第4話 訊問する刑事

 朝房が再び事務所を訪れたのは、学校へ行った五日後のことだった。

速水が残した言葉の通りに、朝房は五日間の間に三名の情報収集を終え、その旨を報告するために事務所へとやって来た。

当の速水はそんなことを言ったことすら失念していたのだが。

「さて、何から話そうか……」

黒に近い色のトレンチコートをソファに無造作に置く。

三月はあと二週間ほどで終わるが、未だに外は肌寒い。

「適当に話せよ。聞き流すから」

とりあえずは調査の結果とやらを聴くことにする。

質問はその後でも遅くない。

「じゃあ、そうだなぁ。順当に、雪塚正史の話から行くか」

真尋は以前と同じように、三人分の茶を運んでくる。

湯呑から上がる湯気が、朝房の顔前に立ち上る。

「雪塚正史、三十五歳。担当科目は現代文で、松陵女子は五年目の勤務。それまでは他の都立高校で教員として勤務していて……」

まるで読み上げ機能が搭載されたロボットのような口調で話し始める。

「それは聞いた」

「まぁ、周囲の教員から訊いた感じ、真面目な人物らしい。今まで五年間欠勤したこともなくて、生徒からの評判もまぁ、それなりってところだ」

「樋浦加奈子が転落した日は?」

以前学校を訪れた時に訊きそびれたことを尋ねる。

「授業で出すテストを作成するために視聴覚準備室にいたと証言してる。誰かが一緒に居たわけじゃないから、在室証明アリバイとしては不成立だな」

お前がいる時に訊いておけば良かった、と朝房は頭を抱える。

その様子だと、速水たちが訪れてから再び学校へ赴いたのだろうか。

「で、雪塚自身の話はこんな感じだ。他にも色々訊いたが事件に関係があるとは思えないものばかりだった。で、雪塚自身の話では無いんだが、雪塚が担任を持っていたクラス、つまりは樋浦加奈子のクラスで去年の五月頃から色々あったらしい」

「去年の五月っていうと、まだ樋浦さんが生きている頃ってことですか?」

真尋が茶をすすりながら、目を細める。

恐らくは茶が熱いのだろう。

「そう。その頃から樋浦加奈子が亡くなる十月末まで、加奈子の私物が紛失する事件が度々あったらしい」

「私物っていうと?」

「最初はハンカチやタオルだったから気にも留めなかったらしいんだが、次第に水筒やら携帯やらが立て続けに無くなっていって、誰かが盗んでいるんじゃないかと怖くなって、加奈子の方から雪塚に相談があったらしい」

「で、犯人は見つかったのか?」

「いや。表立って動くと状況が悪化すると見込んだ雪塚が個人で犯人を捜していたようだが、結局見つからず仕舞いだ。それであの事件が起きて自然消滅したって感じだな」

「加奈子以外で、ものを盗まれた生徒はいないのか」

茶を啜りながら、話半分で相槌を打つ速水。

「無い。樋浦加奈子の私物以外で盗まれたっていう話は無かった」

「いじめ……とか?」

真尋は右の手の平で顎を包むようにして、頬杖をつく。

「犯人が分からないんじゃ、お手上げだな。……それに、それはあまり事件とは関係があるとは思えん」

「加奈子の気を惹くために窃盗を行っていた犯人が、それだけじゃ飽き足らず、殺人に及んだって可能性はないのか」

速水は少し目を細めて、朝房を見つめる。

元から目つきの悪い速水がそれをすると、一層に険しく相手には映る。

「動機から犯人を探すのは、小説のやり方だ。現実の事件じゃ通用しない」

「でも、動機があるからこそ殺人を行うんじゃないの?」

真尋が大きな目をこちらに向けている。

知的好奇心が詰まった黒目を、速水に注ぐ。

「そうじゃない。動機があって殺人を行うっていうのは論理的な過程プロセスだ。でも本来、論理的思考が働いている冷静な思考状態では、殺人なんてハイリスクなことは基本しない。あらゆる動機っていうのは、殺人が起こった後に付けられる理由付けに過ぎないんだ。動機があって殺人が起こる、と皆思っているけど、本当は殺人が起きた後にそれに見合う動機が付けられるんだ」

「じゃあ、動機って何なのよ」

「今言った通り、動機は事件を理解するための言い訳に過ぎない。殺人行為っていうのは、普通の人間なら行わないし、経験することもほとんど無い。だからこそ、テレビや雑誌でそういう事件を発見すると、何故それを行ったのか知りたくなるわけだ。でも、殺人なんて非日常的な行為や行動の原理を理解することなんて本来不可能だ。当事者はんにんですらそれを理解できていない場合が多い。それを外から見ている傍観者やじうまが知ることなんて出来る訳が無い。でも、それでも知りたくなるのが人間のさがだ。つまり、動機っていうのはそういう知りたい人間を納得させるためだけの創作フィクションなんだよ」

「速水のその理屈だと、殺人者は自分が行った行為の動機を理解していないってことになるの?」

「動機を理解していないんじゃない。そもそも動機なんていう言語化出来るような思考じゃないんだ。本能とか、そういうのに近い衝動が殺人を引き起こすってことだ。まぁ、全てがそうじゃないとは思うが」

「じゃあ、自分がしていことを理解してる殺人者もいるってこと?」

「いるさ、たとえば……」

速水は一つ息を吸う。

ならば」

真尋は速水から受けた言葉を呑み込むように、少しうつむく。

「……真尋」

なに、と小さく答える真尋を見て、声を発する。

「茶のおかわりを」

見えないはずの空気が、部屋を圧迫しているようだった。


 「で、雪塚の話は大体わかった。……他は?」

「じゃあ順番的に降旗の話をするか。降旗はお分かりの通り美術を専門とする講師だ。勤務態度に関しては雪塚と共に優秀で、何より教鞭の腕も中々良いらしい」

何を根拠に、と速水が口を挟もうとすると先に朝房が封殺した。

「三年前、降旗が美術講師として松陵に勤めるようになってから、松陵は何人も美術系の有名専門学校に何人も特待生を輩出している。それまでは数年に一人程度だったらしいが、講師が降旗になってから明らかに特待生の数が増加したと」

美術に造詣の無い速水にとって、美術系の専門学校など了見の範疇では無く、特待生制度についても詳しくはない。

更に言えば、教師としての優秀さが何を意味するのかもよく分からない。

特待生を多数輩出すればそれは優秀な教員ということになるのだろうか。

そこについては首肯しゅこう出来ないが、それでも降旗が賢そうな男だという印象は速水も持っていた。

今は、その認識だけで十分だ。

「講師ってことは、他の学校にも出入りしているのか」

「いや。あくまで講師は副職で、本業は画家らしい。降旗の家族はその道では知らない人がいない程の芸術家一家らしくてね。降旗もその例に漏れず画家として何度か個展も開いているらしい。えーっと……なんとかふゆつぐ……みたいな名前ペンネームで。まぁ、言い方は悪いが教職は小遣い稼ぎみたいなものなのかもな。何かと金がかかるだろ、芸術って奴はさ」

「で、事件の日は何してたって」

「事件の日は学校にいたらしい。なんでも展覧会に出展する作品を制作するために美術室をアトリエ代わりにしていたんだと。もちろん一人だからアリバイにはならないが」

速水は再び注がれた熱い茶を啜る。

喉の奥が鈍い熱を持ち始める。

「……降旗自身は、どんな人物なんだ」

「なんだ。速水らしくない質問だな」

頓狂な顔をして朝房が目を見開く。

驚いているというより、少し小馬鹿にしているように見える。

「そうだな……まぁ、饒舌に人と話すって感じでは無いのは確かだな。でも、最近は個展が近いからギリギリまで学校に残って制作に励んでるって、学校の職員が言ってたけど」

速水達が訪れた時は、正しくその制作中だったのだろう。

「H.K……」

「それ、なに?」

どうやら覚えていないようで、真尋はこちらを覗き込む。

覚えていないというより、見ていなかったのかもしれない。

「真尋が見てた絵に書かれてたサイン」

「何かの略か?」

茶を口に含みながら、間の抜けた声で問いかける。

あまり興味はないらしい。

そもそも朝房はくだんの絵を見ていないので、当然と言えば当然だが。

「絵の作者の略称だろうな、恐らくは」

雪塚の盗難騒動より、こちらの方が少しは興味があった。

直に見たということも関係しているのかもしれない。

あの絵には、恐怖にも似た魅力がある。

深い海の底を除いた時のような、強い引力。

畏怖しつつもその中身を見つめていたい、落ちてしまいたいと願う矛盾。

「速水、速水ってば」

深海から引き戻すように、真尋が速水をぶんぶんと揺らす。

「ん。どうしたんだ、そんなキャッキャ言って……」

両腕を翼のようにはためかせながら、真尋が言葉を漏らす。

「H.Kの意味、分かった?」

問いかける真尋だが、今にも唇から言葉が溢れてきそうに見えた。

どうやら真尋は何か見当があるらしい。

「さぁ?」

得意げな顔をする真尋を一瞥して、速水は首を傾げる。

西洋人のようなわざとらしい肉体言語ジェスチャー

「H.Kはさぁ……」

真尋の口が開く。

「樋浦加奈子の略じゃない?」


 その答えに関して、速水は何も言わなかった。

ただ、残った沈黙の余韻が、言葉以上に意味を持っていた。

H.Kと樋浦加奈子。

美術部に所属していた樋浦加奈子ならば、その作品が残っていてもおかしくはない、か。

それとも他の部員にH.Kのイニシャルの人間がいるのか。

偶然の符号、吻合ふんごうする事象、たまさかの調和。

「で、朝房」

「なんだ?」

話を振られると思ってなかったのか、朝房が惚けた顔をする。

「風見怜香の情報は?」

「あぁ、それな」

スーツの襟を正しながら、一つ息を吐く朝房。

「まぁ、調べようと思えば調べられたんだが、風見怜香に関しては直接訊いた方が良いだろうと思ってな。敢えて、調べてこなかったんだ」

敢えて、に強いアクセントを付与しながら言い切る。

怠慢では無い、と言い張りたいのだろうか。

「……おい、待て。なぜ風見怜香に話を直接訊くことが決定しているんだ」

「雪塚と降旗は直で視たが、風見怜香は視てないだろう?それに、H.Kのことも何か知っているかもしれないしな」

一気に気分が澱んできた。

身体の血の循環めぐりが悪くなる。

「ねぇ、速水」

真尋が茶を煽りながら、こちらを見る。

猫舌なのかまだ茶は減っていない。

「雪塚先生と降旗先生って、嘘言ってたの?」

「いや……」

雪塚と降旗には、黒い霧は纏っていなかった。

少なくともあの会話の中には明確な嘘はない。

しかし、嫌な気分にはなった。

それは二人の証言がどうこうではなく、あの学校という場所が良くないのだ。

死体置きモルグのような、鼻を突く腐臭におい

もちろんそれは実際に香っているのではなく、速水の心象である。

「嘘は吐いてない……とは思うが、学校には行きたくない」

その言葉だけだとまるで引き籠りの妄言のようだ。

「本当に具合悪そうだったもんな」

誰のせいで、と言いかかったが言葉は出ない。

それ以上にまだこの事件に関わらなければいけないのかと思うと、胃が痛かった。

「……って、大丈夫か。また真っ青だぞ」

「速水、酔い止め」

気付けば真尋はどこからか酔い止めと水を伴って机に置いた。

ただならぬ学習能力に感服する間もなく、速水はそれを流し込む。

「ふぅ……」

即効性があるわけでは無いので気休めだが、それでも少し楽にはなった。

「じゃあ、今度は風見家に行く時に迎えに来るよ。まだいつとは言えんが、恐らくは今週中……二日後くらいには行けると思う」

朝房は勝手に話を終わらせると、コートを纏って立ち上がる。

まるで喪服だな。

気が滅入ってるせいか、無意識にそう思った。

「おい、朝房」

「なんだ?」

「ついでに樋浦加奈子の家にもアポイントを」

「お安い御用」

軽く拳で心臓部を叩くと、朝房は顔を綻ばせて片手を上げた。

「それでは、良い週末を」

そう言い残して、上げた片手を振りながら事務所を出て行く。

建て付けの悪い事務所のドアが、軋みながら部屋を密室にする。

そろそろ、扉も替えないといけないかもしれない。

「…………」

つまらないことを言ってしまった、と後顧する。

あの絵のサインが、樋浦加奈子の事件を繋がっている

そんな根拠のない理屈が、速水をらしくない言動に駆り立てている。

あの絵に封じられた得体のしれない執念―情念とも呼べる―に動かれているのを半ば自覚しつつある。

自覚しているが、自分の中に脈動する好奇心が蠢動しゅんどうを止めない。

それは理性というより、本能に近い核の部分。

人間があらゆる自然の脅威に抗えないように、速水もまた、その遺志とも呼べる意識の残像に、動かされつつあった。




 煙草はもう残り一本になってしまった。

犀木崇文さいきたかふみは署の屋上に設置された喫煙所で、ニコチンを貪っている。

喫煙者は、少しずつ社会の害悪へと成り下がっている。

喫煙所と呼ばれるこの場所も、青空の元に灰皿が一本立ちしているだけで、別に明確に喫煙所として擁立しているわけではない。

雲一つない青空に白い煙を吐き散らす行為が、優越感と満足感を与える。

実質的には体外に放出するのではなく、体内に毒を溜め込む行為だ。

「やっぱりここに居ましたか」

間延びした声が犀木しかいない屋上に響く。

「朝房……」

そう犀木が呼ぶ頃には、既に部下は目の前まで迫って来ていた。

「どうぞ、差し入れです」

朝房は新品のマールボロのボックスを上司に手渡す。

赤を基調としたパッケージと、黒文字のアルファベット。

「タバコ、もう一本しかないんでしょう?」

朝房の言う通りに一本しかないタバコに火を点けると、渡された煙草を代わりに胸ポケットへと入れる。

「気持ち悪ぃ」

朝房憲次郎は、犀木が初めて教育を務めた警察官である。

後にも何人か教育係として見てきたが、どれもこの男より無能だった。

無能だったというより、朝房が少し優秀過ぎたのだ。

しかしその過ぎた優秀さが、犀木には危うく見えて仕方がない。

妙に鋭い観察眼とそれと相反する緩んだ表情。

懐いているのか利用しているのかは判断しかねるが、それでも頻りにこうして会いに来る分、多少可愛げは無いことも無かった。

「で、どうなんだ」

「何がです?」

「……お前の趣味の話だ。魚は釣れているかと訊いているんだ」

無論、朝房にフィッシングの趣味は無い。

言葉遊びの喩え話だ。

ここは隔絶された喫煙所だが、腐っても署内なのだ。

ベラベラと朝房のの話を出来る場所じゃない。

「大丈夫ですよ、心配は無用です」

「ヘマすんなよ。船諸共いかれたら終わりだからな」

煙草の返礼に、紫煙を朝房の顔に吹きかけてやる。

「しかし、タバコも高くなりましたねぇ」

実に無反応な部下を持ったものだ。

しかし、これは嫌な話の展開だ。

何かを要求されるのかもしれない、と少し身構える。

いやしいな。オーストラリア基準で建て替えてやろうか?」

「別に良いですよ。課長は今まで通りの課長でいて下されば。……僕の趣味を黙って見守り続けてくれていれば、それで」

「……そう。ま、勝手にやれや。足跡付かない程度にな」

先程火を点けた煙草は灰に代わり、朝房が届けた新たな箱を開ける。

朝房と話しているとやけに煙草の減りが速い。

「まぁ、程々にしてくださいね。死なない程度に」

まだ着火していない煙草を銜えた犀木を尻目に、小さく呟く。

「そりゃ、こっちの台詞だ。馬鹿野郎」

犀木は先端の煙草葉を燃やすと、再び紫煙を朝房の顔面に吹きかけた。



 朝房の行動は、不愉快な程に迅速だった。

「ちゃんと静養していたか?」

予告通り、以前事務所にやって来た時から二日後の昼下がり、朝房はジャケットをはためかせながら事務所へと息せき切ってやって来た。

「迎えに来たぞ」

悪魔の囁きとはこのことか、と思う。

二日で快復に向かっていた体調が一瞬で急降下する。

「まぁ、事前情報は必要だと思って、一応調査資料は用意してきたんだ」

朝房はそう言うと、鞄の中から薄い冊子を取り出し、速水に手渡す。

軽く斜め読みをしようと開いた時、速水は風見怜香の写真を見て目を見開かざるを得なかった。

「これ……」

それは、あの絵の中で座っている少女そのものだったからだ。



 事務所の前で朝房の愛車が停車している。

光を跳ね返してテラテラと光る車体に目を凝らすと、速水は朝房に耳打ちする。

「誰か乗ってるんだが」

「今日は運転役を用意したんだ」

「内密じゃないのか。この捜査は」

「課長から許可も下りてる」

賄賂を渡したのか弱みを握ったのかは定かではないが、それでも朝房が運転をしないということに関しては大歓迎だった。

もう時間を無駄に浪費したくはない。

結局調査資料は写真以外よく読んでいなかった。

あまり先入観を持つのは、賢明とは言えないからだ。

「警察の方なんですか?」

速水の後ろにいた真尋が問う。

「そうそう。僕の後輩なんだ。好きに使ってくれて構わない」

「気の毒な……」

速水はその後輩の気持ちになって、悲嘆に暮れた。

朝房が先輩だなんて、死んでも厭だったからだ。

車内の席は、何故か真尋が助手席で朝房と速水が後部座席に座ることとなった。

本来ならば朝房が助手席だと思うのだが。

「じゃあ、紹介するよ。こいつが例の速水証吾だ」

例の、ということは普段から朝房は速水の話をしているのだろうか。

怖気おぞけが走る。

「来宮大輔です。その、いつも先輩にはお世話になっています」

運転席が窮屈そうにすら思える巨体の来宮は、バックミラー越しに小さく会釈をした。

ゴールデンレトリバーみたいな顔をした男だと漠然と感じる。

「そんで、お前の横に座ってるかわいこちゃんが、和泉真尋ちゃん。速水の弟子だ」

「助手な」

「どうも」

来宮は、少し身体をそらして一礼する。

車が小さいわけでは無いが、相対的にそう見えてしまう。

「あ、どうも」

真尋もそれに合わせてぺこり、と小さく首を縦に下ろした。

「風見さんの家って、どちらなんですか?」

真尋が挨拶代わりとばかりに、来宮に話しかける。

「田園調布の住宅街です」

なんという、絵に描いたようなお嬢様。

「へぇ……。来宮さんって、おいくつなんですか?」

速水と朝房が険悪なのを感じ取って、真尋が会話の舵を取る。

ここだけ見ると合コンの一場面のようだ。

「ふぇ、あぁ、えっと今年で二十六になります。はい……」

唐突過ぎるパーソナルな質問に狼狽する来宮。

「い、和泉さんは……おいくつなんですか?」

「私は今年で二十になるんです」

「あ、お若いんですね……落ち着いてらっしゃるから、同い年くらいかと……」

しどろもどろしながら、来宮が運転を続ける。

「おい来宮。なにデレデレしてんだ。この助平野郎」

朝房がやけに沈着なトーンで、来宮を諫める。

「お前なぁ……」

速水は不憫な来宮を見遣りながら、隣の旧友に冷たい視線を向ける。

朝房に指摘されて、来宮の四角い顔はみるみる紅潮していった。

なんとか助け舟を出してやりたかったが、鈍いエンジン音が四人の合間を埋めてしまった。



 来宮の運転は的確だった。

松陵(品川)より遠いはずの田園調布へ、前回の半分の時間で辿り着いたことがそれを証明している。

「さて、行くとしますか」

ピクニックと勘違いしているとしか思えないテンションで、朝房がインターホンを押す。

来宮は額に大粒の汗を載せて、真尋の後ろで殿しんがりを務める。

インターホンを押して間もなく、家の中から女が現れた。

朝房がアポを取ったからか、顔や身の回りは小奇麗に整っている。

清潔感はあるものの、顔の造作自体は特別美人では無い。

一般的な、母親の偶像イメージといった感じの風貌だ。

左手で庇っていてよく見えないが、右手に軽く包帯を巻いている。

「どうぞ」

風見由紀子は、小さく会釈をして四名を招き入れた。

あまり外に居るのを見られたくなかったのかもしれない。

怜香の部屋は二階にあると言うと、言葉少なに居間へと姿を消して行った。

「速水、大丈夫?」

真尋が小声で質す。

「まだ、特には……」

直線状の階段を上がると、すぐに怜香の部屋があった。

木製のドアを朝房が二階叩くと、怜香はすぐに扉を開いた。

まるでドアの前で来るのを待ち構えていたかのように。

「どうぞ」

母親と同じセリフで四名を招き入れる怜香。

部屋は一般的な女子の部屋で、一人なら十分だが、四人入るのは些か狭い。

来宮の体躯を鑑みれば、四人というより四人半といった心地だが。

水色のカーテンと同じ配色のシングルベッド。

海というよりかは空に近い印象を与える。

部屋の中央部には小さな机が置かれ、その上に置かれたペンケースにはカッターナイフが何本も刺さっていた。

こんなところで木版画でも制作するのかと思うほどに。

怜香は海色の寝台に座り、朝房と速水はそれに向かい合うように床に腰かける。

真尋は周囲を観察するように眺め、来宮は扉の前に立っていた。

「…あの、質問って何ですか」

早く話を終わらせてほしい、と言わんばかりに淡白な訊き方だった。

「思い出させるようで申し訳ないんだが、樋浦加奈子さんについて今一度いくつか訊きたいことがあってね」

「加奈子の事件は、もう終わったって聞きましたけど」

強気な目線をこちらに向けて、必死に自分を取り繕う。

少なくとも速水にはそう思えてならなかった。

「加奈子さんは、いつも君と一緒だったと聞いたんだけれど」

「そうですけど……。それがどうかしました?」

「加奈子さんと初めて会った時のことを覚えてる?」

速水が横槍を入れる。

「……入学式の日です。うちの学校は入試で首席だった生徒が入学式で式辞を言うんですけど、それで私……式辞を言うことになって……それで」

へぇ、と朝房が興味のなさそうな相槌を打つ。

「その時に、加奈子の方から入学式の前に話しかけてきたんです。『私のせいですいません』って」

「どういうこと?」

「元々、私が入学した年の主席は加奈子だったんです。だから加奈子が式辞を言うのが普通なんですけど、ほら……加奈子は、車椅子で……舞台に上がったりするのに何かと手間取ってしまうから、二位だった私が代わりに読むことになったんです。……それで、すいませんって」

手を擦り合わせながら、寒さに凍えるように小さく答える。

両方の腕に巻かれた赤いリストバンドが、小刻みに揺れる。

最近の女子の流行なのだろうか。

何にしても本来のリストバンドの用法ではない。

「それから、君は加奈子さんの世話をするように?」

頬杖を中心に置かれた机につきながら、朝房が問う。

何様なんだ、お前は。

「そう。加奈子は私より勉強も絵も、何でも上手で……。だから、私加奈子の支えになりたかったんです。彼女は、誰よりも賢いけど、その実、孤独で……だから、私……」

「もう訊かれたかもしれないけど、加奈子さんの事件があった日は何を?」

「……よく覚えてないですけど、確かあの事件があったのって夕方ですよね。だとすれば、多分家に帰る途中だったと思います。いつもその時間には電車に乗っているから……多分、その日も」

速水が目を細める。

「……あの絵は、知っている?」

速水は最も気になっていた質問をぶつけることにした。

「絵、ですか?」

「美術室に君をモデルに描かれた絵があったんだ。それは加奈子さんの絵なのかな」

怜香は逡巡すると、小さな口を開いた。

「……確かに、加奈子は一度私を主題モチーフに肖像画を描いたことがあります」

それは降旗の言っていた互いの肖像画を描き合う課題のことだろう。

「でも、その肖像画は美術室には無いはずです。……それぞれ描いた人の所に返されましたし」

「じゃあ、絵のモデルになった経験はある?」

「……ないです」

声帯を絞められているかのように、呻くような声を出す。

速水の顔は更に険しくなっていく。

手元は震えているが、カーテンから漏れた光が逆光になって怜香の表情が読めない。

「加奈子は綺麗だからモデルにされることもあったけれど……私は。それに、加奈子は基本抽象画しか描かなかったんです。だから人物画はあまり描かなくて……だから」

「もう一つ質問を。君は絵だけじゃなくて工作とかもするの? たとえば彫刻とか」

「……まぁ、趣味程度には。下手の横好きで、あまり得意じゃないですけど」

もう速水は、怜香の方をあまり見てはいなかった。

「ふぅん。じゃあ、僕からも一つ質問を」

会話が途切れたことを察すると、朝房が導入して割り込んでくる。

「雪塚先生から聞いたんだけど、君、加奈子さんが亡くなってから学校にはあまり来てないんだって? それは、どうしてかな」

「そんなの……言わなくたって、分かると思いますけど」

「一応、君の口から聞きたいんだ」

「……最初は、単純に加奈子が亡くなったことがショックだったから。でも、年を越して、時間が経つたびに……なんだか自分のせいで加奈子が亡くなったような気持ちになって……それで、罪悪感が」

「何か加奈子さんが亡くなるのに心当たりが?」

「無いですけど、でも……加奈子と一番関わりがあったのは私だから、もしかしたら私の言葉が加奈子を知らぬ間に追い詰めていたんじゃないかって、傷付けていたんじゃないかって……怖く、なって」

「そうか……」

朝房は神妙な面持ちで、その言葉を呑み込む。

演技なのか本心なのかは、よく分からない。

「最後に、一つ訊いていいかな」

速水が言葉を差し挟む。

早くこの問答を終わりにしたかった。

「君は、加奈子さんのこと、好きだったの?」

「……えぇ、それはもう。こんな人にはきっと、これから未来さき出逢えないと思うほどに」

「そう……」

速水は、もう何も言わなかった。

「ねぇ、速水」

真尋が人差し指で速水の腰元をつつくので、そちらを振り向く。

「なんだよ」

「ほら、これ」

真尋が指差す方には、一つの絵が立て掛けられていた。

キャンバスに閉じ込められているのは、他でもない樋浦加奈子で。

その目の中には、どうしようもない悲愴感がこびり付いていた。



 風見由紀子は朝房達が階段を下りるのを察すると、その音に気付いて居間から顔を出した。

「奥さんにもお話をお訊きしてよろしいですか?」

目が合ったのを契機きっかけにして、朝房が口を開く。

もう帰ると思っていた速水は、おもわず朝房を睨み付ける。

「なんでしょう」

「立ち話もなんですから、ゆっくりとお話を」

この家の主であるかのようにして、朝房は由紀子を居間へ帰した。

それに付く様に、速水達一行も居間へと上がり込む。

薄型テレビが窓側に置かれ、それを囲むように白のソファが置かれている。

革の生地で出来たそれは、見るからに柔らかそうな雰囲気を醸す。

IHが搭載されたカウンターキッチンと、足の長い木製の洒落た机には四脚の椅子が差し込まれている。

机上にはドライフラワーが飾られ、ニスでコーティングされた基面は天井から降り注ぐ電光をね返して室内に霧散している。

由紀子が四脚の椅子の一つに座ると、速水と朝房はその向かいの二脚の椅子に座った。

真尋と朝房は部屋を視線で物色している。

「訊きたいこととは、なんでしょう」

「怜香さんは、お母さんから見てどんな娘さんなんでしょうか」

恐らく加奈子のことを訊かれると思っていたのか、少し由紀子は面食らう。

「どんな、と言われましても……」

「小学校、中学校のこととか。たとえば成績が良かったとか勉強が出来るだとか……あぁ、そういえば怜香さん、頭がよろしいようで。入試でも良い成績だったとか」

「まぁ……二位ですけれど」

二位、に強く力を込めているあたり、やや不服なのだろうか。

「二位でも素晴らしいじゃないですか。式辞だって怜香さんが読まれたんでしょう」

これは流石に速水も分かる。

朝房はわざとこの母親を煽っているのだ。

火に油を注いで、会話に火を起こして口を開かせようとしている。

わざとだと分かっているからこそ、一層にきもが冷える。

「それは……あの子が、式辞を読むことを放棄したからでしょう?怜香はその代役かわりにされたんです」

「あの子というのは、樋浦加奈子さんのことですか?」

「え、えぇ……」

「ご存知なのですか?」

「ご存知も何も、あの子の事件で、怜香は……」

あんなことに、と言おうとしたのだろうが、言葉にはならなかった。

「確かに、亡くなったことは残念ですしご家族も気の毒とは思いますけれど……自殺なんて、そんな、理由があったにせよ身勝手に過ぎる行為だわ……。周りの人間を顧みない、どれほど傷付くかも理解しない……愚かな、行為です」

警察の手前か、言葉を選びながらも言葉を紡ぎ出す。

分からなくもない、とは思う。

「怜香さんは加奈子さんの話をよくされていたんですか?」

「そりゃあもう……いつも怜香は彼女の話をしていました。でも、その時は怜香が楽しそうでしたから……何も言いませんでしたけれど、正直、私はあの子のことがあまり好きでは……」

「それは、どうしてでしょう」

「……あの子は、身の回りの世話を全て怜香にさせていたんです。車椅子を押させることから、授業の用意から何から何まで……。あの子もあの子ですけれど、担任もずっとそれを黙認していて……。まぁ、怜香自身は満足気ではありましたから、最初は構わないと思っていましたけれど、私……なんだか、好きになれなくて……」

きっと、元から怜香が首席であれば何も思わなかったのだろう。

ただ加奈子が首席で怜香が二位という事実が、まるで加奈子が怜香を使役しているような先入観を由紀子に与えてしまっているのだ。

障碍ぶきを用いて儚さを演出している悪女、というのが由紀子から見た樋浦加奈子という人物像なのだろう。

「怜香さんは、昔からそういった優しい性格なのでしょうか」

「……優しいというより、流されやすいんです。あの子は……だから、いつも周りの子たちに何かをされても、言い返せないし、嫌だと声を上げることも出来ないのです」

「そういったご経験が?」

「まぁ……。あの子自身は心配をかけさせまいと何も言いはしませんでしたけれど、体育着や上履きが必要以上に汚れていたり、頻繁に紛失したり……普通に生活していれば有り得ないことだと思いません?」

いじめられていた、と表現しなかったのは、由紀子の誇り《プライド》がそれを許さなかったからか。

先程会話した少女の姿をもう一度思い返す。

小刻みに揺れる体、腕元に巻かれたリストバンド、

読めない表情……。

なんだか、すごくいやだ。

「私がいくら訊いてもあの子は大丈夫だと言うばかりで……。本人が明言していない以上、大事には出来ませんし、もうお手上げで……。高校には中学と同じクラスメイトはいませんでしたから、そこでやっとやり直せるかと思った矢先に……あの子が」

憎悪というより、憤慨に近い感情を感じる。

「分かりました。これ以上は結構です。お辛いことを訊いてしまって申し訳ないです」

軽く会釈をする朝房を見て、速水も同じように頭を下げる。

理性より先に模倣行動をしてしまう。

「ところで……その手の包帯はどうされたのですか?」

「これは……」

由紀子は傷口を隠すようにもう一方の手で覆うと、俯きながら答える。

「写真立てを、その、落として割ってしまって……破片を拾おうとした際に……ちょっと」

「そうですか。お気を付けください。…私たちはそろそろ失礼します。お時間を取らせて失礼いたしました。」

朝房は自分勝手に話を切り上げると、椅子から立ち上がり、再び軽い会釈を披露する。

由紀子が見送ろうとするのを片手で制止すると、軽やかな足取りで去っていく。

それに付いていくようにして、来宮、速水、真尋の三名も居間を早々に出ることとなった。


 朝房の愛車はコインパーキングで帰りを待っていた。

来宮が料金を払いに行く間、三人は車の前で言葉を交わす。

「なんだか、よく喋る女だったな」

朝房の最悪な第一声から会話の幕が上がる。

「嘘、吐いてたの?」

真尋は聞かなかったかのようにして、速水に尋ねる。

「……風見由紀子の方は、多分本心だろうな。ただ……風見怜香の方は……なんとも言えないな。少し、脚色が過ぎるような……」

「芝居がかってるってことか?」

「全部が全部嘘ってわけじゃない。人間、話す時には無意識に誇張しようとするからそういうのも変に感じ取っちゃうんだ。だから、嘘とは言えないが……本当だとも断言は出来ない」

「頼りにならんなぁ」

来宮が大きな身体を揺さぶりながら、こちらへ駆け寄ってくる。

フルマラソンの後のように息を切らしながら、額の汗を拭う。

「今、開けますね……」

息の音を間に挟みながら、赤外線の遠隔操作で開錠する。

「お前、少しはダイエットしろよな……」

そんな悪態を吐きながら、再び車へ乗車する。

陽を浴びていたせいか、若干車内が蒸し暑い。

「よし、じゃあ新宿署まで行くとするか」

「その前に事務所で俺達を降ろしてくれ」

朝房の発言にかぶせるようにして、速水は低く唸る。

席の並びは行きと変わっていない。

「ねぇ、速水」

「なんだ」

「H.Kって結局誰なのかしらね」

「樋浦加奈子なんじゃないのかい。真尋ちゃん、この前自分で……」

朝房が相槌を挟む。

由紀子や怜香の話よりかは多少まともに聞いていたらしい。

「そうだけど、今日の怜香さんの話聞いてて、おかしいなぁ……って」

「どこがだい?」

「だって、怜香さんの話が本当だとすると、加奈子さんって基本的に抽象画しか描かないんでしょう? だとしたら怜香さんをモデルに描いたあの人物画を描いたのが加奈子さんって、おかしくないですか?」

「ほら、言ってたじゃないか。お互いに肖像画を描き合う課題……」

「そうですけど、あれは描いた人の元に返却されたって降旗先生も言っていたし、実際怜香さんの部屋には恐らくその時に描かれた加奈子さんの自画像があったじゃないですか。それに降旗先生に話を訊いた時、ここに加奈子さんの絵は無いって……」

真尋の推察を聞きながら、今まで聞いた証言を反芻する。

メモも取っていないのによく覚えているものだ、と感心する。

「確かに真尋の言う通りだ。あの絵が樋浦加奈子の作品だというのは、少し辻褄が合わないな」

「おいおい、お前までそんなこと言い出すのか」

「そんな急がなくて良い。いずれ分かることだからな」

そう言いつつ、一番答えを焦っているのは速水自身だ。

自分自身を戒めるように、言葉を吐く。

焦るほどに、求めるほどにその対象は手に入らなくなる。

「よく覚えてますね、和泉さん」

「真尋で良いですよ」

「あ、あぁ……えっと、真尋さん。記憶力良いんですね」

来宮は頭を恥ずかしそうに掻くと、顔を意識的に背ける。

「まぁ……私、ちょっと興味があって」

「事件に、ですか?」

「推理ものとかミステリーとか好きなんです。……あぁ、でも一緒にしちゃいけないですよね。これは本当に人が亡くなっているんですし」

「良いじゃないか。速水に比べればずっと良い。コイツなんて、何するにも興味無さそうにぼーっとしてさぁ……」

猿のように手を叩きながら会話に割り込む朝房。

コイツ、とは紛れも無く速水のことだが、そこは無視することにした。

「真尋さん、刑事に向いてますよ。記憶力も良いし頭も良いですし」

ハンドルを握りながら、上機嫌に来宮が笑う。

初めてこの若者が笑っているところを見た、と速水は感慨する。

「でも、それを言うなら速水の方が向いてますよ」

真尋は口元に手をあてて、上品な仕草で笑う。

そんな仕草をどこで覚えてきたのかは定かでは無い。

「だって、速水はもう誰が犯人か分かってるんでしょ?」

バックミラー越しに映る真尋の黒目は、後部座席の速水を射抜く様に見開かれていた。








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