第5話 泉持の弱点

 男子校である大海学園での潜入捜査のため、真澄は性別と身分を偽っているのだった。全寮制の大海学園は、基本二人部屋である。同性の双子、と認識されている二人は、現在同じ部屋で寝泊りしている状態だった。

「だぁぁっ何言い出すんだ先生はっ!! まだ転校してきてから、そんなに経ってないですよっ。というか、だから、なんで真澄の名前が出てくるかわかんないし」

「そうか。じゃあチャンスはこれからいくらでもあるな。何、君のような女たらしでも結構古いのだなと思って」

「は?!」

 くっくっ、と忍び笑いをしつつ巴の言葉は続く。泉持の態度があからさまに違うので、それを面白がっているのだ。

「『据え膳食わぬは男の恥じ』というじゃないか」

「な、なん……据え膳?!」

 泉持は貌を赤くしたままだ。そんな泉持の姿を楽しみながら巴は話を続ける。泉持は自分自身で女たらしだの、年上の美人が好きだのと主張しているが、実のところ、女性との交際をした事は一度も無い。

(うーんやはり泉持をからかうのは面白い、よし、とどめの一言を……)

「うーむ、ちゃんと相手の合意を得るんだぞ。そしてちゃんとつけるものはつけるように。保健の授業でならっただろう?」

「なっ……それって……!」

 泉持の顔が固まる。どうやら巴の思惑は見事当たったようだ。

「アンタ仮にも教師でしょーがっ!」

「ちゃんとすれば何も問題ない。それに正しく言えば私は先生ではないし……」

「そーゆー問題じゃなくって!」

 ぽんっ、と困惑する泉持の肩を叩き、巴はいかにも作った笑顔で微笑むと、一番言いたかった言葉を発した。


「――責任は取るんだぞ!」

「何を言い出すんだあぁぁあああっ!!」


 思い切り泉持が叫んだ、その瞬間。

 ガラリ、と保健室のドアが開いた。


「失礼します……に、にいさんの具合を……」

「ああ、真澄くんか。どうぞ、入りなさいな」

「どわぁぁぁあっ!!」

 泉持が、予想もしなかった人物の来訪に素っ頓狂な叫び声を上げる――ドアを開けたのは、真澄だった。真澄は、保健室内に他の生徒が居ない事を巴にたずねると、安堵の表情になった。

「良かった、センちゃん、調子良くなって」

 声のトーンを本来の高さに直し、泉持の呼び方も普段の「センちゃん」呼びに戻した真澄は、心底嬉しそうな笑顔を浮かべて二人の傍までやってきた。

「やっ、やあ、真澄! おっ俺はこのとーり、もう元気だぞっ! おうっ!」

 ぎこちない様子の泉持を見て、一度は笑顔になった真澄の顔が曇る。

「……もしかしてまだ、無理してるんじゃない? 変なテンションだし」

「いやいやいやいやほんと! マジ! 元気だから!」

「ほんとー? ホントーのほんと? センちゃん、こういうことに関してはすぐにウソつくし……」

「いやいやいやほんとほんとに! なっ! 巴先生もOKって言ってくれてるし!」

 泉持は、真澄に気づかれぬよう『巴先生の所為でこんな事になったのだ早く収拾つけてくれ』という意味の苦々しい表情を巴にぶつける。

 巴としては、勝手に慌てて騒いでいるのは泉持一人なのになあ、とも思うのだが。

(そろそろ助け舟を出してやろうかな)

 いつまでも年下をからかっていても格好がつかない。

「やあ真澄ちゃん、お久しぶり。泉持の事なら心配するな、回復しているよ。それにしても……似合ってるなあ、その格好」

 真澄の意識を泉持からそらすため、巴は真澄の格好に対して言及する。

 真澄は肩までの髪を後ろに無造作に縛り、若干大きめの学ランを身に着けている。控えめに見ても胸があるようには見えず、小柄で女性的な男子生徒、と言われれば、なんとか通用する外見であった。

「やだ、巴先生。いつバレるか分からないから怖いんですよっ、私」

「うむ、これなら何とか男に見えるか……胸が無いのが幸いしたな」

「わ、先生ひどい、気にしてるのに!」

「まーまー。じきに大きくなるさ」

「この事件終わったら絶対、絶対に男装なんてしないんですから!」

「そうそう男装するような事件なんぞ、無いから安心したまえ……。ああそうだ、本部から新しい資料が着てたぞ、二人は見たのか?」

 巴の言葉に、泉持と真澄は自分の捜査用スマートフォンを取り出す。泉持は上手く話題が逸れてくれたので、ほんの少し安心した顔になってたのだが、真澄だけは気づいていなかった。

 資料には、一ヶ月前、渡部を逮捕した際に判明した新型麻薬の情報が書かれていた。

「巴先生、ええと……解説してくれませんか? ごめんなさい、やっぱり一度、巴先生の解説を聞かないと、ちょっと分からなくて」

 一通り目を通した真澄が、おずおずと尋ねる。隣の泉持も「せんせー、俺も俺も」と同意を示す。

 この子達は素直だ。分からない事があれば尋ねるし、何より巴を信頼してくれている。くすぐったい気持ちになりながら、巴はコホンと咳払いをした。

「ああ、良いよ。チェンジスタを解析した結果、EA細胞のようなものが使われていることが分かった。EAが少しでも絡んでいれば、その裏にはEAPが居る可能性が高い。だからこそ、私たちがこうやって派遣されてきたわけだ 。そしてこの麻薬……『チェンジスタ』の一番の特性は、トランス状態の時、自分のなりたい理想像の性格になりきってしまう事だな。身体機能も引き出され……催眠術にかかってるような状態。それに、いわゆる幻覚や幻聴など、麻薬中毒の典型的な症状になりにくいのも特徴……。だから、麻薬を使っているかどうかが、見た目だけでは判断出来かねる。ただ、離脱症状が特に酷いらしいな。暴れるのは日常茶飯事で、情緒不安定になる、とのことらしい……」

 そこまで話して、巴は言葉を切った。真澄はどういう顔をすればいいか分かりません、という明らかに困惑の表情をしているし、泉持は手元の菓子箱の煎餅を無造作に出し入れしながも、視線は資料から離していなかった。

 泉持の表情は、普段の明るさが遠のいた、険しい顔になっていた。

(チェンジスタの特性と、彼らの能力は似ているとは思ったが……)

 泉持の中に植え付けられた、三つの人格。昔の泉持は、別人格と、自分自身の人格を混乱してしまい、苦しさから逃れるために暴れる事が多かった。

 真澄や巴と共に、適切な訓練を受ける事により人格の住み分け、能力のコントロールを覚えた泉持は、生来の性格らしき、能天気で女好きの面が目立つようになったが。

(こうして自分と近しい事件や症例を見ると、とたんに暗い目つきになることが、まだあるんだよな……)

 こういう時、自分の言葉では彼が動かない事を、巴は知っていた。泉持の心深くまで入れるのは、巴ではないからだ。

「……ああ、そういえば用事があった。すまんが泉持、真澄、しばらく留守番してくれないか」

「あ、はい……」

 真澄は不安そうな声で返事をする。泉持からは返事が無い。

 少々わざとらしいが、仕方が無い。実際、済ませたい用事はあった。巴は必要な書類を手に持って、保健室を後にした。



 *



 泉持と二人きりになった保健室。

 椎葉弟……改め、導真澄は少々、困惑していた。

 泉持に対して、どう言葉をかければよいのだろうか。

 とりあえず何か話そうと思い、泉持の左隣に腰掛けてみる。しかし、泉持の反応は無い。いつの間にか、資料から目を離して、宙を見ていた。

(……似てる)

 新型麻薬・チェンジスタの能力は、確かに泉持の能力と似通った部分がある。

 かつて、自身の人格の不安定さから、暴れ、泣き喚き、時には無反応になっていた泉持。昔の泉持は、真澄が追いかけると、真澄が嫌がるような言葉を言う、無視するなどして、とにかくどこか、真澄の居ない遠くへ行こうとしていた。真澄だけではない。全ての世界と他人から距離を取りたがっていたのが、昔の泉持だった。

 年月が経ち、現在の泉持はTsで出会った巴や、訓練、セラピーのおかげで、能力をコントロールする術を身に着けている。それと同時に、普段の生活では他人から不必要に遠ざかろうする事は少なくなった。

 しかし、深く根付くトラウマは、そう簡単に彼の心の中で治まってはくれない。それは、同じように歩んできた真澄も同じ事だった。

 今の泉持は、幼い頃に頻発した解離反応――自分の身体が他人のものであるような、自分自身を外から眺めているような感覚――をしているのだろう。自分自身の心を守るための方法だと、巴から教えてもらったことがある。

(気持ちまでは、難しいよね。でも、私たちもう……一人で悩まなくてもいい)

「センちゃん」

 真澄は優しく名を呼びかけ、そして控えめに、泉持の左手に触れる。ぴくり、と微かに泉持の手が震えた。

 すると泉持は、今、ここに帰ってきました、といわんばかりのような顔をして、真澄を見た。

「……ごめん。俺、また、アレが……」

「いいの。何をしてても、センちゃんは、センちゃんだから、大丈夫」

 真澄は触れた手を握り締める。ここに居て欲しい、という願いを込めて。

「……すまんかった」

 握り締められた手を見て、少しだけ照れくさそうに泉持は言った。

「うん」

「……せんべい、お前も食べるか? 美味いぜ」

「うん! あれ、でもそれって、巴先生のじゃないの……?」

「いーじゃんいーじゃん、巴せんせーのだしぃ」

「もう、センちゃん、後で巴先生に言いつけるよっ」

「でも真澄も食べるんだろ? この、ザラメが付いたのが特に美味いぜ~」

「うっ……!」

 ふざけながらも、徐々にいつもの調子に戻っていく泉持に安心しつつ、差し出された煎餅を真澄が手に取ろうとした瞬間。

 ガラっと音を立てて保健室のドアが開いた。


「用事が終わったぞー、泉持、真澄、留守番ありがとう……って、お前ら……保健室のベッドの上で何をしているのだ」


 保健室に入ってきたのは巴だった。

「あっ、巴先生、おかえりなさい! そうだ、お伺いしなきゃ。お煎餅、一枚頂いてもいいですか?」

「どわぁぁぁあっ!! とっ、巴せんせー俺は何も!」

「ああ……うん、泉持、その続きは部屋でやりたまえよ?」

「やんねーよ!」

「えっ、お煎餅ここで食べるのダメだった……あっ、保健室……そっか……」

「うん? いや泉持が食べようとしてるのは煎餅じゃなくて、ます」

「だーーーから違うっていってんだろおおおおおおっ!」


 受け取った煎餅を食べても良いのか迷う真澄と、なぜか顔を真っ赤にして叫ぶ泉持。そして二人を見て意地悪な笑みを浮かべ、泉持をからかう様子の巴。

(とりあえず、センちゃんが元気になってよかったな)

 真澄は、封を開ける前の煎餅を手にして、言い合いを続ける泉持と巴をほほえましく見守る事にした。

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