよ……鳴かないと、それはそれで気になるじゃないか)

 すっかり情が移っているなと自分でも思う。しかし、一度関わってしまったものだ。今更関係ないなどとは言えない。

 ――と。

「大丈夫よ」

 顔を上げて、アルメイアがはっきりと言い切った。その言葉に、重苦しかった雰囲気が一瞬にして晴れていく。

「本当ですか!?」

「嘘じゃないよな!?」

 ラウル達の言葉にむっとしながら、アルメイアは荷物から一冊の帳面を取り出す。その頁をめくりながら、

「竜の卵が孵らずに死んだ場合、その卵は急速に色と形を失って消えてしまうんですって。そして後には何も残らない」

「ほお……」

「ということは、消えない以上は大丈夫だと、そういうことか」

「多分ね」

 曖昧な返事に、ラウルが呆れ顔になる。

「なんだよ、そりゃあ。確証はないのか?」

「ないのよねえ、それが」

「そんな話があるかよ、大体どこでそんな話を仕入れてきたんだ?」

「ついこの間、ライラ国の田舎町ででたまたま知り合ったおばあさんが言ってたのよ。だからこうしてそれを伝えに来たんじゃない」

 感謝しなさいと言わんばかりのアルメイアに、しかしラウルはがっくりと肩を落とす。

「そんなばばあの話を鵜呑みにしていいのかよ? 嘘じゃないなんて保証は……」

「あるわよ」

 ラウルの鼻っ面に指を突きつけて、アルメイアは断言した。

「そのおばあさんは、竜笛を持っていた」

 その瞬間、アイシャの眉がぴくりと動いたのを、隣にいたエスタスだけが目の端に捉えていた。

「アイシャ?」

「いや」

 すぐにいつも通りの表情に戻るアイシャに、エスタスもそれ以上は追求せずに、アルメイアの話に集中する。

「なんだよ、その竜笛って」

「かつて、竜使いと呼ばれる人達が使用していた特殊な笛のことよ。その音色はどんなに離れていても竜の耳に届くらしいわ」

「へぇえ……そりゃ便利だな。どこにいても竜を呼べるってか」

「そういうこと。おばあさん自身はその竜使いの末裔なだけで、実際竜を見たこともないらしかったけどね。ただ、先祖伝来の口伝があって、それには竜についての詳細な情報が詰まっていたわ。その口伝を覚えているだけ教えてもらったのよ。もう大変だったんだからね」

 そう言ってアルメイアは帳面をめくり、そこに書かれた口伝の内容を朗読し始める。

「えっとね、すでに分かってる内容は割愛するけど、竜の卵は仲間に見守られている状態でなら、約半年で孵化するらしいわ。でも、竜以外の手で育てられた場合はその限りじゃないでしょうね。もうそのくらい経ってるわけだし」

 言われてみれば、確かにそうだ。そう思うと、何やら感慨深いラウルである。

(もう、半年か……早いもんだな)

「で、滅多にないことらしいけど、竜の卵が孵らずに中で死んじゃった場合、その卵は消滅する。目新しい情報は結局そんなものだったんだけどね」

 帳面をパタンと閉じるアル。結局のところ、あまり分からなかったということか。

「そうだ。俺が仕入れた情報だと、なんでも南大陸に――」

 バンッ!

 ラウルの言葉を遮って、部屋の扉が開くと、一人の人間が部屋に転がり込んできた。

「おい、分かったぞ!」

「シリン……お前、盗賊の自覚って奴は……」

 頭を抱えるラウルを尻目に、シリンは部屋をキョロキョロと見回して、びしっととある人物を指差した。

「こいつだよ、竜の谷の生き残りは」

 シリンの指差す先には、相変わらず無表情なままのアイシャの顔があった。

「へ?」

 ラウルがアイシャをまじまじと見る。シリンの言葉の意味が分からないほかの面々も、つられてアイシャを見た。

 そして、当のアイシャは肩をすくめると、あっさりと言い放った。

「……ばれたか」

「おいっ!!」

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