昼休み

蛙が鳴いている

昼休み

 二限が終わるとちょうど一二時で昼休み。学食には多くの人が流れ込んでくる。

 先に席を確保してから食べるものを得なければ、お盆を持ったまま空席を求めて徘徊することとなる。

 入りたてのころはそのようなミスを犯したこともあった。確保しておかなければ空席がなかなか見つからず、ひどいときは一〇分くらいお盆を持ってうろうろすることだってあるのだ。昼休みは貴重。時間は有限。


 「本日の定食」は生姜焼き定食。生姜焼きはもちろん、ご飯に味噌汁とサラダがつく。お腹を空かせた男子学生にはぴったりだ。カツ丼と迷ったが、今日は生姜焼きの気分ということで定食の列に並ぶ。

 テキパキと動くおばちゃんが長蛇の列を一人一人確実に処理していく。十数人ほど並んでいたのに、ものの数分で自分のお盆の上にご飯と味噌汁、サラダに生姜焼きが並べられた。箸と水を入手して会計を済ませ、お盆にラーメンとご飯を乗せた長谷川と合流する。

「がっつりいくねえ、今日も」

「生姜焼きだし、五百円だし、行かないわけないでしょう」

 人で溢れかえっている学食内を上手に進み、椅子にカバンを置いて確保していた席に戻った。僕の右隣にはイヤホンをつけてハヤシライスを食べている男が座っていたが、左隣は空席だったのでそちらの椅子にカバンを置いた。もちろん少し悪い気もしたが、右も左も知らない人に挟まれてご飯を食べるのは窮屈で嫌なので仕方がない。もしも何か言われたら謝ってカバンをどければいい。とはいえ次々に食べ終わる人が席を立っていくので、ここあいてますか? なんてわざわざ声をかけてくる猛者はいないと思うが。

 長谷川は僕の正面の席を確保していた。両隣はすでに埋まっていたので、椅子の下にカバンを置いて席についた。


 長谷川は同じゼミの友人で、二限も一緒だった。高校のときは野球部だったとのことで、体育会系なノリがたまに鬱陶しく感じることもないことはないが、基本的には爽やかなスポーツマンで、なかなかいいやつだ。ほぼ毎日のようにラーメンを食べ、ラーメンはいつ食べても美味しくて飽きないという。朝からラーメンでも全然問題なく食べられるとのこと。

「あれ、お前次は何だっけ?」

 麺を箸で持ち上げながら長谷川が訊いてきた。

「次? 宗教学だよ」

 質問に答えて生姜焼きに噛みつく。肉が柔らかく、玉ねぎには少し歯ごたえがあって、とても心地よい。その流れに乗ってご飯を口に放り込む。完璧だ。

「どう、楽?」

「出席点がほとんどで、テストなしでレポートだから楽」

「じゃあ来年取るわ」と言って長谷川は麺を一気にすすった。

 僕等にとって授業を選ぶにうえで何よりも大切なことは、興味があるかどうかではなく、単位が取りやすいかどうか。もちろん単位が取りやすいうえに興味がある授業が一番だけど。

 長谷川のこの後の授業は政治学で、内容はくそつまんないけどテストが持ち込み可らしい。テストが持ち込み可なのはポイント高いが、くそつまんないのであれば、来年取るかどうかは要検討だなと僕は思った。政治って難しそうだし。


「あれ、中川さんじゃね?」

 僕の後ろのほうを見つめながら長谷川が言ったので、振り向いてみた。

 同じゼミの中川さんがお盆を持ってうろうろしていた。

「ああ、席ないんだ」

 僕の左の席にはカバンが置かれている。つまり空席だ。しかし同じゼミとはいえ、少ししゃべったことがある程度。ここ空いてるよと気軽に声をかけるのは違う気がした。長谷川も中川さんとはあまり話したことがないようで、僕等は食べることに戻ることにした。

「で、何の話してたんだっけ?」

「政治学がくそつまんないってはなし」

 ああ、そうそうと僕が首を縦に振って、具体的にどんなことをやっているのか訊こうとしたときだった。

「やべ、目が合った」と長谷川が呟くように言った。

 僕はもう一度顔を後ろへ向けた。

 中川さんがお盆を持って、こちらに微笑みながら近づいてきていた。

「ごめーん、席がなくて。もしかして隣あいてる?」

 おお、まじかと心の中で思った。声をかけてくる猛者がいた。

「もちろんもちろん」と言って、慌てて隣の席のカバンを自分の椅子の下に移動させた。

「ごめんねー」と言って中川さんはテーブルの上にお盆を置き、僕の隣の席に座った。お盆の上にはカツ丼と味噌汁。


 ゼミの時間以外に中川さんと話すのは初めてで、と言ってもゼミのときも挨拶程度しか話したことはない。こうして話すことに新鮮さを感じている。

「席とってなかったの?」

 僕は敬語にするかどうするか迷ったが、向こうが敬語じゃなったので、同じように話しかけてみた。まだ距離感がしっかり決まっていない仲なので、若干のやりづらさを感じる。

「そうなんだよね」

 箸を持ちながら中川さんが続けた。

「前の授業が少し長引いて、来たときにはもう席が埋まっちゃってたから、ご飯を用意している間に少しは空くかなと思ったんだけど」

 そう言って中川さんはカツを一口噛んだ。

「そのパターンあるねー」と言って長谷川が同意をした。

 僕はうなずいて、うなずきつつ、女の子でカツ丼か、と思っていた。

 偏見かもしれないが、カツ丼を食べているのは男子のイメージが強い。中川さんは別に太っているわけでもないし、かと言って細くもないけれど、カツ丼について触れるのは何となく悪い気がした。

 僕は味噌汁を飲んで、サラダを食べた。隣でカツ丼を食べる中川さんをちらちらと見つつ、何を話そうか考えていた。ゼミに関連する話や、取っている授業についての話ならそれなりに盛り上がるかもしれないなと思った。

 前の時限の授業は何だったのかを訊こうと口を開こうとしたタイミングだった。

「それにしても、随分がっつりいくねえ」

 長谷川が言った。

 それは言わないほうがいいだろう、と思った。

「えーおなか空いちゃって」

 少し照れたように中川さんが言った。

「カツ丼いいよねー。迷ったんだよねー」

 どう反応すればいいかわからなかった僕は、とりあえずカツ丼を褒めた。

「私も定食と迷ったの!」

 僕の生姜焼き定食を見て中川さんが言った。

 食べようと迷ったものが一緒で、なんとなく分かり合えた気がした。


 盗み見るようにちらちらと中川さんを観察していてわかったことがある。

 中川さんはカツを一口食べ、見えたご飯を縦に掘って食べていく。カツ、ご飯、カツ、ご飯、たまに味噌汁。こうして食べ進めていくと、カツとご飯の割合がどちらに偏ることもない。

とてもいい食べ方だなと僕は思った。そこまで目立つ感じではない中川さんがカツ丼を食べることに少し驚きはしたけれど。

 

 ちゃんとしゃべるのがはじめての割には、それなりに会話を続けることが出来たのではないかと思う。無言になってしまい、間を埋めようと焦ることもなかった。

 二週間前にあったゼミの飲み会のこと。

 中川さんがゼミ内で仲の良い女子のこと。

 僕等の二限は去年二人そろって単位を落とした必修の授業であること。

 中川さんの二限は民俗学であること。

 なかなか面白いらしく、今日は妖怪についての授業だったこと。

 テストはなくて評価はレポート八割で出席が二割とのこと。

 もちろんそれを聞いて僕は来年取ろうと思った。たぶん長谷川も取ると思う。


 はじめに長谷川が食べ終え、次に僕が食べ終え、最後に中川さんが食べ終えた。

「んじゃ、そろそろ行きますか」と長谷川が言って、僕等は席を立った。

 食器返却口へ向かいお盆をベルトコンベアに置いた。三つのお盆が並んで奥へ吸い込まれていった。


 食堂の外へ出た。喫煙所から煙草の臭いが流れてきた。テラス席では男女のグループが楽しそうに話していた。食べ終わった食器がテーブルの上に置かれっぱなしになっている席もある。

「じゃあ私ちょっと生協行くねー」

 そう言って中川さんが手を振った。

「うん、またねー」と言って僕は手を振った。

「おつかれー」と長谷川が手を挙げた。

 僕と長谷川はいつも通り少し立ち話をして、それからそれぞれの授業の教室へ向かった。

 なんかよかったよね、と長谷川は言っていた。僕もそう思った。


 教室は半分ほど埋まっていて、人によっては教室でお弁当を食べることがあるので、少しお弁当の匂いが残っていた。僕は真ん中くらいの列に座った。時間を確認すると授業開始までまだ一〇分ほどあるので、耳にイヤホンを入れ、机に突っ伏して目を閉じた。

 そういえばテレビか何かで、カツ丼は王者のメシだと言っている人を観たことがあったな、とふと思い出した。王者という称号はカツ丼にふさわしいなと思った。明日の昼はカツ丼を食べようと思った。金曜のゼミが少し楽しみだなと思った。

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