第7話 りんどう

 列車の旅は案外退屈でつまらないものだ。俺の楽しみはユズキが座席車両にいる間のひと時だけだ。


 早く会いたい。俺はユズキがいつも座ってる座席車輛で彼の来るのをひたすら待った。


 停車する駅もない。途方に暮れる程長い間、列車は走り続ける。窓の外も目がくらむほど明るいか、星と星明かりしかない夜空だけ。


 いったいどのくらい走っているのか。今は何日目なのか……。


 乗客はユズキ以外にもいた。でも、彼らはただの乗客でしかない。長く同じ列車に乗っているから、見覚えがあるような気もするし、見覚えのない乗客もいるような気もする。でも、俺はそれをはっきり判断することができない。


 まるっきり興味が湧かないのだ。


 まぁ、それが普通だと言えるだろう。街を歩いていて、いちいち通り過ぎる人物を識別して歩いたりしないのだから。それと同じだ。


 ユズキはある意味、特別。そう……運命的な……。


 気が付けば、また俺は一人でニヤケていた。危ない危ない。ユズキに見られでもしたら。「トキオくん、キモチワルイよ?」なんて言われちまう。


 今日はどんな話をしよう。だとか、今度は一緒に食事をしたいな。とか、そう言えばまだココのラウンジでお酒を飲んだことがなかった。ユズキはどんなお酒を飲むんだろう。飲んだらどんな感じになるのかな? テンションが上がる? 泣き上戸? 飲めなくてあの白い肌を真っ赤に火照らすかもしれない。それとも手の付けられない程の大トラになるのだろうか? いつも穏やかで、優しいユズキの大トラを見てみたい気もする。


「フククククッ」


 おっと、また。一人で笑ってしまった。咳払いをして、仕切り直すもやはりニヤける頬。


 ユズキのたしなめるような顔とその後の笑顔を思い浮かべながら、俺は友を待つ時間をたっぷりと楽しんだ。


 もう十分すぎる程楽しんだんだ。いったいどのくらい待ったのか。会いたいと逸る気持ちが時間の経過を遅く感じさせてるだけなんだろうか。


 さっきまでの楽しい時間が、徐々にイライラに代わる。


 いつもは下げたままの引き上げ式のテーブルを上げた。片肘を突き、顎を乗せる。両肘で顔を支えた。そわそわ落ち着かない。視線を左右に動かし、頭を抱え髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。テーブルの上で指先をカツカツと動かし音を鳴らしたり、また両肘を突き握る自分の拳に爪を立て、ガリガリと掻いたりした。


 遅い。


 モヤモヤはいつしか不安の種になり、それはどんどん膨らんでいく。


 そうだ、ユズキが来ないなら俺がユズキの部屋を尋ねればいい。場所はもう知っているんだ。もしかしたら、体の調子が悪いのかもしれない。それならなおのこと、見舞ってやらないと。


 ユズキは俺のたった一人の大事な親友なんだから。


 そう思い立つと、さっきまでの鬱憤はスッキリ消え去り、気分はスッと楽になった。


 見舞いように何か用意できればいいのに、豪華な列車には何もない。俺も身一つで乗り込んで私物なんて何一つない。ふと、食堂車の小瓶に入ったりんどうの花を思い出した。


 青紫色した釣鐘型の可愛い形をした花。


 愛らしくて、品があって、なのにどこか凛とした雰囲気もあって、ユズキにピッタリな気がした。


 食堂車の入ってすぐにある花をこっそり拝借した。それを体の横に隠し、見つからないように足早に食堂車を通過する。


 俺が部屋を尋ねると、ユズキはビックリするだろうな。なにせ、初めてのことだから。


 目を丸くして、「あれ~? どうしたの?」と言うだろうか。そして「驚いちゃったよ。よくわかったね」なんて言って、「狭いけど、どうぞ」とかデラックスの部屋で言うのだろうか。


 今日をきっかけにして、もう座席車ではなくお互いの部屋を行き来きし合って。もっと仲良く、ずっと長く居られるようになるかも。


 そしたら、旅はきっと楽しくなる。


 食堂車から、三つ目の車輛。ここでスイートの車輛は終わりだ。この扉を開ければ、ユズキの部屋のデラックス車輛。


 チラリと手に持った小さな花を見て、笑みを浮かべた。


 一つ目の部屋を通り過ぎ、奥のユズキの部屋へ向かう。扉をノックして、顔を出すユズキを思い浮かべながら扉の前に立つと、薄く扉が開いているのに気がついた。


 どうして? 一番奥の部屋で、直ぐ隣が乗務室だとはいえ不用心にも程がある。デラックスだし、狙われてもおかしくない。


「…………」


 僅かに人の声が聞こえた気がした。


 ユズキ? テレビかな?


 本当に小さな声のような音。


 隙間から部屋を覗いた。ダークブラウンの光沢のある壁、赤っぽいオレンジ色の照明が部屋を照らしてる。大きな窓の前は収納棚になっていて、横に広いカウンターが見えた。上には口の開いたBEERと書かれたロゴのビール瓶。


 ユズキが飲んだのか?


 物音と、聞き取れるか聞き取れないかの小さな声。


 誰かと一緒なの?


 俺は失礼だとは思いながらも、僅かに開いたドアをそっと開けた。息を飲み、一歩踏み入れる。


 奥に広がる部屋の方へ顔を向けた。豪華なソファが向かい合って置かれてる。その奥は壁で脇には通路が伸びていた。トイレや、シャワールームだろうか?


 声はその奥から聞こえてくる。


 俺は僅かなその声に誘われるように通路へ足を進めた。


 通路はやはりトイレとシャワールームだ。ドアが二枚並んでいる。奥のドアの方が奥行きがある。きっとシャワールームだろう。


 通路の行き止まりはまたドア。それも少し開いている。


 声と音はさっきよりも鮮明に聞こえた。荒い息と切ない息。詰まる声。ゴゾゴゾと布の擦れる音。振動音……。


「……っふ、は、あう、はっ、んあっっ」


 ユズキ!?


 確かに聞こえた声はユズキだ。いつもよりも更に少し高くうわずってる。


 体内に無音で鳴り響く心臓の音。苦しい。ドドドドドと激しく波打ってるのになにも聞こえない。聞こえてくるのはユズキのすすり泣くような声だけ。それだけが頭の中で響く。


 うっすら開いた扉。重い腕を持ち上げ僅かに押すと、ゆっくりと開いていく。その先に見えたのはワインレッドのベッド。


 白く細長い足が二本、男の体の横でユラユラと揺れていた。


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