第5話 友達

 ユズキと会話を交わしてから、俺たちはいつも彼の指定席で落ち合った。約束なんかしないけど、ユズキも当たり前のように迎えてくれる。同い年ということもあり、俺たちはすんなりと打ち解け友達になれた。


 今日も彼の手には本がある。いつ見てもこればかり。


 よほど読むのが遅いのか、それとも凄くお気に入りなのか……。


「よお」


「あ」


 俺に気づいて本を閉じ、手をちょっと上げてニマっと微笑む。俺はユズキの前の席へ座り、手に持ってる本の表紙を指先でトントンと叩いた。


「なんの本?」


「銀河鉄道の夜」


「好きなの? いつも持ってるよね」


「んー、好きっちゃ好きだよ。でも……」


「でも?」


 ユズキはふと手元に視線を落し、口をすぼめムニムニと動かした。俺の問いかけに、キョロリと視線を上げ俺を見る。なんとも茶目っ気のある表情だ。初めて見たあの夜と同一人物とは思えないほどあどけなく愛らしい表情。あんなに緊張してた俺も、もうすっかり彼に打ち解けていた。


「実はあんまりわかってない」


「わかってないって、本の内容?」


「うん。好きなんだけどね。だからもっと知りたいなって思うよ」


 そう言うユズキのこと、俺ももっと知りたいって思うぞ。と心の中で呟いてみる。



 銀河鉄道の夜――それは宮沢賢治が書いた有名な童話だ。


 主人公は学校に通いながら、合間に生活費のためアルバイトをしてる。体の弱い母に、遠い所に行ったきり帰って来ない父。主人公は父を誇りに思っていたけど、クラスメートたちはその事で主人公を虐める。唯一幼馴染の友達だけは虐めたりはしないけど、助けることもできないでいた。


 そんな中、銀河のお祭りの日。みんなが楽しそうに騒ぐのに、主人公は一人ぼっち。そして、彼は列車に乗る。主人公は幼馴染の友達と共に列車に乗り銀河を旅する。たしかそんな話だった。



 俺が中でも一番印象に残っているのは、物語中に語られる星座。蠍の話だ。


 生きるため自分より小さな虫たちを狩り食べていた蠍が、イタチに食べられそうになって必死に逃げ井戸に落ちてしまう。溺れながら蠍は逃げた事を後悔した。自分の命をイタチへ与えればイタチも一日生きながらえたのに逃げたあげく、命を無駄に終わらせてしまったと嘆く。神に次があればみんなのためにこの身を使いたいと願い、神は聞き入れた。蠍の体は赤く燃え上がり、闇を照らす星座に変わったという話だ。


 すっかり興味が出た俺は、伝説としてそんな話があるのかと蠍座についても調べてみた。そしたら、ギリシャ神話の蠍座の話は全然別物だった。自分の狩りの力を自慢する思い上がりの激しいオリオンに怒った大地の神が蠍にオリオンを殺せと命令し、見事仕留めた蠍は手柄として星座になった。というもの。


 銀河鉄道の夜で書かれていた蠍の話は作者のオリジナルのものだったけど、俺としてはこのオリジナルの話の方がよっぽど好きだと思った。


「俺も学生の時、その本で感想文かなにかを書いたよ。わからないって、例えばどういうところなの?」


「列車に乗ってくる人物がいるでしょ? みんなすごく個性的。主人公の親友に、家庭教師の青年と子供達。彼らは目的地で列車を降りるし、鳥捕りは何度も列車を乗ったり下りたり自由みたいだけど、主人公のようにどこまでもはいけないみたいでさ。なんでかなって……後、単純にみんなが降りて行った先はどんなとこなんだろうって」


 小さな本を楽器のアコーディオンを広げるみたいにパラパラパラとページを落としてパタリと閉じる。


「わからない」とは言ったけど、その実ユズキの仕草は答えを求めていないようにも見えた。だから、俺もその本についてしつこく話はしなかった。


 自分の見解を押し付けようとは思わない。ユズキもずっと本を持ち歩いてるくらいだから、自分で答えにたどり着きたいんだろう。


 いずれにせよ、ユズキが読書好きなのはわかった。だから俺は物語の話題から始めることにした。


「俺もさ、結構本読むのが好きなんだよ。俺、上に姉ちゃんがいるんだ。そのせいもあるんだろうけど初めて読んだのはお姫様が登場する絵本だったなぁ。」


 お姫様の物語を読んでいたなんて、ちょっとカッコ悪くて今まで誰にも話した事がない。だけどどうしてかな? ユズキにはそんな感情を持たなかった。


「へぇ~でも、童話って深いよね」


 ユズキは案の定、俺をはやし立てたりすることもなく、寧ろ興味深そうに話を聞いてくれる。それが嬉しくって俺は更に話を続けた。


「そうなんだよ。俺ってね、結構はまると突き詰めるタイプでさ。ちゃんと文章が読めるようになってくると、馴染みのある物語の原作とか気になっちゃって。グリム童話とか、アンデルセン? 読み漁ったな。そしたらさぁ! あんなに綺麗な物語だったのに、原作は結構グロかったりしてさ」


「あぁ、なんか聞いたことあるかも」


「衝撃だったのは……」


 俺は考える間もなく次から次へと言葉がドンドン飛び出していき、夢中になって会話をした。


 物語の話だけじゃなく、他にもいろんな話をした。ユズキとはすごく気が合う。聞き上手だし、穏やかな雰囲気は実に心地よく、自分が人見知りだと言う事も忘れてしまう程だ。


「さて、そろそろ戻らないと」


 そう言って、立ち上がったユズキ。さばさばした、なんてことない口調だった。でも、立ち上がった後の横顔は一瞬だったけど、ひどく辛そうな影を纏ってるようにも見えたんだ。


 俺はその顔に少々浮かれ、頬が上がる。


 だって、これってつまりは俺との時間を惜しんでくれてるって証みたいなもんだろ?

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