第4話 白いスーツの青年
睡眠から目覚めて、朝食をとり座席車へ戻ってもやっぱり彼の姿はない。当たり前だと思ったのに、まだあの席に居てくれたらと考えている自分に呆れる。
無人だから座ったっていいよな。
彼の座っていたボックス席に入り、彼の座っていた席の向かいの側に腰を下ろす。
「一期一会か……」
昨日の彼を思い出し、独り言を呟いていた。
旅には欠かせない魅力の一つともいえる言葉だ。彼はまだこの列車に乗っているのだろうか? それとも、もう降りてしまったのか。
俺は一体なんでこの列車に乗っているんだろう? たった一人で、向かう宛てどころかこの列車がどこへ向かっているのかさえわからない。
目的や目標がないと言うのは生きるという上でこの上なく退屈で、意味すらも見失ってしまう。目的や目標と言っても、そんな大それたことでなくていい。学校に行き友達に会う。会社に行き自分の役割をこなす。家族の面倒をみる。ペットを愛でる。趣味に没頭する。そんな些細な事でもなんだっていいんだ。
この列車に乗っていても、不自由こそないが、ひたすら何もない。食事は美味しかったけれど、なぜか食べ終えてしまえば味わった感動も満腹感も不思議なまでに、跡形もなくなくなっている。だからか豪華な食事は俺の目的にはならないらしい。
こんなくだらないことを永遠と考えているのも、きっと暇過ぎるが故。初日はワクワクしたこの非現実も、蓋を開けてみれば早くもこんな状態。暇過ぎて、退屈がたたって死んでしまうんじゃないだろうかと思うほどだ。
「……そこ、座っても?」
ボソボソと背後で声がした。振り向けば白いスーツの彼。
「あっ! どうぞどうぞ」
思いがけない登場に胸がいきなりバクンバクンと騒ぎ出す。
彼は口角を愛らしくキュッと上げ、軽く会釈して、彼の席へ座った。必然的にそう。俺の目の前だ。彼は席に座ると、スローな仕草で窓の外に目を向ける。
窓の外は一面の菜の花畑だった。太陽の光に、水色の空と深い緑の森、一面の黄色が太陽の光を受けて明るく輝いている。
さっきまで、こんなに窓の外は明るかっただろうか? 不思議に感じ前にいる彼を見た。
スーッと高く伸びた鼻筋から、緩く閉じられた控えめな唇。シャープな顎。そのラインはやっぱりすごく綺麗だ。
すっかり息を止めて見入っていたことに気付き、慌てて彼から目を逸らした。
周りを見れば他の座席はガラガラだった。なのに彼はわざわざ相席を申し出てきた。よほどこの席がきにいっているのか? ここにしかないもの。この席の価値を俺は全くわからないけれど、彼にはそれがわかっているのだろう。きっとこの席は、彼にとって指定席なんだ。
彼はしばらく窓の外を見ていたけど、手元の文庫本をおもむろにめくり始めた。静かに流れる時間。ページのめくる音だけが聞こえてくる。
読書する彼を邪魔してはいけないと、たまにチラリチラリと視線だけを彼に向け観察した。
小さな手。指は決して長いとは言えない。丸い印象の手。短く深爪気味の爪。ちょっとスーツが大きいのかな? 手の甲の半分まですっぽりかぶっている。真っ白で小奇麗なスーツなのに、シャツのボタンを二つも開けてるのがなんとも艶めかしい。
被さり気味の上唇は薄いけどくっきりとした形。対照的に下唇は小さくふっくらとしている。まるでハート型だ。伏せた瞼、まつ毛の向こうにキラキラと光る澄んだ瞳。
なんて魅力的なんだろう。相手は男なのに、凄く綺麗に見える。
観察している間に彼が本を閉じた。
視線がぶつかる。でも、焦る間もなく彼はふと微笑んできた。愛想笑いだってわかってるのに、妙にドギマギしてしまう。
「あ、あの、いつもこの席なの?」
「え?」
「き、昨日。見かけて」
早口で弁解すると、彼はニッコリ笑ってくれた。
「うん。いつもココ」
「そっか……なんか、ごめん」
とにかく場をやり過ごそうと話す。席を取ってしまった事を謝ると、彼は小さく首を左右に振った。
「別に決まってるわけじゃないから」
「うん。そうだね……あ、旅は長いの?」
「うん。長いよ。すごく」
ゆっくりとした口調で話す彼の声はすごく落ち着いていて、優しく響いて心地いい。
「そうなんだ、俺は昨日乗ったばかり。初めはこの列車にも興奮したけど、一通り探索もしてすでに退屈しているよ。そうだ、名前。俺はトキオ。君の名前は?」
「ユズキだよ」
「よろしくユズキ」
ユズキに握手を求めると、白い手が俺の手をキュッと握った。その手はヒンヤリと冷たかった。
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