第7話 林にまつわるアヤシイウワサ

 テレポート先は第一校舎にある保健室の中だった。二人は静かに保健室から廊下に出ると、その場で辺りの様子を伺う。廊下は当然のように静まり返り、非常灯の明かりだけがおぼろげに光るだけの空間が広がっている。

「念の為にレオになっておこうか、ベイベー。警備システムに引っかかっても面倒だからね」

 泉持の言葉に真澄は頷き、先ほどと同じように向かい合う。真澄の腕が柔らかくしなり、シャーン、と今度は長めの音を響かせた。

 うつむいていた泉持が顔を上げる。頭を振ると、かきあげていた前髪が崩れ、王子様然とした雰囲気は消え失せた。その代わり、顔は三白眼の不機嫌そうな表情に変わっていた。人間光学迷彩――『空間擬態』の能力を持つレオに変心したのだった。

「腕に捕まれ」

「うん」

 さっきとは打って変わったクールな態度に、真澄はほんの少し頬を赤らめて答えた。レオは感情豊かな泉持とは反対で、冷静な男だった。そのため、密かに行いたい今日のような調査にはもってこいの「人格」である。

 泉持が己の左腕を差し出すと、真澄は身を寄せる。変心中の泉持に接触すると―― 能力の恩恵を受けることが出来るのだ――泉持と真澄の姿が消えた。




 二人は校舎を一通り歩きまわり、怪しい場所や人影が無いかを注意深く見て回った。特に気になる所は無く、二人は肩透かしを食らった気分のまま、渡り廊下のある中庭までやってきた。渡り廊下でつながっている第二校舎の中も見るためだ。

 中庭には渡り廊下の両側に芝生や木も植わっており、小さな林のようになっている。外灯が一本だけあるので暗くはないが、メンテナンスがされていないのか、付いたり消えたりと忙しいため、視界が良いとは言えない状態だ。

 その時だった。薄闇の中から、がさがさとした音が聞こえてきたのは。

「……!」

 二人は渡り廊下の第一校舎側にある柵の裏に身を隠した。いくら空間擬態をして姿が見えなくなっているとはいえ、変心術の活動制限時間は約五分である。先ほどの第一校舎でも、こまめに術をかけ直しながらの探索であった。いつ術がとけてもおかしくはないのである。

 息をひそめ、耳を澄ませる。断続的に聞こえてくる音だけでは、一体誰が居て、何をしているのかはわからない。

 学園の関係者なのか、あるいは――事件の関係者か。

 注意深く柵の間から様子を伺う。

 しばらくして、二人から見て右側の林から誰かが出てきたのが見えた。ザクザクと芝生を乱暴に踏みつけ歩く姿は、大柄な男のようだ。

 やがて男は二人が潜む渡り廊下に近づいてきた。二人は一際息を飲み、押し黙った。

 しかし、男は二人が潜んでいることには気づかぬ様子で廊下を横切ると、左側の林へ姿を消した。

 その後しばらくすると、もう一つの人影が右側から出てきた。足音の軽さから、先ほどの男よりは小柄なようだ。しばらくすると、人影は渡り廊下を横切ること無く、左側の林へと消えていった。

「……見えた?」

「男の方はうすぼんやりだが、この学園のジャージを着ていたのが見えた。もう一人は分からないが、足音の軽さから、男よりかは小柄だと思う」

 術の影響で夜目の効く泉持が言う。

「じゃあ男の人の方は、ここの生徒ってことかな。一体こんな時間に、何してるんだろう……」

「二人とも歩き方に迷いが無かった。定期的にここで密会していると思われる。少しあの林を調べてみたい」

「いいよ。術、かけ直すね」

 二人は柵の裏でしゃがみこんだまま向かい合う。鈴の付いた腕を上げた真澄は、心配そうな顔になって、囁く。

「でも、レオくんになるのはこれで最後にして。たぶん、疲れてると思う……」

「……分かった」

 真澄の言葉に素直にうなづいた泉持は、瞼を閉じる。術をかけ終わると、怪しい二人が居たと思われる林の中へ入っていった。

 林に入ると、外灯の光が届かず視界が悪い。しかしここで明かりを付けて誰かに見つかっても、忍んでここに来た意味が無くなってしまう。そのため、泉持の目だけが頼りだった。

「……微かだが足跡……いや、人が一人くらい倒れていたような跡が見える」

 泉持が眺める地面には、人間一人が倒れたような不自然なくぼみがあった。近くに植わっている木にも、人為的に付けられたであろう傷があった。

「なんか、争った後みたいだね」

 不穏な空気を感じたのか、真澄が不安げな声音でつぶやいた。

 何か、捜査の足掛かりになりそうなものはないだろうか、と注意深く見る。しかし、これといって目立つものは見つからない。

「この不自然なくぼみの土を持ち帰ろう。トラヴァース試験で反応が出るかもしれない。そうすれば、EA細胞で個人の特定もできる可能性もある」

 トラヴァース試験――EA発動時に身体から出る「EA細胞」を含む分泌液に反応する薬品「トラヴァース」を 使用し、事件現場でEAPが関与したかを調べるための試験である。トラヴァース溶液を対象物に塗布または噴霧して暗所で見ると、EAPが使われた場合は発光する。

 EA細胞は個人によって違うので、照合さえ出来れば特定は可能である。

 泉持はくぼみの土をすくう。真澄がハンカチを取りだして、土を包んだ。

「そろそろ戻ろう。限界が近いんだ。頼む、真澄」

 泉持の声が微かに荒くなっている事に気づいた真澄は、何故か安堵する表情になった。

「センちゃん、レオくんの時は素直なんだよね……」

「素直?」

 泉持が怪訝な顔をして返す。真澄はその顔をみて、ハッとした表情になった。

「ごめん、どうでもいいこと。それよりも早く帰ろう。つらいのはセンちゃんだから」

 真澄は手早く術をかけ、二人はテレポートでその場から姿を消した。


 ***


 翌日の朝、僕は無駄にソワソワしていた。あの後、結局泉持は授業には現れず、そのまま部屋に戻っていたらしい。夕飯の時もタイミングが合わなかったのか見かけなかった。

 泉持は無事に登校してくるんだろうか。そう思っていると、教室のドアががらりとあいた。

「おはよーっす」

「おはよう……」

 泉持と真澄は何事も無かったのように教室に入ってきた。と同時に、クラスメイトがどっと二人に駆け寄り始める。口々に「昨日長岡とやりあったって本当か?」「お前すごいな」「どっちが勝ったの?」と、矢次に質問しはじめ、教室内はちょっとした混乱に包まれた。

 昨日のあの小事件は、既に校内中に広まっているらしかった。

 学校の有名人(悪い方で、だけど)と、転校して間もなく喧嘩して、無事でいた――というのは、この学園では珍しいことなのだ。なにせ、この大海学園は、勉強だけは出来る、といういわゆるガリ勉男子が多く集まる進学校だからだ。そもそも喧嘩を吹っ掛ける事自体が事件だ。

「ふふん、ま、ほぼほぼ、ボクちゃんの勝ちかなぁ」

 ニヤリ、と「勝ち」の言葉を強調しながら、泉持が言う。……決着はついていなかったけど、確かに「ほぼほぼ」泉持が優勢だった。

「へへー、どうだ、すげーだろ」

 屈託なく笑う泉持に、クラスメイト達の顔があっけにとられて――そして今度は、あこがれのようなものに変わった。

「マジでー?! お前、ただの色ボケ野郎じゃなかったんだな」

「すごいなー」

「その時の様子、教えろよ」

 余裕しゃくしゃくな表情の泉持の周りに、あっという間に人だかりが出来た。みんな、スカッとする話に盛り上がっているのだ。

 ……ちょっと前から、麻薬をやってる生徒がいるとか、この前はついに殺人を起こした生徒がいるとかで、校内の空気はなんだかせわしないものになってしまっている。

 そんな中、不良生徒を打ちのめせる、泉持のようなヒーローが現れて……理不尽なものに打ち勝てる存在に憧れるのは、自然な流れだった。

 すごいと思う一方で、泉持のあの強さは一体なんなんだろう? と疑問が湧いた。戦っている時の泉持は、まるで人が変わってしまったような雰囲気がした。

 やっぱり『季節はずれの転校生は、何か重大な秘密を持っている』んだろうか?



 お昼休み。珍しく晴れていた。その様子を見た泉持が「こういう日は外でメシが食べたい」と言ったので、僕はこの学園で一番の人気スポットへ案内する事にした。僕らの教室や職員室、保健室などがあるメインの第一校舎と、音楽室や家庭科室がある第二校舎を繋ぐ渡り廊下へ案内した。

 渡り廊下の左右には芝生が敷き詰められ、簡単な林もある。だから生徒はここの事を、中庭と呼んでいる。

「おっ、すげえ解放感」

 泉持はウキウキとした様子で中庭を眺める。しかし、僕らと同じように考えてる生徒は多いのか、すでにベンチや座りやすそうな場所は取られていた。

「遅かったかぁ。ごめんよ、泉持、真澄。良い場所はもう取られてるみたい」

「気にすんなって。あ、そうだ。澪、林の中はどう? 座れるような場所あったりする?」

「林の中?」

 泉持が指さしたのは、右側にある林だった。その時、僕の頭には、あるうわさが浮かび、ちょっと気まずい顔になってしまった。

「あー……林の中かあ」

「なんかあんの?」

 渋っている僕へ泉持が問いかけてくる。

「いや……その、さ。今はいいんだけど、あの林の中って、人気が無くなる時間帯に、その……カップルがイチャついてるって噂があって」

 あまり具体的な事を言いたくなくて、どうしても言葉を濁してしまい、歯切れの悪い物言いになってしまった。

「カップル? 乳繰り合ってるってこと? まあ、よくある話なんじゃねえの?」

「まあ、よくある話だよね。……ここ、男子校だけど」

「……あー、なるほどね」

 やっと合点が行ったようだ。男子校だって恋愛模様はある訳で。ただ、それが今の所少数派の同性愛であることは、外部入学の泉持たちには、なかなか理解出来ないことだとは思うのだ。そういう僕も、高校からの外部入学だから、始めは戸惑ったけどね(ちなみに僕は異性愛者だ)

 でも泉持は、特に茶化す様子が無い。とても普通に受け入れているようだった。知ってる人に同性愛者の人でもいるんだろうか?

「でも、今は昼だし。別にここでもいいと思うよ」

「おっしゃ、そこにしようぜ」

 どうせ座れそうな場所は残っていないのだから、強く反対する理由も無い。僕らは林の中に入り込み、適当な木陰を見つけて昼食を取る事にした。



「泉持ってすごいよなあ。あの長岡と渡り合えるなんて」

 昼食を食べ始めた僕らの話題は、やはり昨日の一件だった。

「へっへーん。ま、俺にかかればあんなのチョチョイのチョイよ」

「泉持、ヒーローみたいだったよ」

「あっはは、ヒーローねえ。まんざらでもないな。でもさあ、あんな不良とやりあっただけで、いきなりクラスの人気者になれるとは思わなかったわー。いやーボクちゃんまいっちゃうなへへへ」

 軽い調子でしゃべる泉持の様子が明るく頼もしくて、僕は思っていたことを口にしてみたくなった。

「この学校、最近、嫌な事件とか噂とか多くて。麻薬とか……泉持、知ってるかな。ちょっと前にニュースになった殺人事件。犯人、この学校の生徒なんだ。だから、なんか空気っていうか、雰囲気が重くて……。おまけに、マスコミの人にしつこく取材されたりしてて、学校から色々起きてる事件について、話をするなっていう指導が出てる。息苦しいよ。まあ、そんなときに、ヒーローみたいな泉持が現れたから、みんな盛り上がってるんじゃないかな。僕もその一人だよ」

「ボクちゃんの魅力は男も女も関係無いってことかな。まあ、俺としては男よりもおねぃさんにモテたいけどさ……。おねぃさんといえば、榎島先生だっけ? マジ倒れそうだったからちょっとしか話できなくてくっそ悔しいんですけど!」

 今にも地団駄を踏みそうな泉持の態度に、麻薬や殺人事件よりも、心底おねぃさんの方が大切なんだな、というのが分かって、僕の口から乾いた笑いが漏れる。でも今はその能天気さが気安く思えて、まあまあ、と慰めのつもりで肩を叩いた。

「あんな剣幕の榎島先生、今まで見たこと無かったなぁ。驚いちゃったよ。普段あんなに声を荒げる事は無いよ、あの人」

「長岡の担任だって巴先生から聞いたんだけど、それって羨ましくないか?! なんであんなサルの担任なんだ……!」

「長岡、今はあんな感じだけど、ああなるまでは優等生だったんだってさ。家も金持ち高学歴らしいし。あ、ちなみに一年生の時も榎島先生のクラスで、聞いた話によると、榎島先生のお気に入りだったって。だからかな、榎島先生があんなに怒ってるの」

「えええええーっなにそれ! ちょっと! うらやましいオブうらやましいじゃんんんん! 不良になっても目ぇかけてもらえるってくっそうらやましい!! はっ、そうか俺も不良になって榎島先生に叱ってもらえば……!」

「泉持、思考が飛躍してるよ! ほんと、泉持っておねぃさん大好きだなあ……」

「おねぃさんis俺のアイデンティティ。おねぃさんが居ない世界なんてほんと世界真っ暗闇に等しいからな。うう、あのヤローが榎島先生のお気に入りだと……解せん……うらやましい……もうちょっとぼこぼこにしてもよかった」

「泉持が強いことは分かったけど、あんまり暴れるとマズイと思うよ」

「冗談だよ冗談。昨日は喧嘩売られたから初回サービスで買っただけ。自分から売り込みにいくなんて疲れるし無駄だし、俺の趣味じゃない。そんなことしてる暇があったら俺はおねぃさんを口説きに行きたい!」

 前半の言葉よりも、後半の言葉の方にやたら重みがある。僕の口から、ハハ、と乾いた笑いがまた出た。

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