第六話 暗く躍る影

 追う。

 赤い鉢巻を靡かせて圓井は走る。

 瞳を輝かせ、両の手には刀を携え、暗い路地を駆け抜ける。ぎらついた瞳は、先の路地を折れて姿を消す人影を捉えていた。

 人影。

 そう、圓井は人間を追っていた。屠るべき禍者ではなく、守るべき人間。もっとも、今追っているのは祓衆にとっては敵なのだろう。だって奴らは妨害してきた。祓衆の主上の使命とも言える禍者の退治。その最中、彼らは石を放った。声を上げた。姿を見せた。現場を乱した。それがどれだけ交戦の危険度を上げるか。連中とて、どれだけの危険に晒されるか。

 残念ながら、圓井に難しいことは分からない。危険度だとか、その他様々な事情、確執。それら全ては己の頭ではきっと理解しきれるものではない。そう自覚している。

 今だって、上司である早川の命を受けて追っているのだ。

 だが、少なくとも。

 奴らが敵であること。

 それだけはっきりしていれば、十分だった。

 駆ける。

 目視する。

 見えなくなれば耳を澄ます。

 敵、敵、敵。

 敵は何処にいる?

 眼前に。

 刀は?

 否、それは。

 限りなく単純化された頭の中で圓井は思考する。矛盾のようだが間違ってはいない。敵を追跡する為だけに最適化された思考を巡らせる。

 頭は良くなくとも、こういうことなら慣れっこだった。

 整備された表通りとは裏腹の、入り組んだ桜鈴の裏路地を追う。追われる影——きっと男だ。この暗がりでだって身体つきで判る——の荒い息遣いがぼんやりと圓井の耳にまで届く。対する圓井はまだ軽く呼吸が弾む程度。

 辛いんなら止まれば良いのに。

 別に取って食いやしない。

 獰猛な笑みを隠しもせずに圓井は考える。もっとも、そんなこと、もうどうだって良いのかも知れない。だってもう、圓井は己の間合いに捉えていた。

 一歩。踏み出す瞬間、一際に体重を掛ける。じゃり、と地面と軍靴の擦れる音がして、これまでよりも大きく圓井は敵との距離を詰める。両の手は自然と両腰に提げていた刀の柄に伸びていた。七星と七曜。同じ意味の名前を冠する双刀。あの人が、お前になら扱えるだろうと言ってくれた刃。駆けながら全身を使って抜き放てば、ぼんやりとした月光に鈍く輝いた。また一歩。ほら、もう届く。

「市吾! 取り押さえて!」

 刀をくるりと持ち替えて、ぐっと踏み込む。圓井の脚力ならば造作もない。手を伸ばし、敵の肩掴んで地面に引き倒し、鳩尾の辺りに刀の柄を叩き込む。がくん、と、抵抗もなく力が抜けたのが分かった。

「ご苦労様」

 ふう、と大きく息を吐いた圓井の肩が軽く叩かれる。この暗がりでも薄っすらと輝いて見える金髪と青い目。

「一瞬ひやりとしたわ、流石にね」

「す、すんません早川隊長補」

「良いわ、失敗はしていないのだし、ね」

 艶然と微笑んで、早川は圓井の組み敷いている男を見下ろす。

「それにしても、随分と面倒なことをしてくれたわね、改史会さん?」

 意識のない男ににこりと早川は微笑む。しかしその瞳の青は雪降る前の空の如く冷ややかだ。圓井だってここまでの視線は貰ったことはない。本当、敵でなくて良かった、なんて思いながら口を開く。

「んで、こいつどうします?」

「他の連中は……望みは薄いかしらね。取り敢えず屯所へ連行――」

「失礼いたします」

 その声を聞いた瞬間、早川はあからさまに嫌悪の表情を浮かべた。

「あら、随分早かったわね。ご苦労様、とでも言えば良いのかしら?」

「お言葉には及びません。迅速なる出動は我ら警察において不可欠なことですから」

「良く言うわ」

 青い目を眇めて、大仰に肩を竦める。

「それで? その迅速なる警察様が何用?」

「そちらの」

 祓衆の、深い藍の制服とは異なる、純然とした黒い制服を纏った連中——対人の組織たる警察は冷徹そうな目を未だ意識の戻らぬ男に向ける。

「改史会の者でしょう。貴方方の手を煩わせる訳にはいきません。警察が身柄を預かりましょう」

「有り難い申し出ね。でも結構。私たちもこいつには色々と聞きたいことがあるのよ。こっちの用が済んだら引き渡すからお帰りよ」

 懇切丁寧な言葉と裏腹に、早川の声には棘が多分に含まれている。圓井はそんな対峙を内心はらはらしながら見守る。切った張ったなら兎も角、こうした舌戦には出る幕もない。

「貴方方が禍者を討伐し人の世を守ることが任であるように、我々の任は罪人を捕え治安を守ることです。改史会の相手は、我々が担います」

「そう言うのであれば、連中が私たちの邪魔をしないように、未然に防ぐくらいの気概を見せたらどうかしら? 私たちも、こいつらを聴取する権利くらいあるでしょう?」

「……それは我々には判断出来かねます。上には伝えておきましょう」

「何処まで本当かしらね」

 はっ、と苛立たしげに息を吐いて首を傾げる早川の顔は美々しいが、その分威圧感がある。しかし対する警察の男――雰囲気的に案外立場は上の人間なのではないだろうか――は涼しい表情を崩さず、申し訳程度の謝罪感を顔に載せる。

「貴方方の任を我らの怠慢が為に妨害されたこと、烏滸がましいとは思いますが警察を代表として私が謝りましょう。本当に申し訳ない。ですが、だからこそ、此処からは我々に任せてもらいたい。……貴方方とは、なるべく穏やかな関係でいたいのです」

 これ以上は、不毛だろう。圓井にも何となくは分かった。ずっと、平行線だこの言い争いは。そして、腹立たしいことこの上ないが、警察の言うことももっともなのだ。拗れ過ぎたら、多分、祓衆はやりにくくなる。お互い様なのだろうが。

「……堂々巡りね」

 やがて、渋面はそのままに早川はちらりと圓井を見遣る。仕方ない、のだろう。多分。視線を受けて立ち上がり、椅子代わりにしていた男を引き上げる。感覚的にそろそろ正気を取り戻しそうだが、存外寝たままだ。そのぐったりした身体を警察連中の方に突き飛ばすようにすると、会話を担当していた男の後ろに控えていた三人が慌てて男を支える。

「良いわ、仕方がないから今日はお渡しするわ。精々情報を引き出して、私たちにも教えて頂戴よ」

「申し訳ない。なるべく多くの情報を聞き出し、改史会を一刻も早く捕縛しましょう」





 二年と少し、青龍隊に籍を置き、片河は青龍隊が長たる常葉のことをそこそこは掴んで来たつもりである。

 即ち、常葉という男はいけ好かない野郎であるということを。

 実力は、まあ認めようではないか。祓衆でも最強と謳われるその剣の腕は伊達ではなく、彼が一度愛刀白布津しらふつを振るおうものなら、その眼前に敵はなし。そんな話すら決して荒唐無稽の与太話ではない。名実共に祓衆最強であり、祓衆随一の剣であろう。そんなことも誰かが言っていた。勿論——というのは何とも苦々しい気持ちだが——片河だってそう思う。小難しい云々は良く分からないが、きっとおんなじ評価だろう。

 しかし性格については問題大有りだ。

 これまた表向きはそれなりに好青年、社交的で温厚だなんて言われているらしいが、彼の組織内での振る舞いを知っている片河からすればお笑い種だ。妄信的にも見える程の実力主義者であり、己のお眼鏡に適わない者に対しては冷淡一辺倒。温和そうに見える微笑の裏には狂猛極まりない本質が見え隠れしている、という寸法だ。とんでもない奴なのだが、中々どうしてこれでいて青龍隊では相当に隊長として信頼を置かれているのだから分からない。片河にとっては胡散臭くていけ好かない野郎でしかない。まあ、信用くらいはくれてやっても良いが。

 しかし。

 しかしなあ、と肩に担いだ愛刀の重みを感じながら片河はちらりと素知らぬ振りをして我らが隊長の方を盗み見る。

 戦闘作戦が終わって間もない。昼日中の日光の下に、禍者の亡骸ばかりが散乱していた。何時も通りの出動命令、常の通りの禍者との戦闘だった。新型、人の形をしたものも二、三いたが所詮青龍隊の敵ではない。あの奇人の隊長補の言葉を借りるのであれば一騎当千の連中を集めた集団こそが青龍隊なのだ。この程度で遅れを取っていてはそもそも青龍隊を名乗ることさえ許されない。

 そういう連中の集まりだから、たとえ隊長が禍者の亡骸の只中で静かに佇んでいても別に咎めたりはしない。禍者の血に塗れた整った顔に薄っすらと冷たい笑みを湛えて、やはり血の絡む刃を惨状の中膝を折る人間に向けていた所で乱心を疑う者は皆無だ。そういう判断をしたのか。ちょっとした感慨があるだけだ。

「残念だけれどね、俺は、あんまり優しくはないんだよ」

 知己に語りかけるかのように、常葉は宣告する。

「戦闘行動中の場をちょろちょろと。小細工を弄するのもいい加減にしてもらいたいね」

 冴え冴えと輝く白布津が、膝を折った男の顎を捉え、持ち上げる。

「棒っ切れまで持ち出して……理解が出来ないね。改史会だか何だか知らないけどさ、俺たち憎しで動くのは一向に構わないさ。けれど、それで禍者に殺されたって文句は言えないんだよ?」

 これ見よがしに困ったように常葉の眉が下がる。女が見たらほっとかないような憂いの顔。それでいて、目ばかりがただただ冷たい殺意を湛えている。そんな、腰を抜かしたっておかしくない常葉を目の前にして、喉元に刃を突き付けられながら、男は目を剥いた。

「それを恐れて貴様らに仇をなせるか!」

 ぷつ、と刃が皮を破り首を血が流れていくのが、片河ですら視認出来た。それでも構わず男は口を開く。

「構わぬ、構わぬさ禍者に食われるは栄誉だ!」

「栄誉……?」

「我らは食われねばならぬ! あの化け物に食われ、我らは罪を雪がねばならないのだ! 長く罪を犯し目を潰し生きてきた我々は禍者に食われてこそ救われるのだ!」

 気味が悪い。片河は無意識の内に腕を擦った。とんだ狂信者め。よくもまあそんな考えが生まれたもんだ。全く理解が出来ないからこそ恐ろしい。他の面々も似たような具合なのだろう。不可解そうに眉を顰めたり、もしくはいっそ興味を失って暇そうにしていたり。

「随分と可笑しなことを言うものだね」

 そして、常葉は。

 紡錘形の目を蛇のように細めて、嗤っていた。まるで、仇を見るような、そんな不穏な眼差しで。

「それがお前たちの思想か。……俺は、そういうの、一等嫌いだよ。それならとっとと」

穏やかな嘲笑のまま、ゆらりと刀を振り上げ、そして振り下ろす。

「死ねと言いたいけれどね。生憎と、俺たちは人間を護る側だ。本当に、残念だけれども、ね」

 足音が聞こえる。恐らくは、改史会の所在を聞きつけた警察の物だろう。男の脳天、その寸前で刃を止めた常葉はやれやれ、と整った顔にわざとらしい憂いを貼り付けた。

「困ったね。祓衆というのも、こういう時に不便を感じるよ」

 ね、と唐突に片河に視線を向けて笑う常葉に片河は口をへの字にして肩を竦める。過激な発言に巻き込まれる趣味はない。

「しかし、本当に気味が悪いし気に入らないよ。あの化け物に何を見ているんだか。あんなもの、さっさと鏖殺するべきだというのに、ね。殺して然るべきだ」

 ぶつぶつと呟きながら刀を納めて髪を掻き上げる常葉は割合に機嫌が良くないらしかった。本当に、珍しい。

 まるで。

 まるで禍者に親でも殺されたみたいだ。





「君も、中々に苦労しているようだねぇ」

「申し訳ない」

 重く重く、仁野は息を吐いた。茫洋とした目の下には薄っすらと隈すら見える。

「改史会も随分と暴れているよねぇ。警察も大概無能呼ばわりされてもおかしくない」

 はは、と笑いながら倉科は執務机に頬杖を突く。玄武隊の執務室。此処でならどんな言葉だって咎める者はいない。仁野は申し訳なさそうに頭を垂れたが。

「反論の余地もない」

「何人死んだ?」

 緩やかに息を詰める仁野に、曖昧に微笑む。

「ちょっと、そうかなって思ったんだけれどやっぱりかぁ」

「過激派、などというどころではない。あれは真正の狂信者です。十人以上が殉じました。作り物の歯に毒を仕込んでいたのです。生きている者も、決して口を開かず」

「うちの連中も愚痴ってたよ。あれらは頭がおかしいとねぇ」

「聞き及んでおります。何でも禍者に殺されたがったとか」

 殺されたがった。正しくその通りなのだが改めて聞くと違和しかない。報告をしてきた常葉も、苦虫を噛み潰したかのような、困惑と怒りの混ざった顔をしていた。実に珍しい顔だった分、倉科の記憶にも強く残っている。あれは顔に感情を載せるのが不得手だから。

「それだけの忠心を捧げるに足る何かが、改史会にはある、のかなぁ?」

「もしくは」

 もしくは。口を一度閉じ、また開いて仁野は迷い迷い言った。まるで、自分自身でも信じていない口振りで。

「それだけの忠心を改史会に捧げられる程、この世に不信があるのか」

「まさか」

 口を衝いて出た言葉に苦笑する。まさか、など。この国の歴史に危ういところなど、幾らでもある。呪術に句々実、そして禍者。良く読み解いたからこそ、倉科は良く知り及んでいた。

「……そう思えば、改史会が此処まで広まったのも決して無理はない、ねぇ」

 しかし、そうなれば、改史会の始まりは知識人でなくてはならないのではないだろうか。偽史を偽史として喧伝する為に必要なのは、偽史に対する深い理解だ。

 ならば。

「倉科殿?」

「あぁ、ごめん。こっちの話だよ。でも改史会には僕たちの理解の及ばない魅力があることだけは確かなんだねぇ」

「……ええ、実に巧みに、あの連中は人々に夢を見せているのでしょう。不甲斐ない話ですが、警察の上層部とてこの件に関しては怪しいもので」

「仕方のない話さ。農民や商人、市井に広まったものが公僕には広まらない、なんて道理は存在しない」

「悲しきかな。俺とて所詮は下っ端の身。本来ならば祓衆にもっと有用な情報を、協力を成したいのですが」

 警察は一枚岩ではない。祓衆に対する感情も千差万別だ。否、昨今の時勢としては——これは祓衆でも言ったことはないが——寧ろ宜しくない感情を抱く者の方が多い。化け物退治の英雄。まあ、昔から警察とは似たり寄ったりの関係性だ。ただ、こういう時に関係の拗れているのは純粋に不便だ。

「邪魔をしたからと言っても、我々はどうしたって化け物専門の機関さ。人の問題は対人組織の警察に任せるのは道理に違いないからねぇ。ただ——このまま後手後手に回るのはいただけない」

 対禍者の組織。それが祓衆だ。しかし、そうであるが故に祓衆には制約も多い。

 そう例えば、人に対しては刃を向けられない、とか。

 無論、今回の改史会のような相手に最低限の対応は許されている。正当防衛として。しかし裏を返せば、それは向こうから手を出されるまで手出し厳禁であるということ。如何に連中がこちらに害意を持っていようとも、その矛先がこちらを真に害するまでは、彼らは護るべき無辜の民なのだ。

 何という枷か。

「時に仁野君」

「はい」

「君は人間に刃を向けることに抵抗はないのかなぁ」

「……それは、如何様な意味で」

「君なりの回答で良い」

「必要とあらば、躊躇うことこそ罪でしょう」

「そう、だねぇ」

 模範解答だろう。警察では、対人戦闘の為の訓練が多くなされていると聞く。技術面でも、精神面でも。

「仁野君、改史会は何かとこれからもきな臭い真似をしてくるだろう。君も警察に籍を置く身としては難しいかもしれないけど、今後も色々と、お願いするねぇ」

「無論」

 間髪を入れずに応えを返す仁野。純朴で、正義感が強く、それでいて適度な柔軟性があるこの男は信用に足る、と倉科は判断している。清濁併せ呑む必要性も理解しているのがまた好ましい。

「しかし、参ったねぇ。いよいよ改史会も面倒と言うか、目障りというか。厄介なことになってきた。規模も相当なものになっているんじゃないかなぁ」

「恐らくは。各地で奇妙な会合も確認されている様子」

「いい加減、君たちも動くんだろう」

「勿論です。拠点の把握を急ぎ、見付かれば即座に叩く。今の警察において最優先されてはいるのですが」

「まあ、虱潰しだよねぇ」

 貴賤も地方も、何も問わず数を増やすのだ。拠点など無数にあるに違いない。ましてや、そうした場所で会の人間を捕らえたとて黙秘か自死。難航するのもむべなるかな。

「今度適当にその拠点潰しに参加してみてよ。拠点の話も欲しいからねぇ」

「また貴殿は……まあ難しくはないでしょう、やってみます」

「頼んだよぉ」

 しかし。にこやかに仁野に言葉を放りながら、倉科は思考を巡らせる。

 偽史を偽史と成すのに必要なのは、偽史への深い理解。

 そんなものを得られるのは一握りの知識人、もしくは倉科のような数寄者くらいだ。そして大抵、そういう知識人たちの集う場所は決まっている。学校や神社、文書館などは正にそうだ。

 そして何より、多くそうした人間は。

 朝廷に、勤めるものだ。

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