(2)

「どうした!」

 慌てて書斎を出て台所に向かうと、まず戸口に唖然とした表情で固まっているエスタス、そして中には腰を抜かしたマリオとカイト、そして平然と二人を見つめているアイシャ、それに籠の中でぴかぴかと明滅している卵の姿があった。

「光った」

 アイシャがラウルに気づいて口を開く。一人冷静な顔をしている辺り、流石である。

「ひ、光ってるんですよラウルさん! これは由々しき事態ですっ」

 腰を抜かしつつも、しっかりと帳面に事の詳細を書き記しているカイト。

「だから、前にも言っただろうが」

「いや、実際に自分の目で見ると、びっくりしますって」

 マリオの手には、鍋をかき回していたおたまが握られたままだ。

「焦げつく」

 そのおたまをひょいと取り上げて、アイシャが無表情に鍋をかき回し始める。

 アイシャの無表情さ、そしてやってきたラウルの冷静なつっこみにようやく落ち着いたのか、エスタスがそっと卵に目をやって呟いた。

「改めて見ると、これはこれで、なかなか可愛いような」

「そ、そうですね。なんか面白いかも」

 先程の狼狽振りはどこへやら、あっさりとその奇天烈な状況を受け入れている辺り、この二人も図太い神経を持ち合わせているらしい。

(いや、そうでもなければ冒険者なんてやってられないのかもな……)

 呆れつつ、いまだゆっくりと明滅を繰り返す卵にそっと近づく。

 すると、答えるかのように卵が光るではないか。そう、まるで親鳥の帰りを待ち構えていた雛鳥のように。 明滅速度は近寄るにつれて速まり、少々びびりながらもラウルが籠のすぐそばまで寄ると、まるで安心したかのように明滅を止め、ぼんやりとした光を放ち出した。

(こ、こいつ……。もしかして俺のこと認識してやがるのか?)

 そう思った瞬間。

 ラウルの脳裏にとんでもない音が響き渡った。


――ピィィィィィィィィィィィィィッ………!――


「あれ? どうしましたラウルさん」

 突然耳を塞いでしゃがみ込んだラウルに、カイトが首を傾げる。

「い、今の音……聞こえなかったのか?」

 平然とした彼らの態度に眉をひそめるラウル。耳元でよく通る音色の笛を全力で吹かれたくらい凄まじい音だったにも関わらず、どうやら四人には聞こえなかったらしい。

(空耳、なわけないよな……)

 恐る恐る手を外すと、まるでそれを見計らったかのように、

――ビィィィィィィィィィィィィィ……!――

 と、今度はさっきよりも大音量で響いてきた。

 再び顔をしかめて耳を押さえるラウルに、四人が疑いの目を向ける。

「……どうかしたんですか?」

「中耳炎か」

 最後のアイシャの一言はひとまず無視して、ラウルは四人を窺った。

「……聞こえなかったんだな? 今の耳を劈くような音」

「何のことですか?」

 それぞれ首を傾げるエスタス達。しかしアイシャだけが、

「かすかに聞こえた」

 と答えるではないか。

「どういうことです?」

「今の、こいつか、やっぱり」

 卵をぺしっとひっぱたくと、抗議するように、

――ピィッ!――

 と鳴き声が返ってきた。

「精霊の声に似ている」

 アイシャがそう言って、そっと卵を撫でる。すると、

――ぴぃ――

 という機嫌よさそうな声が響いてきた。アイシャにもそれはしっかり聞こえたようで、よしよしと言って撫で続ける。その度にぴぃぴぃと鳴く声は、まるでヒヨコか何かが鳴いているようだ。

「俺達には全然聞こえないけど……なあマリオ」

「ええ、何にも……」

「精霊の声は、精霊使いにしか聞こえないんですよ」

 そこまで言って、あれ? と首を傾げるカイト。

「じゃあ何で、ラウルさんには聞こえたんでしょうね? もしかして……」

 カイトの質問を先読みして、ラウルは首を横に振る。

「俺は精霊使いの素質なんてないし、まして精霊の言語なんて知らねえぞ?」

 そういった素質は先天的なものだと言われている。かといって親から子に受け継がれるものでもない。

 と、アイシャが珍しく自分から語り出した。

「精霊の言葉は心の言葉。言語ではなく純粋な思惟」

 精霊は心の中に直接呼びかけてくるもので、その小さな囁きに耳を澄ますことの出来る者が精霊使いと呼ばれるのだという。

「それじゃあ、これは精霊の卵ってことか?」

「精霊の卵! それは興味深い! しかし精霊が卵生だというのは聞いたことがありませんね。これは世紀の大発見かもしれませんよ!」

 狂喜乱舞するカイトに、しかしアイシャは首を横に振った。

「精霊は実体を持たない」

 なるほど、実体を持たないものが、卵から出てくると言うのも妙な話だ。

「まあ、不思議な卵なんだから、精霊と同じような話し方ができてもおかしくないかも知れませんね」

 なぜか妙な納得をしてみせるカイト。そしてアイシャに、

「精霊語で話しかけてみて下さいよ、アイシャ。通じるかもしれませんよ」

 と促す。

「そんなもんかぁ?」

 懐疑的なラウルに構わず、アイシャは頷いて、卵をなでなでしながら何事か囁いた。すると、

――ピィッ!――

 と卵が返事をする。その声は、どうやらエスタス達にも聞こえたようだった。四人が不思議な顔をして卵を凝視する。すると再び、

――ピィィィ、ピッ!――

 と、何か主張するような声をあげた。

「なんて言ったんです? アイシャ」

「みんなに聞こえるように喋ってくれ、と」

 精霊に声を届けるにはやはり素質があるそうで、普通の言葉でも分かってくれるが、精霊語と呼ばれる特殊な言語を使うことで、より円滑な意思の疎通が可能になるのだという。

「なるほど……精霊術も奥が深いですねえ」

 納得するカイト。そして帳面に早速何やら書き付けている。

「それじゃ、こっちの言葉も多少は通じてるってことか」

「はっきりと意思を持って話した言葉は、精霊に通じる」

 強く念じれば、素質を持たない者の言葉も精霊に届くのだ。まあ届くからといって、精霊が言うことを聞いてくれるとは限らない。精霊と意思を通わせ、彼らの力を借りることの出来るものこそが、精霊使いなのだ。

「それじゃ、アイシャにはこのピイピイ言ってるのが、ちゃんとした言葉に聞こえるのか?」

 エスタスの問いにアイシャはあっさりと首を横に振った。

「でも、こっちの言いたいことはなんとなく通じているらしい」

 それだけでも画期的な発見である。なんの役に立つかは置いておいて。

「しかし、卵の状態で喋れること自体、凄いですね」

 確かにそうだ。とすると、やはりこれは、かなり特殊な生き物の卵なのだろう。

「しかし、鳴き声が聞こえるのはともかく、何を言ってるのか分からないんじゃただの騒音じゃないか……」

「でも、これでちょっと楽しくなりましたね!」

 ブツブツ呟くラウルに、カイトは帳面に筆を滑らせながら言ってくる。

「なんでだよ」

「だって、反応がないより、ある方が楽しいじゃないですか。ただの卵なら孵るまで無反応なんですよ」

 確かに一理ある。しかし――。

(なーんか、嫌な予感がするんだよな……)

 ラウルの予感は大抵当たる。これまでがそうだったように。

(頼むぜ、ユーク様……)

 どこかでユークの含み笑いが聞こえたような、そんな気がした。

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