拾遺 狩人たち


 爆ぜるように踏み込み、跳び上がる。そのすぐ下を細長い顎が地面を抉っていった。動揺はない。そうなるように誘導し、物の見事に正しく動いてくれただけ。半身を翻し、正対する。

 随分と機嫌が悪そうだ。と言って、その顔は殆どが黒く塗りつぶされているかのようだからあくまで予想でしかないが。

 禍者まがもの

 人を、人のみを襲い、仇成す黒き化け物共。永くこの島国、葦宮を脅かし人に恐れ疎まれる存在。

 そして、我々にとっての金のなる木。

 頭を振る禍者は、今回は山犬の姿をしている。連中は決まった形を持たない。だが、人の理解が及ぶ生き物の形を必ずとって現れる。たまに下手くそな――脚や頭の数を間違えるような――奴もいるが、今回のに限って言えば、外側はそれなりに上手く取り繕っている。少なくともその輪郭は山犬そのものである。地面を抉った際に口に入ったのであろう土塊を吐き出し、体勢を低くする。来るか。刀を握る右手に力が籠もる。視線は禍者に向けたまま、頭は忙しなく思考する。身体に染み込ませた数多の剣の型。今の状況の最適解は何れか。眼前の化け物の蠢きを見ながら選択して、備える。こちらからは動かない。動いたところを、斬り捨てる。

 果たして、その瞬間は程なくして訪れた。

 跳ねるように此方へ突進してくる禍者。大きく開かれた顎から唾液が溢れ、いやに大きな牙がぎらりと月光に煌めく。両の足で地面を踏み締める。受け止めるのだ。生半可な体勢では撥ね飛ばされるのは此方である。無論、ただでは受け止めない。間合い。彼我の距離。己の切っ先の届く瞬間を、見極める。

 刹那。

 下げていた切っ先を跳ね上げ、真横へ振るう。開かれた禍者の口腔が切っ先に裂かれる。掛かる突進の圧を逃がしながら真一文字に刀を振り切れば、身体の横を禍者の残骸が転げていった。最後か。否。手の中で刀をくるりと回し、そのまま背後へ深く刺し込む。温い手応え。痙攣と、生温かい液体の感触を味わいながら抜けば、どさりと禍者が倒れる音がした。一体ではなかったらしい。背後にちらりと目をやりながら、血振るいして納刀。

 何とはなしに予感がして、一歩、横にずれる。

「ちっ」

 舌打ち。当然、自分の物ではない。同時にずたぼろになった禍者の死骸が足下に転がってきたが、驚きはなかった。それくらいはやるだろう。奴なら。

「何で避けちまうかなあ」

 至極残念だ、と言わんばかりの非難がましい声色。

「避けなきゃ怒るんだろ?」

「あんなもん避けれねえ奴と手を組む価値はねえよ、くそったれ」

 流れるような罵倒と共に奴は――帯鉄菱おびがねひしは目を眇めて凶悪に笑った。



・・・・・



 滑稽な程に大仰な村長の礼を聞きながら努めてにこやかに禍者退治の報酬を受け取る。感謝の念も、言葉も所詮は報奨金の添え物でしかなく、とどのつまり、相応の金さえ貰えればそれ以外はどうだって構わないのが正直な所である。流石にそんなことを顔に出しはしないが。

 だから隣で至極退屈だという表情をしている菱の脇腹を小突く。残念ながらそうした機微を理解するつもりのない菱については、都度一瞬の取り繕いに期待するしかない。

 折角なのでと村への滞在を勧めてくる村長の言葉をこれまた努めてやんわりと断り、村を後にする。金さえ貰えれば長居は無用だった。

「しけてんな」

「妥当だろう」

 早速ケチを付ける菱にため息。この男はなにかしら文句を吐かないと気が済まないらしい。

「わざわざあんなド田舎までこっちは行ってやってんだ。手間賃くらい色付けろってんだよ」

「わざわざド田舎まで行かないと仕事がない、の間違いだろう。相応の報酬が貰えるだけで十分だ」

「世知辛いねえ……」

 ふん、と鼻を鳴らす菱。

 まあ、菱の嘆く気持ちも正直分からなくはない。

 禍者という化け物蔓延るこの島国においては、逆に人間同士の争いは少ない。あって小競り合い程度。そうなれば俺たちのようなただ腕っ節に自信のあるだけの連中の仕事は、化け物退治くらいしかないのだ。同業者は星の数ほどいる。徒党も組まずに腐れ縁で繋がっているだけの無名の剣士に頼むような人間は、潤沢に退治屋のいる現状では悲しいかな、こちらから見付けてやらなければならないのだ。

「ま、結局は足で探すしかないな」

 だから菱も、嫌な顔はするが明確に否定はしない。なんだかんだでもう、つるみ始めてそれなりの期間になる。現状も、互いのやり方も承知はしているつもりだった。



  ・・・・



「ああ、駄目じゃねえか」

 大仰な菱の悪態に足を止める。

 依頼人捜しに山へ分け入っている最中のことだ。この近くに村がある筈だ、と言う菱の言葉を信じてのことだったが、当の本人がくそったれ、と苦々しげに頭を掻いていた。

「見ろよ、一将かずまさ

 顎がしゃくられる。その先へ視線を向けて、ああ、と思わず嘆息が漏れた。

「この村、守手もりて持ちか」

「こんな田舎くんだりにな」

 恐らくは村へと続いているのだろう、森の中に作られた細い道。その両脇に立ち並ぶ木々には幾枚もの札が貼られていた。秘伝の技法によって梳かれた、雨風にも強い特殊な紙の上には複雑な図柄と文字。間違いなく、超常の業を使う呪術師の物だった。

「禍者除けの札に間違いないだろうな。ここまでご苦労なこったなあ」

「呑気言うんじゃねえよ。折角ここまで来たってのに……」

 この小さな島国、葦宮あしみやには古くから呪術と呼称される業がある。時に雨を呼び、時に病を退ける、尋常を生きる者には決して成し得ぬ不可思議を成すその業は、呪術師から呪術師へ脈々と受け継がれているという。ただ、そんな謂われに反して存外に呪術師は見かけることは少なくない。剣の流派のように、分派やら何やらで数は増えているらしい――知人の呪術師から聞いた程度だが。

 ともかく、そんな現状だからか、呪術師も禍者狩りに手を出している者が多いのだ。特に、特定の村や町に拠点を置き、用心棒となる者が。守手と呼ばれる彼らは兎角、流れの禍者の狩人にとっては厄介者だ。あらかじめ呪術によって禍者の入らぬように結界を仕込み、有事とあらばお得意の呪術でもって鮮やかに禍者や時にはならず者をも退ける。守手のいる所、流れの狩人などお払い箱も良いところなのだ。

「しかしまあ、流石に食料の調達はいるしなあ。立ち寄るだけ立ち寄ろう」

「げ」

 見るからに嫌そうな顔を作る菱に同じく渋面を作ってみせる。

「てめえは呪術師のいる村に助けて貰って構わねえってのかよ」

「構わんよ、別に」

 癪だと言うだけだろうと言えば、舌打ちをして余所を向いた。図星なのだろう。苛立ちの捌け口程度だ。食料やらが尽きかけているのは事実であるし、それをどうにかするには如何に苦手に思っていようが呪術師のいるであろう村を頼る他ないのだ。禍者除けの札が所狭しと張られた道を進んでいく。

 しかし。

 歩みを進める内。

 違和を、その道に覚えた。

「菱」

「……んだよ」

「気付いているか」

「札が古いってんならとっくに気付いているよ」

 不貞腐れたような色は既に菱の表情にない。素早く周囲を見回し、目を眇める。

「どうにも、呪術師の仕業にしちゃあ、お粗末だ」

 初めは気付かなかった。

 しかし、こうして道を進み、じっくりと貼られた札を見ていけば分かる。特殊な技術で梳かれた筈の紙は黄色く変色し、物によっては裂けたり破れたりもしている。生憎と呪術に詳しくはないが、こんなに薄汚れていては効果なぞ期待出来ないのではなかろうか。菱も同じようなことを思ったのだろう。何があってもいいように、その手は腰の刀に添えられていた。

 その危惧が現実のものとなるのに、時間はそう必要なかった。

 どちらともなく刀を抜き、振るう。

 どちゃり、と足元に禍者の亡骸が転がった。

「おいおい……本当に機能してねえじゃねえかよ」

「守手の手落ち、ではなさそうだな」

 互いに顔を見合わせ、村への道を走る。

 この地に守手の結界は、既にない。



   ・・・・・



 守手のいる筈の村は、惨憺たる有様だった。

 村の家屋はどれもが大なり小なり損傷を受けていて、畑の作物は食い荒らされはしていなかったが、無意味に掘り返された跡が幾つもある。禍者は人間以外を喰らわない。ただ、暴れただけの痕跡。夥しく残る獣の足跡の合間に見付けた紙切れを摘み上げる。村を守っていた筈の札の切れっ端だった。

 当然、そこに住まう村人たちが無傷の筈もない。

 比較的まともな家に一所に集められた人々の多数――大人の男たちが筆頭だ――は何処かに傷を負い、酷い者は俺たちが訪った時点で顔色を白くしていた。血を流し過ぎているのだ。

「で、何事だ、この有様は」

 絶望や怯え、恐れに口を噤んでしまった者には目もくれず、恐らくはこの村の長であろう一等歳上の男の前に菱は座った。下手に遠慮をしない質なのはこういう時に有用だ。

「結界はない、守手もいないじゃそりゃあ禍者の良い餌だ。その癖半端に守手の残骸ばかりがありやがる。一体何があった」

「儂らが聞きたいくらいじゃ」

 疲弊のありありと滲んだ顔を隠しもせずに村長は大きな息を吐いた。

「主らの言うように、元々は守手様が此処にはおった。じゃが、何日か前から、姿が見えなくなってしもうた。何もかも置いたままでな」 

「喰われたのか?」

「あの方は禍者には滅法強かった。一度たりとも圧倒されたことはなかった。そんなことはあり得ぬ……と思う」

「なら……成る程ねえ……」

 幾つかのやり取りを終えた後、菱は唐突に立ち上がり、こちらへ向かって目配せした。差し詰め着いて来い、だろうか。菱に従って一旦家を出る。疲れ果てた人々は追いすがりもせず、ただ黙ってこちらに視線を投げるだけだった。

「また妙なことになった村だな」

 家を出て早々素直な感想を放ってみる。守手が元々いたことで、不在の今、却って大きな混乱に繋がっているのだろう。信じていた守りが崩れる恐怖は如何ほどだろうか。そんなことを考えていると、菱はけっ、と顔を顰めてみせた。

「妙なんてもんかよ、糞が」

 視線をそれとなく巡らせて、菱は人々の集まる家から離れる。他人には聞かれたくないらしい。結局、少し距離を置いた木立の中、背を木に預けて菱は気怠げにこちらに視線を寄越した。

「面倒な場所だぜ、此処」

「面倒と来たか」

「呪術師狩りって奴だぜ、ありゃあ」

 やだやだと菱が頭を振る。

「噂にゃ聞いたことあんだろ」

「ああ、某かが全国の呪術師を消して回っているって話だったか」

 知り合いに聞いたことがある。ある日突然、力ある筈の呪術師が忽然と姿を消してしまう。争いの痕跡もなく、ただ姿だけが見えなくなる。同胞もそうやって何人か消えたと、知り合いは語っていたか。あれは禍者の仕業ではない、とも。

「おう。それでな、良いことを教えてやろう」

 木に凭れ、天を仰いで菱は大きなため息を吐く。

「あれはな、お偉いさんがやってんのよ」

「ほう」

「呑気な返事しやがって」

「とは言え、現実味がなくてなあ」

「……まあ、呪術師じゃなけりゃそうなるか」

 苦笑。菱にしては珍しい、微妙な表情だった。

「お前とも長いし、こういうのに直面するのは今後もあるだろうしゲロっちまうけどさ、俺ん家、それなりにやんごとなき家柄って奴でよ。そん中のほんの一握り、まあ俺みたく腕の良い奴よ、そういう奴に話が来る訳」

 その刀の腕でもって、世の呪術師を狩り尽くせ。

「まるで禍者と同じ扱いだな、その言い草は」

「おうよ。理由は知らねえがお偉いさんにとっちゃ一緒らしいぜ。連中は人々を禍者から守ってんのに、ひっでえ話だよなあ」

「お前が家を出た理由か?」

「あ? んなのなくっても出てってたよ。あんな辛気くせえ家、俺の肌にゃあわねえっての。ま、その話にいよいよ阿呆らしくなったってのはあるかもな」

 大欠伸。それから大きく伸びをして、菱は少し姿勢を正す。

「そんでだ。面倒ってのは、お偉いさんは呪術師も、呪術師をありがたがる連中も嫌ってるらしいことだな。そんで、此処の呪術師は狩られたてほやっほやだ」

「……この村が今まさに目を付けられているっていうことか」

「話が早くて良いねえ」

 にんまり、と口の端を吊り上げて菱が嗤う。

「お偉いさんってのは怖えぞ。何でもしちまうんだ。くそったれな手前勝手な理由で、他のもんを滅茶苦茶に出来ちまう。でかい街ならともかく、こんな小っせえ村、どうされたって誰にもばれやしねえ。そんでもって、お誂え向きにこういう、都合の悪い話を知っている跳ねっ返りもいると来た」

 どうすると思う?

 問われるまでもないだろう。菱の話が本当とするのなら、如何な理由とは言え、人の命を狩ることを躊躇わない連中が、この村の近くにいるとすれば。

 思わず、ため息が漏れた。そのくらい、許してくれても良いだろう。

「……このまま山に消えるかなあ」

「次善だな」

「最善は?」

「俺を切り捨ててお前だけとんずら」

「それをさせる玉か? お前が?」

 腐れ縁なのだ、最早。この手練れの問題児と相対することと、幾許かの秘密の共有。どちらが己に有益かなど、火を見るより明らかだというのに。呆れて呟けば、菱はげらげらと笑った。

「そうしたら一生お前に付き纏ってやるよ」

「その方が余程が面倒だな。お前の言う次善が俺には最善だ。そういう判断が出来なきゃ怒るだろう、お前さんは」

「当たり前だ、くそったれ」

 心底愉快そうに笑う菱に肩を竦めて、村とは逆方向の鬱蒼と茂る森の中に足を向ける。

 当面は、まともな寝食は期待出来ないだろう。

 それでもまあ、生き抜くことくらいは出来る筈だ。

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仇夢に生きる 夏鴉 @natsucrow_820

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