第11話 決行の時
「トキオくん。いいよ」
個室の前の廊下で待っている俺にユズキが部屋の中から声を掛けた。扉を開き、中へ入る。
俺が適当に拝借してきたズボンとベストに着替えたユズキ。靴は俺のと交換した。やっぱりピッタリとはいかないけど、少し大き目くらいなだけだから怪しまれることもないだろう。なぜ着替えさせたかと言うと、ユズキのいつもの服装だとどうしても目立ってしまうからだ。
俺はポールハンガーにかけてあるハンチングハットを手に取り、ユズキに被せた。
変な話。これから人を殺めようってのに、いつも白いスーツを着ていたユズキがハンチングハットに茶色いチェックのベストを着てるのを見て、可愛いなんて思ってる。我ながら呑気なもんだ。
俺はユズキのハンチングハットのツバを掴んで、グッと下ろした。
気を引き締めて行かないと。
「…………」
ジッと動かないまま、黙りこくるユズキ。いざ決行ともなれば、ビビって当然だ。なにせ人を殺めるのだから。俺はユズキの手を引いて、バーへと向かった。
常に酔っ払いのアイツだけど、アイツがバーへ行く前にデッキへ出てスタンバイする必要がある。
バーの客の入りはまばらだ。俺はユズキの手を離す。
「少し待ってから入ってそのままデッキへ真っ直ぐ向かうんだよ」
ユズキは小さく頷いて返事をした。
扉を開け中に入ると、早々にカウンターの中にいるウェイターに声をかける。今は人見知りだとか言ってられない。後から入ってくるユズキをウェイターが意識しないように、俺が盾にならないと。
「すみません。お願いします」
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。今日初めて来たんだけど、素敵なバーですね。品もあって落ち着いてるし。あぁ、オススメのカクテルとかってありますか?」
「ありがとうございます。オススメですね。ございますよ。ベースのお酒は……」
落ち着きのあるバーテンダーが丁寧に対応してくれる。
扉が開く音を聞き、バーテンダーの後ろに並ぶお酒のボトルを指さす。「アレも見せてもらえる?」と尋ねた。居酒屋じゃないから、扉が開くたびにバーテンダーが大きな反応を示すことはない。
バーテンダーがボトルを取ってる隙に、扉から真っ直ぐにデッキへ出るユズキを目の端でチラリと確認した。
お酒を作ってもらい、しばらくバーテンダーと話をした。頃合いを見計らって、カクテルを手にデッキへと向かう。デッキの扉を開けるとユズキは扉の横で小さくしゃがみこんでいた。
「ユズキ?」
声をかけると、しゃがんだまま悲しそうに眉を下げ、上目使いで俺を見る。そして、しょんぼりと視線を下ろしていく。土壇場になって、やっぱり怖気づいてしまったのかもしれない。
「大丈夫? お酒飲む?」
気付けや気分転換にでもと思ったけど、ユズキは首を横に振った。
「……ウソなんだ。本当はやってない」
「嘘?」
「引き取られたあの晩、このままこの人のおもちゃになんかなりたくないって思った。今ハンドルを奪えば父さんと母さんのところに行けるって……思ったんだ」
「うん」
ユズキは膝を抱えた体を更にキュッと小さく縮めた。
「……できなかった。本当は想像しただけ。あの人を殺すのも、父さんと母さんのところへ行く勇気も……なかった」
「うん」
「こうなるって、わかってたのに」
僅かに震えるユズキ。俺はユズキの隣に腰を下ろして、そっとユズキを包み込んだ。
「怖がらなくて大丈夫だよ。ユズキの事は俺が守るから、ずっと。これから先もずっとユズキのそばに居る。大丈夫。ユズキはそのままでいいんだよ」
「トキオくん?」
「アイツは俺がやる。誓ったんだよ。心配しなくていいから。二人でずっと一緒にいられるようにしよ?」
ユズキの背中を擦るように撫で、ピクリとも動けないでいるユズキを宥め、励まし続けた。顔のすぐ横にある頭に頬を寄せる。
どのくらい経ったか、ふいにユズキがポツリと言った。
「ありがとう。トキオくん。でも、ダメだよ」
ユズキはゆっくり顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。意志の篭った瞳。
「自分でやらなきゃ意味がない」
もうユズキに迷いはなかった。
「本当に、大丈夫?」
迷いがないってわかってるのに、どうしても確認してしまう。なんだかんだ言った所で本当に肝が据わってないのはきっと俺の方だ。
ユズキは唇を噛み、深く頷いた。
「立てる?」
「うん」
立ち上がったユズキの両手を掴み一つにまとめキュッと握った。
「さっき俺が言ったのは全部嘘じゃないからね」
ユズキはもう一度強く頷いた。俺の事を信じてくれてるのが伝わってくる。俺もユズキを信じよう。
二人で、未来を切り開くんだ。
デッキの扉の窓から中の様子を伺った。まだアイツは来ていない。二回三回と確認して、来ないのか? と二人で不安になった時、バーの扉が開いた。
ハッ息を飲み、ユズキを見る。ユズキも俺を見ていて二人で同時に頷いた。
アイツはやっぱり酔っぱらっていて、いつも以上にふらふらおぼつかない歩みでカウンターへ近づくと、倒れこむような勢いで座った。ユズキの仕込んだ酒をちゃんと飲んでいるらしい。
男は酒を注文して、更にグラスを煽る。三杯目にオーダーした。お酒がグラスの半分より少なくなったところで、隣のユズキへ言った。
「ユズキ、いい?」
「うん」
「いくよ」
「うん」
繋いでいたユズキの手をグッっと握り、離す。扉を開け、カウンターに向かって歩いた。
カウンターの一番手前にわざとカクテルのグラスを置く。バーテンダーはそれに気づき、拭いていたグラスとクロスを置いて、こちらへ向かってくる。俺はそのまま男に向かって歩いた。バーテンダーとすれ違う。バーテンダーの背中を横目で確認しながら男に近づいていく。
相変わらず酒を浴び続けている男の横に座った。
指先でカウンターをトンと叩く。気づいた男に僅かに顔を寄せる。
「彼がデッキで待ってる」
男は突然現れ、声を掛けた俺に疑わしそうな顔を向けた。俺は平然を装い目配せし、親指でデッキを指す。すると男はめんどくさそうにぼりぼりと頭をかきながら立ち上がり、デッキへ向かって歩き出した。
カウンターに両肘を突いて俯き、横目でデッキの方を見た。
男が扉を開けて出て行く。ゆっくり扉が閉まっていく。
俺はユズキの成功を一心に祈った。
「…………」
大丈夫、きっとやれる。ユズキはあんなにも力強く頷いてたじゃないか。
そう思うのに、次の瞬間俺はスツールから立ち上がり、デッキへ足早に歩いていた。デッキへの扉を開けるとユズキの後ろ姿。俺は素早く扉を閉めた。
「ユズキッ!」
ユズキの奥に逆さにひっくりかえった男の足が見えた。
暗闇を照らす白い光の中へ男は音もなく吸い込まれていった。そして闇が全てを飲み込む。
冷たい風がゴウゴウと後ろから吹きつける。
ユズキは柵に身を乗り出すように寄りかかったまま、男が消えて行った先をずっと見続けていた。
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