第9話 敵はアイツとあの人か?
泉持は男に向かって体ごとぶつかり、蹴りを止めた。二人はもつれあいながら地面に転がる。転がりながらも泉持は男の身体を全身で拘束し、動きを止めようとした。
しかし、男は泉持よりも大きな体躯であったため、すぐに形勢は逆転し、泉持は身動きが取れなくなった。
「この野郎、殺すぞ!」
泉持の上に馬乗りになり、男は汚い言葉を吐きながら首を絞める。泉持は抵抗しようと力を込めるが、変心術は解けており、普通の男子高校生程度の体力しかない泉持には、逃げうせる力は無かった。
(くっそ、野呂さんだったら……!)
格闘技の使い手である人格・野呂を思い出し、悔しがる泉持の耳に、良く知った鈴の音が聞こえてきた。
「センちゃん!!」
林の向こうの喧騒を聞きつけ、真澄があらわれたのだった。真澄は泉持の状況を見て、短い悲鳴を上げたが、泉持と目を合わせると、すぐに野呂を呼び出す鈴の音を鳴らす。緊迫した状況で、しかも真澄との距離は離れている。鈴の音が小さければ、上手く人格を呼び出せず変心術は不完全になる。泉持は最大限集中して鈴の音を聞き、自身の中に居る「野呂さん」を呼び出した。
泉持の意識に、頭の中にしまっていた野呂が出現し、一つになっていく。「椎葉泉持」という人格を保ちながらも、知識や能力は別人格のものを操れる……それが、変心術の特徴であった。
体中に力がみなぎり、この危機を脱するためにどう動けば良いのかが理解できた。
「……なめんなよ若造! オラァッ!」
首を絞める男の腕をがっしりとつかみ、ひっぺがし――投げる。虚をつかれた男は一瞬あっけにとられた顔をするが「クソが!」と吐き捨て、泉持に突進。そして泉持の顔めがけて拳を繰り出した。
「その
「ほざくな若造が!」
泉持は左ひじをまげ、男の手首あたりを狙って右側に払って受け流す。そして怒涛の速さで左斜めにステップで踏み込み、男の胴体を横から右足で蹴る。男はグエッ、と悲鳴を上げる。なんとか踏ん張る男だが、泉持は容赦なく男の顎に拳を繰り出した。体重を乗せた一撃は見事に当たり、男は天を仰ぐ。
しかし驚いたことにすぐに持ち直し、果敢にも泉持に向かって拳をふるってきた。先ほどと同じように受け流そうとしたが、流石に学習したのか男は泉持の腕をつかみ、共に地面へと倒れ込んだ。地面を転がりながら、取っ組み合いがしばらく続いた。
ごろごろと転がる度に、草と土の匂いが鼻にまとわりつく。膠着状態になりながら、泉持はこの拳の感覚が初めてではない事に気づいた。
(こいつ、初対面じゃない)
思い出そうとした時、一緒にいただろう女性の「やめてぇ!」という悲鳴が泉持の耳に入った。
(この声も、どこかで聞いたことが)
もしかしてこの二人は、泉持の知る人物なのだろうか? ほんの一瞬だけ気が逸れてしまい、それが隙を作ってしまった。泉持は力まかせに身体を拘束され、鼻のあたりを殴られた。続けて拳が繰りだされるが、男は力だけは強いが狙いも拳もでたらめで、鼻への一発以外はよける事が出来た。しかし、安全装置を外したような狂気じみた乱暴は、泉持を圧倒させるには十分だった。
「くそっ! くそっ! 死ねよっ! 邪魔なんだよっ!」
技術の拙さを補う馬鹿力の源は、呪詛のように吐かれる暴言が表していた。
何度も振るわれる拳をよけながら、夜目のきいてきた泉持は、やっと相手の顔を認識することができた。
(長岡……!)
数日前に喧嘩をした、不良の長岡の顔だった。これはマズイ、と泉持は思った。彼には顔が割れている。しかし今の長岡は、半狂乱の状態に近く、相手が誰かを気にしている余裕はなさそうだった。
(こりゃ早めに退散しねぇと)
「おっとここまでだ若造、終わりにしようぜ」
唯一撃たれた鼻をあえて余裕の表情でこすると、右手で長岡の手首、左手で肘を持ち、脚を使って下半身を抑え込む。そして腰を使って左側に半回転した。
押し倒した後すばやく左手首で長岡の首筋にある頸動脈を押さえ、右手で相手の右襟をつかむと、腕に体重をかけて抵抗する長岡に締め技をかけた。失神させればこちらのものだ。一旦ここは引かないと、夜の学校に忍び込んだ自分たちの立場が危うい。
しかしそこで、泉持の身体に異変が起きた。泉持が呼び出した野呂の意識がだんだんと薄れていくのを感じていた。
「くそっ……!」
変心術の時間切れだった。呼び出しは上手くできたものの、持続時間が短かったのだ。
急速に泉持の身体から力が抜けていく。結果、失神させる前に抵抗され、突き飛ばされた。
起き上がった長岡は泉持を見下ろすように立っていた。泉持の体力はひどく消耗しており、立ちあがる事も困難だった。
「クソ野郎が……殺してやる」
長岡が泉持に蹴りを入れようとした時だった。
「待って! お願い! 全て話すから! わ、私たちっ……!」
女性が泉持と長岡の間に割って入ったのだった。女性は泉持に背を向けているので、やはり誰だかは分からない。
「わたしたちは、あの……」
「黙れこのアマ! 行くぞ!」
長岡は女性の手首を乱暴につかみ、走って逃げ出した。
「センちゃん!」
二人の足音が遠ざかっていくと同時に、様子を伺っていた真澄が駆け寄る。
「ごめんね、私が早く来られなくて、きちんと術かけられなくてっ」
「いい、んだよ……それより、早く、照帆に、変心、させろ……」
「駄目っ! こんな状態なのに術かけられない」
「でも」
「ダメったらダメ!」
「……分かったよ、チクショー」
真澄の剣幕に、泉持はやれやれといった感じで返事をした。泉持の返事に納得した真澄が隣に座る。腕が触れるほどの近さに、先ほど見た男女の行為と、真澄をベッドに押し倒した時の事を同時に思い出して、一人で顔を赤くした。
「……あの男、長岡だった」
頭から邪な考えを追い払うために、泉持は先ほど見た人物の事を話した。
「えっ?! センちゃんと喧嘩した、あの人?」
「そう。こっちには気づいていなかったみたいだけど。ヤク中っぽい感じではあった……チェンジスタの使用者なのかもしれない」
土のトラヴァース反応を思い出し、泉持はそう言った。
「その可能性は高いけど……見た目だけじゃ判別できないから、断定は出来ないよ」
「たしかにそうだな。あと、一緒にいた女性は分からなかったけど……どこかで見たような……」
どこか心配の色が見える声音に聞き覚えがあった。
「もしかして……教師と生徒の密会だったのかな……」
「えっ? 例の?」
巴から聞いた噂――教師と生徒の恋愛疑惑。
「だって、ここに入れる一般の女の人なんてほぼ居ないと思うし……」
「……この学校の女性教師だっていうのか、あの人は……」
彼ら二人の様子は、恋人というよりは、長岡の方が暴力で女性を従わせている性的暴行に近かった。そこに「恋愛」なんていう甘いものがあるのかどうか。
「この学校の女性教師は、蛍先生 、吉沢先生、巴先生、そして榎島先生。この中で長岡に近しいのはおそらく……担任の榎島先生だ」
まだ、確証は持てない。しかし、あの心配そうな声を「知らない」と言いきれる自信が、泉持にはなかった。
――それから土日で学校が休みだった泉持は、二日間をほぼ寝て過ごしていた。長岡との戦い、そして連日の変心術の使用で、泉持の精神力と体力は底を付く寸前だった。
そして身体を持ちなおした泉持は、月曜日を迎えたのであった。
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