第6話 据え膳を喰わぬは恥だよ泉持くん
「うーん、雨が降ってない夜は久しぶりだなぁ」
部屋の窓から身を乗り出した真澄が叫ぶ。空には明るい月が浮かぶ、午後八時近くの事だ。
この大海学園高等部学生寮の一室、泉持と真澄の部屋からはよく外の風景が見えるらしかった。
「そんなことでいちいち嬉しそうな声出すなよ……」
寝間着に着替えた泉持から声が聞こえる。気の抜けた泉持の答えは、真澄の期待していたそれとはまったく違っていたらしく、振りむいた真澄は両ほほを膨らませ、あからさまに抗議の表情を作って見せた。
「むう、そんな素っ気無いこと言わなくてもいいじゃん、センちゃん」
「だーっ、ここで『センちゃん』って呼ぶなよー。『お兄さん』と呼べ、おにーさんと」
ベッドの上に寝ころんでいた泉持が、至極めんどくさそうな口調で言う。
「ふんだっ、実際には私のほーが年上だもんねっ」
「単に誕生日が早いだけで同い年じゃねえかよ! このペチャパイ! ナインのペッタンコの幼児体型!」
泉持は起き上がると、ニィ、と意地の悪い笑いを浮かべて真澄に言葉を投げかけた。
「ひどい~! 私すっごく気にしてるのにー! ひどいよ、年頃の女の子に向かって!」
真澄は窓から離れ、泉持のベッドに近寄ると、これ見よがしにその場で一回転した。部屋着であるミントグリーンのワンピースがひらりと舞い、昼間は結っていた髪は解いているのか、栗色の髪の毛がさらさらと揺れた。
「はー……もう男装なんてやだなぁ。やっぱスカートが落ち着くよ、それにいつ正体ばれるかわからないんだし、怖いよ~」
あーん、と一声泣くと、真澄は自分のベッドへと倒れこんだ。
「だったらその格好やめろって。すぐさまバレるだろ」
「男ばっかり~仕方ないけど~けど~」
真澄はうみゅー、とかぐにゅーとか奇声を上げながら、ベットの上で突っ伏したまま文句を言いまくる。泉持の意見には全く反応しない。
「コイツ、無視しやがった……」
意見を無視された泉持は、呆れながら真澄の方に目線をやる。
「……うーん……にゃぁ~……」
ベッドの上に寝転んだ真澄のうでがバタン、とシーツをたたく。どうやら寝返りを打ったようだった。
「うにゅー……」
また一声。同時に足を動かしたのか、シーツの衣擦れの音が響く。
肉付きの良い、白い足がぎりぎりまであらわになり、ワンピースの肩の方がほんの少し脱げかけ、胸元がちらちらと見えている。しかし当の本人はそれに気づかないのか、その乱れを直そうともしない。
「……!」
泉持は真澄のあられのない姿を凝視していることに気づいて、慌てて首を振った。
泉持は正直なところ、真澄のことを大切に想っている。普段は年上が好みだの同い年には興味がないだのと叫んでいるが、それも立派な照れ隠し。
真澄とは、幼いころからの付き合いだ。かつてEAPの能力の為に自暴自棄になった泉持を見捨てなかった、数少ない人物。
泉持が能力を受け入れることが出来たのも、真澄が傍にいてくれたからであった。いろんな事件を共に解決してきた、良きパートナーなのである。だからこそ、パートナーというだけではない、異性としても意識しているのだが。
生来の性格のせいか、はたまた勇気がないのか、今まではっきりと気持ちを伝えた事はない。
しかし、今、この場所で、真澄のこういう格好を見ると……泉持だって年ごろの男である。
『据え膳食わぬは男の恥』
脳裏によみがえったのは、昼間の巴の言葉だった。
食うべきか、食わぬべきか……。
ごくり、と唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた気がした。
神妙な顔つきで泉持は自分の座っていたベッドから降り、そろり、そろりと真澄のベッドの方に近づいていく。真澄は枕に顔を突っ伏していて、泉持には気づいていないようだ。
泉持はベッドの上に乗り、真澄に触れないように静かに覆いかぶさった。――ちょうど真澄を押し倒したような格好で。
そして耳元に口を近づけると、小さな声で囁いた。
「………………襲うぞコラ」
「ふえっ?!」
泉持の存在に気づいた真澄が驚きの声を上げた。泉持の顔を見て、慌ててうつ伏せから仰向けに身体をひねる。真澄はあっけにとられた顔のまま、動こうとしない。
お互いに言葉もなく黙る事ほんの数秒。
「……」
泉持は、真澄のあまりの無防備な様子に、自分が一方的な行動を取って居ることに気づいた。
上半身を起こし、バツの悪い顔で素早くベッドから降りる。
わわわわ、と言葉にならない声を上げた真澄を横目に、はあ、とわざとらしくため息をついた。
「真澄、お前、無防備だっつうの」
「無防備って……ちょ、ちょっと、センちゃん一体なにするつもりだったの? 訓練? それなら一言言って……あ、そっか、急な襲撃に対する訓練かもしれないもんね、なるほど!」
真澄は泉持に組み敷かれたことを、体術の訓練か何かだと思っていたらしい。泉持は勝手に納得する真澄の能天気さに呆れたが、同時に真意に気づいていないことに内心安堵を覚えた。
「……正解は秘密にしておこう」
「えっ、どういう事? 違ったの? ねえセンちゃん、教えてよー!」
「お子ちゃまの真澄には教えない~」
「あーっ! 馬鹿にした!」
「馬鹿にしてるさ!」
「このーっ!」
言い合っていても、お互いにどこか口元に笑顔が浮かんでいる。
(しばらくは憎まれ口をたたき合う関係でいいや)
背伸びならいつだってできる、と泉持は考えたのだった。
しばらく真澄と軽口を言い合っていたが、話題はいつの間にか捜査の事へ変わっていた。それぞれのベッドに腰かけた二人は、捜査用スマートフォンを片手にしゃべりだす。 元々、夕食の後の自由時間は捜査の事を話す事が多いのだ。
「んじゃ、簡易捜査会議はじめ~。今後、俺たちがどう動くか、話し合いたいと思いまーす」
「今回の捜査の目的は、麻薬流出ルートを突き止めることだよね。1か月前、私たちが捕まえた人がここの生徒だった」
「芋づる式に他のやつらも逮捕出来たけど、どいつもこいつも薬の離脱症状がひどくて、具体的に誰が麻薬の売人なのかが聞き出せなかった」
「全員の大きな共通点は、ここ、大海学園高等部……」
「面と向かって聞き込みする訳にもいかないからな。
「そんな都合よく行くわけないじゃない……小説じゃあるまいし」
「じゃーさっそく今から調査しますか。麻薬の取引といえば夜が相場っしょ。真澄、校舎に行くぞー」
「でも、八時以降の外出は禁止だって……」
「それじゃいつまでたっても調べられないだろ。それに、俺たちは二人で一人の変心術師だから……お前が居ないと、困る」
スマートフォンを尻のポケットにしまうと、泉持はベッドから立ち上がる。困る、と言った後の泉持の横顔には、照れのような表情が浮かんでいた。
真澄は泉持の表情を見て、少し困ったような顔をしたが、やがてクスッ、と小さな笑い声を立てた。泉持を上目遣いでまじまじと見つめ、口を開いた。
「センちゃんは甘えん坊さんだなぁ」
からかうような声音で真澄は言った。泉持は驚きと羞恥が入り混じった表情で、真澄を見る。
「違っ……! お前の能力が無いと、俺は……!」
「分かった、分かってるよ。私たち、二人で一人、だもんね」
「んじゃー、ばれないように瞬間移動しちゃいましょうか。真澄、頼む」
真澄は頷き、ポケットから銀色の鈴がついた腕輪を取りだした。
輪の部分に豪奢な彫刻。冷たい光沢を放つその腕輪こそが「呪鈴」であった。
真澄が腕輪を右手首にはめる。泉持と向かい合うように立つと、二人は自然に目を閉じた。
真澄の右腕がすっと上がった。泉持の額に指先が触れるか触れないかの距離で、真澄は優しく手首をしならせる。すると、シャ、シャン、とリズムの付いた鈴の音が響き渡る。
シャン! と一際大きな音と共に、真澄の腕が降り下ろされる。手であおいだ風が、泉持の前髪を微かに揺らした。
泉持のまぶたが開かれる。すると、突然泉持は両手で前髪をかきあげ、真澄の手を取った。目はぱっちりと開き、すがすがしいほどの笑顔を浮かべている。仕草は芝居がかった王子様のようだが、真澄は特に驚きもしなかった。むしろ苦笑すら浮かべている。
「さ、行こうか。僕のお姫様、ベイベー」
「……分かってはいるけど、いつものセンちゃんじゃないみたいだから、不思議な気分……。せめて、お姫様は止めてくれないかなあ、恥ずかしいよ」
「仕方ないのさ、可愛いお姫様。照帆に変心すると、影響でこうなってしまうのさ……変心の代償なんだぜ、ベイベー」
今にも踊りだしそうな泉持の姿に、真澄はははは、と乾いた笑いを漏らした。
変心した代償。それは、変心の最中は、元人格の影響を少なからず受けてしまうこと。
照帆は自らを「王子様」と呼ぶ、男装の好きな少女だった。
昼間、泉持の口調がいささか乱暴な口調に変わったのもこれが原因だ。格闘技術を持つ「野呂」は、豪快な性格の男性だ。
「じゃ、僕に捕まって」
「……うん」
真澄が遠慮がちに泉持の腰に抱きつく。それを確かめた泉持は、ためらうこと無く真澄の肩を支えるように抱いた。
「テレポート」
泉持の声と共に、二人の姿が部屋から消えた。
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