終焉の舞踏
星 霄華
上
わかってたの。
きっと、心のどこかで最初からわかってた。
でも、私は――――――――
冬って女の子にとって都合がいいのかもしれない。最近、そんなことをたまに考えるようになった。
「おはよう、
「よ」
駅を出てすぐ前にある、四つ辻。古びた赤煉瓦の壁にもたれてスマホをいじる人に声をかけると、彼はスマホから顔を上げ、小さな笑みを私に向けてくれた。
「今日は昨日より寒いね」
「ああ。予報だと、これからもっと寒くなるみたいだな。そのうち雪でも降るんじゃね?」
「わあ、降ったらいいな。ここ何年も雪降ってないし。降ったら小さい雪だるま作ろうかな」
「作れるほど積もらねえだろ。お前、安直すぎ」
そんなふうに笑いあいながら、私たちは二人で学校までの短い道のりを歩いていく。私は歩道側、桃矢君は車道側が私たちの定位置だ。初めて二人で登校してからずっとそう。優しい桃矢君の、言葉にしない気遣いだって私、知ってるよ。
「そうそう。昨夜、テレビ見たよ」
「げ、見たのかよ」
「当然じゃない、彼氏が出てるんだもん。生演奏、かっこよかったよ?」
桃矢君のいかにも嫌そうな顔に、私は笑った。
だって昨夜、『見た』って言ったらきっと嫌がるだろうなあって想像してたもの。予想通り。
「お母さんもね、かっこいい子だねって褒めてたよ。私、すごく嬉しかった」
「
片手で顔を覆い、桃矢君は言う。照れてる照れてる。これも見たかったんだよね。
なんだか可愛い。楽しくて嬉しくて、私は腕に抱きついた。おい、とたしなめる声が落ちてきたけど気にしない。だって私は彼女なんだもの。このくらい、してもおかしくないでしょう?
自慢の彼氏の腕に自分の腕を絡め、手を繋いで歩くととてもあったかい。コート越しに触れあう部分だけじゃなく、身体全体がぽかぽかしてくる。この幸せは、春や夏じゃできない。……うん。寒いのはあまり好きじゃないけど、こういうときは冬っていいものだとすごく思う。
学校に着くのはあっという間で、いつものように玄関で靴を履き替える。同じクラスで姓も似ていて靴箱がすぐ近くだから、会話が止むことはない。特にピアノのことなんて、たくさん話すことがある。
でも、今日の会話は珍しく、不意に止んだ。不思議に思って見上げると、桃矢君は廊下を見つめてる。
その視線の先には――――――――
「あ……真彩、桃矢。おはよう」
背の半ばに届く栗色の髪の、私よりも少し背の高い女の子が私と桃矢君に声をかけてきた。
だから、胸が一瞬痛くなったりなんてしてない。そう自分に言い聞かせ、私は箱を両手に抱えてどこかへ行く途中の美伽ちゃんに意識を集中させる。
「おはよう美伽ちゃん。どうしたの? それ」
「大木先生に頼まれたの。視聴覚室まで持っていけってさ」
「えー? それ、重そうなのに」
「ううん、そんなに重くはないよ。箱に入ってるからまだ持ちやすいし」
と、肩をすくめた美伽ちゃんは苦笑する。
でも、蓋が開けられた箱から覗く道具はとても重そう。女の子、それも国内の色んなコンクールで何度も優勝してて、将来有望だって声楽の先生たち皆ですごく褒めてる子にこんなのを持たせるなんて、相変わらずひどい先生。
そう、私は思ったのだけど。
「まあ、仮に重くても美伽なら平気だろ。怪力だから」
「誰が怪力よ。私より握力も腕力もあるくせに」
桃矢君がにかっと笑ってからかうと、美伽ちゃんはぎっと彼を睨みつけた。それに動じず、むしろますます桃矢君は楽しそうに笑う。
……当然だよね。だって二人は幼馴染みなんだもの。軽口を言いあうのは当たり前のことだよ。――――そう、普通のこと。
………………あ。
「楽しそうだね、二人共」
視界の隅に映った顔を私が認識した直後、男の子が美伽ちゃんに近づいてきた。鞄を持ってるから、私たちと同じ、今学校に来たばかりみたい。
美伽ちゃんが振り向く前に、彼は美伽ちゃんが持っていた重そうな箱を取り上げちゃった。
「
「やあ、おはよう水野さん。それに
そう私たちに挨拶してきたのは、私と桃矢君の同級生の倉本
でも倉本君はそんな女の子たちの熱い視線なんて知らないみたいに、微笑みを浮かべて美伽ちゃんを見下ろした。
「水野さん、重いねこれ。どこへ持っていくの?」
「え、いいよ別に。私が先生に頼まれたことだし」
そう言って、美伽ちゃんは倉本君に取りあげられた重そうな箱を取り返そうとする。でも倉本君は軽々かわしちゃう。……なんだか楽しそう……。
「天崎さん、これ、どこに運べばいいか知ってる?」
「……」
そんな話しにくいことを聞かれても…………。
話を向けられ、私は思わず視線だけで美伽ちゃんに助けを求めた。……これは、言わなくていい…………だよね。うん、間違いない。
なのに私の唇と目元は、するべきじゃない形になった。
「……視聴覚室へ持っていくって、さっき美伽ちゃんが言ってたよ」
「真彩!」
「ありがとう天崎さん」
うそお、って言ってそうな顔の美伽ちゃんとは反対に、倉本君はにっこり笑顔で私に礼を言う。なんだかさっきよりさらに楽しそう。なんでかな、西洋画で描かれてるみたいな悪魔の尻尾が揺れてる気がする。
倉本君は重そうな箱を美伽ちゃんに返さず、そのまま視聴覚室のほうへ行っちゃう。美伽ちゃんが呼び止めても全然聞いてない。……美伽ちゃん、皆に見られてるよ。気づいてないみたいだけど。
ああもう、と美伽ちゃんは長い息をついた。
「私、もう行くから。あんたは私じゃなくて、真彩を構ってなよ」
「言われなくてもわかってる。真彩、行くぞ」
「あ、うん。……美伽ちゃん、じゃあ」
桃矢君が私の頭を軽く撫で、歩きだす。私は慌てて桃矢君の背中を追いかけた。――――――――罪悪感と安堵から逃げるように。
それほど混雑していない玄関ホールの、私と桃矢君の距離はあまりない。がっしりした桃矢君の背中を見失ったりなんか、できない。
でも私は、桃矢君がもっと遠くにいるような気がした。
遠い場所で、私じゃない人を見つめて――――――――…………
今すぐ名を呼んで振り向かせたくなって、私はその衝動に耐えて桃矢君に追いついた。でも彼の服の袖を掴んで振り返らせたのに、安心できない。
だから私は、彼を見上げた。
「ねえ桃矢君。今日、練習見てもらっていい?」
「へ?」
私の唐突なお願いに、桃矢君は目を瞬かせた。一瞬、怪訝そうな、戸惑った色が瞳に映る。
「ああ、いいけど……今お前がやってるの、リストの『死の舞踏』だっけ?」
「うん。途中の部分が上手くできないの」
「わかった。じゃあ放課後、練習室でやるか」
頷き、桃矢君は了解してくれる。よかった、断られないってわかってたけど、それでも嬉しくて自然と笑顔になる。
なのに、暗い気持ちは消えてくれない。おさまらない胸の痛みに、泣きたくなる。
ねえ、桃矢君、おいていかないで。どこにも行かないで。
私のそばにいて。
言葉にできない代わりに、私は桃矢君の服の袖を強く掴んだ。
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