第11話 榎島先生の秘密

「この薬使えます? 良かった! じゃあ一回分用意します。あくまで私の私物なんで、学校の業務とは一応、無関係ということで。お水と一緒に今持ってきますんで、そこのザラメ煎餅一枚どうぞ~」

 保健室に入り、所在無さげな榎島にソファを勧めた巴は、いそいそと薬やコップなどが収納されている棚に向かった。

 学校の喧騒が遠くに聞こえる保健室の雰囲気に、榎島はほっとした表情になったようだ。そして、ローテーブルに置かれた菓子箱から、遠慮がちな手つきでザラメ煎餅を手にとり、ひと口かじる。

 榎島が煎餅を食べ終わるのと同時に、榎島が薬とコップをもって現れた。榎島の前に薬とコップを差し出すと、巴は榎島の向かい側に腰かけ、ザラメ煎餅を無造作に一枚手に取って食べ始めた。

 パキン、パリン、と、煎餅が軽快に割られる音が保健室に響く。

 榎島は目の前に置かれた薬を口にし、コップの水を飲んだ。コップに口を付けた瞬間、巴は悟られぬように心の中だけでほっと安堵のため息をついた。

(とりあえずは、成功、か)

 あとは『榎島が口にしたコップ』を無事に回収すれば、巴の目的は達成されたも同然。しかし、いくら捜査の為とはいえ、ひとをだますような行為に巴の気持ちは暗くなる。

 そんな思いを払拭しようと、巴は二枚目の煎餅に手を出した。

「……お煎餅、ごちそうさまです。美味しかったです」

 パリパリと半ばやけくそで煎餅を食べていた巴は、榎島の言葉に慌てて笑顔を作った。

「あっ、いえいえそんな! 遠慮せず、二枚目いかがですか。たくさんあるので、どーぞどーぞ」

「じゃ、じゃあ……」

 巴に勧められるまま、榎島は煎餅を手に取った。先ほどまでの困惑した表情が和らいでいる。

 軟化した榎島の様子を見た巴は、当たり障りの無い雑談を話し始めた。ザラメ煎餅の店のことから、うっかり生徒の前で煎餅を食べてしまうと、ねだられてしまい困ったことなどを、なるべく明るい調子で話した。

「まあ、生徒の前で食べるからいけないんですけどね。自業自得です」

 ははは、と自虐的な笑いを浮かべた巴につられて、榎島も少し笑った。

「確かに目の前で食べられると、私もほしくなりそうです。……中学生の時、私も保険医の先生にはずいぶん甘やかせてもらいました。ナイショだよ、って大福餅やクッキーを一緒に食べてました。保健室の常連だったんです……その、所謂『保健室登校』の生徒だったので……」

 保健室登校。学校に登校はするが、教室へは行かず保健室で一日を過ごすことだ。様々な原因――いじめなどによって、教室に行けなくなった生徒が取る行動の一つだった。

「そうだったんですか……良い先生に巡り合えたのですね」

「ええ。そんなことがあって、自分と同じような生徒の救いになれたら……と思って、教師になったんです。でも……私、良い先生になんか、なれなかったのかもしれません」

「そんなことありませんよ。現に、長岡に関しては、ずいぶん骨を折られてるじゃないですか」

 長岡の名前が出た瞬間、煎餅を食べようとしていた榎島の動きが止まる。ぎこちなく食べかけの煎餅を机の上に置き、少しだけ巴から視線を逸らした。酷かもしれないが、長岡の名前を出すことで、少しでも情報を引き出せないかと巴は考えていたのだった。

「丹橋先生にはいつも喧嘩して怪我をする生徒を見て頂いていて……本当に申し訳ないです」

「いやいや、仕事ですから。むしろ、四六時中後始末されている榎島先生の方が本当に苦労されていますよ。お体に負担はかかっていませんか? 少しお疲れのようですが」


 問題児・長岡の担任である榎島は、日々彼の対応に追われている。長岡にはこの学校に多額の寄付をする両親がおり、それが原因で学校側から長岡に対し、強い制裁が行えないのだという。だが、教育機関という場所柄、全てを見過ごすわけにもいかない。

 形だけでも「指導」をする存在が必要で――その役目を担任の榎島ただ一人に背負わせている状態だ。

 そんな不条理な立場だが、榎島は長岡に対して常に真摯な態度だった。間違った事をすれば注意し、諭す。たとえ長岡がその言葉に耳を貸さなくとも。

「問題児相手に孤立奮闘している真面目な教師」というのが、この学園での榎島の評価だ。


「あの、ほんとに、大丈夫です……」

 言葉とは正反対に、榎島は身体をこわばらせ、腹のあたりにさりげなく手を当てていた。

 せっかくほぐれた空気を乱れるのを恐れ、巴は慌てて笑顔を作る。

「ごめんなさい、どうしても職業柄気になって……。わたし、赴任したばかりなので偉そうなことは言えないんですけど、このくらいの年の子の指導は、本当に大変だと思いますよ。わたしも訳あって同じくらいの歳の子の面倒を見ているので……。本当に複雑で、大変で、ほっとけない危うさがあって……」

 巴の脳裏に泉持と真澄の顔が浮かぶ。二人への言葉掛けは、実の所、巴なりに試行錯誤しているのだった。

 彼ら二人は、Ts捜査官としての「大人びた」顔と、「年相応の少年少女として」の顔が同時に存在している。先日の泉持のように、なにかのきっかけで精神が不安定になる事は珍しくない。

 榎島の苦労をねぎらい同調する巴の言葉に、榎島は警戒が薄れたのか、食べかけの煎餅を再度手に取り、口に運んだ。

「そうです、よね。男子校だからでしょうか、手が出ると大事になりやすいんですけれど、それは不安の表れだと思うんです。同性の中で比べられることや、親からのプレッシャーに押しつぶされてしまう子はたくさんいます。強がってるから、なかなか分かりづらいんですけれども……長岡くんも、その一人なんです」

「長岡が?」

「彼のご両親は、かなり長岡くんに厳しく接していたみたいです。十分成績は良かったのに……彼なりに努力していたんです。興味の無い武術道場にも、ご両親の方針で無理して通ってて……でも、ご両親はそれ以上の結果を求めるようになって、だんだん軋轢が……今は暴君のようですけど、本当は真面目な、良い子なんです。」

 榎島は話終えると、コップの水をまた一口飲んだ。

「そうだったんですね……」

(榎島先生は……真面目で素直なんだろうけど、他人の言葉や感情にすぐに揺れてしまうタイプなのかな)

 榎島は巴のちょっとした揺さぶりで、分かりやすいほど態度を変えている。社会人としては頼りないように見えるし、だからこそ男子生徒には気軽な存在だと思われているのかもしれない。

 榎島の長岡に対する愛情は、教師としてのものなのか、男女のものなのか。もしかしたらどちらの気持ちもあるのかもしれない。

 本当にあの女性が榎島であり、麻薬が関わっているのなら、早急に対処しなければならない。榎島と長岡、二人を救うために。

「……榎島先生は、長岡のいい所を良く知っているのですね。だからこそ、彼を助けてあげたいと思って、あんなに尽力してみえる。素晴らしいと思います」

「そんな、私は……私は……」

 巴の言葉に、榎島はなぜか顔をうつむかせる。まだほんの一口残った煎餅が手から離れて、かつん、と机に落ちた。


「……私は、あの子を助けられない……」


 うつむいたまま、小さく、か細い声で榎島は呟いた。

「えっ?」

 巴が聞き返した瞬間、榎島はハッと顔を上げ、ソファから立ちあがった。

「ごめんなさい、私、まだ仕事が残ってて。……お薬、ありがとうございました」

 巴の言葉を遮り、榎島はそそくさと席を立ち、保健室から出ていってしまった。



 榎島が保健室から出ていくと、巴はやっと人心地がつき、小さなため息をついた。

 探りを入れてみたはいいが、巴はあくまでEAPカウンセラーであり、本職の警察官ではない。いつボロが出てもおかしくない状況で、緊張していたのだった。

(よし、やるか)

 気持ちを切り替えた巴は、榎島が口をつけたコップを手に取り、机の上に乗せた。

 カーテンを閉め、部屋を暗くする。そして、机の下にある鞄からトラヴァース試験の簡易キットを取り出した。

 空のスプレー容器に試験液を入れ、吸水処理シートの上に置いたコップのフチに吹きかける。透明だったコップのフチに、口をつけた跡が緑色に発光――トラヴァース試験反応が起こった。榎島がEAPである事の証だった。

「これが、あの土のEAと同じなら」

 巴は鞄から、今度はEA細胞合致ツールを取りだした。見た目はコンタクトレンズケースのように、左右に丸いケースがついている。蓋を取り、片方に土を、もう片方にコップのふちを拭った脱脂綿を入れ、再度蓋をして振る。丸いケースの間に小さな液晶画面があり、左右のEA細胞が合致すれば「◎」が表示され、別のものなら「✖」が表示される。

 液晶画面には「◎」が表示された。

「……合致した」

 泉持たちの遭遇した女性と榎島が同一人物だという可能性が強まった。有力な証拠が見つかったが、巴は心から喜ぶことが出来なかった。

(助けられない、っていうのは、諦めの気持ち……? )

 巴は榎島の言葉の意味を考える。

(なぜ、助けようとした人間が、暴力に晒された? 長岡の急変と、チェンジスタ……? 急変……?)

 あっ、と巴は思わず声を上げた。

(長岡の問題行動が、チェンジスタの効果だとしたら?)

 榎島のEAとチェンジスタのEAが同一ならば、榎島と長岡がこの事件の重要人物だということとになる。

(チェンジスタのEA細胞は……)

 巴は思い出したようにタブレットを取りだし、電子書類を開いた。チェンジスタに関する報告書類を呼び出す。

(この前届いた例の土の報告書……これだ)

 土日に入る前に研究所に持ち込んだ土の詳しい分析結果の書類を開く。どちらにもEA細胞の情報が記載されており、照合させるのは容易だった。

「これも、同じか」

 チェンジスタのEA細胞と、中庭の土に付着していたEA細胞は同一のもの。

(そうか、あの榎島先生が、チェンジスタと繋がっていただなんて……)

 先ほどまで談笑していた相手が、追いかけている事件と密接に関わっていると分かり、巴はやりきれない気持ちになる。

(おそらく、薬品として出回っているチェンジスタは、榎島のEA細胞が使われているのだろう。体液……血液か、それ相当のものを使って。そして、加工されたものよりも、直接粘液に接触したほうが効果は高いはず……だから身体を重ね合わせていたのか。早く、泉持たちに知らせないと……!)

 沈みかけた気持ちを払拭し、巴は捜査用スマートフォンで泉持たちに連絡を取り始めた。

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