第10話 大事な友達

「ユズキやっぱり俺、我慢できないよ。ユズキが嫌な思いしてる間、ここで何も出来ずにただずっと待ってるなんて耐えられない」


 いつもの車輌、いつもの席に座る俺たち。ユズキが来る前から、いや、ユズキが俺の前に座ってからもずっと俺の頭の中はその事でいっぱいいっぱいだ。本来ならユズキと楽しく語らい合う時間。話してなくても一緒に居るだけで心休まる穏やかな時間。なのに。


 今ならわかる。なぜユズキがこの席に座り続けるのか。ユズキは特別なものを作ることで、アイツから逃れてるこの時間をゆるぎない安全地帯にしたかったんだ。ここへ座っていられる時間は安心できる特別な唯一の場所として……。


健気なユズキの考えに胸が締め付けられる。俺の我慢は限界だった。窓の外を見つめるユズキの両腕をガシッと掴み、食いかかる勢いで訴えるとユズキは悲しい顔を更に震わせ、今にも泣いてしまいそうに顔を歪めた。


 違う、違う! そんな顔させたいんじゃない。苦しめたくないから、ユズキにはずっと優しく心から微笑んでいてもらいたいから!


 焦る気持ちを冷静にしようと、俺は自分に言い聞かせた。


 ユズキの為だ、ユズキの笑顔の為にも、元凶を断つんだ!


「ユズキ、聞いて? 怯えなくていい。考えがあるんだ。ユズキがアイツから逃げられないなら……アイツを殺そう――」


 サッと顔を青ざめるユズキに、俺はゆっくりと計画を打ち明けた。


 俺とユズキがこうして会っている間、アイツは部屋で寝てるか、バーで飲んだくれているか。

 寝込みを襲い部屋で殺すのは簡単だけど、リスクは大きい。死体が残るし、一番に疑われるのは他の誰でもない。ユズキだ。


 だから俺は考えた。アイツを綺麗に跡形もなく消し去る方法。


 飲んだくれているのなら幸いだ。アルコールの過剰摂取は意識を鈍らせ、運動失調の状態になる。


 アイツは常に酔っ払いで、バー内は薄暗い。列車の最後尾にあるバーはデッキになって外へ自由に出られる。


 方法と言っても、アイツがいつも通りに酔いも回ったところで、俺がすれ違いざまに「デッキの彼が呼んでる」とこっそり伝える。男がデッキへ向かえば、隠れていたユズキが、アイツが喚き声をたてる前に突き飛ばすというトリックにもならない単純なものだ。


 列車は走行しているし、扉が閉まれば音は全て遮断される。どこを走ってるかもわからない列車。いつ停車してるかもわからない列車。男の死体が見つかったところで俺たちまでたどり着くとも思えない。


 たとえ辿り着いたとしても、アイツの事は誰もが普段から酔っ払いだと認識している。だから、デッキで潜む、ユズキの存在さえバレなければ、酔っ払いが意識を失い勝手に落ちたと処理してくれるだろうと踏んだんだ。


 でも、ユズキは俺の話を不安そうに黙って聞いていた。当然と言えば当然だ。いくら憎む相手とは言え、これは紛れもなく殺人なんだから。


「ユズキ、怖い? ユズキが無理だったら俺と入れ替わろう。俺がユズキになるよ」


「……ううん。大丈夫。前にも、やったことあるから」


「え……」


「あの人に連れてかれたあの日。父さん、母さんも失って、生きる希望も失って。このまま真っ黒な世界でただおもちゃにされて生きるだけなら、全部なくなってしまえばいいと思った。だから……あの人が運転してるハンドルに飛び付いた」


 飛び付いたって、一緒に死のうとしたのか? アイツと……。


 それはただの殺人じゃない。一緒に生きたかっただろう両親を失い、得体の知れないモンスターと共に死ぬ。ユズキの気持ちを思ったら……腹の底から沸き立つ怒り、憎悪、悲しみ。


なんども我慢して思い留まったのに、気づいたら俺はユズキを力いっぱいに抱きしめていた。そっと俺の背に当たる手。腕の中でユズキが静かに呟いた。


「だから、大丈夫。できるよ」


顔は見えない。でも、その声色からユズキの決心を感じた。


 一旦、ユズキと別れ決行は明日になった。もちろんユズキをアイツのもとへなんて帰したくはなかったけど、ユズキにはするべき準備がある。時が来るその時まで、アイツが持ち歩いてるビールに少しずつウォッカを継ぎ足し、しっかり酔っぱらうようにしないといけないからだ。


 それに、計画をアイツに気づかれてはいけないから、いつも通りの行動をとる必要がある。


 俺はまた、眠れぬ夜を過ごした。


 俺が計画を持ち出す前、別れようとの提案にユズキは「無理だ」と言った。「ダメだ。絶対に逃れられない」と。あの時はどうしてかわからなかった。そんなに頑なに諦めている理由。あんなヤツを「父さん」だと言ったユズキの気持ち。


赤い蠍火が窓の外、漆黒の夜空で静かに燃えている。


後悔してるんだ。自分がしてしまった事を。相手は本当に酷いヤツだけど、後悔してる。


目を閉じるといつもの優しい微笑みが見えるよ。その表情がユズキ自身なんだね。


だからユズキは自らを……。


瞼を開き、真っ赤に燃える星をグッと見つめた。


 ユズキと出会えたことをよかったと思いたい。俺との出会いをよかったと思ってほしい。奇蹟的に助かったたった一つの命を、憎むべき相手と共に手放そうとしたユズキ。その行いが失敗に終わった事。俺がこの列車に乗った事。全てが正解であり、運命だと俺は思うよ。


 だから、二人で終わらせよう。今日を。過去を。


 そして、俺たちの未来を手に入れるんだ。


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