第七話 月夜の世迷言

 細い月がぼんやりと、微かに森の中を照らす。淡い淡い、獣にしか恩恵のない薄明り。その中であってもきらりと、薄らと煌めく銀の髪を靡かせながら初鹿は音もなく駆ける。しなやかな脚の筋肉を躍動させ、足音を、呼吸すら夜の静寂に溶け込ませて木々の間を駆けて行く。木の枝の上にひょいと立ち、時にじっと辺りに意識を向け、初鹿は宵闇を動き回る。

 葦宮を南北に分断する実篭みこもり山脈の麓、鬱蒼とした森である。人間の立ち入らぬ、木々深いその場所にしかし今、異質な気配が満ちていた。

 報せを受けたのは、二日前。

 ——南下する禍者の一団あり。その過半数、新型。

 まさか、と、初鹿も、同じく報せを受けた祓衆の隊長の面々も目を見開いた。否、倉科は、あの男だけは存外常と変わらぬ微笑を浮かべていたか。あの男は何時でも変わらないのだ。しかし、少なからざる驚きはその内にあっただろう。

 禍者は、不意に現れる。

 それは祓衆での常識だった。街中に、時に街道や別の場所に、連中は何処からともなく現れて人を襲う。故に迅速に対応してきた。現れれば即叩く。故に祓衆は国中に情報網を張り巡らせて常に禍者の出現に備えている。白虎隊とは、まさにその為の存在だった。

 だからこそ、誰もが驚いた。徒党を組むのみならず、何処から進軍の真似事さえするのか、と吐き捨てたのは帯鉄だっただろうか。

 だが、驚きも嘆きも、二の次である。

 迅速なる確認と、戦力の調査を。

 白羽の矢は、当然初鹿に立った。

 恐るべき進軍を見つけた子飼いの部下には褒美を与え、そして己は急ぎの用のみ済ませて現場へ。無論、準備も欠かさず。その期間、二日。移動も含めれば優秀な方だろう。初鹿は内心で愚痴る。その間も初鹿の目は蠢く影を、即ち禍者を捉えていた。

 森の中、幾分低く、細やかな谷のようになった底に野営らしきものを構えた禍者の一団は、火を焚きさながら人間のように振る舞っていた。木の幹にもたれて休んでいるのか、動かないでいる者、二三で円座になっている者、何処からか得物を取り出し検めている者。

 ――人間の真似事かァ。

 ぎらぎらと赤く目を光らせる化け物が、いやに人を連想させる所作をする。嫌悪を覚えながら初鹿は禍者共の監視を続ける。初めに発見した部下から聞いた話の通り、連中は少しずつ南へと、桜鈴の方向へ移動しつつある。まだ距離はあり、禍者の移動もゆっくりとしたものだが、祓衆との衝突は避けられない。何と報告したものか。考えながら、するすると木々の間を縫う。人間が初鹿たった一人というこの状況。不意に背後から禍者が——となれば目も当てられない。ゆるりゆるりと周囲を警戒し、居場所を変え、彼は監視する。もうじき部下がやって来る。代わる代わる監視する為に、初鹿と倉科が予定表を組んだのだ。だから、もう少し。此処で頼れるのは己のみ。

 懐かしい。

 こんな時、何時だって初鹿の脳裏には懐かしさが去来する。

 物心付いた時、初鹿は一人ぼっちだった。誇張でも何でもなく、気付いた時には何処とも知れぬ森の中に一人でいた。酷い空腹ばかりに支配され、訳も分からず森の中を彷徨った記憶は、二十年以上経った今でも生々しく残っている。何故、どうして。そうした疑問が生まれたのは、ずっとずっと後だった。森の中で這いずっていた所を気紛れに盗賊に拾われ、食物と、それから幾許かの言葉や人間としての知識を得て、漸う初鹿は悟ったのだ。

 生まれてすぐに、捨てられたのだと。

 ただ、分かってもいたのだ。

 葦宮の人は、黒い髪と黒い瞳が当たり前だ。幾らかそうした色の薄い人もいるが、それにしたって茶や赤茶。光の当たり具合で薄まって見える、というような程度だ。その中で、自分自身が如何に異質かは、そう間を置かず悟れた。

 一切の色のない白の髪と、宵闇の中で光っているようにすら見える翡翠色の目。

 拾われた盗賊たちの中で、葦宮の人の中で初鹿は何処までも異質だった。

 だからきっと、仕方がなかったのだろう。

 そう思えば、顔も知らぬ産みの親を憎む気持ちはなかった。記憶に一欠片もない両親に特別な感情を抱くこと自体が難しかった、という部分もあるだろうが。

 兎も角として、何処にも交われぬことを早々に悟った初鹿は、真っ当に生きることを諦めた。

 拾われた先、盗賊たちが良からぬことをしていることは幼心に分かっていたが、何も言わず加担した。そこを抜け出して生きる術を得ることの難しさを薄々悟っていたからだ。生きる為に、人を殺し奪う彼らの手助けをし、おこぼれを頂戴した。その最中で、身体の動かし方を学んだ。斥候紛いのことをさせられることだって少なくなかったのだ。盗みも両の手で数えられないくらいにした。元より素質でもあったのか、生きるのにも随分と役立った。

 そうやって暗い生き方をしていた初鹿が、終ぞ本当の意味での同胞になれなかった盗賊たちと袂を分った初鹿が、何の因果か国中を回る旅芸人たちに拾われたのは僥倖以外の何物でもなかった。容姿の物珍しさと身の軽さは、良い売り物だった。

 旅芸人たちは気の良い人たちだった。それぞれに事情を抱えた彼らは、同じように事情を抱えた子供を大らかに受け入れてくれた。見たこともない家族というものを教えてくれた。初鹿凌児という名前も、彼らに与えられた物だった。彼らがその身の軽さはきっと役に立つと軍学校に送り出してくれたからこそ、今の初鹿はあるのだ。真っ当に生きられぬ筈の己が、真っ当な道を歩んでいる。その奇跡を初鹿は良く良く分かっていた。己の根源、始まりが孤独に満ちた暗い森であることも。

 だからこういう、一人の任務の時は訳もなく懐かしさに襲われる。

 かさり。

 僅かな葉擦れの音に懐古から引き戻される。張りつめた神経はどんなに過去を彷徨っていても今の変化を逐一意識に警告してくる。何日も同じ場所にいることは決して苦ではない。民草を護る。目的があれば、忍耐など幾らでも出来る。音を立てぬように深く呼吸をする。禍者共が集う輪から少し外れた場所、連中の死角であろう場所にまた別の禍者がいた。四足の獣と、小さな鳥。眉根が知らず寄る。飛行能力を持つ禍者は厄介だ。どうしたって衝突を避けられない今、斥候や攪乱になり得るそれは小さくとも恐るべき脅威となる。

 ――やっちまうかァ?

 自問する。腰に差した匕首に手が伸びる。二匹は集団の死角。おまけに連中とは違って旧型。音もなく屠れるだろう。今の内に些少でも戦力は削ぐべきではないだろうか。ゆるりと吸い込んだ息を、しかし少しして静かに吐き出す。矢の放たれる前の弓の如く張り詰めていた身体から余分な力を抜く。

 確実でないのなら、やるべきでない。

 新型は近い。万に一つ、音の一つそれこそ衣擦れでも起こしてしまえばたちどころに初鹿は狙われるだろう。連中の中には、弓らしき物を所持しているものだっていた。それが当たりでもしたら。

 こんな所で傷を負う訳にはいかないのだ。静観の姿勢に戻りながら、初鹿は目を細める。

 ――随分と、重たいもんを背負うようになったよなァ、俺は。

 後ろ暗い生い立ちを背負いながら、気付けば白虎隊の隊長にまで成り上がっている。周囲には奇異な見目をも気にせず純粋に慕う部下がいる。信を置き、背を命を預けたって構わないと思える同僚をも得た。

 何より、都羽女がいる。

 上品な顔をして勇猛な、不可思議な魅力の塊である彼女がかつて朱雀隊の隊長として戦場に佇んでいた時、初鹿は一目で惚れたのだ。軍学校でもしばしば噂に上っていた彼女が数多の禍者の亡骸の中凛と立っている様、常は緩やかに閉ざされている瞼が開きぎらぎらと瞳が輝く様は凄絶の一言に尽きた。望まぬ形で戦場を去った彼女ではあったが、からりと乾燥しながら温かみと力に満ちた声はかつて戦場にあった頃を優に想起させ、初鹿に形容しがたい情を溢れさせた。

 ――好い女だよなァ。

 己の下に入った彼女を想えば、初鹿の胸には帰りたい、という感情が去来する。ならず者たちの集まる森ではなく、賑やかな声の絶えない小屋でもなく、秩序に満ちた、祓衆のあの執務室に。

 何処へだって行って良いと思っていた。己の身など悲しいくらいに軽く、命も尊厳も何もかも、容易く飛んで行ってしまうものだと思っていた。そうとしか生きられないと思っていた。そんな軽い命に、止まり木がある。

 ――贅沢な話さ、本当に。

 音もなく、初鹿は笑った。

 



 

 仄か、月明かりの揺らめいた気がして土生は手を止めた。夜はそれなりに深く、夜勤のない者はそろそろ寝床に就くような頃。黙々と書類と向き合っていた土生は座ったままぐっと背伸びをする。ぢり、と机の上の洋燈ランプが小さな音を立てた。

 白虎隊には、書類仕事の苦手な者が多い。読み書きは苦手だが身体能力は高く、有用な人間はしばしば白虎隊に行き着くのだ。だから戦場での動きは一級品でもいざ書類を前にすればそも筆記具を握ることすら苦労する者も少なくはない。家からして武に秀でた者の多い青龍隊やそもそも頭脳を買われる玄武隊は言うに及ばず、朱雀隊と比べても、読み書きには些か難のある者の割合は大きい。まず隊長が読み書きは出来るが進んでは出来ない性根なのだから仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが。

 そんな中、朱雀隊の長であり、使いものにならなくなって流れてきた土生が書類仕事を負うようになったのはある意味当然の帰結であったのだろう。軍学校時代から使い続けて手に馴染んだ万年筆を弄びながら物思いに耽る。

 五年前、禍者は進化した。

 人の姿を覚えた。

 幾ばくかの知能を得た。

 剣を握ることを覚えた。

 遠くを害することを覚えた。

 そして、桜鈴の北で湧き出るように侵攻を開始した。

 油断はなかっただろう。何度思い返してもその答えは覆らない。当時朱雀隊を率いていた土生は叱咤激励を欠かさなかったし、当時部下であった帯鉄や隊長補の早川を始め誰もが一騎当千の手練れであった。

 ただ、未知であった。

 それがきっと、明暗を分けたのだろう。

 崩れたのは入ったばかりの新入りたちだった。教えられた数倍の多彩な禍者共の侵攻に、彼らは適応仕切れなかった。怪我を負った。前線から退かざるを得ない者が出た。それはまだ良かった。運悪くも命を落とす者も出た。萌芽を死なせてなるものか。禍者共を屠る為の戦いは、何処からか無垢な子を守る為の戦いへと様相を変えていた。

 その最中を、土生はひたすらに戦った。刀を振るい、声を上げ、時に膝を着いた部下たちに肩を貸した。数多の禍者を切り捨て、血を浴びた。己のことはどうでも良かった。何が何でも隊を瓦解させてはならない。その一心だった。最後には殿を務め、一人でも多くの部下たちが逃げられるように命を賭けた。

 気付けば、禍者共の侵攻は止まっていた。周囲には夥しい数の禍者の死骸があった。殲滅。そう言っても良い状態だった。乱戦の果てに、祓衆は己が信条を貫き通したのだ。そう思い至り、ほう、と息を吐いた瞬間、彼女の足は己の役目を終えた。がくりと力が抜け、座り込む土生を見て悲鳴を上げたのは一体誰だったか。苦い思い出だ。思い出せば、古い傷跡がじくりと痛む。足の大事な筋が断たれていて、もう治しようがない。そう告げられたことは断片的にしか覚えていない。もう戦場には立てない。その事実に刺し貫かれたのは、乱戦から一週間が経った頃だった。

「随分と辛気臭ェ顔だなァ」

 不意に、風が吹いた。過去を漂っていた意識が引き上げられる。いつの間にか机に肘を着き俯いていた顔を上げる。夜風が涼しい。執務室の窓に顔を向ければ、銀色の髪と翡翠の瞳が月光に照らされて輝いていた。

「おや、お前さん、もうお帰りかい」

 ぎらぎらと生気に満ち満ちて輝く瞳を見ていると、さっきまでの陰鬱な気持ちがすっと引いていく。淡い筈の月光に眩しさを覚えて目を細めた。何時もそうだ。此処の主、白虎隊の隊長様は何時だって神出鬼没で、誰かが驚けば心底面白そうに笑う。どういう仕掛けか、執務室の窓の鍵を開けて桟に腰掛ける初鹿は常の通りに子供っぽい笑みを口の端に浮かべていた。瞳ばかりが、言いようのない感情にゆらりと揺れた。

「あァ、うちの連中は優秀さァ。すぐに駆け付けてくれてよォ」

 にひにひと愉快そうに声を上げて、初鹿は目を眇める。

「ほんとに、あんがとなァ。無茶させた」

「無茶なんざしてないさ。お前さんに比べりゃよっぽど、温い戦場よ」

 ほんの少し、ほんの少し力を入れただけだ。何時かのように現れた禍者の集団の偵察の為人の流れを一から見直し、隊長の仕事を調整し、様々の調節の故に生まれた業務の歪みを請け負って、それだけだ。

「あたしの領分だろう? こういうのはさ」

「都羽女は流石だなァ」

 からからと底抜けに明るい声で初鹿は笑う。必要以上に気負わず、さりとて無責任にも無情にもならず、行く宛を失った土生を何も言わず白虎隊の隊長補へ引き入れ、こうして手放しの信頼を寄せて来る。元より面倒を見る方が性に合っている、前線に立てなくなったことに未練がない訳ではないが、それでも今の、白虎隊の可愛い部下たちに頼られ書類と睨めっこする生活は決して嫌いではなかった。

 何より。

「ねえ、凌児」

「ん?」

「お帰り」

 昔、聞いたのだ。何故、自分を隊長補に招いたのか。

「おうよ、ただいま」

 そうすれば、初鹿は一瞬虚を突かれたように目を見開き、それから気恥ずかしそうに頬を掻いて、言ったのだ。

 ――だって、なァ、好いた女がどっか行っちまうってェ時によ、何もしねェ男なんざいねェだろう?

 軍学校時代から、それなりに知ってはいた。白い髪に翡翠の瞳、類稀なる身体能力。良くも悪くも目立つ後輩だった。話すことは余りなかったが、実技の時の、猛禽の飛ぶような流麗な動作は印象に残っていた。鳥のような男だと思った。そんな男の余りに愚直な言葉が、土生は純粋に好ましかった。

「何だァ? 変な面して」

「いや、何、お前さんは色男だと思っただけさ」





 くはりと大口を開けて圓井は欠伸をする。そのままぐっと全身を伸ばす。初夏の空気が肺を満たして心地良い。

 訓練中の筈の時間、運動場から抜け出して、正面玄関近くの木立で圓井はのんびりと身体を横たえていた。別に訓練が嫌いな訳ではない。寧ろ強くなることは大歓迎だ。ただ、延々と似たようなことを繰り返すのは本当に退屈なのだ。訓練して、鍛錬を重ねて素直に結果が出る頃はとうに過ぎているのだから退屈は一層だ。待機の任は終わったばかりで厳しい隊長も今日は非番。鬼の居ぬ間に何とやらとばかりに――もっとも圓井はそんな言葉を知らないのだが――圓井は束の間の平穏を謳歌していた。愛用の双刀を傍らに置いて、手足を投げ出してごろごろと寝転ぶ圓井を、祓衆の面々は苦笑しながら傍らを通り過ぎて行く。朱雀隊の隊長の厳格さは折り紙付きだ。それでも我が儘を通そうとする圓井はいっそ微笑ましくすら映るらしかった。

 そうやってのんびりと、うつらうつらとしていた圓井だが、ふと見知った気配を感じて立ち上がる。慌てて刀を両腰に差して立ち上がり、視線を巡らせれば、案の定。深い藍色の制服と、肩に掛けられふわりとはためく黒い着物、何より腰程にまで伸ばされた豊かな黒髪。玄武隊の隊長である倉科だった。傍らには珍しく隊長補の松尾ではなく、幼馴染であるという江草えぐさが控えていた。常より世話になる温和な彼のことを少なからず圓井は兄か父のように慕っている。人好きのする笑みを浮かべて挨拶しようとして、足を止める。

「っ、と」

 慣れた筈の挨拶は喉の奥に蟠ってしまう。軽く挙げて見せる筈だった片手はふらりと虚空を泳いで、下ろされた。圓井を止めたのは、純粋な驚きだった。闊達で無鉄砲ですらある圓井を留める程の。

 それだけ、珍しかったのだ。

 だってあの、祓衆の中でも群を抜いて気の長く、理知的な倉科が、あんな、背も凍るような苛立ちをありありと身に纏うなんて。

 呆然と、何をすべきか分からず立ち竦む圓井を視界の端に捉えたのか、江草はひょいと首を傾けひらひらと手を振る。それから傍らの倉科に一言二言告げれば、倉科は圓井を認めて苦い笑みを浮かべ、かつかつと玄関を潜ってしまった。そんな幼馴染を横目に江草は圓井に近寄り、気安い笑みを浮かべた。

「よう」

「お疲れっす、為路見いろみ先輩」

 玄武隊でも異色の、武に秀でた江草は武人然とした厚い肩を竦める。垂れた眦には申し訳なさが滲んでいた

「すまんのう、うちの頭が」

「いえ……何かあったんすか?」

「まあ、色々と、のう」

 歯切れの悪い江草の様子に内心嘆息。こういう時は、自分では理解出来ない事情があるものだ。無暗に首を突っ込んだ所でどうすることも出来ない。そういう弁え方は圓井なりに心得ていた。はあ、と曖昧な声を出す圓井の頭をわしわしと撫でながら江草は小さく息を吐く。

「まあ、堪忍してくれや。あんお人がああやって分かりやすいんも、此処じゃけえよ。そうでなきゃ、頭はもっと上手く誤魔化す。じゃけえ、まあ、今日は運が悪かったと気にせんとってくれ」

「そりゃ、そのくらいお安い御用っすよ」

「おう、助かる」

「ってか為路見先輩! あんまり髪滅茶苦茶にしないでくださいって!」

 ははは、と快活に笑う江草に抗議すれば、一際大きな声で大笑して額の鉢巻諸共髪を掻き混ぜられる。

「減るもんでなし、ええじゃろうが」

「綺麗に結ぶの案外面倒なんすよ……」

「すまんすまん」

 軽い声色で謝り、一頻り撫で回して満足したのかぽんぽんと最後に頭を軽く叩くとくるりと江草は踵を返す。

「まあ、次会う頃には頭も元通りじゃろ。休憩も程々に、精々励めよ」

「は、はい!」

 最後だけきっちりと締めた江草を一礼して見送り、ふうと息を吐く。己の上司、帯鉄とはまた違う凄みの持ち主なのだ。帯鉄や常葉と同期と聞いた時には成る程と妙な納得さえ覚えたものである。

 しかし。

「そろそろ戻っかなあ……」

 励まねばならないのもまた事実。よし、と髪と鉢巻を結び直して圓井は運動場へ足を向けた。

 もうじき、大規模な反攻作戦が展開されるだろう。

 それだけは、確実なのだ。

 

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