第14話 終着駅

 ココは? どこだ……。


 まるで長いあいだ石膏で固められてたみたいにずんと重い体を起こす。


 殺風景な白い部屋。病院か?


 額に手を当て、頭を軽く左右に振った。


 長い夢を見てた気がする。とっても愛おしくて、悲しく、寂しい夢だった。


 扉の開閉音に目を向けると、母さんがビックリした顔で立っていた。持っていた花瓶を握り締め感動に震えるように背筋を伸ばした。駆け寄ってくるなり、サイドテーブルへ勢いよく花瓶を置き、ギュッと俺を抱きしめた。


「母さん、痛いよ」


 母さんは体を離すと、両手で俺の頬を包んだ。涙に揺れる瞳で俺を見ている。まるで俺の存在を確かめるように母さんの手は俺の頭や顔中にあてられ、撫でられる。


「よかった! よかった! お帰り、時央」


 そして、また俺を力いっぱい抱きしめた。


「なに、大げさだよ~」


「大げさなもんですか! もう一週間も昏睡状態だったんだから」


「一週間?」


「あ、先生呼ばなきゃ、お父さんにも」


 母さんはナースコールを押し、その手で携帯を取り父さんに連絡をする。上擦りながらも歓喜に満ちた母の声に胸が温かく満たされる。


 駆けつけた医者にいろいろ検査や質問をされ、異常がないことを認めてもらえた。


 父さんや姉さんだけでなく、友人たち大勢が毎日のように病室へ押し寄せた。日増しに増えるお見舞い品や花束。それは病室中に溢れかえる程だ。皆が口々に、「会いたかった」「元気でこうやって話せてよかった」「待ってたよ」なんて言ってきたけど、俺はちっとも釈然としなかった。


 なぜかは分かってる。こうやって訪れて来てくれたうちのほとんどが、世間的に紹介した場合の区分で【友人】という名のカテゴリに入るってだけの存在だからだ。


 お愛想が行き交う見舞いもやっと落ち着いて来た頃、母さんがしみじみと言った。


「本当に帰って来てくれてよかった」


「もう、その言葉は耳にタコだよ」


 俺がフッと笑いながら呆れて言うと母さんの顔が強ばった。


「あなたは知らないから」


 部屋の壁を見つめながら悲しい表情をして呟く母さん。


「知らないって、何を?」


「お隣の人よ。もうずっと長いこと昏睡状態なんですって。初めて知った時、とっても胸が苦しくなった。部屋の前を通る時はいつもあなたと重なって……十四歳の時からって言ってたかしら……。あなたと同じ車の事故で運転していた父親は亡くなって、たった一人奇跡的に命だけは取り留めたそうよ」


 母は振り向いて俺を見る。その顔は寂しいような、悲しい微笑みを浮かべ、静か口を開いた。


「あなたと同い年ですって」


 何故かドキンと胸に響いた。ただ同い年だと聞いただけなのに。


 それからというもの、俺はずっとそわそわと急かされるような感覚に悩まされた。落ち着かない。どうしてそんなに気になるんだろう? 同じ年齢だから? それとも境遇? 同情? もし同情ならひどい話だ。だけど、どうしても気になって仕方がない。


 もう俺は明日退院する。これはただ興味があるなんてことじゃないんだ。行かないといけない。俺のずっと抱えてた急かされるような焦りの感覚は既に限界値まで達していて、「今日が最後」その現実にもう居ても立っても居られない。


 俺は隣の病室を開けた。


 個室なのに花も私物の一つもない。俺の病室とはまったく違っていた。ただ無機質で殺風景な病室の中、人の形に膨らんでいるベッドの影がカーテン越しに見える。


 それを見て、大きく脈打つ心拍。うるさいくらいの心音を抑え込みながら一歩、一歩とその影に近づいた。


 そっとカーテンに手をかけ開く。 


 白い肌。細く尖った鼻筋と輪郭。一文字の眉、安らかに目を閉じた男性。


 俺は知っていた。


 閉じられたこの瞼の内側には琥珀がかった茶色の瞳がある。……彼だ。


 一気に蘇る記憶。感情は高ぶり、俺は彼の柔らかな頬へ手を伸ばしてた。指の背でそっと穢れない絹のような肌に触れた。


 ベッドの中から伸びたコードは心電図モニターに繋がっている。一定のリズムで静かに打つ脈。


 彼が何年もこうやって眠り続けているなんて、到底信じられない。


 もっと早くに来てやればよかった。


 あんなにずっと一緒だと心に誓っていたのに。


 手を返し、頬へ当てる。今度は親指の腹でその頬を撫でた。ピクリとも動かない。


 前みたいに口角を上げて微笑んでよ。


 静まりきった部屋。まるで時が止ってしまってるみたいだ。


 なぁ、まだ終着駅には着いてないんだろ? 起きろよ。


――お話のお姫様はね、たいがい王子様のキスで目を覚ますんだって――


 ベッドに横たわるユズキに声をかけた。


「狸寝入りなんてやめろよ。途中下車用の切符ならここにある。降りてこい」


 沈黙が流れる白い部屋に虚しく俺の声が響く。


 白いベッドで眠り続ける白い肌のユズキを抱き上げた。人形のようにぶらりと力なく落ちる腕と頭。


 俺はユズキの頭を手で支え、そのふっくらとした小さなハート型の唇にそっと口付けた。感じるぬくもりは嘘じゃない。


 重なった唇が微かに動く。


 目を閉じていても見えるよ。いつものあのお得意の表情だろ? 何一つ変わらない、以前と同じようにキュッと上がる口角。


「ふふ」っと小さく笑うユズキの声が聞こえたような気がした。俺はゆっくりと顔を起こし瞼を開ける。


 ほらな。そう。その優しいお前の目が俺はなにより、一等好きなんだ。


「ユズキ」













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夜夢の星々 あおの色 @aonoiro

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