第3話 めちゃめちゃ強いぜ転校生

「……家庭科の榎島えのきしま先生、音楽の吉沢よしざわ先生、あーそれと、保健医のともえ先生に、うちの担任の蛍先生。この四人が大海の美女四人組って言われている……といっても、四人しか女性の先生はいないのだけど」

「ほうほう」

「蛍先生は説明もういいよね。榎島先生は優しい笑顔の素敵な先生、同じ二年生の先生だよ。六組だったかな……どっちかっつーとお母さんみたいな感じだね。吉沢先生は関西弁でちゃきちゃきしている元気な先生だけど、指揮を振る姿がすごくかっこいい。そして巴先生は今年赴任してきたんだけど、あのクールで物怖じしない態度がいいっていう生徒たくさんいてさ。それぞれファンがいて派閥があるんだよー」

「……あの人に、そんなのあるのか?」

「あの人?」

「あっ、いやっ。何もっ。いやー、美人のおねぃさんが四人もいるとか、マジ、この学校は楽園だなぁんふふふふって思って!」

「そう?」


 ――泉持たちが転校してきて、三日が経った。

 僕は次の授業のために教室を移動している最中、この学園にいる女の先生についての話を泉持に話していた。

 さっきの数学の時間に居眠りしてたとは思えぬ、真剣な顔つき。泉持の女好きはそんじょそこらのものじゃないらしい……恐るべし。

 一方、泉持の隣で歩く真澄がずっとむすっとした顔をしてるのが気になるけど、大方この兄貴に呆れてる、と思う。

「なあ、澪。次の授業は確か家庭科だったよな」

「うん、そうだけ……」

 僕が最後の「ど」を言う前に、泉持は僕と真澄の視界から忽然と消えた。

「……せ、泉持?!」

「え~のきしませんせ~いぃぃぃ!」

 遠くから浮かれた泉持の声が、僕らの耳に聞こえてきた。どうやら走っていってしまったらしいのだ。

「……ねぇ、泉持って家庭科室の場所ってわからないよね、たぶん」

 僕の当然の質問に真澄は無言で頷き、それから僕と同時に「はぁ……」とため息を漏らした。ああ、呆れてる。

「泉持の相手するのって、大変だね。僕、知り合って三日だけど、弟の君はもっと大変なんだろうね」

「うん……そう、だね」

 真澄は控えめに頷く。泉持はよくしゃべるし明るいけど、真澄は逆で、必要な事以外はしゃべらない。しゃべったとしても、ぼそぼそと小さく、ともすればわざと低い声をだしてしゃべる。他のクラスメートとも積極的に関わらず、いつも泉持の後ろに隠れるようにして過ごしている。

 引っ込み思案と泉持は言うけど、僕には何かを隠しているようにも見える……気がする。

「とりあえず追いかけようか」

 僕の言葉に真澄はうなづく。そして少し廊下を走っていくと、なにやら言い争う声が聞こえてきた。

「なんだよ、俺に何も言わないで通るのかよ」

「あ、すまんかった」

 軽く謝るのは泉持の声だ、しかしもう一方の声は……もしかして! ヤバい……ヤバいよ泉持! その声は……!

「おい、そんだけか新入り」

「他に何が必要か?」

「ここは俺の縄張りだ、昨日今日で転校してきた新入りが通るところじゃないんだよっ!」

 怒声の次にざわめきが聞こえる。足を速めそこへ到着した僕らの目に、廊下に倒れている泉持の姿が見えた。

「にいさん!」

 悲痛な声を上げて真澄が駆け寄った。泉持は真澄の肩を借り、すっくと起き上がる。良かった、無事だ!

 泉持は真澄に対して何か耳打ちし、一瞬真澄はあからさまに拒否の表情をして見せたけど、直ぐにあきらめたようにコクリと頷いていた。

 そして泉持は、殴った人物に対して向き直った。

 目線の先に居たのは――ゴツい体格の男子生徒、二年六組の長岡ながおか慎太郎しんたろうだった。

「言われた事がわからないのかこのサル」

 品の無い、いやらしい笑いを浮かべながら、長岡が言う。

 長岡は最近、すぐ暴力をふるうようになった。学校内に自分の「縄張り」なんか勝手に決めちゃって、その縄張りに勝手に入った生徒には制裁と称してリンチをする、本当に迷惑なヤツ。でも柔道だかボクシングだかやってたらしくて、喧嘩が強い。だから誰も逆らえないんだ。

 ということは……泉持はその『縄張り』に入り込んじゃったってこと……?

「なーなー、ここって正確には大海学園の廊下で、生徒みんなのものだと思う……っつーかそれ以前に、自分の縄張りなんか決めたがるやつって、ホントおこちゃまだよねーぇ」

 いつもの調子で泉持が言う。だけど今の状況じゃ、長岡を更に怒らせるだけのようにしか見えない。

「この野朗、余計な事言いやがって……テメェ殺すぞオラ」

「おう、やってみるか?!」

 ニッ、と不敵な笑みを浮かべて泉持が答える。――やはり泉持はまさに「縄張り」のど真ん中に立っていた!

「せ、泉持、や、止めたほうが……!」

 思わず僕は口走る。だけど、間に入ってまで止めることは出来なかった。

 ――ボロボロになるまで叩きのめされた、同級生の姿を思い出す。

 彼は長岡と、別の生徒との争いを止めようとして、巻き添えになったのだ。

 僕も同じようになってしまう。保身を考えると、腰が引ける。間に入って仲裁するなんて、到底出来ない……卑怯な自分に嫌気にさす。

 ふと隣の真澄を見た時、僕は不思議な光景を見た。

 真澄は、目をつぶり不思議な事をぶつぶつ、つぶやいていたのだ。

「真澄、どうしたの?」」

 不安になった僕が声をかけた瞬間だった。

 得体の知れない圧迫感が、僕の身体を襲う。

 重いような、いや……これは、張り詰めた、空気?

 身体が動かない。

 呟く声は、彼のおとなしい印象からは程遠い、冷たいものだった。思わず、悪寒がするような。


 シャ、シャンっ!


 鈴。


 鈴の音だ。


 つんざくような鈴の音。


 音は、真澄の手から鳴っていた。

 真澄の手首には、いつの間にか金色の鈴が付いた腕輪が巻かれていた。

 鈴がゆれて、光る。


 ……シャンっ!


「……うおっしゃぁぁぁぁぁ!! さあ、かかってこいよ、お若いの!」

 最後の鈴の音が消えた瞬間、威勢のいい声が響く――長岡の声、なのか?

 違う。この声はどう聞いても、泉持の声にしか聞こえない!

 しかし、いつもの飄々とした口調とは違う。まるで、いきなり体育系のオッサンにでもなったような口調だ。一体泉持に、何が起きたんだ?


 ひゅっ!


「オラっ!」

 長岡のパンチが飛ぶ。どうやら先手は彼が取ったらしい。

「うわわわっ」

 その反動で泉持の身体が崩れる。狙われたのは足だ。

 長岡の奴、まずは足元から攻めてきたのか。

 しかし、泉持は崩れた体勢を直ぐに立て直し、すばやく長岡の真正面に現れた。

「甘いっ!」


 ……ずどん!


「ぐえっ!」

 蛙が潰れたような声が長岡から出る。腹部に手を当てている……どうやら腹を殴られたらしい。

「HAHAHAHAHA! 甘い、甘いわぁっ!! こんなんでワシに勝とうなんざ一億年早いわ!!」


 バシバシバシバシっ!


 不敵な笑みを浮かべつつ泉持はこぶしを繰り出していく。姿は確かに泉持なのに、別の人間になってしまったようにも見える。

「くうぅぅうっ……っ……!」

 もう長岡は受けるのがが精一杯で、額には汗がタラリタラリとたれていた。

「オラオラオラオラァ! まだまだまだっ!」

 泉持は止まらない。これでもかと、長岡を圧倒している。

 長岡と対等に戦える奴がいたのかと、いつの間にか野次馬の生徒が増えつつあった。中には、調子に乗って野次を投げる奴も居て、完全にボクシングか何かの試合を見ているような雰囲気になってしまった。授業開始のチャイムが鳴っているのに、だれも教室に戻る気配が見えないくらいに。


 ばしぃっ!


「がはっ!」

 長岡の身体が壁に激突した。その光景をみながら泉持はニヤと笑い、すっとこぶしを下げた。

「さぁ若いの、これでおわりにしようか――」

 再度大きく腕を振りかぶりながら、泉持が言いかけた瞬間だった。

「何をしているの、やめなさいっ! もうチャイムは鳴ったのよ!!」

 女性の声。一瞬、二人の動きが止まった。

「……長岡君! 早く、教室に帰りなさい」

 冷たい声……一体誰だ?

 声の方向に目をやると、そこには榎島先生が居た。目には怒りの表情が表れている。

 榎島先生、こんな冷たい声を出す人だっけ……? おかしいな、もっと穏やかな人だと思っていたのだけど。

「……チッ……分かったよ榎島センセイ……。おいお前、覚えてろよ」

 長岡は憎憎しい声で告げると、存外素直になって自分の教室に帰っていった。と同時に、周りの野次馬生徒もぞろぞろと教室に戻っていった。

 榎島先生は長岡のクラスの担任でもある。だから長岡は素直に言う事をきいたのか……?  あの暴君が? なんか違和感あるなあ……。他の先生は、長岡に手出し出来ない(長岡の親はこの学園にたくさん寄付しているらしい)って聞いたことあるのに。

「あなた、大丈夫? 授業は休んでいいから、保健室に行ってきたら……」

 長岡の背中を見送った榎島先生は、突っ立ったままの泉持に声をかけた。さっきの冷たさと怒りはどこへやら、先生の声はいつもの優しい声に戻っていた。

「……」

 しかし、おかしい。榎島先生を目の前にしても、泉持の反応が無いのだ。

 うつろな目をしたまま、泉持は何も答えようとしない。さっきまであんなに活発だったのに(それに、あの榎島先生が目の前にいるのに)一体どういうことなのか、分からない。

 どうすれば良いか分からず呆然とする僕とは対照的に、真澄は慌てた様子で泉持に駆け寄ると、肩を揺さぶる。シャン、シャンと、あの鈴の音が聞こえてきた。

「……センちゃ……にいさん、にいさん……」

「……あ……ます……み……ここは……?」

 朦朧とはしているが、泉持が反応を示した。きょろきょろと周りを見渡している。ほっとして、僕も「大丈夫、泉持」と声をかけた。

「あー……澪か……」

「泉持、早く保健室行ったほうが良いと思う。様子がおかしいよ」

「え? あ、ああー……あ、そうかも……。すっげー気持ち悪い……すんません先生……保健室行って寝ます……」

 ぐったりと肩を落とし、泉持は言った。相当具合が悪いらしい。

「そうしてくれると、先生嬉しいわ」

「はい……」

 心底心配そうな先生の声を背中に、泉持はふらふらと廊下を歩き始めた。

「保健室の場所は分かる? 案内しようか?」

 僕の申し出に、泉持は「頼むわ」と答えた。肩を貸してやって、人の居ない廊下を歩く。

 保健室の前までたどり着くと、泉持はふらふら~と手を振り、保健室へと入っていった。

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