第4話 美人?保健医・巴先生

「しつれーしますー……せんせー僕気持ち悪いんですけどー」

 不真面目な泉持の声が保健室に響き渡る。

 がらり、とドアを開けると――黒髪の長い人物――保健医の後姿が見えた。泉持はベッドを見て、誰もいないことを確認するような素振りを取った後、へらっと表情を崩した。

「しぇんしぇ~い、ぼくちゃんきもちわるいんでしゅ~」

「そこらへんで倒れとれ馬鹿モン」

 机に向かって書き物をする保険医は、生徒が来たというのに振り向く様子は無い。

「それが可愛い生徒に言うこと~?」

 すねるような泉持の言葉にも、保健医は一向に振り向こうとしない。

「ああぅ~腹がよじえる~ひっくり返る~助けてぇ~」

 泉持は、床に倒れるとごろごろとひっくり返りながら、滑稽に叫び始めた。

「……………………」

「あ~ん先生死ぬ~、死ぬほどくるしいよぉ……」

 じりじりとベッドに近づき、わざとらしいくらいにチラチラと保険医の背中を見る泉持だったが。

「そろそろふざけるのもいい加減にして、ベッドに入れ、泉持」

 振り向く事も無く、保険医は呆れたように言い放つ。

 一瞬の沈黙。

 そもそも、転校三日目の泉持が保健室に直行出来たのか。

 保険医とは言え、生徒である泉持への態度がそっけないのか。

 そして、ただの一生徒、しかも転校したての泉持の事を、声だけで判断できたのか。

「……へい、了解しやした、ともえ先生」

 泉持は、観念したように言った。

「素直でよろしい」

 やっと満足したような表情で保健医……巴が振り向く。巴の顔を見て安心したのか、泉持はベッドに倒れこんだ。

 丹橋巴にわばしともえ、四月に赴任してきた大海学園の保健医である。黒髪ストレートで細い眼鏡をかけた、インテリ美人と評され、榎島、吉沢と並ぶ人気を誇っている。

「やっぱ野呂さんは体力使うなぁ。うん、繊細なボクちゃんには堪えるなぁ。やっぱ男と殴りあうよりは、おねぃさんといろんな意味でぶつかり合いたい……うへへ」

「そう一気にまくし立てるな、お前はとにかく寝ろ。あと下品な妄想は頭の中だけにしとけ」

「まあまあ、俺を心配するのもいいけど、後で色々お仕事の話も聞いてよ。あと俺の妄想は下品じゃなくて、素直な欲求の結晶デス」

「健全な男子高校生だな、とりあえず横になっていろ。少しでも体力を回復しておけ」

「いやん、今日の巴先生は優しい」

「気色悪い声を出すな。真澄を巻き込んで、能力を使ったんだろう」

「いやーだって、喧嘩をふっかけられそうだったから。ちょっと鈴の音が遠かったから、不完全だったけど……」

「だからむやみやたらに術を使うんじゃないと言っただろうが……」

「でもでもぉ」

「ああもういい、寝てろ!」

「へーい」

 巴の言葉に、泉持は返事をし、ベッドを囲むカーテンを閉じた。

 静寂が部屋の中へ訪れた後、巴はポケットからスマートフォンを取り出す。

 そして、様々なロック解除をし終えた後に表示された電子書類を眺めた。

 警察庁、特殊警察課、EAP法……。様々な部署の様々な判子が押された電子書類を見ながら、巴ははーっとため息をつく。

「……難しい言葉であーだこーだ書いてあるけど、要はEAが絡んだ新型麻薬が大海学園から流出してる可能性が高いから、麻薬なのかEAなのか調べるためにTsが潜入してね☆ ついでに犯人逮捕してね☆ って事よね……簡単に言ってくれるじゃないの……っていうか普通、麻薬の潜入捜査って麻薬取締官マトリでしょうに……EAPが絡んでるからってかすめ取ってきやがってあの鬼ババァ長官……!」

 泉持と真澄、そして巴の三人は、麻薬ルート特定の潜入捜査のために、この大海学園に生徒としてもぐりこんだTs捜査官である。

 巴の本当の職業は、EAP能力者である泉持たちの専属医師――Tsオペレーター、と呼ばれる職業である。

 EAの研究は日が浅く、未解明の部分が多い。異能力が故に社会からドロップアウトする事が多いEAPの支援・育成という名目で、EA研究をしている医師がチームの中に組み込まれる事になっていた。

 巴は事前調査の為、泉持たちより早く大海学園に保健医として潜入していたのだった。

「あの子たちの変心術、音が目立つからな……もし何か気づかれたら、どうごまかそうか……頭が痛い……」

 電子書類から目を離し、巴は呟いた。


 変心術――泉持と真澄が持つEA能力の名称である。


 椎葉泉持は、複数のEAを使いこなすことの出来る能力を持つEAPだ。とある事件により、複数のEAPの人格を人工的に植え付けられた泉持は、真澄の操る「呪鈴」の音色によって、己の中に眠る人格のEAを使いこなすことが出来るのだ。

 日本の一部の地域にある宗教組織で、複数のEAを持つ人間の事を「ヨリワラ」、呪鈴を用いてヨリワラを制御するEAを持つ人間を「カラクリ」と呼ぶ風習があり、泉持は人工的に生まれた「ヨリワラ」であり、真澄は「カラクリ」一族の出身である。

「ヨリワラ」が能力を使う際、別人格に乗っ取られずに能力を使うには1回につき5分間が限度だ。連続での変身も可能ではあるが、変心術はヨリワラの精神力・体力を大幅に消費するものであり、乱用は避けるのが普通だ。

 巴は常日頃から、泉持にはむやみやたらに変心しない事や、こまめな休息を取る事を口酸っぱく指導しているのだが、泉持はいつも忠告を右から左に流すような態度を取っており、巴の頭痛の種にもなっている。

「……はあ、困った子供たちだ」

 ともすれば巴の声音には、慣れ親しんだ年下の兄弟に対する類の、親愛の感情が込められていた。

 ――EAPに関しての世間認知は、まだまだ低く、トラブルが多い。

 それは、EAに関する研究が発展途中であり、未知の領域が多い事。

 自身のEA能力をコントロールできる能力者が少なく、様々な事件事故の原因となりうる事。

 それゆえに、世間ではEAP=犯罪者、という非常に短縮的な構図が出来上がりつつなり、EAPの肩身が狭い世界になりつつある事。

(それをサポートするのが、私の役目なのだけどね……。こんな事を考える自分も、だいぶ年取ったなあ)

 十二年前の泉持と真澄は、自身のEAを大人に利用され、理不尽に搾取されていた児童だった。ある事件から身柄をTsに移された二人。その担当医になったのが、EA研究を始めたばかりの若い巴であった。

(……あの頃の私は思慮が足りなくて、あの子達の事を研究サンプル、だなんて言ってたこともあったけど)

 あれから十二年。巴にとって、既に二人はサンプルなどという存在ではなかった。

(今ではこうして傍に居ないと、私のほうが不安なのだからなあ)

 さて、放課後には起こしてやろうといった気持ちになった巴は、茶でも淹れようとして席を立った。



 *



 結局、泉持は放課後になるまで目を覚まさなかった(巴が様子を見つつ起こした)。目を覚ました泉持は、巴のお茶と煎餅を目ざとく見つけ、それらをぼりぼりと食べるくらいには回復していた。

 呆れる巴を横目に、泉持は美味しそうに煎餅をかじり、お茶で飲み干す。一息ついた泉持はベッドの淵に腰掛け、煎餅の入った菓子箱ごと抱えながら、巴に話しかけた。

「ねー、巴先生は俺たちよりも先にこの学校に潜入してたでしょ? 何か噂聞いてない? 特に、長岡ってヤツの噂。たぶん、俺らと同じ二年生。まあまあ喧嘩が強くて、縄張り意識が強いサルっぽい奴なんだけど」

「サル……言い得て妙だなあ。長岡慎太郎の事か? 彼だったらたくさん聞くな。授業妨害に傷害に器物破損……お墨付きのワルだな。いつも長岡にやられた生徒が私の元へ救いを求めに来るぞ。まさか、お前の喧嘩の相手は長岡か?」

「そう、大正解~!」

「転校してきて早速トラブルとは……もう少し気を付けろ、泉持。潜入捜査してるんだぞ、一応」

「へいへ~い」

 巴の小言を気にしない泉持の態度に、巴ははあ、とため息をつく。

「俺へのお小言はいいからさ、長岡の情報プリーズ」

 意に介さない泉持をにらみつつ、それでも巴は気を取り直して話し始めた。

「他の先生方はこう口をそろえて言うんだ『ちょっと前までは真面目な子だった』と。態度が豹変したのは、ここ最近だと聞いているよ。長岡に関して言えば、特に榎島先生が苦労なさっているね。長岡をしきりに誉めていたなぁ……。今では逆に、叱ってばかり。というか、この学園内で長岡を叱れる教師は少ないんだ。奴の両親が多額の寄付をこの学校にしているらしくてね」

「え? あのサルの担任、あの人なの? いいなぁもったいねぇなぁアイツにはっ!! あぁ俺も叱ってほしー……」

「……相変わらずだな。私ならいくらでも説教してやるぞ」

「あ、巴先生は遠慮……俺のストライクゾーンは十八歳から二十六歳で一応人妻も歓迎! なんですよ~それ以上とそれ以下にはぜーんぜん興味が湧かなくって……」

「ほう、だから私はダメなのか」

「そうですよーそうなんですよー、やっぱ三十過ぎちゃうとねー……はっ!」

 泉持は用心深く頷いていた顔を上げると、その表情がさーっと青くなる。

 それもそのはず。泉持の目の前にには、不気味な笑みを浮かべた巴が仁王立ちしていたのだ。

 ぽろり、と泉持の手から菓子箱が落ちかける。

「とっ……巴センセ……」

 ニィー……と、どちらもニコリとにらめっこしたのも一瞬だった。

 巴の表情が般若の如く豹変した。

「この無礼者っ!! こんなにすばらしい才色兼備の美女を遠慮するか、普通!」

 泉持の首を腕ではさみこんで締め上げる巴、精一杯反抗する泉持。

「ぐぇぇぇぇっ! ちょ、ちょっと言葉のアヤでしてでそのあのあいたたたたたたっ!!」

「だまらっしゃい!」

「しししししかたないっすよ~っホントに興味がないんだぁぁっ!!」

「じゃあ真澄にも興味がないんだなっ」

 突然の巴の言葉に、にわかに泉持の顔が変化した。

「いてて……真澄? なんでいきなり、真澄が出てくるんすか?!」

「だってお前、真澄もだろうが! 今は部屋も一緒で四六時中一緒……よくもまあ何も起こらんなぁ」

 巴の言葉に、一気に泉持の顔が紅潮した。


 ――真澄の性別は本来、女性である。

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